どちからかといえばアンチだった!?
バイクライターとして、普段からバイク専門誌や一般大衆誌、WEBサイトなどいろいろなメディアに幅広く寄稿させていただいているボクですが、3ヶ月にいちど(季刊)のペースで発売中のハーレー専門誌「WITH HARLEY/ウィズハーレー」(内外出版社より3、6、9、12月上旬発売)」では、編集長を務めさせていただいております。
片岡義男のオートバイ小説に憧れて、四半世紀以上もダブワン(1971年式カワサキW1SA)に乗り続け、スーパークロスに憧れてモトクロスにハマったボクが、どうしてハーレー専門誌に携わっているのか……!?
そもそも白状しますと、バイクに乗りはじめた頃は、ハーレーにはまったく興味がありませんでした。クルーザータイプのオートバイは、みんなハーレーに見えましたし、深く知ろうともしませんでした。
では、どのようにしてハーレーに惹かれていったのか。ここで少しずつ、書いていこうと思います。 連載しておりますので、ハーレーがお好きな人もアンチな方々もよろしければ最後までお付き合いください。今回は2回目となります。
これもハーレー!?
重くて遅い……。ハーレーはゆっくりノンビリ走るものというぐらいにしか認識がなかった頃、「スポーツスター」という、その名の通りスポーツ志向のモデルがハーレーにもあることを知ります。
特にカッコイイと思ったのは、先輩ライターYASさんが編集部に乗ってくるXLH883=“パパサン”。ボクがそれまでに知っていたというか、勝手にイメージしていたハーレーの重くて遅そうな雰囲気とは、まったく異なる軽快感(いや決して“軽快”ではないな)、なんとも言えない唯一無二の世界観がそこにはあったからひと目見てゾッコン惹かれたのでした。
聞けば、「スポーツスターカップ」なるものがあり、サーキットも走るんだとか。えっ、ハーレーでスピードを競うなんて……!? そんな世界があったなんて……。
さらに土系が好きなボクをときめかせてしまったのが「XR750」。フラットトラック(ダートトラック)最高峰クラスで、ハーレーダビッドソンは昔からずっと活躍してきたとのことで、意外というか、知らないことばかりでした。
ハーレーにもレーシングな世界があった!
全米選手権AMAグランドナショナルフラットトラック(ダートトラック)レースを走る「XR750」。見れば見るほど、知れば知るほど魅了されてやみません。
Vツインエンジンを見ると、なんと前後シリンダーにひとつずつキャブレターが独立して備わり、エレメントがむき出しではありませんか。ニーグリップの妨げになることは想像に容易いですし、国産バイクしか知らなかったボクには何もかもが衝撃的でした。
でもって、こちらがスポーツスターXL883R。どうでしょう、お気づきでしょうか。同じV型2気筒OHV2バルブ、4カムユニットなのですが、スポーツスターは前シリンダーは前方から排気、後ろシリンダーは後ろから排気、つまりV字に並んだシリンダーで1つの吸気機構(キャブレターorフューエルインジェクション)を共用しているのに対し、XR750は後方排気にしてキャブを2基がけにしているのです。
ハーレーダビッドソンのレーシングチームは、XR750とともにジェイ・スプリングスティーンやスコット・パーカーといった国民的英雄を輩出しています。キング・ケニーことケニー・ロバーツが黄色いインターカラーのヤマハTZ750で走っていた76年。19歳のスプリングスティーンは史上最年少でチャンピオンを獲得し、78年まで3連覇を達成!
まぁ、これはレース専用の競技車両なので、意味がまったく異なりますが、スポーツスターのルーツに「XR750」があることがわかり(長くなるのでまた今度説明します)、ゆっくりノンビリおじさんたちが乗るハーレーとは、だいぶ違うイメージがハーレーというブランドに持てるようになったのでした。
市販車にもあった憧れのキャブ2基がけ!
「カッコイイ!」って叫びたくなるのは、フラットトラックレーサーだけではありませんでした。ハーレーのワークスチームがバトル・オブ・ザ・ツインのレース出場に必要な規定、ホモロゲーションを達成するために製作されたのが、1983年の「XR1000」でした。
XR750に採用されるアルミ製シリンダーヘッドと、当時のアイアンスポーツ最速モデルであるXLXのクランクケースが組み合わされたエンジンには、プライマリーケース側(車体の左側)に取り回される2in2のアップマフラーやデロルト製のキャブレターが2つ備わっています。
XR750の技術をふんだんにとりいれたXR1000は、83年のバトル・オブ・ザ・ツインで優勝。市販車は83年と84年のみしか生産されず、これまたとても貴重なモデルです。
カフェレーサーもあった
また、1977年に登場した「XLCR」は、なんとビキニカウルやシートカウルを備えたカフェレーサースタイルではありませんか。その名が示すとおりXLスポーツスターの一員で、新設計フレームや2in1マフラーなど、ハーレーとしては“意外すぎる”モデルなのです。
1903年に創業したハーレーダビッドソンは、ハーレーさんとダビッドソンさん兄弟ら4人でモーターサイクルづくりをスタートさせ、そのお孫さんであるウイリー.G.ダビッドソンが70年代以降、デザイン部門を牽引します。
同年には世界的ヒットとなった「FXS ローライダー」を手掛けるなど、カリスマ的人気を誇りますが、XLCRは時代がついていけなかったのでしょう。ハーレーのカフェレーサーカスタムは早すぎた。販売は振るわず、生産台数はわずかに3124台、79年で姿を消してしまいます。
これがまた数年後には名車中の名車とされ、いまでも熱狂的なファンが世界中に。アメリカ・ニューヨークに活動拠点を移したお笑いコンビ「ピース」の綾部祐二さんの愛車としても、ファンらの間では知られています。
フルカウルのリアルレーサーも
ついでなので、もっと言いますとロードレーサーだってあるんです。ハーレーダビッドソンの創業90周年を記念する1993年に発表され、翌94年からAMAスーパーバイクレースに参戦したワークスレーサーがコチラ「VR1000」です。
アルミツインスパーのメインフレームに積まれたエンジンは水冷DOHC4バルブ60度Vツインで、フューエルインジェクションを採用。ホモロゲーションモデルとして、ヘッドライトなど保安部品を備えた市販車も50,000ドルで50台ほど販売されました。
こうしてボクは、ハーレーの“意外性”そして日欧メーカーとは異なる“独特さ”に惹かれていきます。ただし、本来は意外でもなんでもなく、日本ではこうした一面が知られていないまま、どっしりと大きなハーレーのイメージばかりが先行していただけかもしれません。
その後、仕事でもっとハーレーと関わるようになり、いろいろとわかっていくと、ボクはいつしかハーレーの虜となっていくのでした。
続く。
ハーレーに惹かれた理由① 第一印象はクラッチが重くてブレーキも効かない