Contents
1985年竣工のホンダ青山本社ビルが建て替え
二輪・四輪の車両展示や各種ステージイベント、カフェカブミーティングなどのオーナーズイベントも開催されてきたホンダの青山本社ビルが2025年から建て替えられることになった。

▲インフォメーションやイベントなどで活躍するホンダ・スマイルの皆さんともしばしのお別れとなる
誰でも気軽に立ち寄れる、1階の「Honda ウエルカムプラザ青山」は3月31日で休館となり、同ビル従業員の勤務も5月で終了とされ、2030年にかけて建て替え工事が続くことになる。

▲1階のHondaウエルカムプラザ青山。カフェも併設されている
現在、Hondaウエルカムプラザ青山ではクロージングイベントの一環として、青山本社ビルが歩んできた道のりを様々な視点で振り返った特別展示(3月31日まで)が実施されている。

▲ホンダとHondaウエルカムプラザ青山の道のりを当時の社会情勢と共に振り返ることができる展示
期間中、展示物の入れ替えも行われるが、チャンピオンマシンや技術革新を遂げた名車などが多数展示されているので、ぜひ足を運んでみてほしい。

▲1989年にエディー・ローソンが走らせたNSR500(水冷2ストV型4気筒)。カーボンディスク採用の先駆けとなったマシンでもある
最初にして最後! 「青山ビル建築ツアー」に参加

▲2階にあるプレスルームのソファ&テーブル。雑誌の取材で使われる広報車を借りる際に手続きをする場所だ
クロージングイベントでは、2月23日に「Honda 青山本社ビル 建築ツアー」という見学イベントも行われる(事前応募制で、応募はすでに終了)。
ホンダの最初の自社ビル本社「八重洲ビル」(1960年竣工・解体済)と同じように、創業者である本田宗一郎さんの“人間尊重”の想いが体現されているスポットを巡る内容で、今回、筆者もメディア向けのプレツアー(2月5日開催)に参加させて頂いたので、ここで紹介させて頂く。

▲プレスルームと二輪専門メディアの皆さん。飾られていたのは青山ビル竣工年と同じ1985年式のCBX400Fインテグラ
ツアーガイドを務めたのは建築史家の倉方俊輔さん

▲軽妙な語り口でガイドを務めてくれた建築史家の倉方俊輔(くらかた しゅんすけ)さん
メディアご一行を案内してくれたのは、建築史家で大阪公立大学工学部教授の倉方俊輔さん。日本の近代建築史を研究されている方で、建築公開イベント「東京建築祭」実行委員長を務めるなど、建築に関して広く伝える活動を行っている。

▲まるで当時を見てきたかのように、ホンダの歴史、創業者らの考え方を交えて案内してくれた
倉方さんいわく、建築には「発注者、作らせた人、施主」の想いや精神が垣間見えるという。竣工当時、社長の本田宗一郎さん、副社長の藤沢武夫さんはすでに経営の一線からは退いていたが、創業者の最後の想いが形になっているそうで、そういう視点で見ると、よりいっそう面白いものとなるそうだ。
なお、藤沢武夫さんは竣工から3年後の1988年に78歳で、本田宗一郎さんは竣工から6年後の1991年に84歳で逝去されている。
“宗一郎の水”が美味しい理由は地下3階のひば樽

▲ツアー終了後、最後の一杯になるかもしれない“宗一郎の水”を頂いた。本日も変わらず美味しい!
ウエルカムプラザ青山のカフェ「MILES Honda Cafe」で気軽に頂ける“宗一郎の水”(無料)。筆者もコーヒーなどを頂いた後によく飲ませてもらっているが、この水がなぜ美味しいのか、その理由が地下3階にあった。
宗一郎の水は、35トンもの貯水量を誇るカナダ産ヒバで作られた大樽に蓄えられていた。機械室にはその大樽が2つも並んでいて計70トン、青山ビルができた当時からの水槽設備であり、災害時の飲料水としての役割も担っている。

▲地下3階にこれほど巨大なヒバ樽が2つも並んでいるとは! 一般的なビルの貯水槽とは全く異なる造り
青山ビルの飲用水はいったんこの樽に入れられてから各部に供給されており、貯水中にカルキ臭も抜け、ヒバの成分によりまろやかで美味しい水になるそうだ。
本田宗一郎さんが、出前持ちの方などが配達の際にのどを潤せるように、気軽に立ち寄って飲んでもらいたいという願いを込めて作らせた設備だ。
貯水槽は通常屋外に作られることが多いが、青山ビルでは地下に設置したことで紫外線や風雨にさらされず、老朽化にも耐え、設置当時の姿で稼働できている。

▲こうした貯水槽はもともとはアメリカのやり方、文化だったそう。倉方さんのお話はいろいろと勉強になった
こういった水槽はもともとはアメリカのやり方で、60年代、日本でもホテルオークラなどで導入されていたが、青山ビル竣工時の80年代は金属やFRPといった素材が主流になっていた。
そうしたなか、わざわざヒバ樽を用いたのは本田宗一郎さんの「まろやかで美味しい水を飲んでほしい」という想い、時代に左右されず、利用者の立場に立ったホンダ固有の目線、フィロソフィーなのだそうだ。
青山ビルの防災対策と“人を守る”という考え方

▲地下2階にある備蓄庫。竣工当時から地域の方に安心してもらえるよう従業員数を超える食料や防災グッズを備蓄する
次に向かったのは地下2階にある備蓄庫。災害時など何かあった時のための食糧や衣類などが備蓄されている一室で、ビル竣工当時からあるものだ。
近年では法律により社員数✕必要日数分の備蓄が義務付けられているが、当時はそのような法律がない中での設置だった。現在でも1600人が3日は過ごせるだけの食糧と身の回り品、薬などが用意されている。
ヒバ樽に蓄えられた水と併せて、地域の方も含めたかなりの人数に対して供給できる体制を整えており、戦後しばらく大災害がなかった80年代にこれだけの非常設備をつくっていたのは安全性を考えるモビリティメーカーならではとのこと。

▲中身の見えるケースに、品名と収納数がわかりやすく記載されていた
また、道路と建物の間に空地(スペース)が取られているのも、地震の際の避難場所や炊き出し場所としての活用を考慮したもので、ガスの使用や炊き出しができる設備が準備されているという。
さらに、青山ビルでよく知られている防災対策が、外見上の特徴ともなっているバルコニーの存在だ。超高層ビルには通常バルコニーは作られないが、本田宗一郎さんによる「災害時にガラスが割れて下の通行人に怪我をさせてはいけない」という想いから、各階にバルコニーが設置された。
バルコニーは緊急避難路にもなっていて、建築基準法では避難路は2つでよいところ、青山ビルにはバルコニーを活用した3つの経路が設定されているという。なお当初は、本田宗一郎さんが割れないガラスを開発するように指示したが、「やっぱり無理だ」と断念したというエピソードも。

▲エントランス部が奥まっているのも災害時の被害軽減とその後の対応スペースを確保するため。小判型の2本の柱は、建築中の円柱を見た本田宗一郎さんが“権威の象徴”だとして改修させたもの
こうした備蓄と建物の設計が相まって、都市の中に安全な空間を作るということがその意味だという。実際に東日本大震災(2011年3月11日14時46分)が発生した際には備蓄品が大いに活用されたそうだ。災害が起こる前に何が危険なのかを想定するというのもモビリティメーカーらしい発想。
ホンダのフィロソフィーが随所に息づくホンダ青山本社ビル。プレツアーの続きは<後編>で。

▲青山ビルグッズも各種販売中! 1/1250のディスプレイモデルは税込3,300円。これは欲しい!