コロナ禍もあってバイクの良さが見直されている昨今、中古車価格も高騰気味で、世間では「バイクブームの再来」なんて言われている。しかし、1980年代に巻き起こったバイクブームは、今とは何もかもが比べものにならなかったのだ!
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バイクに乗るのが当たり前……若者はみんなライダー!
……と、まるで当時のことを知っているかのように書いてみたが、1975年生まれの僕は、80年代といえば5歳~14歳。高校3年生まで一切バイクに興味がなかった少年時代を過ごしていたし、この業界に入ってからも当時のことを聞く機会はなく、80年代バイクブームに関する知識はゼロ。
そんな僕に編集部から「80年代を振り返る」という無茶振りともいえるお題が与えられた(苦笑)。
そこで今回は、僕が普段からお世話になっているベテランジャーリスト・栗栖国安さんに当時のことを聞くことにした。
―というわけで栗栖さん、今回はよろしくお願いします! まずお聞きしたいのが、80年代当時と現在のバイク事情の違いについて。
栗栖「当時はバイクに乗るのが当たり前。16歳になったら、誰もがまずは二輪免許を取っていた。今またバイク人気が高まってきているけど、さすがにそこまでではないよね」
―たしかにそうですね。最近はやっとまた若いライダーも見かけるようになりましたけど、それでも休日のサービスエリアや道の駅で見かけるのは中高年のライダーが多いような……。
栗栖「逆に80年代は若いライダーがほとんど。おじさんといえば、ハーレーに乗っているライダーをちらほら見かけるくらい(笑)。バイクといえば、若い人の乗り物というイメージだったんだ」
―バイク=若者というイメージは、今も残っていますよね。実態とはかなりかけ離れているけど(苦笑)。
80年代バイクブームといえば、走り屋のイメージもあります。
栗栖「走り屋が出てきたのは80年代後半で、いわゆるバイクブームというのは、それよりも前のことなんだ。
70年代にナナハンブームが起こって、暴走族が社会問題になった。その規制ともいえる処置で中型限定免許制度がスタートしたのが1975年。それで暴走族はかなり減って、代わりに不良ではない……誰もがバイクに乗るという『バイクブーム』が80年代はじめに巻き起こったんだよ」
―なるほど~。なんとなくバイクブーム=レーサーレプリカブームというイメージで捉えていたんですけど、実際には違うものなんですね。
ニューモデルを毎月リリース! 新車情報を出せば雑誌が売れた
―では、実際にどんなモデルが人気だったんでしょう? レーサーレプリカブーム以前ということで……ちょっと想像がつかない(笑)。
栗栖「当時は免許制度もあったので、400cc以下のオンロードモデルが支持されていた。だけど、オフロード好きも今よりたくさんいたから、トレールモデルも売れた。
ただ、ライダーはみんな若いから、とにかく新しいモデルが好き。しかも、バイクの使い道はツーリングがメインなんだけど、当時はレースも人気が高かったから、スポーティなモデルが支持されていた。レースに勝つとそのメーカーのモデルはさらに売れたしね」
―そうすると、メーカーもレースをイメージさせるスポーティなモデルをさらに進化させて……と?
栗栖「そういうこと。世の中の景気も良かったし、バイクも売れるしで、毎月のようにニューモデルが発売されていたよ」
―楽しそう♪ やっぱり雑誌も売れていたんですよね?
栗栖「ニューモデルの情報さえ出していれば売れた(笑)。だから毎日のようにインプレッションのロケがあって、市街地にワインディング、サーキットと、常にどこかでニューモデルを走らせていたよ(笑)」
―え、大変そう……(苦笑)。
栗栖「ピークの時なんて、例えば三重県の鳥羽でヤマハの試乗会が1泊2日であって、翌日はホンダの試乗会で鈴鹿に1泊。そして次は浜松でスズキ……っていうので、1週間宴会が続いたなんてこともあったよ」
―うわー! 宴会は各メーカー持ちっていうことですよね?
栗栖「もちろん。メーカーが1泊2日で試乗会を開催して、ホテルや食事も手配してくれたからね。最近はもう、そういう試乗会もほとんどないね(遠い目)」
―僕が出版社にいた頃(2000年代)も、年に1~2回は泊まりの試乗会がありましたが、さすがに1週間連続はなかったですね~。
栗栖「だよねー(笑)。あとは、ニューモデルが多すぎて、1週間毎日箱根に通っていたこともあったよ。どこかで泊まれればいいんだけど、媒体も違ったから、そういうわけにもいかず……毎日日帰り(苦笑)」
―それはしんどい(笑)。今もバイク雑誌といえばインプレですけど、当時もやっぱりそうなんですね。
栗栖「インプレに関しては、今よりももっとシビアだったと思う。さっきも言ったとおり、当時のライダーはスポーティなバイクを求めていて、それは見た目だけでなく性能にもいえること。とにかく速いモデルが支持されたし、売れた。
そうして、どんどんバイクがスポーティになっていった結果、登場したのがRZ250だったんだ」
―今も語り継がれる名車ですね! 僕はリアルタイムでその時を知らないのですが、そんなに凄かったんですか?
栗栖「もう、ヤマハのレーサー・TZがそのまま公道モデルになったというイメージ。衝撃的だったね!」
―そこからレーサーレプリカブームへと繋がっていくんですね。
ラップタイムがすべて……のレーサーレプリカブーム
―80年代後半、レーサーレプリカブームでの思い出といえば?
栗栖「僕個人でいえば、やっぱりTZR250かな。当時はレースが本当に盛り上がっていて、週末にもなるとサーキットがトランポでいっぱいになっていた。そこで僕もTZR250でレースに出るようになったんだ。公道でツーリングもしたし、レースも戦った思い出の1台なんだ」
―仕事もやっぱりレーサーレプリカ一色?
栗栖「一色というわけではないけれど、やっぱり多かったよ。インプレ記事もよりシビアになっていったしね」
―というと?
栗栖「レースでの結果も重要だけど、雑誌のインプレではサーキットでのラップタイムが出るでしょう? そのタイムも、読者がどのモデルを買うかの大事な判断基準になるんだよ。だから編集部もライターも生半可な記事は出せないというわけ(笑)。
で、それはメーカーも同じこと。
車名は伏せるけど、某レーサーレプリカのインプレでは、市街地とワインディング、そしてサーキット走行を予定していたんだけど、市街地とワインディングを終えた後、サーキットに向かうと入り口に同じモデルの同じカラーの車両が停まっているんだよ。タンク上に新品プラグとメモが1枚載った状態で」
―??
栗栖「メモには『暖気終了後、新品プラグに交換してください』って書いてあるの。たぶんキャブレターセッティングとかもそのコースに相応しいセッティングに変わっていたんじゃないかな」
―つまり、サーキットでより良いタイムが出るように?
栗栖「そう。大袈裟じゃなく、ラップタイムが0.1秒変わるだけで売り上げが変わるからね。僕らもメーカー側も必死だよね(笑)」
―いやあ、今では考えられないですね。
自由にバイクライフを謳歌できるのは、80年代か、現在か?
―ニューモデルが毎月のように出て、しかも、それがどんどん進化していって高性能化されていく。で、雑誌も同じように売れていって……って、80年代はライダーやメディアにとって天国のような時代だったわけですね!
栗栖「あははは。たしかに僕らメディアの人間にとっては良い時代だっと思うけど、果たして一般ライダーにとってはどうだろう?」
―どういうことでしょう?
栗栖「何度も言うように、80年代はスポーティなモデルがとにかく持てはやされていた時代。そんなバイクに乗るライダーは当然、速く走れないとダメ……という空気が流れていたんだよね」
―バイクは速くてナンボ、みたいな?
栗栖「そういう感じ。だけど、今はそうでもないよね。昔はおじさんの乗り物というイメージだったハーレーも、今では若い人が普通に楽しんでいるし、スーパーカブやCT125は世代を問わずに人気が高い」
―たしかにそうですね。
栗栖「それに80年代は流通しているバイクの9割以上は国産車という印象。輸入車は憧れではあったけど、現実的ではなかった。雑誌でも輸入車を扱うことなんてほとんどなかったし。
だけど、今は誰でもハーレーやドゥカティ、BMWに乗れるでしょう? トライアンフやKTM、ロイヤルエンフィールドなんかも気軽に買える。ジャンルもいろいろあって多種多様。本当に自分に合うモデルを見つけやすい状況だと僕は思う」
―うん、たしかにバイク選びの基準は速さだけではないですもんね!
栗栖「そう。バイクって自由なイメージがあるんだけど、80年代ってどこか縛られていた感じがあったのは確かだね。
今は本当の意味で自由。ライダーにとっては、とても良い時代になっているんじゃないかな」