ハンターカブは海外生まれ!?
2020年6月に発売して以来、大人気の原付2種レジャーモデル『CT125・ハンターカブ』ですが、およそ60年前のルーツとなるモデルに、ホンダコレクションホール(栃木県芳賀郡茂木町ツインリンクもてぎ内)にて乗らせていただきました。1964年/昭和39年、アメリカで販売された『90TRAIL CT200』です!
そう、じつはハンターカブは海外生まれの帰国子女。OHVエンジン搭載の初代『スーパーカブC100』が1958年(昭和33年)8月に発売されると、翌59年からアメリカへスーパーカブの輸出が始まります。アメリカ名は『Honda 50』でした。
この年、ホンダはアメリカに全額出資の販売会社『アメリカン・ホンダ・モーター』を設立し、北米市場進出を本格化させようと動き出したのでした。
商社を頼らず、自力で販売網を築くことにした理由のひとつは、「売った後も自ら責任を持って、アフターサービスを行わなければならない」と考えたからです。さすがはホンダ。製品の品質の高さだけでなく、こういった姿勢も海外で高く評価されたことで、世界に名だたる企業へと一気に駆け上がっていくのです。
営業拠点は年間を通じて気候が温暖で、雨がほとんど降らないロサンゼルスに設立。日系人も多く在住しています。当時は『Honda 50』と名乗ったスーパーカブC100のほか、ドリーム(250/305/350cc)やベンリィ(125cc)といったモデルが主力商品でした。
上の写真は『ドリームCS71』。空冷4ストロークSOHC2気筒247ccエンジンにセルモーターを標準装備した『C71』をベースに、スポーティなアップマフラーやダブルシートを備えました。国内価格は18万2000円。大卒初任給が約1万3500円、電気洗濯機3万円、電気冷蔵庫10万円という時代です。
アウトドア愛好家たちが魅力に気づく!?
衣服をよごさず、乗り降りの容易なフロントカバースタイル低床式フレーム。自動遠心クラッチ採用で、操作も簡単なスーパーカブは国内で大ヒットしますが、当時の北米市場には受け入れられず苦戦します。
マーケットのほとんどが排気量500cc以上の大型車で占められ、小型バイクに対する需要がありません。ドリームやベンリィを含めた販売目標は月間1000台と高く掲げたものの、初年度半年間で170台ほどしか売れなかったといいます。「現地の社会に適した経営がなされなければ、自らの発展もあり得ない」
そんな考えのもと、アメリカン・ホンダは総勢8人で営業活動をスタート。オートバイ販売店のみならず、釣りや狩猟などの用品を扱うアウトドアスポーツのショップへ『Honda 50』(スーパーカブ)を熱心に売り込んだのでした。
すると、フィッシングやハンティングを楽しむアウトドア愛好家たちが、小さくて頑丈なスーパーカブに目をつけます。ピックアップトラックの荷台にスーパーカブを積み、海や野山へ出かけ、四輪車ではそれより先へ進めなくなるとスーパーカブに乗り換えたのでした。道を選ばず、ダートや砂丘も走りたいと、『Honda 50』(スーパーカブ)はトレール仕様へとカスタムされていくのです!
原型は60年前に誕生
アメリカンホンダは、こうしたシーンに適したモデルを企画。日本へ開発を要請したのが『CA100T トレール50』(1961年)です。フロントフェンダーやレッグシールド、チェーンガードは外してしまい、エンジンを守るアンダーガードを追加。山火事にならないようマフラーを細くし、側面へ移設します。
タイヤはブロックパターン、急坂を登ったり荷物を満載にできるようドリブンスプロケットを大型化。『Honda 50』(スーパーカブ)が245ドルの販売価格だったときに、275ドルで『CA100T トレール50』を売り出しました。
これが好評で、翌62年には49ccのOHVエンジンを54㏄にスケールアップし、『CA105T トレール55』へモデルチェンジ。右足のペダルだけでなく、左手のレバーでもリアブレーキを操作できるようにし、鉄製のステップは折りたたみ式にするなど細かい改良を加え、さらにヒットします。
63年には、後にアイコンとなるアップマフラーを標準装備。日本国内では1963年10月、東京・晴海で開かれた「第10回全日本自動車ショー」に輸出モデルとして参考出品され、このとき「ハンターカブ」のペットネームがつけられました。
完成度が高いCT200 トレール90
ひとつの完成形を見せたのが、ボクが乗った『90トレール CT200』です。1964年、アメリカで発売。ひと回り大きな『スーパーカブCM90』の車体に、ビジネスモデル『C200』譲りの87ccOHVエンジンを搭載しています。
自動遠心クラッチの4速で、リアスプロケットは大小2枚(登坂用に68T、巡航用に40T)を装備。キャブレターを後方へ向けてセットし、エアクリーナーはフレームサイドに移設されています。
フロントフェンダーは可動式。ハンドル左のレバーは『CA105T トレール55』(1962年)がそうだったようにリヤブレーキを操れます。販売価格は340ドルでした。
■90トレール CT200
空冷4ストローク
単気筒OHV2バルブ86.7cc
最高出力6.5PS/8000rpm
重量82kg
現代でも通用しそうな高性能
実際に乗ってみると、エンジン排気量が約1.6倍になっただけのことはあり、走りが力強く低速域でのスロットルレスポンスに優れます。ダートの走破性が飛躍的に向上したことも想像に容易い。
トレールバイクとしての能力が一気に向上していることは一目瞭然で、パイプハンドルやマッドガード付きフロントフェンダーなど装備もダートの走行を考慮したものになっています。
停まって確認すると、スプロケットは登坂仕様。フロントアップもできそうなほど低速が力強く、かなりの登板力を持つことがわかりました。およそ60年前のモデルですが、ホンダコレクションホールの熟練メカニックによって素晴らしいコンディションが保たれていることもあり、現代においてもその走りは侮れません。
国内にも登場した“CT”
1966年には、スーパーカブがOHVからOHCの新型エンジン搭載に伴い、CT200も89.6ccのOHCエンジンを積むことに。馬にかわって、大規模農園や牧場でも使われるようになり、遊びの道具だったハンターカブは働く道具にもなっていきます。
海外でのヒットを受け、日本国内でもCTシリーズは売り出されます。釣り、キャンプ、狩猟のレジャーから、河川、森林、ダムなどの工事、山間部の業務用とした国内専用モデルが『ホンダCT50』(1968年8月)。『CT90』(1967年)譲りの副変速機を、国内向けとしては初採用したのでした。
しかし、時代を先取りしすぎた『ホンダCT50』は、国内では販売不振。このとき、現代のハンターカブ人気を誰が予想したでしょうか、短命で終わってしまいます。
その後もCTシリーズは「手軽に野山を走ることができる」と世界各国で愛され、国内では1981年10月に110ccの「トレッキングバイク」として『CT110』が発売されます。価格は15万9000円でした。海外育ちのハンターカブは、こうして日本のファンにも浸透していきます。
そして、CTシリーズの系譜は2020年6月発売のホンダ『CT125・ハンターカブ』に受け継がれ、大ヒットへと至るのでした。シリーズの魅力である普段使いの気軽さに加えて、郊外へのツーリングやキャンプなどさまざまなアウトドアレジャーへの移動手段として、楽しみをより一層拡げる機能性を備えたモデルとして人気を博しているのは、みなさんもご承知の通りです。
海外で生まれ育ったハンターカブ。60年代後半に国内で発売された『ホンダCT50』は時代を先取りしすぎたのか、ヒットに至らず。81年に再び『CT110』が国内復帰してその系譜をつなぎ、一部マニアらに人気を博しました。そして、2020年の『CT125・ハンターカブ』で大ヒット。このサクセスストーリーを噛み締めつつ、およそ60年前の『90トレール CT200』に乗っていると、なんだか胸が熱くなってくるではありませんか。
最後はお馴染みとなりました走行動画をご覧ください。『90トレール CT200』の貴重な走行シーンです!
今回も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
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