誕生から節目の年を迎えたバイクを振り返り、デビュー日のできごとや当時の世相もプレイバックする当企画。記念すべき第1回は2026年10月で40周年を迎えたホンダの名車「NSR250R」をお送りしよう。バイクやレースの全盛期にして、バブル景気の初期に生まれたNSRは、まさに寵児となって一大ブームを巻き起こした!

【概要】 1986年10月1日、TZR絶好調の最中に登場

キリのいい周年を迎えたバイクをフィーチャーする新企画がスタート。メジャーなバイクはもちろん、既に生産終了したバイクも勝手に(?)お祝いしていく。

初回は、2026年10月で40周年を迎えた大物「NSR250R」。2ストローク250ccレプリカの傑作として知られるシリーズで大ヒットを記録した。

その始まりである初代NSR250R(MC16)が誕生したのは1986年(昭和61年)10月1日(水曜日 大安)。発表は9月12日だった。

↑NSR250R(MC16)。ライバルを圧倒する性能で登場し、当時のライダーは拍手をもって迎えた。価格は55万9000円。今から考えると非常に安い! ただし以降は徐々に高額になっていく。


時代は、レーサーのメカニズムや外観を模した公道モデル=レーサーレプリカブームの真っ只中。1980年のRZ250に端を発した2ストロークレプリカは軽量ハイパワーで大人気を博しており、当時は1985年11月に登場したヤマハのTZR250が大ヒット中。ゼロヨンやタイムアタックも優秀で、「2ストレプリカ=TZR」と言えるほどの人気だった。

一方、ホンダもMVX250F、NS250Rをリリースしていたが、セールスは苦戦していた。そんな中、起死回生の一打として放ったのがNSR250Rだったのだ。

1985年にフレディ・スペンサーがWGP250王者に輝き、そのチャンピオンマシンであるRS250RW(一般的にはNSR250として知られる)のノウハウをフィードバック。同じコンセプトで企画を進めていた1987年型の市販レーサー「RS250」と共同で開発が行われ、設計からテストまでHRCのメンバーも参加した。

その結果、公道モデルながらRS250に保安部品を装着したような仕上がりに。開発者インタビューを読むと、ライバルのTZR250はもちろん研究したものの、あくまで最高の性能を追求したスポーツモデルとして世に放たれた。

ストイックな性能にライダーは歓喜し、年間販売計画の1万5000台を超えて大ヒット。名実ともに2ストレプリカの頂点に立ったのだ。

この頃、田舎の中学3年生だったワタシ。バイクに憧れはあったものの、周辺でバイクに熱を上げている人は意外と少なかった。ただ、友人の手塚君の部屋にテック21+平忠彦のポスターが貼ってあり、衝撃を受けた記憶がある。ハングオフを見たのは恐らく初めてで、そのカッコよさにシビれたのだ。

【世相】 バブル初期で好景気、同じ日に大きな動きは特になし

ここからが当企画のキモ(?)。1986年10月1日前後の世相をお届けしよう。日本では前述したとおりバブル景気の初期で、円高と金融緩和を背景に、株や土地の高騰が始まっていた頃。私は中学生だったが、世間や大人がどことなく浮かれているなァと感じていた。

一方で世界に目を向けると、4月にソ連(当時)のチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が発生。暗い影を落としていたように思う。

政治では9月に土井たか子が日本社会党委員長に就任。主要政党で日本初の女性党首となった。

なお同年10月1日には、 近鉄東大阪線(現・けいはんな線)の長田駅(大阪府)~生駒駅(奈良県)間が開通したほか、エフエム山陰が開局。世間的には10月1日に大きな動きはなかったようだ。なお、この日に生まれた有名人としては、女優・歌手の神田沙也加がいる(以上、敬称略)。

【エンタメ】 『CHA-CHA-CHA』がヒット中! ジャンプは長い黄金期の最中

不思議なもので、歌を聴けば、その時代の空気があざやかに甦ってくる……というワケで、発売日前後の歌番組「ザ・ベストテン」のチャートを見ると、9月25日の放送で石井明美の『CHA-CHA-CHA』が1位を獲得。以降3週連続でトップに君臨する。この歌は、明石家さんま主演のTVドラマ『男女七人夏物語』の主題歌で、大人への階段を登りたいワタシも毎週楽しみに見ていた(笑)。

他にも
『Say Yes!』 菊池桃子
『ツイてるねノッてるね』中山美穂
『あッ』田原俊彦
といった昭和のアイドルがランクイン。

さらに
『渚の「……」』 うしろゆびさされ組
『鏡の中の私』 吉沢秋絵
といったおニャン子クラブ組も元気。個人的には『Super Chance』(1986OMEGA TRIBE) が味わい深くて好きだ。

あとはマンガ。週刊少年ジャンプは黄金期の真っ只中で『北斗の拳』『キン肉マン』『キャプテン翼』『シティハンター』『ハイスクール奇面組』が連載中。『ドラゴンボール』はレッドリボン軍と悟空がバトルし、桃白白との戦いが決着した辺りだ。なお、10日後の10月11日にアニメ『聖闘士星矢』が放映開始されている。

マガジンでは10月から『ミスター味っ子』が連載開始。『バリバリ伝説』ももちろん連載中で、第二部である全日本250ccが掲載されている。

【マシン詳細】 ピュアな戦闘力を追求、そのストイックさが人気を呼んだ

果たしてNSRのどこが凄かったのか。やはり純粋な速さ、そしてレーサーイメージを体現していたことに尽きるだろう。

ライバルのTZR250は、街乗りやツーリングでの扱いやすさが好評だったが、その分、速さという面では突き詰めきれていない部分があった。

一方のNSRは、まさにレーサー直系で性能を追求。最高出力はTZR、NSRとも自主規制上限の45psで同じだが、NSRはコンピュータで排気時期を制御するRCバルブを投入し、全域で力強い特性を実現。車重はTZRより1kg軽い125kgで、クラス最高のパワーウェイト比2.78 を達成した。

また、フロント17&リヤ18インチも新しかった。TZRを含め、レプリカはフロント16インチがセオリーだったが、より近代的なハンドリングをもたらしたのだ。

実際、全体的な乗り味はTZRよりシャープで、サーキットでのタイムもNSRが優勢。 HRCキットを組み込めば約67psにまでパワーアップでき、市販車レースではNSRでなければ勝てないほどの戦闘力だった。

そしてレースブームの当時、レーサー直系の外観とメカニズムが、ライダーのハートを直撃した。人気、実力ともにTZRを打倒することに成功し、以降NSRが2ストレプリカの盟主に君臨することになる。

↑カタログ表紙。サーキットを背景にHRC(ホンダレーシング)の看板、「2ストローク・エポック」のコピーが踊る。

↑カタログには見開きでワークスマシン(写真上)とNSR250R(写真下)のストリップを掲載。軽量&高剛性を促進する、この直線的なフレームレイアウトは、 コンパクトなエンジンがあってこそだ。

↑エンジンは、軽量コンパクト化と摩擦抵抗の低減を徹底した1軸クランクの水冷90度Vツインを新設計。

 

エンジンには、吸気効率を大幅に向上するクランクケースリードバルブをはじめ、RCバルブ、NS250R譲りのNSメッキシリンダー、整備性に優れるカセット式6速ミッションほか、HRC 譲りの技術を満載する。

フレームは、ホンダ独自の押し出し中空製法による「目の字」断面のダイヤモンド式アルミを採用。心臓部は90度ツインの低振動を活かしたリジッドマウントで、20度前傾して搭載。低重心化による安定した操縦性を狙った。

足まわりはφ39mmフロントフォークに、リンクを介した「プロリンク」リアショックを組み合わせ、優れた減衰力特性を発揮する。

以降も進化を重ね、ライバルを完全に突き放したNSR。生産を終える1999年まで、2ストレプリカの王者として君臨し続けた。

それにしても、バブルの好景気、レース&レプリカ人気がなければ、ここまで振り切ったバイクは生まれてこなかったに違いない。まさに'80年代後期を象徴する1台だ。

↑約1年2か月後、1988年1月発売のMC18でさらなる衝撃が。強烈だったMC16が霞むほどの高性能で、まさにレーサーそのものだった(公称45psながら、実際はそれ以上の出力があったとよく聞く)。1989年型は台形パワーを狙い、扱いやすくなったが、タイムはアップしている。

↑1990年2月発売のMC21で、湾曲スイングアームのガルアームを投入し、フレームも新設計。エンジンの主要部を刷新し、電子制御化をより進めた。総合的な完成度はシリーズ随一との呼び声も高い。

↑1993年11月発売のMC28では片持ち式のプロアームを採用。自主規制により40psとなったが、より緻密な電子制御でレスポンスを向上した。世界初のICカードキーで出力特性の変更も可能だった。

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