「3ナイ運動」に負けず、手に入れたチューメン
僕がチューメン(普通自動二輪免許)を取得したのは17歳の夏。1984年のことだ。16歳の夏に原付免許を取り、スズキRG50Γ(ガンマ)でギア付きバイクの運転を覚えた僕は「もっと大きいバイクに乗りたい!」という欲望を抑えきれず、バイトで貯めた金をはたいて教習所の門を叩いたのだった。
当時は「3ナイ運動」(バイクの免許を取らせない、買わせない、運転させない)全盛期で、僕の住んでいた千葉県でも公立校に通う高校生が二輪免許を取るのは至難の業だった(教習所から学校に連絡が行きバレてしまう)が、東京の私立高校に通っていた僕には、幸いにもそのハードルがなかったのだ。
6月から1ヶ月ほど教習所に通い、思惑通り7月初旬にチューメンをゲットすることに成功した僕に、バラ色の夏休みが訪れるのは必然だった。……が、その前に大事なことが。そう、肝心のバイクを手に入れなくては!
本当に欲しかったのはチューメンで乗れる最高峰たる400ccのバイクだった。が、ヨンヒャクは価格的にも、維持費的にも(やはり車検がある、というのがネックだった)、僕のバイト代では手が届かなかった。そんなときに飛び込んで来たのが「中古のホンダVT250F、銀色、15万円」という物件情報。詳細は忘れたが、知り合いのツテからの個人売買情報だったと思う。
実車を見てみると、そこそこにヤレ感はあり、すごく程度がいい……というワケではなかったが、15万なら悪い話ではなかった。カラーはできれば黒がよかったのだけど、そこも贅沢は言っていられない、マフラーはイノウエエンデュランス製の集合に変えられていて、ちょっとお得な気もした。そして僕は17歳の夏、この銀色のVTを手に入れたのだった。
2ストのRZ、に対抗した250cc初の4ストVツイン
ここでプレイバックすると、ホンダVT250Fは1982年に登場、ホンダ市販車初にして、250ccクラス初のV型エンジン・レイアウトを採る革新的なモデルだった。ちなみに新車価格は39万9000円である。
80年代初頭、250ccクラスで最も人気があったのは80年登場のヤマハRZ250だった。RZはいわゆる“レーサーレプリカ”のはしりで、当時、レーシングマシンにおいては小型軽量で高出力を発揮する2ストローク・エンジンのほうが有利と考えられ、ヤマハをはじめ2ストでロードレース世界GPを戦う各メーカーは市販スポーツモデルにもそれを反映させようとしていた。
だがホンダはそれに抗うべく4ストローク路線を敷いたのだ。世界GPにおいてもホンダは4ストローク・エンジンの優位性を唱え、79年に4ストロークのレーサー「NR500」で世界グランプリに復帰を果たしていた。NRには“楕円ピストン”を用いたV型4気筒エンジンという独創的かつ高度な技術が投入されていた。VT250Fはピストンこそオーソドックスな円形だったが、NRの技術を受け継いだ気筒あたり4バルブのVツインエンジンを搭載して登場した。
最高出力はRZ250と同じ35PS。それを11,000rpmで発揮する、当時としては超高回転型のエンジンは、2つのシリンダーが車体に対し縦に並ぶためエンジン幅が狭く、そのスリムさを利した軽快な身のこなしも魅力だった。また低回転域から力強いトルクを発揮する4ストロークのエンジン特性は、2ストロークに対する明らかなアドバンテージだった。
赤いフレームに赤いシート、お洒落な外観にクラッ
とはいえ当時免許取り立てのコゾーには、そんな技術的なアレコレはじつはどうでもよかったのだが、むしろ大事だったのはVTの“見た目”がイケていたことだ。
ライバルたるRZが、丸目ライトにパイプハンドルという70年代的スタイルだったのに対し、角型ライトとウインカーを内蔵した小型フェアリングにセパレートハンドルを組み合わせたVTは、ちょっと都会的でスマートに見えた。また赤いフレームに赤いシート、というのもほかのバイクに比べて断然オシャレだった(僕のVTのシートはすでにだいぶ黒ずんでいたけれど)。
そしてこの銀色の翼は、僕の17歳の夏をピカピカに輝かせてくれた。僕は毎週のように九十九里の海に出かけては、海辺にバイクを止めて、一瞬マジにオマエを抱いた……ことはなかったけど、タンデムシートに女の子を乗っけて帰ってきたことぐらいはあった……気がする(笑)。我が青春のバイク思い出語り、お付き合いいただきありがとうございました。