バイクブームを牽引していたのは「原付」だった

1980年代、空前の“バイクブーム”が巻き起こった。多くの若者がバイクに憧れ、ロードレースに夢中になり、夏の「鈴鹿8耐」には日本中から15万人もの観客が訪れた時代だ。数字的に見るとそのピークは82年で、二輪車の年間販売台数はなんと329万台。じつに現在の10倍以上の数字。だが、じつはそのバイクブームを牽引していたのは「原付」だった。当時の300万台を越える販売のうち8割以上は原付バイクだったのだ。

その82年に15歳だった僕も、もちろんバイクブームの洗礼を受けた。中学までは野球少年でバイクにはまったく興味がなかったのだが、高校に入って“帰宅部”となり、地元のスーパーで初めてのアルバイトを始めたところ、バイトの先輩が全員“バイク好き”だったのだ(80年代あるある……汗)。そしてマイ・ファースト・バイクはやっぱり原付だった。初めて運転したのはヤマハ・パッソルだったが(先輩の)、買ったのはスズキRG50Γ(先輩から)。

スズキRG50

原付だけど角パイプフレームで水冷で7.2psで最高速は100km/h近く出た(60km/h規制前の初期型)。ギアも6速のリターン式で、タコメーターも付いていて、つまり排気量が50ccであること以外は立派な“オートバイ”だった。僕はこの50Γでバイクを運転する楽しみを知り、そして中型、大型二輪へとステップアップしていったのだ。

あの時代、僕のような若者はもちろんのこと、大人から女性まで、今からは考えられないほど多くの人が原付バイクに乗っていた。そして毎月のように、わんさかわんさかとニューモデルが出た。テレビや雑誌でも原付のCMや広告を見かけない日はなかった。

ということで、そんな“原付ブーム”を思い出しながら、あたまに浮かんだ(有名人を起用した)「懐かし広告」を紹介してみます。「へぇー、そんな人も出てたんだ」ということから、当時の盛り上がりぶりを感じてもらえれば。

ホンダ編 /大物女優を起用し原付をメジャーに!

あの大女優がラッタッタ♪/ホンダ・ロードパル

ブームの先駆けとなったのは76年発売のホンダ・ロードパル。女優のソフィア・ローレンが「ラッタッタ♪」と街を駆けるCMで主婦層を中心に大ヒット。国際的女優のソフィア・ローレンの起用に加え、「まず、私が乗ってみました」というコピーはインパクト絶大。テレビCMで発した“ラッタッタ”のフレーズが通称となり気軽なイメージをいっそう高めた。

ホンダ・ロードパル

麗子も乗れる最軽量スクーター/ホンダ・イブスマイル

当時の原付最軽量の33kgという重量が売りだった「イブ・スマイル」。扱いやすさをアピールするため女優の大原麗子を起用。ホンダのスクーター総合カタログには初々しい印象の大竹しのぶが使われるなど、好感度の高いタレントや女優の起用がセオリーだった。1984年発売。ホンダ・イブ

タモリも驚いた、おもしろスクーター/ホンダ・スカッシュ

小さなボディに前後8インチタイヤを組み合わせ、ハンドルを折りたためるモデルもあった個性派スクーター。広告には『笑っていいとも』でブレイクする前のタモリを起用し、「僕らのスニーカー、おもしろスクーター」というキャッチコピーを掲げた。1981年発売。ホンダ・スカッシュ

口くやしいけれどヒデキに夢中/ホンダ・リード

女性や若者をターゲットにした原付きが多かったなか、“大人の男”に向けたスクーターとして登場した「リード」。大型ボディに高出力エンジン、ディスクブレーキなど装備。スポーティーな「SS」モデルの広告にはセクシーな下着姿?の西城秀樹を起用。1984年発売。 ホンダ・リード

ヤマハ編/親しみやすさと好感度作戦で成功!

“やさしさ”路線で女性に大ヒット/ヤマハ・パッソル

ホンダ・ロードパルの大ヒットに対抗して77年、ヤマハが発売したのが「パッソル」。世界的大女優ソフィア・ローレンに対しヤマハは主婦層からの支持が高い八千草薫を起用。スカートで乗れるスルーステップ、「ソフトバイク」という呼び方も受け入れられ、女性を中心に大ヒットした。このロードパルに対抗したパッソルのヒットが、後の「HY戦争」に発展していった……のかもしれない(諸説あります)。ヤマハ・パッソル

大人に似合う小粋な2台/ヤマハ・ベルーガ・サリアン

ベスパを意識したヨーロピアンデザインで人気を博したスタイリッシュなスクーター。主に男性に向けた「ベルーガ」と女性向けの「サリアン」があり、広告にはそれぞれサックスプレイヤーの“ナベサダ”こと渡辺貞夫、女優の宮崎美子が起用された。1981年(ベルーガ)、1982年(サリアン)発売。 

ベルーガ/サリアン

ヤマハ・サリアン

スズキ編/意表をついた大物キャスティングで勝負!

直球ネーミングで「蘭」、売れました/スズキ・ラン

広告キャラクターに元キャンディーズの伊藤 蘭を起用した、その名もスズキ「蘭」。そのド直球なキャスティングと「蘭、咲きました」という広告コピーが見事にハマり、女性を中心に(キャンディーズ・ファンにも?)人気のモデルとなった。1983年発売。スズキ蘭

マイケルから“愛”をこめて/スズキ・ラブ

ホンダ、ヤマハを追ってスズキが発売した原付スクーター「ラブ」の広告には、なんとあのスーパースター、マイケル・ジャクソンが登場。しかし『スリラー』発売前でまだ日本での知名度が低かったマイケルの起用には社内でも賛否があったとか。コピーは「Love is my message」。1982年発売。スズキ・ラブ

走りもノリも調子いい!/スズキ・ハイ

ポップなデザインに6.5馬力の高性能エンジンを積んだスポーツスクーター「ハイ」のCMキャラクターを務めたのは、“ひょうきん族”で一躍人気者になった明石家さんま。ファッションブランド「パーソンズ」とのコラボモデルも登場した。1985年発売。

スズキ・ハイ・パーソンズ

 有名人、芸能人をバンバン起用していた80年代の原付ブーム。その甲斐あって二輪車は世間の人にとってとても身近な“足”になったわけだけど、急激に盛り上がった現象はやがて潮が引くように収まっていくのも世の常。駐輪場から溢れ出すほど増え、事故も増え、90年代に入ると電動アシスト自転車が登場したことなどもあり、バイクブームともども原付ブームも衰退した。

しかし30年あまりの時が流れたいま、こんどは“原付二種”がプチブーム。80年代の熱狂とは比べものにならないが、コロナ禍におけるパーソナルな移動手段として注目されているのは確か。じつは僕自身も最近、原二ライフをスタート!(「南房総生活に、ハンターカブがやってくる!?」
あの頃の原付ブームを知るみなさんも、リターンしてみては?

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