片岡義男、赤い背表紙、オートバイ小説

「片岡義男」という作家とその作品に、強い印象や思い入れがあるのは、概ねいま50代以上の人だろう。つまり1970年代後半から80年代にかけて青春時代を過ごした人たちだ。いま55歳の僕もまさにそのど真ん中に居た。片岡作品との出会いは、はっきりと覚えている。16歳の夏(83年だった)、高校一年の夏休みに遊びに行った母方の実家で、三つ年上の従姉妹の部屋の本棚に並んでいた、赤い背表紙の文庫本を見つけたときのことだ。

片岡義男作品

その本のタイトルは『彼のオートバイ、彼女の島』。ちょうどその頃、バイト先の先輩から原付バイクを譲り受けて乗り始めたばっかりだった僕は、“オートバイ”の文字に惹かれて本に手を伸ばし、ページを開いた。そこに書かれていたのは、そのときの僕にはちょっと背伸びした内容の恋愛ストーリーだったけど、随所に登場するオートバイの描写に惹きつけられ、結局イッキに読みきってしまった。そして、その小説を書いた“片岡義男”という作家の小説やエッセイにはオートバイが頻繁に登場することを知り、いつしか僕の本棚には赤い背表紙がズラリと並ぶようになった。

僕が偶然出会った「彼のオートバイ、彼女の島』は1977年に出版された(文庫版は80年)片岡義男の代表作だ。主人公はカワサキのW3(ダブサン)に乗る青年、橋本コオ。ヒロインはミーヨと呼ばれる白石美代子。物語はコオがソロツーリングで出かけた信州で、偶然ミーヨに出会うシーンから始まる。互いに好意を抱いた二人は、旅から戻ったあと手紙や電話で連絡を取り合う。そしてあるときミーヨが「私の島に来ない?」とコオを誘う。ミーヨの故郷は瀬戸内海の小さな島だ。彼女の夏の帰省に合わせて、コオはW3でその島へ走っていくことを約束する。

彼のオートバイ、彼女の島

バイク乗りの胸を打つ、リアルな描写

この作品は、大きく括れば“恋愛小説”なのだけど、いっぽうでコオが駆るダブサンをはじめ何台ものオートバイが登場し、それぞれが「登場人物」と言えるほどの存在感をもって描かれる、”オートバイ小説”でもある。たとえばコオがダブサンに乗り、街なかで信号待ちをしている場面を描いた一文を作品から引用したい。

 股ぐらの下にエンジンがある。ふたつのシリンダーの中で、混合器の燃焼が、くりかえされている。

 その音やリズムが、そのときのぼくの心臓の鼓動と、ぴったり、かさなっていた。

 心から愛している直立2気筒の、エンジンがいま生きて動いている。

 またがって赤信号を見つめているぼくも、生きている。

 ふたつの心臓が、鼓動している。

 その鼓動が、みごとに、つながった。

 エンジンの音や振動が、重量と強いくせのあるしっかりしたフレームからシートをこえ、ぼくの両脚や腰に伝わってくる。

 その音や振動は、やがて、ぼくの体のなかに入りこむ。

 心臓まで、伝わってくる。

 鼓動が、ぴたりと、おなじだった。

 バイクに乗る人ならわかるだろう。跨ったときのあの感覚がとてもリアルに、かつ情緒的に表現されている。これはオートバイに乗る人が、オートバイのことをとてもよく知る人が、書いたものだということがありありと伝わってくる。これは片岡義男の小説やエッセイすべてに言えることで、文中で描かれるすべての描写が精緻であいまいさがない。それゆえ情景が映像を見ているように浮かんでくるのだ。

ライダーが読むべき、片岡義男作品たち

最後に、まだ片岡義男の小説を読んだこことのない人のために、僕が気に入っている、オートバイが描写されているシーンを2つ(ほんとは無限にあるのだが)紹介しよう。

 骨盤と背骨をまっすぐにのばして、彼女はオートバイのシートのうえにあぐらをかいていた。

 白いTシャツに、何度も洗って色の落ちたブルージーンズをはいていた。両足は、素足だった。脱いだソックスは、オートバイのステアリング・ヘッドのうえにかさねてあった。

 ブーツが、エンジンのダイナモ・カヴァーの左わきに、そろえて脱いである。分厚いヴィブラムのラグ・ソールのついた、頑丈なライディング用のブーツだ。両足ともチェンジ・ペダルのための補強パッチが、つまさきに当ててある。丈の低い夏草が、ブーツやオートバイの周囲いちめんに生えている

(『幸せは白いTシャツ』より)

 夕暮れのコンクリートのハイウェイを、自動車がひっきりなしにふっ飛ぶように走っていた。

 風のない七月の日没にちかい時間。排気ガスがたちおめ、いっさいがおぼろな灰色にかすんで見えた。鋭いタイヤの音が、連続して地鳴りのようにつづいていた。

 ジャケットのえりをつかんだまま、少年は自分のオートバイのほうに歩いてきた。避難エリアのまんなかに、ホンダCB500がとめてあった。

(『スローなブギにしてくれ』より)

三好礼子
 オートバイが登場する小説は、主に1980年代に角川文庫から出版されたいわゆる“赤い背表紙”のシリーズに多い。しかし残念ながらいずれも絶版になっているので、手に入れるには古書店やネットで中古本を手に入れるしかない(ちなみに僕自身が編集し昨年出版した『片岡義男を旅する一冊。』という雑誌も完売していて、同様にネットなどで探してもらうしかない)。

片岡義男を旅する一冊

 とはいえ片岡さんの本は膨大な数が売れているため、探し出すのは難しくない。ぜひ手にとって読んでみてほしい。バイク乗りが読むのなら、ここで触れた『彼のオートバイ、彼女の島』、『幸せは白いTシャツ』、『スローなブギにしてくれ』以外にも『湾岸道路』、『アップル・サイダーと彼女』、『ときには星の下で眠る』、『ボビーに首ったけ』などがおすすめだ。

彼のオートバイ彼女の島

 

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