夏の光と影。精緻かつトガッた表現でバイクに乗ることの本質を凝縮している。“私情”最高のバイク映画は、'85年に公開され、今や幻の中編アニメだ。
※トップ画像は劇場用パンフレットより。文中の敬称略。
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片岡義男、実は読んだことがありません・・・・・・
炎上を覚悟で告白させてもらうと、私は片岡義男の小説を読んだことがない。
若い頃に何冊か購入し、最初のページを読もうとしたのだが、そのまま本を閉じてしまい、現在に至る。
自分には入り込めなかった、その一言に尽きるのだろうが、片岡作品の映画は何本か見ている。中でも『ボビーに首ったけ』は、バイクの本質が描かれた大傑作だと思う。
わずか44分のアニメ映画だ。
公開日1985年3月の角川映画で『カムイの剣』との同時上映。カムイの剣がメイン、ボビーは脇役のような扱いだったと記憶している。
1985年と言えばGPZ400R、VMAX、GSX-R750、TZR250Rが出た年だ。筆者は14歳で、劇場に足を運んではいない。大学生になってレンタルビデオかTV放送で見たのが、最初に触れたキッカケだ。
ボビーの愛車は当初NS250の予定だった!
――筋立て自体はとてもシンプルな青春映画なのに、映像は実験的。その組み合わせが不思議な輝きを放っている。
ボビーと呼ばれる高校三年生の野村昭彦は家出をして、友人宅に住みながらバイク愛好家が集うカフェバーでバイトをしている。
季節は夏。彼は、バイク雑誌をきっかけにまだ会ったことがない女性と文通(!)している。彼女の誕生日に初めて電話で話す約束をした。その日、ボビーの家に電話をかけてくれるという。
……電話と言っても、この時代だから当然、固定電話(いわゆる家電=いえでん)だ。若い人には考えられないだろうが、女の子の家に電話をかけるとお父さんが出たりする時代だった(私も心臓バクバクしながらかけたものだ……)。
ボビーの愛車は青いホンダVT250F。ビキニカウルを撤去して丸1眼ヘッドライトにカスタムしている。一見、純正ネイキッド仕様のVT250Zか? と思わせるが、1982年にデビューした丸パイプフレームの初代VT250Fだ。オプションのアンダーカウルとラジエターシュラウドが装着されている。
余談ながら、劇場用パンフレット(私物)によると原作では「ヤマハRD250」だが、アニメ制作時には既に絶版。最新の「ホンダNS250」にしようとしたらしい。ところがスタッフの中から反対が。
「高校生だろ? 新型バイクなんてぜいたくだよ」(ちなみに車体価格が42万9千円)この声にスタッフ一同納得してホンダVT250にやっと落ち着いた。アルバイトで中古を買った。面白くないから改造してカウル(ヘッド・カバーのよなもの)を取ってある……という設定。
(劇場用パンフレットより引用)
モトクロスコースに行って帰る・・・・・・実にシンプル!
そして約束の8月10日。
元プロライダーであるカフェのマスターと連れ立って、ボビーは遠出する。
待ち合わせ場所はなぜか青山の絵画館前(おシャレだからなのか?)。
マスターは1950~60年代に登場したBMWの(恐らく)R50またはR50Sに乗って現れる。貫禄たっぷりの雰囲気で、タイヤのスキール音を鳴らしてターンしたりとテクニックも凄い。出で立ちも昔ながらの半帽+ゴーグルに上下レザー(多分)でクラシック。フルフェイスでTシャツ+ジーンズのボビーとは対照的だ。
行き先を告げられないまま到着したのは海の近くにあるモトクロスコース。場所は千葉のようだ。マスターはモトクロスのコースとチームのオーナーでもあったのだ。マスターはいずれ世界チャンピオンを育てたいと話す。そしてボビーに、チームの「仲間になってみないか。ゆっくり考えてみてくれ」と誘う。
ボビーは、急遽モトクロスで走るわけでもない。ただ未来への予感を滲ませながら、電話がかかってくる家へとバイクを走らせる、というのが大まかなストーリー。
いや、本当にこれだけの話なのだ。なのだが……。
――キャラクターデザインは吉田秋生。大ヒット漫画『バナナフィッシュ』が連載されるのは1985年5月だから、その直前の仕事になる。
野村昭彦ことボビーを演じるのはタレントの野村宏伸(野村つながり!)。amazonレビューなどでは演技力がボロクソに書かれているが、とんでもない。ヘタなのではなく、これがいいのだ(ただし劇中歌に関しては……)。
マスター役は根津甚八。演技も声質も役柄にぴったりだ。
そして監督の平田敏夫は、手塚治虫原作の『ユニコ』など劇場用アニメを中心に活躍した方で、既に故人。劇場用パンフレットによるとレナウンのCM“イエイエ娘”を手掛けた方だという。
製作には現在も有名なマッドウハウスが名を連ねる。そして製作は80年代を代表する一人、角川春樹氏だ。
カラフルな世界なのに、妙に実験的!
劇中ではバイクに絡めながら、先行きに惑う若者を描く。だが、大部分は'80年代のナウでポップな青春といった雰囲気だ。
バーターなのか、野村宏伸や妹役の声優が歌を唄うといったアイドルのイメージビデオ的な側面があったり、気恥ずかしくなってしまうポエム的セリフもある。
一方で映像は実験的でトガッている。まず光と影が強い。逆光で登場人物の顔が見えなかったり、端的に影だけが芝居する場面もある。
あるいは、冗長となりがちな信号待ちの場面をリアルに描写したり、イメージ映像の連続だったり、写真を次々と切り替えたりもする。さらに時折パステル画になったり、実写になったりと映像のタッチまで変わる。
ストーリーに起伏はほぼないものの、映像での変化は非常に激しいのだ。
バイクの走行シーンはとても多く、全体の半分以上を占めると思う。ボビーともう一人の主人公は間違いなくバイクだ。
とにかくボビーは走りまくる。街中、シーサイドロード、峠道とステージも様々だし、炎天下、明け方、夜とシチュエーションも様々。
描写も凝っている。例えば夜間走行では様々なアングルから走りを描き、流れていく光で疾走感を表現する。ヘルメットのあごひもを留める動作や、恐らく本物から録音したのであろう排気音も非常にリアルだ。
面白いと思ったのは、エンジンに火が入ってスロットルを吹かした時にマフラーの排気口が赤く灯る表現。現実ではありえないけど、上手いなぁと思う。
バイクがVT250Fというのがまたいい。当時のベストセラーバイクで、巷に溢れ返っていた。自分なりにカスタマイズはされているが、特別ではない、ありふれた存在。その在りようはボビーという存在にも通じている。
唐突に“死の匂い”が漂うモノクロの世界へ
問題はラスト10分。家に向かってバイクを走らせる場面だ。
未来への予感に満ちていたそれまでと打って変わり、死の匂いと虚無感が充満してくる(映画評論でも有名なラッパーのライムスター宇多丸も同様の指摘をしている)。
まずキャラクターが動くのではなく、登場人物の視点で、まさに私たちが運転しているかのように、背景が後ろへ後ろへ流れていく。
これは「背景動画」という手法で、アニメーションとしては非常に難しい技術。もちろん1コマずつ手描きだ。
多彩な色に溢れ、未来への予感を漂わせた従来と対照的に、この場面は主に青と白の世界で構成される。やがて色は失われ、鉛筆書きのモノクロ映像に変わっていく。
温和な世界が突如、冷酷な実像を剥き出しにしたかのような豹変ぶりだ。いや、既に前半から強い光と影で、その実像を表していたのかもしれない。
そして疾走感に息を呑む。実写ではなく、絵だからこそ表現できたスピード感がある。劇場版パンフレットによると、
「エンピツの均一ではないタッチがチラチラと動き、風を切る様が効果的に表現することができる」
とある。
ヘンな話だけど、実際に走る以上に本物っぽい。デフォルメすることで、より物事の本質を露わにしてしまうことがある。例えば、ジャッキー・チェンのモノマネで有名なジャッキーちゃんが本物以上に本物であるかのようなものだ(?)
モノクロの世界で、ある出来事が起きる。結局、未来への希望だけを漂わせ、何も始まることなく終わる……。これは普遍的な青春そのものではないか。そしてボビーの青春はバイクという存在と切り離せないほど固く結びついている。
バイクのエッセンスを図らずも凝縮した希有な作品
バイクを一文字で表現すると「夏」なんじゃないか。
「バイクは他の季節でも乗れるじゃねぇか」という反論はごもっともだ。しかし、ボビーでくどいほどに描写された強い光と影、希望とか死の匂いとか、スピードとか幻とか陽炎とか、熱にうかされて走り続ける、あの感じ。あるいは一瞬の衝動や危うさ。そんなものを全てひっくるめて、バイクは「夏」なんじゃないか。
そして例え100歳のお爺さんが乗ろうが、バイクは永遠に若い乗り物だ。若さにはやっぱり夏が似合う。ボビーが乗るVT250Fもヘルメットも夏と若さを象徴するような青だ。
バイクが出てくる映画は数多ある。監督がライダーなのかもわからない。
だが、私にとってバイクの本質をここまで凝縮した映画を他に知らない。
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――そこまで言うなら40分だし、沼尾が何言ってんのか試しに見てやろうじゃねぇか!
と思い立ったアナタ。残念ながら『ボビーに首ったけ』は動画配信も円盤化もされておらず、鑑賞するのが困難な作品になっている。さぁ持っていない人はみんなVHSビデオデッキを買おう! そしてヤフオクでボビーのビデオを落札しよう!
(数年前にBSの有料チャンネルで放送されたことがあったり、と見る手段は色々あると思います、ハイ)。