バイクの“弱点”こそバイクの“魅力”

このForRを見ている多くの人はきっと「バイク乗り」でしょう。あるいはバイクに興味を持っている、昔乗っていた、これから乗りたい、と思っている人かもしれません。僕自身は16歳のときに原付免許を取って以来30数年間、多少の紆余曲折はあったものの「バイク」に乗り続けてきました。その中でときおり「なんでバイクに乗るんだろう」「バイクに乗る人と乗らない人、なにが違うんだろう」と考えたことがあります。

クルマとバイクを較べたとき明らかなのは、二輪のバイクは不安定だということ。当たり前過ぎるぐらい当たり前のことですが……。もし転んだら痛い、アブナイ。冬は寒い、夏は暑い、雨が降ったら濡れる、ほこりで汚れる、荷物はあまり積めない、つまり実用性が低い……。 

でもじつは、そうしたバイクの“弱点”こそが、じつはバイクの“魅力”なんだと、長年バイクに乗っていると気づくのです。バイク乗りならきっと、わかりますよね?

不安定だからこそ、それを上手くコントロールして走らせたとき、喜びや達成感、ちょっと大げさに言うなら“生きている喜び”を感じる。この歳になってつくづく実感します。バイクというのは人の精神や肉体を鈍らせない乗りものなんだな、と。数百kgもある物体を支えてバランスさせるという時点でその身体的行為としてはもちろんのこと、運転中に求められる注意力、判断力という点でも、クルマより遥かにそのハードルは高い。

 二輪と四輪、両方に乗ってわかったこと

岡山県・白石島にて筆者と愛車のカワサキW3

岡山県・白石島にて筆者と愛車のカワサキW3

 

一昨年の夏、岡山県の白石島というところまで、東京から往復1500kmほどのツーリングをしました。ツーリングと言ってもクルマとバイクで、仲間と乗り換えながら行ったのですが、二輪と四輪に交互に乗ることで、なおさらその違いを実感することができました。

バイクに乗っているときに全身で感じとっている気温、湿度、風、匂いは、クルマという“箱”の中に乗っているとまったく感じない。だから陽射しでジリジリと肌を焼かれることも、雨でビショビショになることもなく、それは“楽”には違いないのだけど、それが“楽しい”かどうかは別の話だなあ、とも思いました。

エアコンの効いたクルマのウィンドウ越しに、炎天下でバイクを走らせるライダーを見ていると、ふと羨ましくなる瞬間があるというのは、不思議な気がするけど、でも本当なのです。

KAWASAKI W3がずらりと並ぶ

 オートバイはぼくの先生

僕が大好きな、そしてその作品から多大なる影響を受けた作家の片岡義男さんが『オートバイはぼくの先生』というエッセイの中で書いている一文を、紹介します。

片岡義男の小説「アップル・サイダーと彼女」

「オートバイはぼくの先生」が収録されている片岡義男の短編集「アップル・サイダーと彼女」

 

自動車は面白くもなんともない。乗っていても、すぐに飽きてしまう。たったいま書いたように、窓がテレビジョンのように思えてきて、退屈このうえない。それに、自動車でいくら長距離を走っても、自分の車の室内には、いつもの生活のにおいとかたちが残りつづけ、解放感などありはしない。

(中略)

オートバイは、ごまかしがきかないから、好きだ。ごまかしていたらいつかは必ずしっぺがえしがくるし、自分自身の精神的・肉体的な状態の良し悪しが、はっきりとオートバイをとおして自分にはねかえってくる。横着を許容してくれる範囲は、自動車にくらべたらオートバイのほうがはるかにすくないはずだ。全身のあらゆる感覚を、いつもバランスよく緊張させなくてはいけないし、ライディングにあたってはやはり全身が総動員させられる」 

片岡義男「オートバイは僕の先生」 

そう、まさに僕が感じていたこと。そして片岡さんは確かに「オートバイの人」なのだなと思う。そしてこの感覚はきっと、バイクに乗る人しかわからないでしょう。

世の中にはバイクに「乗る人」と「乗らない人」がいて、それによって人生の在り方もきっと大きく違ってくるのだと思う。もちろん乗らなくたって、損をすることなどなにもないけれど、もし「乗る人」になってしまったら、決してその権利を手放せなくなってしまうことを、僕らは心と身体で知っているのです。

 

SHARE IT!

この記事の執筆者

この記事に関連する記事