年初めの1月5日、一般社団法人日本自動車工業会(以降、自工会)が「令和6年自動車5団体新春賀詞交歓会」を開催しました。賀詞交歓会とは、その業界の企業や団体、関係者などが集まって新年の挨拶や名刺交換を通して交流を深めるという場で、自動車業界も毎年、年始に開催しています。
2023年は自動車業界にとって大きな出来事が続いた年でした。コロナ禍以降は半導体不足や資材高騰も緩和され、日銀による業況判断指数もコロナ禍以前の状況まで回復したとされ、各社の生産と販売も拡大していました。しかし一方で、4月にはダイハツの海外向け車両で認証不正問題が、7月には中古車販売大手のビッグモーターによる保険金水増し請求が発覚し、両社ともに存続の危機に…。
10月28日から11月5日(一般公開日)にかけて開催されたジャパンモビリティショー2023は盛況のうちに幕を閉じましたが、年末の12月20日にはダイハツが国内外の車両の全てを出荷停止にすることとなり、業界としても不安を抱えながらの年越しになっていました。
新会長となった片山正則氏が所信表明
開催に先立って、1月1日に発生した令和6年能登半島地震で亡くなった方々のご冥福を祈り、来場者全員による黙とうがささげられました。そして黙とうのあと、自工会の片山正則(かたやま まさのり)会長(いすゞ自動車会長 ※1月1日に会長職に就任)の挨拶となりました。
【片山正則会長の所信表明】
「自動車5団体を代表して新年のご挨拶を申し上げます。昨年はコロナ禍からようやく通常の社会生活や経済活動を取り戻すことが実感でき、日本全体に活気が戻り始めた年でした。100年に一度の大変革の真っただ中で会長職を担い、改めて身の引き締まる思いです。豊田前会長が築いたチームで取り組む形を進化させ、全力でこの難局を乗り越えていく決意です。
私たちが直面している課題は多岐に渡りますが、今後も自動車・モビリティ産業が基幹産業として日本経済に貢献するために向こう2年程度をスコープに、具体的なアクションの洗い出しを行いました。この中で、物流の停滞が懸念される2024年問題への対応は喫緊の社会課題です。他産業とも連携し自動運転技術の採用や運行システムのさらなる効率化など取組みを推進します。
カーボンニュートラルの実現については「敵は炭素であり内燃機関ではない」としてマルチパスウェイの必要性を世界に訴えてきました。電動車の普及促進に必要なインフラ整備やこれを後押しする政策が求められますが、これをモビリティ産業への大きな変革期のチャンスと捉えて研究開発投資を増加させ、新たな市場へのアクセスを開拓することで競争力の向上に向けて取り組んでいきます。
さらには、国産電池(※バッテリー)、半導体の国際競争力確保、競争力のあるクリーンエネルギー、業態・業界をまたいだデータ連携といった課題についても全力で解決に向けて前進します」
片山新会長の所信表明でした。自工会という組織自体もここ数年で変革を遂げており、モビリティ革命のなかリーダーシップと適応力が問われることになりそうです。
豊田章男前会長が挨拶という名の総括
片山新会長は第1回ジャパンモビリティショーについての報告とお礼のあと、前会長の豊田章男(とよだ あきお)氏にマイクを渡しました。ちょっとしたサプライズ演出ですね。豊田前会長は、能登半島地震と羽田の航空機事故についてお見舞いの言葉を述べた後、以下の内容を語りました。
【豊田章男前会長の挨拶】
「2010年に初めて自工会の副会長を拝命してから13年半、2018年に2度目の会長に就任してから5年半、多くの方々に支えられ、このたび片山会長にたすきを渡すことができ、皆さまのご支援に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
自工会の歴史を振り返ると1960年の川又克二初代会長から1990年代初頭の久米豊5代目会長までは皆さん4年以上会長職を務めておられました。排気ガス規制、オイルショック、貿易摩擦など数々の危機を乗り越え、先達が自工会の礎を築かれた、まさに創業期だったと思います。
それ以降は会長の任期が短くなり、ニッサン、トヨタ、ホンダの3社による持ち回りが定着し、CASE革命により自動車業界が100年に1度の大変革期に突入するなか私は2度目の会長に就任することになり、コロナ危機、カーボンニュートラルなど自動車産業の構造改革に取り組む中で、自動車はみんなでやる産業、未来はみんなで作るもの。いつしかそれが合言葉となり、クルマを走らせる550万人のチームができたと思っています。
会長職は神輿(みこし)だと言われたりしますが、神輿の輿という字には車の文字があり、担ぐべきは会長ではなく自動車産業そのものである、そんな思いで、私も仲間と一緒になって550万人の神輿を担いできました。
昨年のジャパンモビリティショーでは自動車業界の枠を超えて多くの仲間が乗りたい未来を探しに行こうというメッセージを発信してくれました。そして迎えた2024年。富士スピードウエイでの初日の出、ニューイヤー駅伝で8年ぶりの優勝(※トヨタ自動車として)、喜んだのもつかの間、能登半島での大地震により深い悲しみからのスタートになりました。
13年前、東日本大震災の時に被災地の方からかけて頂いた言葉が私の脳裏によみがえりました。「元気な地域、会社の人たちが被災した地域の分まで頑張って日本を支えてください」
いまの日本には550万人の強くてたくましい現場があります。被災された方々が1日も早く日常と笑顔を取り戻せるよう550万人の仲間とともに私自身も動いていきます。今こそ、対立や分断、争いや誹謗中傷をやめて、お互いに助け合い、笑顔でありがとうと言い合う、そんな大人の姿を見せる時だと思います。
今年は震災からの復興に加え、物流の2024年問題など働き方が問われる年でもあります。いずれも、その解決に向けては自分以外の誰かを思う優しさが大切になると思います。
優しいという字は人を100回愛すると書きます。同じ日本に、同じ地球に生きる人たちへの愛、これから生まれてくる子どもたちへの愛、そんな愛があふれる年となりますことを祈念いたしまして私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました」
豊田前会長の挨拶のあと、片山会長は、自動車以外の様々な産業と連携して官民のオールジャパンで課題を解決し持続可能なモビリティへの未来を築いていくことを述べました。
その後は来賓の挨拶となったのですが、齋藤健(さいとう けん)経済産業大臣、斉藤鉄夫(さいとう てつお)国土交通大臣ともに公務のために欠席となりました。賀詞交歓会としてはこれで終わりで、以降は歓談の時間になったのですが、報道陣の取材はここまでなので以上になります。
あっという間の時間なのですが、片山新会長からは今後の自動車産業の展望が、豊田前会長からはこれまでの自動車産業の総括と復興下での願いが語られ、とても印象に残る会となりました。
世界に冠たる日本の二輪業界も自動車産業の一翼を担っています。復興の過程では被災地を支援、ツーリングするなどライダーひとり一人にできることも多いと思います。みんなで前向きに頑張っていきましょう!