2021年夏、ForRメインメンバー9名のうち2名が、新型コロナウィルスに感染。感染~完治までをレポートしてもらいました。皆様も充分にお気をつけください(編集部より)。

東京都で毎日5000人超のコロナ陽性者が出るなか、まさか自分が!?

タイトルにあるとおり、じつは8月に新型コロナウイルスに罹患した。それも症状が出たのは8月20日……東京都では毎日5000人超の陽性者が出ていた、まさにコロナウイルスが猛威をふるっていた時期である。

おかげさまで今ではすっかり元気になっているのだが、当時は医療崩壊寸前で入院することもできず、保健所からの連絡もない。処方された薬は咳止めのみという状況で、不安におののく日々を過ごすことになった。

今回の記事はバイクとは関係がないのだが、自分への忘備録とするとともに、読者のみなさんへの注意喚起及び情報としてお役に立てればということで、寄稿させていただく。

 

【闘病記】発熱~陽性判定まで

8月19日(木) 咳が出はじめる

この日は朝から一人でバイクの撮影。都内をうろうろしながら、良いロケーションを見つけるとカメラを取り出す……そんな1日で元気そのもの。

ロケ場所探し。この日は珍しく1人だったのが幸いした。


ところが夕方、帰宅したころから咳が出るようになった。

じつはこの前日、仕事仲間から「熱があって、味覚がない」というLINEメッセージが届いていた。その仕事仲間とはスタジオ撮影のために2日前に会ったばかり……なんとなく嫌な予感がした。

※ちなみにこの「仕事仲間」はバイク業界とは関係なく、書籍関連でよく一緒に仕事をする方である。

 

8月20日(金) 発熱、そして自宅内隔離

朝、起きると体がだるい。検温してみると37.8℃。咳も収まっていない。

仕事仲間の件もあり、この瞬間から僕の自宅内隔離がはじまった。

我が家は5人家族。僕と妻、そして小学生の子どもが3人いるのだが、僕1人で2階を占領。妻と子どもたちは1階のリビングや子ども部屋で過ごすことになった。

我が家は2階にもトイレがあるので、1階に降りることなく生活できるのが幸いだ。

夕方になると熱が上がりはじめ(38.0℃)、咳もひどくなりはじめた。ただ、この時はまだ食欲はあり、お腹は減る。うどんやプリン程度なら「食べたい」と思う。

発熱といえば水分補給が必須。定番はスポーツドリンクだが、口のなかに糖分が残る感覚が苦手なため、僕は麦茶とミネラルウォータで過ごした。
1階に降りられないため、ミネラルウォーターは歯磨き時にも活躍(うがいしたあとは2階のトイレにペッ!)。

8月21日(土) 解熱鎮痛剤を服用

20日の夜は38.9℃まで熱が上がり、咳も止まらずにほとんど寝られず。たまらず21日のお昼に市販の解熱鎮痛剤を服用する。

すると熱は下がるのだが、部屋のなかを歩き回ったり、仕事をしようとパソコンの前に座ったりすると(仕事部屋も2階)すぐに熱が上がってしまう(泣)。

 

8月22日(日) 徐々に食欲がなくなりはじめる

熱はおおむね38℃台。この日は解熱鎮痛剤を飲んでも熱が下がらなかった。薬が効かない? と思ったが、もし薬を飲んでいなかったら、もっと上がっていたのかも。

食事はお昼に小さなおにぎり1個と卵焼き2切れ。晩御飯は、家族はとんかつだそうだが、当然食べられず。カップラーメンを作ってもらったが、半分しか食べられなかった。

同じカップ麺でも、うどんは比較的食べられるが、ラーメンは無理。この日は家にうどんがなくて、仕方なくカップヌードルを食べようとしたが、半分でギブアップ。 ※写真は元気になってから、あらためて撮影したものです。

8月23日(月) 病院で抗原検査……そして陽性判定へ

月曜になるも、当然熱は下がらず、咳は収まらず。近所の病院で抗原検査とPCR検査をおこなう。

抗原検査は15分ほどで結果が出るのだが、みごとに陽性! PCR検査の結果を待たず(判定に数時間かかる)して、コロナ患者に認定されることとなった。

とりあえず咳がひどいので、咳止めを大量に処方してもらう(4種類)。

ちなみにこれらのやりとりはすべて、僕は車内。先生や看護師さんが病院の駐車場に来て、クルマの外から車内の僕に向かって検査をしたり、問診をしたりしているのだ。

愛車・ランドクルーザープラドの運転席が診察室。先生や看護師さんは完全防備のうえ、クルマの外から問診や検査をおこなう。
※写真は我が家の駐車場にて

隔離療養が解除されるには?

さて、さらにここから先生の説明が続く。以下、要点をまとめると……

・発症日は発熱した8月20日(咳が出た19日ではない)。
・発症日を0日(起点日)として、最短でも10日間の隔離療養が必要。
・ただし、療養解除には症状軽快後72時間が経過しなければならない(症状が軽快した日を0日として3日間)。
参照:厚生労働省「退院基準・解除基準の改定」

つまり僕の場合、最短でも8月30日(月)までは療養が必要ということ。しかも実際に療養を終わらせるには、症状が軽快(=37.5℃未満)してから72時間経たなければならない。

要するに、27日の夕方までに熱が下がり、28~30日の3日間、熱が上がらなければ、8月31日(火)からは大手を振って街を歩けるということなのだ。

もしも28日に熱が下がり、翌29~31日まで熱が下がったままであれば、外を歩けるのは9月1日(水)からということになる。

逆に25日から熱が下がったとしても、最低10日間の療養が必要なので、やはり療養解除は8月31日ということになる。

 

家族は濃厚接触者

当然ながら家族4人は濃厚接触者となり、20日を起点日として2週間……つまり9月3日(金)までは、なるべく外に出かけない。買い物などは最低限の人数で素早くおこなうことなどを要請された。

ここで気づいた方もいるかと思うが、僕は最短だと8月30日(月)までの隔離。対して家族は9月3日(金)まで。そう、場合によっては家族の方が(制約は緩いとはいえ)隔離期間が長いのだ。

ともかく、これで子どもたちは2学期の始業式には出られないことが確定した。申し訳ないことをしたなぁ……と思う。

ちなみに結論を先に書くと、我が家では家庭内感染は起こらなかった。妻が20日の時点で僕を完全隔離したのが奏功したようだ。デルタ株が蔓延してからは家庭内感染が起きない方が珍しいらしく、これにはお医者さんもびっくりしていた。

……というわけで、ますます妻には感謝! 読者の皆さんも、ちょっとでも熱が出たら、躊躇なく隔離することを強くおすすめします!!

 

保健所は……


先生の説明では、このあと病院から保健所に陽性者(つまり僕)の情報を共有。本来であれば当日中に保健所から電話があるということだったが、当時は都内で毎日5000人以上の陽性者が出る異常事態で、まさに医療崩壊寸前(とマスコミでは言っていたが、今考えるとすでに崩壊していたのかもしれない)。先生からも「連絡は明日になるかも」と言われていた。


そして結局、この日は保健所からの連絡はなかった……いや、次の日も、その次の日もこなかったのだが。

 

【闘病記】高熱は出ないが、咳が止まらず、食欲はなし

8月24日(火)~25日(水) 熱は上がったり下がったり。咳が苦しい

高熱にうなされるということはないが、1日のなかで何度も熱が上がったり下がったりを繰り返し(38℃前後)、それが体力を奪う。そして、このあたりから急激に食欲がなくなり、食事は梨や桃などのフルーツを2切れとか、ヨーグルトを数口、たまにゼリーを少し食べる程度。

とにかく、ずっと咳をしている状態で、それもコンコンなんてなま優しいものではなく、肺がひっくり返って気管支から出てくるかと思うような激しさ。

処方された咳止めが効いている感じもなかったのだが、のど飴(薬ではなく菓子)に即効性があることに気づく。薬ではないので持続力はないのだが、舐めている間は咳が止まる。

ここでどうやったら咳が止まるかを探究する“実験”がはじまる。

のど飴は効くが、それよりもハイチュウを噛まずに舐めていると唾液がたくさん出るからなのか、咳が止まる。

すると、喉を濡らしておくのがいいのか? ということで、水を口に含んで少しずつ飲み込んでいく。これがかなり効く!! 咳が全然出ない! ……ただし、すぐにお腹がパンパンになってしまう。

“実験”は寝ているしかやることがない僕の“娯楽”となり、このあと2-3日続くことになるのだが、結論を書くと、「すっパイチュウ」が最も咳止め効果があることが判明した(個人の感想です・笑)。

のど飴からはじまり、ハイチュウ、すっパイチュウと、咳止め効果の高いお菓子探しが唯一の楽しみ。ちなみにハイチュウとすっパイチュウは噛まずに舐めるのがポイント。 ※写真は元気になってから、あらためて撮影したものです。

8月26日(木) 保健所から連絡はきたものの……

朝5時半に咳と熱で目が覚めるものの、9時には37.6℃まで下がり、咳も軽くなる。こんな感じで、毎日上がったり下がったりを繰り返す。

食欲はほとんどなく、食べてもすぐにお腹がいっぱいになる。

食事はゼリーやヨーグルト、果物を2-3口食べるくらい。人生ではじめて、自分がみるみる痩せていっているのを実感した。 ※写真は元気になってから、あらためて撮影したものです。

医療崩壊を実感

午前11時半、保健所から僕のケータイに電話がきた。しかし、電話の主は保健師さんではなく、事務員さん。人手が足りないからだという。検査から3日経って、やっと連絡がきたと思ったら事務員さん……。こんな時に罹患してしまって申し訳ないという気持ちが湧き起こる。

聞かれたのは現在の症状やいつ発症したか、家族構成や緊急連絡先など。感染経路については聞かれなかった。もう感染経路を調べるなんて状況ではないのだろう。

 

救援物資はいらない

救援物資を送ると言われたが、断った。あらかじめネットで調べていたのだが、中身はレトルト食品や缶詰など。この状況では食べられるわけがないし、もともとレトルト食品などは僕は好きではない。今食べられないなら、おそらく完治してから(妻に)食べさせられることになるのだろう。「せっかく治ったのにレトルトな毎日はイヤだ!」と思った僕は、申し出を躊躇なく断ったのだ。

だけど、いまこの記事を書いていて、「ネタになるからもらっておけばよかった」とちょっとだけ後悔している(笑)。

 

パルスオキシメーター

保健所の事務員さんは「パルスオキシメーター(血中酸素濃度計)も送ります」と言ってくれた。たぶん僕は軽症なのだろうが、ネットで調べると「容態が急変することも多い」なんて書かれてあって、不安がないわけではない。

救援物資はいらないが、こちらはありがたく送ってもらうことにした。……で、いつ届くのだろう?

 

8月27日(金) 咳の恐怖

咳自体も苦しいのだが、連日の咳によって横隔膜あたりの筋肉(?)に激痛が走るようになる。咳のたびに激痛。そして、口から肺が出てきそうな勢いの嗚咽。この頃になると、咳は恐怖の対象。咳が出ることが恐ろしくてたまらない……。

のど飴やハイチュウを舐めるのだが、そんなものを24時間口のなかに入れているわけにはいかず……咳が怖い。

食欲は相変わらずないが、夜にアイスクリームが食べたくなり、チョコアイスを食べる。で、胸焼けをする。

アイスクリームで胸焼けしたのは人生ではじめての経験だ(笑)。

さて、この日に37.5℃未満に熱が下がれば、症状軽快の起点日となる。翌日から3日間37.5℃未満をキープし続ければ、最短の11日間で隔離療養解除となるのだが……残念ながら熱は下がらず。

8月28日(土) この日も熱は下がらず

朝から咳がひどい。相変わらず横隔膜周辺に激痛が走り、恐怖である。咳が続くと、嗚咽もひどい。

そして熱は37.6℃と微熱ながらも下がらず、この日も症状軽快とはならなかった。

しかしお昼には少し食欲が回復し、小さいおにぎりと卵焼き2切れを食べた。

なんとなく、病気のピークは過ぎたような気がした。

 

【闘病記】重症化することなく、回復の兆し!

8月29日(日) いよいよ光が見えてきた

朝9時、37.4℃。夕方にもう一度測って、37.5℃を超えていなければ症状軽快の起点日となる!

そして待ちに待った夕方……体温を測ると37.1℃! 思わずガッツポーズ。

食欲も徐々に回復してきて、お昼はスープと梨、食パン(すべて数切れ、数口だけど)を食べる。特に食パンのようなカッサカサの固形物を食べられるようになったことで、回復を実感! 

で、この日の夕方にパルスオキシメーターが届いた。

指先に挟むだけで血中酸素濃度を測れる「パルスオキシメーター」。届いたときにはすでに僕は快方に向かっていた……。

8月30日(月) 急激に回復!

朝9時、36.7℃。急激に体調がよくなってきて、重い咳はほとんど出なくなった。

食事も1人前は無理だけど、回復傾向にあり、パンやカレーうどんなど、重めのものを半人前程度なら食べられるようになる。

 

8月31日(火)~9月1日(水) 体調は万全、だけど体力は?

体調万全! おにぎりや卵焼きといった定番メニュー(?)に、うどんなど、いろいろと食べられるようになってきた。……といっても、写真の量でお腹いっぱいなのだが(苦笑)。

愛情たっぷり・妻の手作り弁当! 元気になったといっても、これだけでお腹いっぱい。


体調は良いのだが、さすがに体力の低下は否めず。少しでも仕事をしようとデスクに座るのだが、すぐに疲れてしまい、ほとんど仕事はできなかった。

そして無事、この2日間も37.5℃を超えることはなく、隔離療養は終了となった。

病院で診てもらうわけではなく自分で熱を測るだけなので、療養の終了は基本的に自己申告・自己責任となる。ただし、保健所からは26日以来、2-3日に1度は電話連絡が来るので、その際に症状や体温などは報告していた。隔離療養の終了についても、保健所からのOKが出ているということは付け加えておきたい。

 

9月2日(木) 隔離解除

体力はすっかり落ちてしまったが、それでもようやく隔離解除となり、晴れて自由の身となった!

とは言いつつも、咳が完全には止まらなかったので、この後1週間は外出は控え、家族とも寝る部屋は別のままで過ごした。

後遺症もなく、療養中も味覚障害などは起きなかったのが不幸中の幸いだ。

 

療養を終えて……

高熱でうなされることはほとんどなく、はじめは正直「インフルエンザの方がしんどいよな」なんて思っていたのだが、治療薬もない状況で、とにかく咳が続くのが苦しく、熱も上がったり下がったりで体力を奪うのが辛い。そして、いつ治るのか? 容態が急変したらどうしよう? 医療体制がひっ迫しているなかで万が一の際は受け入れ先はあるのか? という見えない恐怖がストレスだった。

ほとんど食事を摂らなかったせいで、体重は6kgほど落ちてしまった。僕の場合は倦怠感はそれほどなく、熱も38℃台で超高熱というほどでもない。咳は酷かったが、喉が痛いわけでもない。これが1日か2日ほどであれば、おそらく食欲もそこまで落ちなかったのだろう。しかし、38℃台を行ったり来たりの発熱と重い咳が1週間も続くと、体力を奪い、食欲や気力も奪っていくのだと痛感した。

当然、食べなかった分、体力も落ちてしまったが、それでも僕は軽症だったようだ。治ったとたん、みるみる食欲は戻り、体力も回復。いいのか悪いのか体重もメタボな頃に戻り、1週間も経たないうちに普通の生活が送れるまでに回復した。

しかし、なかにはなかなか体力が回復しない場合もあると思う。決して過信せずに、バイクの運転などはしばらく控えた方がいいだろう。僕もバイクに乗ったのは、回復してから1週間後だった。

また、これはあくまでも個人的な意見だが、72時間の症状軽快期間が終わったからといって、すぐに外を出歩くのも避けた方が良いと思う。「体のなかにウイルスがいない」とされているが、僕の場合は咳が残っていたため、家の中ではマスクを着用していたし、寝室も別のままだった。まだまだわからないことが多いウイルスなのだ。用心に越したことはないだろう。

今回、おそらく僕は仕事仲間から感染したのだと思う。しかし、当日は2人ともマスクをしていたし、広いスタジオで換気もして、ソーシャルディスタンスも十分に保っていた。おっさん同士だからね……そんなに近づいてもいいことはないのだ(笑)。それでも2時間ほど同じ場所にいたために感染したのだろう。抗原検査ではウイルス株の種類まではわからないが、先生曰く「おそらくデルタ株でしょう」とのこと。

いま、感染者は急激に減って、緊急事態宣言も解除された。しかし、新型コロナウイルスはまだまだわからないことだらけだし、これからさらに強力な変異株が出現する可能性だって考えられる。決して油断せずに、マスクや手洗い、ソーシャルディスタンスの確保はこれまで同様にやっていきたいと、僕は思っている。

GB350

新型コロナウイルス罹患から1ヶ月……今ではすっかり元気になって、バイクにも問題なく乗れている。写真はHondaさんから借りているGB350。

 

【実録】新型コロナウィルスに感染して復帰したライダーたち【沼尾編】

 

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