バイクを載せて北の大地へ! 夢のような列車だった

カワサキGPZ250ベルトドライブ

▲学生時代、ボクはGPZ250ベルトドライブで全国を走り回りました。

テント、寝袋、マットをカワサキGPZ250のリヤシートにくくりつけ、北海道や四国、九州を走り回ったボクの学生時代。16歳のとき、北海道を目指し出発した場所は、今となってはチョット意外かもしれません。夜行列車が停まる、上野駅13番線ホームでした。

当時は「MOTOトレイン」というオートバイを乗せて上野-函館間を走る夜行列車があって、90年代前半に廃止となるまでボクはこれに2回乗っています。“鉄オタ”だった自分にとっては、まさに夢のような列車。いま思えば、たいへん貴重な経験だったかもしれません。

選んだ理由はカワサキのツインだったから!

片岡義男さんのオートバイ小説に影響され、「16歳になったら、4サイクルツインのオートバイに乗る!」と思ったボク。5月の誕生日を迎えると、すぐに教習所へ通って中免ゲット。カワサキの並列2気筒モデル「GPZ250ベルトドライブ」を買うのでした。

 

カワサキGPZ250ベルトドライブ

▲16歳の時に購入したカワサキGPZ250ベルトドライブ。

たしか、13万5000円。ニーハンの中では、もっとも安い価格帯のいわゆる不人気車でしたが、ボクには光り輝いていたのでした。片岡小説に登場するダブワン(W1)やダブサン(W3)と同じ、カワサキの2気筒だったからです!

兄の部屋で見つけ、大ファンとなった片岡義男さんのバイク小説のことも、友人らに話すとイマイチ伝わりません。バイク映画は「汚れた英雄」(1982年)ももちろん好きでしたが、「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年)にぞっこん。バイク好きの仲間から見ても、かなり変わったヤツだったんだと思います。

ミツバチ族もカニ族にもなれた!

バイクブームだった当時、夏の北海道はバイク乗りたちの聖地でした。「ブーン、ブーン」という音とともに現れるツーリングライダーは“ミツバチ族”と呼ばれていました。

バイクに乗る前は、ブルートレインが大好きな“鉄ヲタ”だったボクは、列車で全国を旅する“カニ族”に憧れていました。大型リュックを背負い、列車の通路を前向きに進めず横歩きしたのでこう呼ばれていたのです。

北海道までバイクを載せて走ったモトトレイン

▲北海道までバイクを載せて走ったMOTOトレイン。

列車で“カニ族”の気分も味わえ、バイクで“ミツバチ族”にもなれる一石二鳥、一人二役、一粒で二度美味しい素晴らしい列車が上野-函館間を走っていたのをご存知でしょうか。夜行急行列車「八甲田」にバイクを積むための貨物車を2両連結し、ライダーは専用の寝台車に乗る「MOTOトレイン」です。

バイクは自分で上野駅13番線まで押していき、国鉄の係員が貨物車に積み込んでくれます。切符を予約するともらう案内の紙には、ガソリンは満タンにしないようにと、注意書きがありました。列車のホームにバイクが並ぶ光景は当時でも珍しく、仕事帰りの通勤客らが、驚きつつその様子を見ていたことも思い出します。

16歳の夏休みに一人で乗ると、4人でワンボックスになった寝台車両で大人たちに囲まれ、いろいろな話しをしてくれます。「開陽台へ行くべき」「ライダースハウスでの心得」「キャンプ場には主がいる」「昆布干しのバイトで資金調達すべき」などなど、たくさんのことを先輩ライダーらが教えてくれたのでした。

気がつけば鉄分強めのツーリング

愛国から幸福ゆき切符

▲ツーリングのお土産として購入した「愛国から幸福ゆき」の切符。

「鉄道の旅は線路の先へ行けないけど、バイクなら地の果てまで行ける」

そんなふうに友人らに語る熱きバイク少年だったボクですが、ツーリングに出かけると線路から離れられないから我ながら笑ってしまいます。たとえば、知らない場所を走っている時も駅が近くにあると、つい立ち寄ってしまいます。全国の路線図や駅名は、時刻表を愛読していた小学生の頃にほぼ覚えているので、自分がどこにいるのか駅に行けば、だいたいわかるのです。

バイクで走行中も、線路でどのへんを走っているのかわかります。こういう話をすると、意外にも共感してくるバイク乗りは多く、ボクのようにバイクも鉄道も好きっていう人は少なくないと感じています。

北海道ツーリングで目指したのは、鉄オタたちの聖地であった幸福駅そして2つ隣の愛国駅でした。その頃、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームで、その記念すべき切符が欲しかったのです。いまでもコレクションしている自分は、なかなか気持ち悪いヤツだと思います。

行かなければ気が済まない“端っこ”

本土最東端、納沙布岬

▲最北端・宗谷岬ではなく、なぜか最東端・納沙布岬での記念写真を大事に持っているボク。

もちろん“端っこ”は制覇します。最東端の納沙布岬、最北端の宗谷岬へ行くことも忘れません。地図を開いては走った道を蛍光ペンで塗り、テントの中でニンマリ。それが夏休みの楽しみでした。

また、当時は携帯電話なんてない時代。北海道を走るライダーの多くはアドレス帳を持っていて、キャンプ場やライダーハウスで仲良くなると、お互いに住所や自宅の電話番号を書いて交換しました。

バイクブームの頃のツーリングライダー。

▲荷物を満載にして全国を走ったボクとGPZ250。

文通のお手紙

▲ツーリングから帰ると、旅先でアドレスを交換した先輩ライダーから自宅にお手紙や写真がたくさん届いていました。

学生だったボクは長い夏休みをずっと北海道や四国・九州で放浪していたから、帰宅する頃には手紙と写真が届いていて、ちょっとした文通体験も。女性とも、そんなやり取りが少し続いて、まるで片岡義男のバイク小説みたいな気分だったことを覚えています。いい時代ですよね〜。

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