懐かしい昭和を探して旅する「昭和レトロ紀行」。スーパーカブ110で栃木県足利市に到着した筆者と息子は、目的地の一つである「渡良瀬(わたらせ)橋」に向かった。そう、あの名曲の聖地を巡礼するのだ。……最後にオリジナルPV(?)もカマすゼ!
前回:濃ゆくてトロトロの“モツ定食”からスタート【昭和レトロ紀行 親子栃木編①】
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生まれ育った地元を愛するが故の別れ・・・・・・
ドライブイン大番から30分も走れば、旅の目的地である足利市。まず向かったのは渡良瀬橋だ。
1993年1月にリリースされた森高千里さんのヒット曲『渡良瀬橋』(作詞:森高千里、作曲&編曲:斉藤英夫)は、とても印象に残っている。
遠距離恋愛を描いた曲だ。渡良瀬橋のある足利市を舞台に、二人の過去が切々と語られる。胸に迫るのは、少しコミカルな「風邪をひいちゃいました」の後の転調、大サビの箇所。他の土地で暮らす相手に対し、主人公は地元に残ることを選び、二人は別れてしまう。
この曲は生まれ育った地を離れられず、恋人と別れてしまった過去を追想する曲なのだ。
歌が流行った当時、高校3年生だった記憶がある。しかも私は、足利市がある栃木県の生まれだ(足利銀行も使っていた!)。実家を離れて上京する自分と歌詞がオーバーラップし、地元を離れることにいささか胸の痛みを覚えた。
……と思い込んでいたが、いま計算したら違った(笑)。'93年だから大学4年生だ。既に東京での就職が決まっていた。曲を聴いて、都会で根なし草的な生き方をするより、地元で根を下ろして生きる方が真っ当なのでは、と思ったのだ。
いずれにせよ『渡良瀬橋』が地方出身者の琴線に触れる名曲であることに間違いない。
ちなみに森高さんは足利出身ではない。
足利市観光協会のパンフレットによると、森高さんは'89年10月、コンサートで足利市を訪れた。後に"綺麗な響きの川”が出てくる詞を書きたいと思い、以前、足利市で渡った川が渡良瀬川だったと知った。そこで実際に足利の地を見て回り、作詞をしたという。そのため、歌詞に出てくる固有名詞は実在するものばかり。今回はこれらの土地を訪れる、いわゆる聖地巡礼をするつもりだ。
――とっくにお気づきの方もおいでだろうが、'93年ということは平成5年。昭和の建造物は出てくるが、若干タイトル詐欺になってしまうことをご了承願いたい(笑)。
ちなみに、'06年生まれの息子は当然ながら聴いたことがないという。聴かせてみると「えっ宣伝?」と第一声。今となってはそう捉える人がいても何ら不思議ではないが違うのだ、と力説する父(実は昔、森高ファンだった……)。
すると息子は「え、違うの? 生まれた所を離れられない生き方もあるんだなぁと切なさを感じた」という。うむ、その理解で正しい(笑)。
落ち着いた街並みに映える、美しい橋だ
県道38号線を北上していると目の前に大きく立派な橋が現れ、「渡良瀬川」の看板が見えた。これが渡良瀬橋か、と思うと感慨深くなった。曲を聴いてから数十年を隔てて、実物を拝めることができたからだ。
橋は実に立派だ。見晴らしがよく、河原もキレイに整備されている。「ジョギングしたら気持ちよさそう」と息子。
アレ? こっちが本物の渡良瀬橋だ
二人で河原をウロウロした後、続いて「渡良瀬橋歌碑」に向かった。'07年、足利市が設置したもので『渡良瀬橋』の歌詞が掲示されているという。
橋を渡って、渡良瀬川と並行して走る対岸の道路を西に進む。700mも移動すると、道路沿いに歌碑を発見!
ボタンを押すとスピーカーから『渡良瀬橋』流れ出した。なんとフルコーラスが聴けてしまう。
ここでふと気付いた。今、近くに見えている橋こそ渡良瀬橋なのではないか、と。さっそく橋のたもとまで行ってみる。
……正解! 「渡良瀬橋」と書いてある。
調べてみると、先ほど撮影していたのはどうやら「渡良瀬橋」ではなく、「中橋」だったのだ(笑)。
「えーっ」と息子もオヤヂのテキトーぶりに少々呆れ顔。いかん、父親の威厳が!
そこで「こういうアクシデントこそ旅の醍醐味なのだ」「小回りがきくバイクだからこそ、こういう旅ができるのだ」と言い訳を一応しておいた。まぁ実際、真理だと思うのだ(ただ「仕事」と考えた場合は……)。
シン渡良瀬橋は、中橋より幅が狭い上に、橋自体がこじんまりとしており、繊細な印象。どこか哀愁がある。ちなみにライダーにはおなじみのトラス(トレリス)構造をしている(中橋もそうだったけども)。
渡良瀬橋が完成したのは1934年(昭和9年)だから、もう90年近く前。橋や周辺は交通の要衝らしく、クルマがひっきりなしに通る。歌の舞台になっただけでなく、市民の生活をずっと支えてきた重要な橋なのだ。
本当にあった! 床屋の角にある公衆電話
『渡良瀬橋』で歌われている情景は夕暮れ時。「今日も暮れてゆきます」「夕日がきれいな街」との歌詞があり、聖地巡礼として夕日は欠かせない。まだ日が高いので、夕方にもう一度来て、どんな風景なのか確かめてみることにした。
続いて向かったのは「電話ボックス」だ。
『渡良瀬橋』には、
床屋の角にポツンとある 公衆電話おぼえてますか
きのう思わずかけたくて何度も受話器とったの
『渡良瀬橋』より引用
という歌詞がある。その床屋が街中にある「尾沢理容店」なのだという。歌碑からは1km少々なのでスーパーカブならアッサリ到着。歌詞のように歩いていける距離だ。
床屋の窓に貼られた'22年2月20日の読売新聞によると、'93年に曲が発売されて以来、公衆電話を見るため、全国からファンが訪れたらしい。さらにファンが自由に書けるノートをつくるなど交流が始まり、今でも全国から月に10人ほどのファンが訪れるそうだ。
実はこの公衆電話、歩道の拡張工事で取り壊す予定があったらしい。しかし森高さんのファンや地元からの反対もあり、今もそのままの形で残っているという。なお、床屋のご主人にお話を伺いたかったのだが、営業時間内のはずなのに店は閉まっていた。残念。
「公衆電話、使ったことある?」と息子に尋ねると、当然「ない」との返答。
「昔、女の子の家に電話かけるとお父さんが出てきたんだぞ」と、昭和にありがちな昔話を反射的にしてしまった……。
会いに来てくれた恋人はこの駅に降り立った・・・・・・?
続いて行ったのは「駅」だ。
電車にゆられこの街まで あなたは会いに来てくれたわ
『渡良瀬橋』より引用
という一節がある。渡良瀬橋の近くには、東武伊勢崎線の足利市駅と、JR両毛線の足利駅がある。私のイメージでは、橋を渡らなくても電話ボックスなどに行けるJR足利駅の方かな、と思った。
行ってみると、これまた近い。床屋の電話ボックスから約2km。歌碑からは約1kmの距離だ。
なんとも風情のある駅だ。周囲にお店は全くない。なお、写真を撮ったのは南口で、北口はもっと栄えている。
静謐で格式ある八雲神社へ
続いては「八雲神社」へ。次の歌詞がある。
今でも 八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら、あの頃に戻りたい
『渡良瀬橋』より引用
市内に「八雲神社」は5箇所もある。森高さんによると「いずれの八雲神社も歌詞中のものに該当するので、八雲神社に限らず馴染みの神社を思い浮かべて聴いてほしい」と話している。なお、渡良瀬橋に最も近いのは、橋の北側から約500mの距離にある通5丁目の八雲神社だ。
ただし最も歴史が長く、総鎮守となるのが緑町1丁目にある八雲神社。橋からは約1km離れているが、こちらに行ってみることにした。
到着すると、立派な鳥居が迎えてくれた。とても静かで、駐車場も整備されている。
おっと、そろそろ夕方だ。急いで橋に戻ろう! 若干、空に雲が多いが、果たして歌と同じ情景を体験することができるか……。
思いのほか長くなってしまったので、続きは次回!