1999年に販売が終了されてから、すでに20年以上が経過している2ストロークスポーツモデル、ホンダNSR250R。すでに様々な記事や特集はネットやリアル出版物であふれかえっておりますが、ここでは発売されていた期間に同時並行して青春を過ごせた“いちライダー(後に二輪雑誌編集部員)”という立場から、奇跡の軌跡をたどっていきたいと思います。
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「2ストはスズキかヤマハ! ホンダなんて全然ダメだよ」
諸説はありますが、1980年のヤマハRZ250発売を皮切りに爆発的な盛り上がりを見せ始めた空前のバイクブーム。
山口県の瀬戸内地方で、食が細いクラスメイトの分まで給食と牛乳を鯨飲する中学生だった自分にも、バイクブームの大波はやってきました。
気が付けば勉強そっちのけで毎月「モーターサイクリスト」を読みふけるようになり、高校生になってからは「オートバイ」「ヤングマシン」「モト・ライダー」「ミスターバイク」などの各誌を支持する悪友たちと終わることのないバイクに関する「口(くち)プロレス(←要は舌戦)」ばかりするように…。(“3ナイ”で免許が取れないため余計に熱く……)。
そんななか、夕焼けに染まる教室で小学校時代からオートバイ誌を読んでいたという耳学問では先輩格のYくんが言い放ったのが、
「2ストはスズキかヤマハ! ホンダなんて全然ダメだよ」
そうなのです。1982年に「4ストで2ストに勝つ!」と鳴り物入りで登場し、大ヒットを放ったホンダVT250Fの登場を受けてか、スズキとヤマハが大奮起していました。
翌1983年、RZ250はYPVSを搭載したRZ250Rへと進化し、スズキに至っては市販車初のアルミフレームを引っさげてRG250Γをリリースしたのです。
2ストでは新参者だったホンダの手痛い失敗体験
ホンダも世界GPでフレディ・スペンサー選手の手により大活躍していた2ストレーサー、NS500のイメージを反映させた2ストモデル「MVX250F」を投入しますが……これがもうコテンパン。
何よりもカタログスペックを最重要視する空気が満ちていたバイクブームのなか、初代RZ250の(初代VT250Fも同じ)35馬力を上回る40馬力を2ストV型3気筒という凝った構成のエンジンは絞り出してきたものの、同日に登場したRZ250Rは43馬力、20日後に登場したRG250Γに至っては45馬力であることを高らかに謳い、痛快な2ストスポーツを欲しがるヤングユーザーの視線はほぼその2車へ集中……。
ぶっちゃけVT250Fと見分けがつかないスタイリング(実際はタンク、シート、サイドカバーなどはしっかり専用部品だったものの、特徴的なビキニカウルやフロントタイヤまわりなどがVTそのままだったため印象が悪い)でも評価を下げてしまったMVXは、残念ながら失敗作の烙印を押されてしまいます。
後日、口(くち)プロレスの同志だった0くんが進学した大阪で購入したMVX250Fをちょっとだけ借りて乗ってみたのですが、キック一発ベベベベベッと目を覚まし、高回転域までベベべべ〜〜ッとスムーズに回転が上昇していくV3エンジンは、それなりに面白いフィーリングでした。
とはいえ多くの人が2ストに求める問答無用で二次曲線的に吹け上がる過激さはやはり希薄、それでいてオイル混じりの白煙はとても濃厚……、という記憶だけが鮮烈に残っています。
時間を金で買って超絶スピード開発された「NS250R/F」
そんなMVXが出た1983年という年は、まさにホンダとヤマハがバイク市場のトップシェアをかけて激しい販売戦争を繰り広げた“HY戦争”が終結した年。
ソフトバイク、スクーター、ビジネスモデル、小排気量から大排気量までの4ストモデルでは、圧倒的な物量作戦でほぼ全ジャンルでの勝利をモノにしたホンダでしたが、2スト250スポーツの領域ではRZ/RZ-R、そしてRG-Γに返り討ちを食らった形になりました。
この劣勢を受けて市販化まで秒読み段階だった兄弟車「MVX400F」の投入計画は立ち消えとなるなど、ホンダのプライドはズタズタに。
大幅な先行を許したライバルたちに対抗するべく常識では考えられないスピードですべてが新規開発され、翌1984年5月に登場したのがアルミフレームにフルカウルを装備した「NS250R」と鉄フレームのネイキッド仕様「NS250F」でした。
ホンダのレース部門であるHRC(ホンダ・レーシング・カンパニー)と情報を交換し、市販レーサーRS250Rと連携しつつ新規開発された2ストV型2気筒エンジンはライバルと同じ45馬力を発揮し、スタイリングもシャシーも当時の最新トレンドを結集。
なおかつ当時価格で53万9000円だった“R”より、11万円もお安い(42万9000円)“F”を用意するなど水も漏らさぬ販売戦略を実現してくるあたり、ホンダの恐るべき底力を感じさせるものでした。
高校2年生だった筆者も懇意にしていた(カタログをせしめるため勝手に押しかけていただけとも!?)小さなバイクショップで納車整備中のNSシリーズに大興奮すると同時に、RとFで異なるフレームやスイングアーム、ホイールに驚き、さらにサイドカウル内を蛇行するチャンバーの複雑なレイアウトなどを見て「凝り過ぎじゃないのかなぁ?」と偉そうに感じたものです。
追いついたと思ったら……。2度にわたって敗れたホンダ
果たして後年、1980年代初頭のホンダ開発現場を知る人に話を聞けば、「開発費に制限はなかった」「何より独自性が求められた」「時間を金で買うため10数個レベルの試作品は同時に作った」「MVXやNSではまだ緻密な2ストオイルの吐出量管理ができていなかった」などと驚きのエピソードが続々……。
ともあれ先行するRZ250R/RR、RG250Γに追いつき追い越せと無制限と言っていい潤沢な資金を投入してスピード開発されたNSシリーズは一定の人気こそ得たものの、翌1985年に登場したヤマハのブランニューマシンにすべてを持っていかれます。
その名は「TZR250」。
“レーサーレプリカ”のレベルを一気に数段飛びで進めたこのバイクは、まさに衝撃的。バイク誌もこぞって大特集を組み、別次元の高性能ぶりが知れわたるや爆発的なセールスを記録し、大人気だったSP(スポーツ・プロダクション)レース界をも席巻……。この超強力なライバルの存在がなければNSR250Rも生まれてこなかった、と言っても過言ではないでしょう。
中編へつづく