いまや“前の元号”となりました「平成」。その元年である1989年の4月にデビューしたのがカワサキ・ゼファーです。現在ではバイク乗りなら知らぬ者のいないビッグネームとなっておりますが、当時吹き荒れていたレーサーレプリカ旋風に心を奪われていた大多数の人にとっては、「ふーん、なんで今さらこんなのを?」的なモデルにしか見えなかったのです……。
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「ゼ……ゼ……ゼップヒャァ? コレ何て読むのよ!?」
レーサーレプリカの頂点と言っても過言ではない、伝説の“ハチハチ”ホンダNSR250Rが生まれたのは1988年。

●何よりも“速さ”を獲得するため、より軽く、よりハイパワーになることを至上命題として開発されていったレーサーレプリカ群。そのひとつの頂点とも言えるのが“ハチハチNSR”です。ホンダ2ストレプリカの逆襲秘話は「NSRという奇跡」をご覧ください
同年、スズキはNSRに対抗すべく新設計されたV型2気筒エンジンを搭載したRGV250Γをリリースし、カワサキもKR-1で真っ向勝負を挑みます。
そして翌年はヤマハが当時大活躍をしていた市販レーサーTZ250そのままの後方排気エンジンを引っさげてTZR250(3MA)を投入し、ヤマハファンは狂喜乱舞しました。

●通称「サンマ」として深く愛されている後方排気TZR250は1989年にデビュー。ボリューミーなフロントカウルからテールエンド後端よりニュッと突き出るサイレンサーの造形までスキのない美しさ……。ホントにヤマハはいちいちカッコイイ(笑)。ただ3MA初期型はノロノロとした公道走行との相性はイマイチ、との風評が立ってしまいNSRの先行を許してしまいます
ツクバのタイムは? ヤタベでの最高速は? レースではどこのどれが勝った?
……象徴的だった2ストローク250㏄クラスだけでなく、4ストローク250㏄/400㏄/750㏄ジャンルでもCBR、VFR、FZR、GSX-R、ZXRなどが入り乱れ、4メーカーがガチで覇を競っていた一番熱い時代だったのです。
雑誌業界もライダーもライダー予備軍も“速さ”こそ絶対正義だと信じて疑わず、日本中の峠やサーキットでのリアルバトルと、「口(くち)プロレス(←要は舌戦)」とで過激にヒートアップ!
そんな1989年の4月25日、同月1日に始まった消費税(3%)にも新元号「平成」にもまだ慣れていないドタバタ騒ぎの中、カワサキの新車「ZEPHYR」の初代モデル(ZR400-C1←機種名)が実にひっそりと発売開始されました。

●初期も初期、まだタンク横の「ZEPHYR」エンブレムもサイドカバーの「Kawasaki」ロゴも、ペラっとしたステッカーだった1989年モデル。メーターも異径2眼式でメッキ加飾すら施されていませんでした。しかし、改めてじっくり眺めてみると、本当に“丸Z”でも“角Z”でもない絶妙なスタイリング。つまりは「ゼファー」という独自のバイクを造ったのだ!という開発陣の自負がうかがえます。また、4本出しマフラーで登場させるという構想もあったとか……!?
パワーもない、カウルもない、最新装備も見当たらない……
吉幾三センセイの大ヒット曲が頭の中をグ~ルグルと駆け巡るくらい、ゼファーは本当にないない尽くしでした。
周りにいる最新ライバル(?)たちが水冷機構とDOHC4バルブヘッドを身にまとい、「400㏄はクラス上限値である59馬力であることが当たり前ェ~」というテイでのし歩く中、ゼファーはGPz400系の空冷2バルブ(一応DOHC)エンジンで、たったの46馬力にて登場。
当然ながらフルカウルもありませんし、これ見よがしに車体へ記載されがちなアルファベット4文字系の最新アイテムもデバイスもなし。

●1992年型ゼファー(ZR400-C4)のカタログより。すでに1991年の小変更でメーターは砲弾型同径2眼式となりメッキカバーも採用され、同時にヘッドライトが常時点灯式になったことまで無言で伝える表紙となってますね。1992年型ではサイドカバーのKawasakiエンブレムもステッカーから立体タイプに変更。よく見ればそれさえ分かる写真が使われています!
埼玉県の大学で4回生3年の春を迎え、モーターサイクリストとミスターバイクを愛読していた筆者ですが、ゼファーがデビューしたときの記事はまったく記憶にございません。
正直、ZEPHYRを「ゼファー」と読むということを覚えたのも相当後になってから。
アルバイトで販売していた150円コーヒーが消費税込み154円となり、おつりの対応が大変だった……ということは、今でもカラー映像で覚えているくらい鮮明なのですが(苦笑)。
頭文字がZ、そして空冷であることも想起させる佳名
すでに広く知られているとおり、ZEPHYRとはギリシャ神話に登場する西風を司りし神様ゼピュロス(Zephyros)の英語名。そこから英語で「西風」との意味を持つようになりました。
それも決して強風ではなく「優しい風、そよ風」というニュアンスがあるとか。
シンプル・イズ・ベストを目標に奇をてらわない端正なスタイリングを構築し、造形が美しくかつ乗り手を急かさない空冷インライン4エンジンを搭載した車両には実にピッタリなネーミング。

●ルーツをさかのぼれば1979年に登場し、ホンダCB400フォア以来の400㏄直4エンジン搭載車として大ヒットを飾る「Z400FX」まで行き着く空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブのパワーユニット。1983年に登場したGPz400Fでは54馬力に到達していた心臓を、あえて46馬力までデチューンしてゼファーに採用したことが、結果的に大ヒットへとつながります(後述)
もちろん頭文字がリスペクトに値する偉大な自社ブランド「Z」であることも大きなポイントですね(後日聞いた話だと、名前の決定にはやはり相当苦労したとか……)。
高くなるばかりのレーサーレプリカへ強烈なアンチテーゼ
さて、ないない尽くしのゼファーでしたが、とあることがなかったからこそ大ヒットにつながったという説もございます。
それが……「お高くない」ということでした。価格はズバリ税抜き52万9000円。
奇しくもゼファー登場からさかのぼること1ヵ月、1989年3月にライバルとの差を一気にひっくり返すべく、サーキットで培ったレーシングテクノロジーを全投入してカワサキがデビューさせたレーサーレプリカの極み、ZXR400は68万6000円。SPレースでの戦闘力をより高めたZXR400Rには72万3000円というプライスタグが付けられていました。

●前モデルのZX-4から360度……いや180度方向転換し、コッテコテのレーサーレプリカへと大変身したZXR400。アルミ製ツインスパーフレームは縦120×横30㎜の日の字断面押し出し材。当時はまだ珍しかった倒立式フロントフォークを採用し、アッパーカウルからタンク上部へ続くホースはエンジンヘッドへ冷気を送るK-CAS……。ゼファーと同時期、同じメーカーが造っていたとは思えないくらいの極めっぷり。なりふり構わぬ勝利への渇望が見てとれます
ちなみに3年後、さらに戦闘力を上げる全面的な改良が施されたZXR400の1991年モデルはSTDが73万9000円、Rが83万9000円です。
ホンダ、ヤマハ、スズキの同ジャンル車両価格も、ほぼ同様のインフレーション曲線を描いて高騰を続けていきましたが、ゼファーは2バルブの最終型となる1995年モデル(ZR400-C7)に至るまで不変の52万9000円〈上記プライスは全て税抜き車両本体当時価格〉でした。

●1995年式ゼファー(ZR400-C7)カタログより。初代唯一の青色……メタリックソニックブルーが追加され全3色のラインアップとなった最終型。阪神淡路大震災の影響で発売日が1ヵ月延期され、3月15日になったというエピソードもございます。前年の1994年にはZRXが発売されたこともあり、筆者はこの年式を最後に“西風”は消えていくものとばかり考えていました……が!
次回はそんなゼファーが大……いや、超……いや、空前絶後のブレイクを果たしていく過程をご紹介してまいりましょう!