おぉ、日本のナナハン!
ボクは長らくカワサキ『W1SA』(1971年式)を愛車の1台として所有してきたこともあり、旧いオートバイに乗った諸先輩方に仲良くしていただき、部品のことで相談に乗ってもらったり、整備のことで助けてもらったりしています。
旧車乗りの先輩たちは、普段なかなか見ることのできない昭和の名車たちに乗っていて、雑誌やネットだけで知り得ない貴重なハナシをアレコレと教えてくださいます。先日は『ホンダドリームCB750FOUR K0』(1969年)に乗っているTさんに、愛車を見せていただきました。どうですか、この堂々たる姿! 日本の誇るナナハンです!
条件はライバルよりデカイこと!
1960年代〜、最大の二輪市場は北米。現地アメリカン・ホンダ・モーターからは、新製品の要請が国内の開発部門に寄せられていました。1965年に発表した『ドリームCB450』はヒットには至らずで、次期ニューモデルが現地より求められていたのでした。
“Bigger is better”
アメリカン・ホンダからは、とにかく大きければ大きいほど良いという漠然とした要望がありました。当時の国産バイクでは、650ccがもっとも大きく需要も数%しかありませんでした。ボクが乗っているカワサキW1系が国内では最大だったわけで、北米市場では英国車が優勢でした。もっと排気量が大きくパワーのあるエンジンが必要だと、ホンダは考えたのですね。
4気筒をアピールするための4本マフラー
イギリスのトライアンフが、3気筒、750ccの高性能車を開発しているという情報を掴むと、これが契機となって1968年2月に、開発プロジェクトがはじまります。
排気量は750ccに設定。ホンダは1966年の世界グランプリで、史上初の5クラス完全制覇を成し遂げ、翌年にロードレース世界グランプリから撤退。グランプリマシンの直系であることを直ちに感じさせる、4シリンダー、4本マフラーのエンジン構造を基調とし、アメリカ人好みのアップハンドルに仕立てます。
ライバルは、トライアンフ、BMW、ハーレーなど。これらに対抗できる性能と信頼性の確保が必要でありました。
ナナハンブームを巻き起こす!
『ホンダドリームCB750FOUR』がアメリカで発表されたのは、1969年1月、ラスベガスで開かれた全米の2輪ディーラー大会でのこと。日本からは社長の本田宗一郎も出席。ホンダにとって初の大型機種です。ビッグマーケットで成功しなければという意気込みがあったのでしょう。
発売価格は1495ドル。アメリカでの大型バイクの価格は、2800ドルから4000ドルだったことから大好評でした。注文が殺到し、年産計画台数であった1500台が月産台数になり、月産計画はさらに倍の3000台に引き上げられます。
1969年(昭和44年)8月10日、全国標準現金正価38万5000円で、日本国内でも発売されました。
堂々たる風格、最大出力67馬力を誇る驚異のパフォーマンス、「超弩級オートバイ、遂に登場」と、ナナハンブームを巻き起こします!
レースでも活躍した
レースでも『ホンダドリームCB750FOUR』は実力を存分に発揮します。日本では1969年8月に、技術研究所の社内チームが鈴鹿10時間耐久レースに出場。1位と2位でフィニッシュし、完全勝利を収めています。
アメリカでは1970年3月のAMAデイトナ200マイルレースで、ディック・マンが乗って勝利。アメリカでも同車の人気を不動のものとしました。写真は1973年、デイトナ200マイル6位入賞の『CB750レーサー』。画像提供:ホンダモーターサイクルジャパン
1972年にはカワサキが『900 SUPER4』(Z1)をアメリカに輸出し、好評を得ました。日本のメーカーが北米市場でも受け入れられ、4気筒が人気を博す時代へなっていくのです。
貴重な『ホンダドリームCB750FOUR』の走行シーンや排気音、オーナーの濃厚解説を動画に収めましたので、ぜひご覧ください! 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。