1978年に登場以来、大排気量単気筒ロードスポーツ市場で快走を続けたヤマハSR400/500に対し、FT400/500、GB400/500 ツーリストトロフィーシリーズ、CB400SSと次々に刺客を放ったホンダ。実は途中で「CL400」という“スクランブラー”テイストに満ちたモデルも送り込んでいました。今回はCB400SS登場の伏線となった悲運の名車についても取り上げましょう!
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平成になって早々、消える可能性もあった「SR」!?
ビッグシングルロードスポーツ市場の熱いシェア争奪戦において、分水嶺となった1985年。
ヤマハは技術的な面では“退歩”にも思えるドラム式フロントブレーキを「SR400/500」へ装着し、同タイミングでよりスポーティな「SRX400(SRX-4)/SRX600(SRX-6)」もリリースするという驚きの“二刀流”を敢行!
対するホンダは2年前に登場してスマッシュヒットを記録した「GB250クラブマン」の兄貴分という触れ込みで同年、「GB400/500 ツーリストトロフィー」シリーズを市場へ投入して覇権を狙うものの大きな盛り上がりを見せることなく、早々に撤退をしてしまいます。
最大級の警戒を行っていたホンダGB-T.T.艦隊を駆逐(いやGBの自滅に近いか?)したことで、ヤマハSR&SRX連合軍は安泰……と思いきや、そうではありませんでした。
世はまさにレーサーレプリカ全盛期であり、当時まだ決して大きな“パイ”ではなかったビッグシングルロードスポーツ市場にて珠玉の2台がシェアを食い合うことで主にSRの販売台数は減少していき、1989年の年間販売台数は1500台程度にまでに落ち込んでしまいます。
ちなみに同年の400㏄クラスベストセラーはホンダ「VFR400R(NC30)」で、販売台数は約1万1000台!
あとビッグシングルではありませんけれど、水冷Vツインエンジンのテイスティモデルとしてホンダ「BROS プロダクト2(ブロス400)」が2800台弱を売り上げてランキングの10位に食い込んでいましたので、
SRの1500台そこそこという数字かつ、トップテンから遠く圏外という順位の低さは寂しい限り……。
ヤマハ社内では「もう10年以上も売ってきたのだし、すでに進化版とも言うべきSRXもある。SRシリーズはここいらで幕引きとするべきでは?」と生産終了が真剣に検討されていたそうですから、歴史の綾(あや)というのは本当に不思議なものです。
ネイキッドブーム到来とともにレトロ車が大増殖!
ところが……そう、昭和が終わり、平成の元年となった1989年というのは、一連の“名車あれやこれやコラム”でも何度となく取り上げてきたとおりカワサキ「ゼファー」登場の年!
つまりは巨大なネイキッドブームが巻き起こり、レーサーレプリカブームの終わりが始まった大転換イヤーであります。
かくいう時節に底を打ったSRの販売台数は、1990年、1991年、1992年とV字急回復を見せていきました。
それはそうでしょう。
時代そのものが“最新が最良! 極限の速さを競い合うんだッ!!”というベクトルから、“温故知新、のんびり自分なりのペースを楽しむべ”という方向に激変してしまったのですから、ユーザーは先を争うようにネオレトロなモデルへと飛びついていきました。
ゼファーだ、ゼファー750だ、ゼファー1100だ、GB250クラブマンだ、エストレヤだ、カタナだ、SRV250だ、CB400FOURだ、XJR400だ……。
いや待て、そもそもネオレトロどころか1978年から姿を変えていないシーラカンス的なガチレトロバイクがあるじゃないか!
かくして「SR400/500」は“再発見”され、当のヤマハ発動機自体も驚くほどの爆発的人気を獲得していきます。
何と言っても1996年には約9000台を売り上げたというのですから、ハンパな確変フィーバーではありません(ハンパないって構文はあえて封印)。
渋いイケオジからミセスライダー、免許取り立てのガールズ&ボーイズまで「猫も杓子もSRなのでR(←あ~る:ABC文体 by嵐山光三郎)」なんて世界が到来するなんて、バイクギョーカイ関係者であろうと誰一人想像すらできなかった事態だったのです。
空前のカスタムブームもビッグシングル人気を後押し!
いやホント、当時はモーターサイクリスト編集部員として雨後のタケノコのように設立されてくるSR関連カスタムショップを数多(あまた)取材しつつ、“クラリスワークス4.0”を泣きながら操作して必死にデータベース作りをしていったもの……。
時を同じくして並列4気筒ネオレトロネイキッド系カスタマイズも当然ながら大人気でしたし、新たにTW系やビッグスクーター系のカスタムブームまで勃興し始めたころでしたから、誌面内容も自然とそっち寄りになっていきましたね。
走行性能をチェックする伊豆箱根でのワインディング取材が大幅に減って、都内近辺の“オサレ”かつ申請すれば撮影も可能なオープンカフェや公園での静的撮影が二次曲線的に増え、モデル事務所やウエアメーカーとの交渉に忙殺されていた日々を懐かしく思います(遠い目)。
閑話休題、そんなどんどん“パイ”が大きくなっていく美味しい市場を他メーカーだって見逃すわけにはいきません。
1997年4月にはスズキが本気と書いて“マジ”と読む、超本気なSR400対抗ビッグシングルロードスポーツ「テンプター」を突然新登場させて市場のドギモを抜きます。
ホンダ3度目の挑戦は“スクランブラー”で!
そして翌1998年9月……、ようやく今回の準主役にたどり着きました(汗)、ホンダ「CL400」の登場です!
GB-T.T.シリーズの戦略的撤退から10余年。
相変わらず……どころか、デビュー20周年を迎えようという状態なのに、ますます人気を加速させていくSRに対して一矢報いるべくホンダが採った作戦は、真正面からのぶちかまし……ではなく往年のスクランブラースタイル復活という奇策でした。
「CL」というブランドはホンダが1960年代から1970年代にかけて販売していたスクランブラー(オンロードモデルをベースにオフロード走行も考慮した各部変更を施した仕様)のもの。
具体的にはブロックパターンのタイヤにアップマフラーやアップハンドルを採用し、タンクからシートへ連なる流れもアクティブなライディングを邪魔しないなだらかさを持つ……といったところでしょうか。
前年、1997年の第32回東京モーターショーで参考出品されて好評を得たことから市場へ投入されたブランニューモデルは、SRの魅力を徹底的に研究したことがひと目で分かる仕上がり具合でした。
シンプルなセミダブルクレードルフレームに搭載され、確固とした存在感を放つ空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは、オフロード専用モデル「XR400R」用パワーユニットをベースに一般公道での扱いやすさを深く追求したもので、そこから出てくるエキゾーストパイプは優美な曲線を描きつつ途中からクロームメッキも美しい遮熱カバーをまとい、わずかに天を向くキャブトン風サイレンサーへと連なっていきます。
もちろん始動方式はキックオンリー!
とはいえ、始動時のみ自動的に圧縮を抜くオートデコンプ機構と信頼性の高いCDI式マグネット点火などが採用されており、「右側のステップを畳んでサイドスタンド状態のバイクにまたがりキックペダルをゆっくり踏み降ろしてピストン上死点を探ってから一番重くなったところでデコンプレバーを握りキーをオンにして軽くなっているペダルを一番上から勢いよくキック!……するもうまく火が入らずシュッ!とペダルが戻ってきて右足にブチ当たり(=ケッチンを食らう)イテテテのテ……〈※始動するまでバイクにまたがるところから繰り返す *慣れればケッチンを喰らうことは減る〉」といったSRでは当たり前の“儀式”が大幅に簡略化されていることも「CL400」のアピールポイントでありました。
実際、常にしっかり整備がなされている広報車だと筆者の体格(身長178㎝、体重92㎏ ※当時の装備重量)ならば上死点をきっちり探さないまま雑にキックペダルを踏み降ろしても、あきれるほどあっさりエンジンが動き出したものです。
調子に乗って腕でペダルを押し下げてみたら、これまた簡単に「スタタタタタッ……」と始動したのには正直驚きましたけれど。
そんなこんなで「SRを撃墜する……とまではいかなくとも、結構いい勝負はするんじゃないのかなぁ?」という外野の勝手な想像とは裏腹に、以降「CL400」はマイナーチェンジどころかカラーチェンジすら行われないという、まさかの放置プレイがスタート。
あまつさえ2001年にはエンジン、フレーム、足まわりなどの主要コンポーネントをそっくり受け継いだ「CB400SS」が登場して存在感はさらに希薄となり、平成11年排出ガス規制をクリアすることなくひっそりフェードアウトしてしまいました(2002年までには生産が終了したとのこと)。
想定外の不遇さだった「CL400」のバイクライフを思い返すたび、脳内には“解せぬ”の3文字が飛び交ってしまうのですが、なんと「CL」ブランドは今年の5月から令和の大ヒットモデル、ホンダ「レブル250」のエンジンとフレームなどをうまく活用したスクランブラースタイルの新型車「CL250」として大復活!
これまでのCLヒストリーを振り返る雑誌やウェブのお約束企画で「CL400」が引っ張り出されて数多くの人の記憶に残っていくとしたら、それに勝る幸せはございません(←誰目線!?)。
CLからCB……ビッグシングルロードスポーツの定番へ
いやぁ、またまた引っ張り倒してしまいましたが、ようやく今回の主役にたどり着きました(確信犯)。
そうなのです。「CB400SS」は、「CL400」と一卵性双生児のような関係性を持つモデルで、キックのみのエンジンスタート方式もスリムなボディもフロント19インチ、リヤ18インチタイヤがもたらす軽快でありつつ落ち着いたハンドリングも「CL400」から受け継いだ美点。
さらにこちらは平成11年排出ガス規制にも適合され、地味ながらSR400のファンとは明らかに異なる、よりライトな層の支持を取り付け、いずれも短命だった諸先輩方とは違って長期間にわたるセールスが続けられていくことになりました。
デビュー翌年の2002年には前回チラリと紹介した「CB400SS Urban Cafe」が全国限定100台で登場。
ロケットカウルにアルミロングタンク(!)にシングルシートにセパハン、ショートタイプマフラーなどなど令和5年の現在、冷静な目で眺めてしまうと「よくこんなモデルを出せたなぁ……」と感嘆してしまうほどのこだわりっぷり……。
そんな話題満載な限定車で衆目を集めつつ小まめに新色が追加され、そしてなんと2003年12月に発売が開始された2004年型ではキックペダルを残しつつセルモーターも追加で装備されて利便性を大幅に向上。
SR400への強烈な対抗意識をなくしたことで、逆にいい意味での棲み分けができるようになったというのは面白いものですね。
さて次回は、かくいう「CB400SS」と「SR400」の終焉へ至る道のり、そして現在の状況と……やっぱりスズキ「テンプター」についても少々(?)語ってしまう予定です。
あ、というわけで「CB400SS」とその前身となった「CL400」は出来映えもバッチリなMade by HONDAの400シングルスポーツ。スズキ「テンプター」ともども、“今”乗れば注目度もバッチリなことは太鼓判です。ただ……あえて始動の“儀式”にこだわり、カスタムパーツの豊富さまで考慮するなら、やっぱりヤマハ「SR400」一択ですね(笑)。自分に合ったモデルはどれなのか、ぜひお近くのレッドバロンスタッフに相談してみてください!