レッドバロンのメディア試乗会でGPZ900Rに乗り、昔の愛車「ZX-10」を思い出した筆者。後編では、入手した経緯と思い出、インプレ、そして最初のゼファーの行方もお届けしたい。もうしばらくお付き合いのほどを!
※前編はコチラから

会社を辞めてユーラシア大陸横断、その後も乗り続けた

ZX-10を買ったのは1996年末。大型二輪免許の教習制度が同年に始まり、さっそく免許を取得した。

ヤングマシン編集部に勤務していた僕は、空き時間を見つけては教習所のレインボーモータースクール和光に通った。一発試験で取らないことに後ろめたさはあったが、大型2輪教習の詳細をスクープした経緯もあり、実際に教習を体験したかった。そして何より、多忙のため、免許を短期間で確実に取りたかったのだ(これまたご多分に漏れず、諸先輩方から馬鹿にされた笑)。

ZX-10は、編集部アルバイトの知人から購入した。ワンオーナーの'88年型で走行距離1万km台、価格は言い値の45万円。10年落ちの逆輸入車なので、当時の相場はこれぐらいだった。同行したアルバイト君は「なんで値切らないんですか?」と不思議がっていたが、値切るのが申し訳なくなるほどの極上車だったのだ。

キレイな状態で乗っていたのだが、会社を辞める直前、1999年に悲劇が起きた。
締め切りと校正で徹夜が続き、バイクに乗れる状態ではなかったので御徒町にある会社脇の路肩に駐車し、電車で帰宅した。
翌日、右側のアッパーカウルとミッドカウルがバキバキに割れていた。そこには会社絡みのバイクが5台ほど停まっていたのだが、夜間に何者かがバイクを全てなぎ倒したらしい。私のZX-10は運悪く、花壇状の縁石にヒットし、とりわけ重傷だった。

バキバキのカウルのまま会社を辞めて半年後、ユーラシア大陸横断の旅に出ることになる(旅の話は、僕の妄想では文庫本6冊の大ボリュームで出版される予定なので割愛)。

――その間、ZX-10は実家の物置に保管した。再び対面したのは、1年半にわたる海外放浪の後。カバーを開けてみると……ネズミの糞尿と毛まみれに! 悪臭も凄かったが、カウルの内側まで糞がビッシリこびりついていたのは参った。

兼業農家である実家の物置には米やじゃがいもなどの農作物が置いてあり、バイクカバーの内側は格好のハウスになっていたのだ。可能な限り糞を落とし、近所のバイクショップに助けてもらいつつ、部品を交換して何とか再び走り出すことができた。

その後上京し、フリーランスで口に糊していくことになる。もちろんZX-10も一緒だ。身一つ、徒手空拳で確かなものがない自分にとって、相棒と呼べるのはコイツぐらいだった。

旅行先で仲良くなった北海道の友人に会うため、ZX-10でツーリングがてら渡道したのも思い出深い。延々と東北道を走るのは、まさにZX-10の本領発揮だった。

↑写真を撮るのも撮られるのも嫌いだったので、写真がない(笑)。が、家を捜索したら『ヤングマシン』記事の切り抜きを発見! 2008年、37歳当時のもので、レッドバロンさんにお邪魔している(笑)。若い。

 

↑同じ企画に登場した愛車。割れたミッドカウルは新品を購入した(物凄く高かった)。アッパーカウルは割れた部分をプラリペアで貼り付けていたけど、走行中にいつの間にか脱落し、行方不明に……。

【インプレ】GPZと似ているが、断然スポーティ!


ZX-10の走りは、GPZ900Rとほぼ別物だけど、エンジンのベースが一緒のせいか、やっぱり根底は似ている。

例のズオォォォ感はやや希薄になりながらもしっかり継承している。それでいて吹け上がりがとても軽やか。右手の動きにしっかり反応し、ビッグバイクビギナーにとって高回転パワーは昇天するほどに強烈だった。車体はやはり大柄な雰囲気だが、アルミフレームもあってGPZ900Rより断然、軽快。素直な運動性能に磨きがかかっている。

最高速はメーター読みで260km/h程度(もちろんクローズドコースでの話です)。もう少しイケそうな雰囲気もあったが、ビビリミッターが作動してしまった。

ライポジに関しては、オールマイティながらスポーティさを感じさせる。身長177cmの僕の場合、ハンドルの高さはヘソ位置で軽く前傾する程度なのだが、GPZ900Rよりグリップ位置がかなり遠い。ステップもややバック気味で、適度にスポーツできる設定だ。

ただし攻めようとすると、乾燥重量で222kgの重さが顔を出し、なかなか向きを変えてくれず、特にリアサスに腰砕け感が出てくる。おまけに片押し2ポッドのフロントブレーキがシャープに止まってくれない(曲がらないのは腕前のせいで、サスは整備不足の可能性もありますが)。

とはいえ、高速クルージングや流す走りはとても楽しく、気に入っていた。特に私の愛車はエンジンが好調で、上記企画でレッドバロンの「コンピュータ総合診断機ACIDM(アシダム)」のパワーチェックを受けたところ、後軸出力117.6psという結果に。20年落ちでこの結果は優秀だ。

ちなみに後継のZZ-R1100はZX-10よりズオォォォ感が強かった記憶がある。重厚さはより増していたが、素直な走りで何にでも使えるキャラクターはZX-10と変わらない。

↑初期型'88モデルのカタログ。写真の黒×銀と、赤×白が流通していた。ZZ-R1100の登場によって、わずか3年で殿堂入り・・・・・・。

16年乗って離別、今やほぼ絶滅危惧種に

結局、ZX-10には2012年頃まで乗った。アチラを直したらコチラが壊れるといった具合に完調を保つことが難しくなり、整備に自信がない自分にはストレスが溜まるようになっていった(こんな時レッドバロンで買っていたら、もっと長く乗っていたのかも、と思わなくもない)。

結局バイクショップに売却し、代わりに購入したのが2006年型のD-トラッカー。またもカワサキになってしまったが(笑)、現在の愛車だ。

振り返ってみれば、激動の時期を共に過ごした、思い出深い1台。・・・・・・では今欲しいかと言われると、結構欲しい(笑)。現在では絶滅危惧種と言えるZX-10。「譲渡車検」をクリアした、状態のいい車両ありませんか、レッドバロン様!

最後に。言い忘れていたが、ZX-10で北海道へ会いに行った人は今(のところ)、妻になっている。

【余談】初代ゼファーのてん末、ある事件が発生して不動車に・・・・・・

ZX-10を購入した'96年当時、乗っていたのは2台目のゼファーだ。過去記事で紹介した最初のゼファーはある事件のおかげで不動状態になり、自宅で保管していた。その直後、仕事でお付き合いのあったイラストレーターの方からタダで別のゼファーを譲り受けていたのだ。デビュー2年目のC2で、今度は赤だった(あの頃、ゼファーに乗っているライダーがとても多かったせいもあるが、考えてみれば幸せな時代だった)。

なぜ不動状態になったかと言うと・・・・・・ゼファーで夜間走行中に突然、大音量で「ガラガラガラ」という音が聞こえてバイクが止まった。エンジンが壊れた? と思い、停止してバイクをぐるりと見てみると、なんとチェーンが切れていた! どうやらチェーンが緩んでサイドスタンドか何かに引っかかり、切れてしまったようだ。

ゼファーのチェーンアジャスターは、エキセントリック式なのだけど、セルフメンテナンスだったため、しっかりボルトを締めていなかったのかもしれない。

切れたチェーンは、大部分がフロントスプロケットカバー内に詰まって、下側は垂れ下がっていた。チェーンが切れた場合、後輪がロックしたり、最悪チェーンがムチのように暴れて体に当たれば肉がえぐれてしまう。
――点検と整備を怠っていた自分を恥じた。

その際、同行していたのが’95年当時、ヤングマシン編集部の同僚であり、現在"ラフ&ロード”で企画・広報を担当しているセキネ君だ。僕の後ろを400カタナで走っていたのだが、切れたチェーンが当たったりせず、何事もなくてよかったと心底思う(先日、久々に仕事でズーム取材をさせてもらい、このチェーンの話が出て恥ずかしかった・・・・・・)。

部品取りにしようと不動状態のまま保管していたが、ZX-10の購入を機に、2台のゼファーとも知人宅へ「ドナドナ」(古い)されていった。5万円で引き取ってもらったのだけど、タダであげればよかった・・・・・・とずっと反省している。

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