今や世界的作家の村上春樹。本サイトで河西さんと青木さんが執筆している片岡義男のようにバイクが前面に出てくる小説はないものの、作中で印象的な使われ方をしています。元ハルキストの筆者がバイクの出てくる村上小説を3作挙げ、登場する車種についても推察していきます。

春樹について語るときに僕の語ること!?

やれやれ、どこから説明したものか。
僕はデスクトップパソコンを前に、適切な言葉を探していた。あまりに対象が巨大すぎて軽い失語症になっていたのだ。まるで8400ccV8のボスホスに挑もうとする免許取り立てのライダーのように。
「原稿はまだですか」ForRの担当者はメールを午前と午後に一回ずつ送ってきた。「原稿はいつもらえますか」
僕は東プレ・リアルフォース108USの軽い打鍵感を確かめながらメールの返信を書く。
「これは一つの参考意見として聞いてほしいんだけど――村上春樹の原稿は書くべき、なのかな」「つまり書かない可能性もあるんじゃないか」
担当者は24秒後に「ないです」とメールを送ってきた。「絶対にないです」
僕はため息をついて、この奇妙なメールにもう一度目をやる。僕に原稿を書けだって? おかしなこともあるものだ。何だか割り切れない気持ちのまま、僕は台所に行き、コーヒーを飲み、サンドイッチを食べた。自分が何を考えていたのか、僕にはもう思い出せなかった。僕はテーブルの上に散らばったサンドイッチのパン屑を手の平で集めながら、それを思い出そうと務めた。でも駄目だった。その記憶は意識の暗黒の辺土に戻ってしまっていた。

……スミマセン、いい加減やめます(笑)。初めて挑戦したけど、村上春樹の文体模写は難しいですね。
2005年頃まで、私は熱心な村上読者でした。10代の終わり、1989年頃に読み始め、1979年のデビュー作『風の歌を聴け』から2005年の『東京奇譚集』まで、全集のみ収録の作品も含め、ほぼ全て読んだはずです。

なぜ、そこまで熱心だったのか? 独特な文体、比喩の面白さ等、理由は色々あると思いますが、端的に言えば、小説の「気分」が当時の自分に必要だったから、でしょうか。
例えば、無情な世の中に対する苛立ちやら悲しみやらを奥底に秘めながら、淡々とやり過ごす……そんな内容がシックリきたのでしょう。

ただし心境の変化もあって他の小説を読むようになったので、'05年以降の作品は全く読んでいません。そこでデビュー作から'05年までの作品の中でバイクが出てくる小説を3作紹介します。
村上春樹はクルマ好きとして有名で、多くの作品にクルマが登場します。バイクは決して多くはないですが、いずれも記憶に残る使われ方をしており、乗り物への愛着を感じさせます。
※注……以下、小説のネタバレを含みます。

「ヤマハの一二五」、そして「赤」の意味

まず一つ目は『ノルウェイの森』(1987年)。初代NSR250Rが出た翌年の発売です。一躍、村上春樹の名を知らしめた大ベストセラーで、読んだ人も多いのでは?
車種は不明ですが、「ヤマハの一二五ccの赤いバイク」という表現があります。

僕はキズキの革ジャンパーの匂いとあのやたら音のうるさいヤマハの一二五ccの赤いバイクのことを思い出した。我々はずっと遠くの海岸まででかけて、夕方にくたくたになって戻ってきた。別に何かとくべつな出来事があったわけではないのだけれど、僕はその遠出のことをよく覚えていた。秋の風が耳もとで鋭くうなり、キズキのジャンパーを両手でしっかりとつかんだまま空を見上げると、まるで自分の体が宇宙に吹きとばされそうな気がしたものだった。
(講談社文庫版 上巻189ページ)

この記述は、舞台である1968年から「4年前」の出来事らしいです。当時のヤマハ125ccと考えると、'63年発売の「YAT1」かも? これならツーリング向けモデルでタンデムも可能です。

YAT-1

↑ヤマハのYAT1(右)。空冷2スト127cc単気筒を搭載し、車体色も赤です。写真はhttps://ydsclub.exblog.jp/25355351/より。


運転している「キズキ」は、主人公=ワタナベの高校時代における同級生かつ親友でした。
キズキは、高校3年の5月、自宅ガレージで「N360の排気パイプにゴム・ホースをつないで、窓のすきまをガム・テープで目張りしてからエンジンをふかせ」自殺します。
N360は、1967年に発売されたホンダのクルマで、こちらも車体色は「赤」。ヤマハもN360も赤なのは恐らく理由があります。
後の『海辺のカフカ』(2002年)で、スポーツカーに関する話題が出てきます。スポーツカーは車高が低いため、「なるべくまわりから目立つ赤にするべき」としながら、登場人物は目立ちにくい緑を選ぶ。なぜなら「赤は血の色」だから。
『ノルウェイの森』のキズキは、赤いバイクに乗り、赤いN360の中で死ぬことになります。「赤」はその運命を予告していたのでしょう。

イタズラ厳禁……江の島で事故ったバイクとは?

2作目は、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年)です。無職の中年男性である主人公が、笠原メイという16歳の女子高生と出会います(こう書くとライトノベルみたい!)。
彼女にはライダーの彼氏がいます。彼女は右足を軽くひきずっていて、目の脇に傷がある。
なぜなら「バイクのうしろに乗ってて、放り出されちゃったの」(新潮社単行本 第1部27ページ)。
やがて明らかになるのですが、彼氏は既に事故で亡くなっています。その原因はメイでした。
彼女は「ひどく苛々するし、無茶苦茶なことしちゃうの」(同 第2部296ページ)。それは「バイクに乗っているときに運転してる子を両手でうしろから目かくしする」(同上)ことでした。トンデモないタンデムライダーです(当たり前ですが、良い子は絶対にマネしないで下さい!)。

江の島の近く、かなりスピードが出ている状態で事故が起きました。
ただ私はぎりぎりのところまで行きたかっただけなの。私たちはそれまでにも何でもそういうことはしてきたのよ。ゲームみたいなものだったの。バイクに乗っているときに、うしろから目かくししたり、脇腹をちょっとくすぐったり……。でもそれまでは何も起きなかった。ただその時はたまたま……」(同 第2部298ページ)

このバイクは情報が全く出てこないので、車種は不明! 
あくまでイメージなのですが、個人的にはカワサキの400ccあたりかなと勝手に想像します。小説の主な舞台は、1984年6月から1986年の冬。メイが事故に遭ったのは'83年のようですから、'82年に発売されたZ400GPは可能性アリ。それに江の島に似合いそうです。

z400gp

↑Z400GPは空冷直4とモノショックのユニトラックシステムを採用し、'82年発売開始。角眼が特徴です。車体色はやはり赤?

大御所にダメ出し? こんなホンダの大型スポーツはないハズ

3作目は『アフターダーク』(2004年)。「私たち」という珍しい人称を使い、一晩の出来事が描かれる小説で、当時ファンの間ではあまり評判がよくなかった覚えがあります。
それはともかく、登場する車種は明確に描かれないのですが、ズバリ、ホンダのCBR1000RRと思います。
以下の記述があります。

ホテル「アルファヴィル」の入り口の手前、一台のバイクが止まる。ホンダの精悍な大型スポーツ・バイク。(新潮社単行本64ページ)

小説の時代はわかりませんが、「DVD」が出てきますし、小説が書かれた2004年当時と考えられます。『アフターダーク』が出版されたのが'04年9月、初代CBR1000RRは'04年3月に国内発売されており、つじつまが合います。
ただし、このバイクは後に「黒」と判明しますが、国内仕様に「黒」はありません! ですが、海外仕様には黒が存在。当時はまだホンダの逆輸入車が流通していた時代なので、逆車だったのかも知れません。
もっともCBR1100XXあたりの可能性もあります。これなら黒もありますしね。

CBR10000RR

↑私のイメージに最も近いのがCBR1000RR(写真は'04北米仕様)。次点はCBR600RR、CBR1100XXでしょうか。

ちなみにバイクに乗っているのは、売春組織の中国人です。フルフェイスのヘルメットを被り、ぴったりとした黒い革のジャンパーにブルージーンズ。深いバスケットボールシューズ。分厚い手袋をしています。

また、こんな描写も。

バイクのエンジンは、気の急いた獣のようにぽろぽろと深い音を立て続けている。(同66ページ)

いかにも4ストのリッターバイクらしい、見事な比喩です。
しかし、次の箇所がいただけません。

男はやがてヘルメットを手に取り、頭からかぶり、手招きして、女をバイクの後ろに乗せる。女は両手で彼のジャンパーにつかまる。(中略)男はペダルを強くキックし、アクセルをまわし、去っていく。(同67ページ)

当時、ホンダの大型スポーツ・バイクで「キック」スターター付きはゼロです。ホンダの大型でキック付きとなると'70年代の旧車までさかのぼる必要があります。CB750フォアはキック付きですが、「精悍な大型スポーツ・バイク」とは言い難いですよね。

フィクションなのだから厳密な整合性を問うのは無粋なのかもしれません。しかしながらバイク好きからすると残念な気持ちになります。その後もバイクと男は不気味な存在感を放つのですが、私はこの部分が引っかかって続きが今一つノレませんでした。
もちろん雰囲気が合ってればOK、という見方もアリだとは思います。

……待てよ。キック始動ではなく、ただペダル(ブレーキかシフト)を蹴った、という意味なのかも。それなら不思議じゃない!?

<まとめ>作品世界を象徴する小道具かも

村上春樹の小説は、(極端に言えば)全て生きることと死ぬことについて書かれていると思います。まさにバイクはその象徴となるアイテムでしょう。ドンピシャすぎるのか、その割にあまり出てこないのですが……。
なお、今回挙げた3作のほか、『1973年のピンボール』(1980年)にも、「250ccのバイクの背中に女の子を乗せ、川沿いの坂道を何度も往復した」という一文があります(こちらも車種は不明)。
自分の記憶では、'05年までの作品でバイクが出てくるのはこの4作品だけのような気がします。勘違いでしたら申し訳ございません。「他にも出てくる」というハルキストのライダーがいたら、ぜひ教えてください。もちろん'05年以降の作品に関しても、ご存じの方は御教授ください! え、自分で読めって? やれやれ……。

SHARE IT!

この記事の執筆者

この記事に関連する記事