大人の事情が見え隠れする馬力自主規制の影響により、1992年いっぱいでレーサーレプリカ、いや全ての250㏄バイクは2スト、4ストを問わず最高出力が40馬力以下となりました。各メーカーはパワーダウンへ真摯に対応して魅力を維持しようと努めますが、すでにユーザーの心は遠くへファラウェイ。人気を誇った大ブランド“FZR”も、その流れには抗いきれなかったのです……。

1994年FZR250Rカタログ表紙

●1991年ころから流行(はや)り始めていた刷毛で殴り塗り(?)したかのようなブラッシュパターンとグラデーションカラーの組み合わせ。個人的にはこのFZR250Rのものが最高到達点ではないかと考えております。繊細な色の変化を見せていくヤマハならではのブロックパターンに“完の璧”な各ロゴの配置や配色……。ちなみにタンデムシート直下に書かれている文字は「DELTABOX COMBINATION」で、メインフレームとスイングアームがともにデルタボックス構造であることを表していました。ああ、「いちいちカッ(以下略)」

 

FZR250Rというフィナーレ【中編】はコチラ!

レーサーレプリカブーム、終わりの始まり

1994年3月22日、ヤマハ「FZR250R」の最終型が発売を開始いたしました。

FZR250R_1994_73

●こちらがFZR250Rの有終を飾った1994年最終型(3LN7)。スタイリング自体はプロジェクターヘッドライトを導入した1990年型(3LN3)から変化していないのですけれど、カラー&グラフィックの差違化がとにもかくにも秀逸で、受ける印象はハッキリと異なっていました。1993年型(3LN6)以降、サイレンサーがキンキンキラキラなクロームメッキ仕様になっていた影響も大きかったですね〜

 

メカニズム的には40馬力化された1993年型をキャリーオーバーし、今見れば非常に“時代”を感じさせるブラッシュパターンのグラフィックにホイールと同色のパープル系をなじみこませたモデルで本当にスキのない仕上がり具合。

1993年FZR250R

●話が出たついでと言ってはナンですが、1993年型「FZR250R(3LN6)」のカラーリングも紹介しておきましょう。左の白(×赤)はド定番のブロックパターンがカッコよろし。右の黒もボディサイドを大胆に走るグラフィックは色が違えど“ラムちゃん”のビキニみたいでたまりませんなぁ。そんな、ニューブラックブルーの実車両を筆者は今までの人生で一度も見かけた記憶がございません……(汗)

 

まさに筆者がよく使うフレーズ「いちいちカッコいいヤマハ」の面目躍如たるスタイリングであり、ヤマハ250㏄並列4気筒レーサーレプリカの最後(※あくまで2023年7月現在←新生250㏄4発、期待してますよヤマハさん!)を飾るに相応しい完成度でした。

「FZR250R」のメーカー希望小売価格は税抜きで59万9000円

同時期のライバル、ホンダ「CBR250RR」が同62万円

1994年型CBR250RR

●40馬力化されてリリースされた1994年型「CBR250RR(MC22)」は、結局並列4気筒CBRとしては最終型(※2023年7月現在)となってしまったホンダ250スポーツの雄。L.C.G.(低重心)アルミフレームにガルアーム(カモメの翼のようなアルミスイングアーム)がド迫力でした〜。なお、1990年型にて725㎜と発表されて関係者のドギモを抜いたシート高は1992年型から735㎜となりました……といっても十二分に低いのですけれどね

 

カワサキ「ZXR250」が同60万9000円でしたから

1994年型ZXR250

●1994年型「ZXR250(C4)」。まさにブラッシュブラッシュ!しているワークスカラー(緑×白×青)のグラフィックが今となっては新鮮ですね。なお、40馬力化された前年の1993年型からスポーツプロダクション(SP)仕様の「ZXR250R」は消滅しております。ちなみにスズキ「GSX-R250R」は1989年型を最後に早々と退場しちゃいました……(入れ替わりにバンディット250が登場!)

 

プライス的には一番お安かったくらい……というか今考えると、どのレーサーレプリカモデルだって内容を考えれば信じられないくらいにロープライス(貨幣価値が変化していることを考慮しても)ですよね!

……駄菓子菓子、当時、大多数のライダーは(現在の視点でみれば)割安感全開な“40馬力のレーサーレプリカ”には見向きもせず、大ブームとなっていたネイキッドスポーツに“チョーお熱”だったのです。

恋は盲目

●恋は盲目……ではありませんが、一度勢いがついてしまうと止まらないのが好き嫌いの世界。時代の変化までからんでくるとトンデモなく大きな流れとなってしまいますわな。1994年、ネイキッドブームは本当にとんでもない勢いになっていました

 

バンディットという美学【後編】でも触れましたが、1992年以降に実施されたレーサーレプリカを狙い撃ちしたかのような250㏄、400㏄に対する厳しい馬力抑制化(名目上は日本自動車工業界とメーカーとのすり合わせによる自主規制……ですけれども、背後には旧運輸省などの行政指導があったと言われています)はライダーの意識を一変させるには十分なものでした。

それはそうでしょう、250で60万円、400なら80万〜90万円前後になろうかというレーサーレプリカを新車で購入後、さらに数十万円を追加して生粋のレース仕様としてサーキットのみをガンガン走らせる人というのは、全購買層のうちでもほんの一握り(←なおかつ激減の一途)。

ZXR400

●4ストレーサーレプリカ市場において最後まで“時代”に抗い続けたのはカワサキでした。写真は1999年型の「ZXR400R」(83万9000円)で、この最終型までしっかりとSP仕様の“R”を設定し続けたのです。まぁ、カワサキはレーサーレプリカムーブメントにトドメを刺した “時代” =ネイキッドブームを作り上げた張本人でもあるのですけれど (^^ゞ

 

かくいうクローズドコースで激しくシノギを削る世界があることは知っているし憧れてはいるものの、「ゆくゆくはライセンスを取得してバトルしてみたいなぁ」というちっとも来ない“いつか”を夢見つつバイトで稼いだ大枚をはたいてご購入

スロットルをこわごわ開けて途端に始まる急加速に、「うお~、すごいすごい。いつかコイツをしっかり乗りこなせるよう練習しよう~」と日々新たにゼロスタートから頑張り続けるスペック比較大好きな自称フレディ、自称ケニー、自称ケビン、自称アントン(!?)たちに売れていたのが、レーサーレプリカというジャンルでした(筆者自身がそうだったので、よ〜く分かるのです)。

パワーダウンしたレプリカなんて……(当時の総意)

最新モデル=先行していたライバルを圧倒するパワフルさがあるのは当然!というレプリカ信者達のサイフのヒモを緩め続けていた“正のスパイラル”が突然断ち切られ、4スト250クラスで言ったら、ひと昔前のVT250Fと同じ40馬力というスペックに心がときめかなくなってしまうのは必然でした。

「だったら“旬”のネイキッドに乗るべ」、「んだんだ、価格も割安だしな」となってしまうのは、ある意味で当たり前の流れだったのですね。

1994年型ヤマハXJR400S

●1993年3月からヤマハも遅ればせながら400ネオレトロネイキッド戦線に「XJR400」を投入し、周回遅れを一気に卍解……いや挽回。翌1994年にはオーリンズリヤサス+専用サイドカバー+ボディと同色ホイールを導入した写真の4000台限定バージョン「XJR400S」(58万9000円)をリリースして速攻で売り切り、破竹の快進撃ぶりをますます加速していくことになりました。そりゃメーカーだって飛ぶように売れるジャンルのほうへ注力していきますわな〜

 

現金なもので、その頃のバイク雑誌も企画の大多数はネイキッドバイク関連で埋め尽くされており、ぶっちゃけ、当時モーターサイクリスト編集部に在籍していた筆者が最終型「FZR250R」に触れた機会は1回のみ

それもライバル比較インプレッション取り……とかの試乗モノではなく、先輩編集部員がライディングウエア紹介企画での“にぎやかし撮影”用に広報車を借りて、返却前に行う満タン洗車(MC編集部内用語で「マンセン」)を担当したときの記憶しかないのです。

ファッション誌

●コレが1ページの誌面なら、後ろを向いているボーイの位置にFZR250Rを置いて撮影する……というイメージですね。モデルさんにまたがってもらったり横に座ってもらったり、さまざまな構図でシャッターを押したものです

 

もちろん会社から数百メートル先にあるガソリンスタンドへ直行することはなく給油前に東京湾岸プチツーリングをカマしたことは言うまでもありませんけれども(汗)。

そのときの印象は後で述べるとして、ヤマハだって大きな時代の変化をただ傍観していたわけではございません

え〜い、もうヤケだ(?)。裸族にしちまえ!

本来はレーサーレプリカ向けとして多大なる投資をして開発した250㏄並列4気筒DOHC4バルブエンジンをネイキッドバイクに落とし込むという、バンディットやバリオス、ジェイドやホーネット同様の方程式をヤマハも踏襲したのです。

それにより具現化されたモデルが1991年2月に登場した「ジール(ZeaL)」でした。

1991年ジール

●1991年型「FZX250 ZeaL(3YX1)」のダルグリニッシュブルーメタリック1は艶やかなイイ色でしたね〜。当時価格は53万9000円。先行していたバンディット250(45馬力)のセパハンとアップハンは51万5000円でしたし、1992年10月に追加されたコンチハン仕様(40馬力)は49万9000円。同時期にデビューしたホンダ ジェイド(40馬力)が47万9000円で、カワサキ バリオス(45馬力)は49万9000円。コスパだけの面でみると、ジールとライバルとでは大きな隔たりが……

 

いやぁ、気合いが入っていましたね~。

搭載されていた並列4気筒エンジンは、もちろん45馬力版FZR250Rをベースにしたものだったのですけれど、翌1992年から実施される40馬力規制へ前倒しで対応するため大規模な改良が行われていました。

EXUPを取り外した4-2-2レイアウトの右2本出しマフラーを導入し、キャブレターのセッティングや吸気系の取り回しも最適化

肝心のパワーユニット内部もバルブタイミングやミッション変速比などにバッチリ手を加えることで、最高出力40馬力を1万2000回転で(FZR250Rは45馬力/1万6000回転)、最大トルク2.7㎏mを9500回転で発生(同2.5㎏m/1万2000回転)する仕様へと転生完了です。

上記のとおり最高出力は大幅にダウンしましたが、なんと最大トルクは0.2㎏mも増大しており、ヤマハ開発陣の気合いの入りっぷりが数値からも伝わってまいりました。

そのエンジンを搭載する車体もこれまた並々ならぬ情熱の塊で、スチール製のダイヤモンド型フレームは当然のごとく専用設計

1991年型ジール赤

●デビュー当時、やたら「ダサい」「カッコ悪い」などという悪評を聞いた覚えもあるのですけれど、今見ればめちゃくちゃカッコいいように思えてしまうジール。気になるところを強いて挙げればシュラウドやサイドカバーに取って付けたような雰囲気があったり、右2本出しマフラーへ少々違和感を覚えるくらいのものでしょうか。もし程度のいい中古車を見つけたら、迷わず入手しても後悔はしないはずですよ〜

 

リヤ2本サス採用を見越した強固なシートレールを採用しつつ、シート高はFZR250Rと同じ735㎜という低さを維持。

そして外装は「ジャンプするイルカ」をイメージしたというGKデザイン謹製のスタイリッシュフォルムがイケてます(1991年のグッドデザイン賞も獲得)

ついでに言えばイメージキャラクターとして当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったイケメンタレント加勢大周さんを起用して、「シャイなあんちくしょう」というタイアップ映画まで製作し、並々ならぬ宣伝コストもかけられておりました。

シャイなあんちくしょう

●『シャイなあんちくしょう[VHS]』販売元:東映ビデオ(現在は製造中止)。タイトルとキービジュアルだけ見るとキャッキャウフフな青春ラブコメディみたいな想像をしてしまいますが、実際は「汚名の中で死んでいった父の無念を晴らすため、モトクロスライダーの青年が政治と暴力団の闇に戦いを挑む姿を描いた作品」……なのです

 

さっそく借り出した「ZeaL」(←熱中するという意味。Lが大文字なのは正式な車名表記)広報車に筆者がまたがってみると、とにもかくにも乗りやすい!

パイプハンドルを採用したアップライトなライディングポジションにリラックスをしつつ、ヒュ~~ン!と低回転域から湧き出る快音と太めの低速トルクとともに走り出せば、荷重移動うんぬんなんて難しいことは考えなくてもハンドルさばきだけで軽快に曲がっていくではありませんか~。

「こんちくしょうめ。ブチ熱中しちまった、いい出来じゃあ! こりゃ大ヒット間違いナシじゃのう!」とモーターサイクリスト編集部で中堅アルバイトになりつつあった筆者も偉そうに確信し、周囲のバイク悪友たちへジールの魅力をさんざっぱら言いふらしたものです。

……が、ギョーカイ関係者全員が驚くほどに売れませんでした

1992年型ジール

●最終型となった1992年型「ZeaL(3YX2)」……。エンジン外観がメタリックシルバーに塗装され(写真のフロストシルバーはシュラウド、サイドカバー、さらにはフレームとホイール全体までブラックアウト!)、マフラーやリヤサスなどにクロームメッキ処理を行い、フロントフォークのアウターチューブにバフ掛け……など各部の質感を向上させる化粧が行われて進化終了。数年後には新車ラインアップがらフッと消えたのです

 

馬力自主規制の猶予期間を最大限に活用して1992年いっぱいまで45馬力仕様を売り続けたスズキ バンディット250とカワサキ バリオスは順調に販売台数を伸ばし続け、真面目(?)に1991年型から40馬力としてデビューしてきたホンダ ジェイドとヤマハ ジールは完全に失速……。

馬力の差だけが販売の差だとは言い切れませんけれども、まだまだスペック至上主義がライダーの脳内に少なからずはびこっていた時代ではあったのです。

結局、ジールは1992年3月に細かなマイナーチェンジを受けたあと細々と売られ続けていきますが、気が付けばラインアップ落ち(ちなみにホンダは1996年にホーネットを発売して、一気に250並列4気筒ネイキッドスポーツのメインストリームへと躍り出ます!)。本当にバイクビジネスというのは難しいものです。

責務をまっとうしたFZR250Rは最終楽章へ……

と、筆者的にも思い入れのあるジールへのレクイエムが長くなってしまいましたが、FZR250Rのフィナーレを飾る40馬力版……1993年型(3LN6)と1994年版(3LN7)は、そのジールのエンジンをベースにヤマハ開発陣最後の意地が注入されたものなので、ぜひ触れておきたかったのです。

具体的にはバルブスプリングミッションなどのパーツを40馬力規制を受ける前のFZR250Rに使われていたものへと戻しつつ、キャブレターや点火時期、EXUP作動の設定などを事細かく入念にリセッティング

FZR250Rカタログ

●1994年型「FZR250R」カタログより。文面をよく読めばパワーダウンのことなんておくびにも出さず、逆に低中速域のレスポンスアップが向上したことを強調。あとは“トータル性能”や“過渡特性”が良好なこともしっかりと記載されております(勉強になるなぁ……)。当時この文章を書かれたライター氏のご苦労を偲びつつ、生み出された成果にリスペクト!

 

結果、最高出力を発生するポイントはジール比で2000回転上乗せされて、40馬力/1万4000回転。

最大トルクはジール比で0.1㎏mダウンの2.6㎏mとなり、そちらを500回転高い1万回転で発生……って少々分かりづらいですね。

シンプルにFZR250Rどうしで比較すると最高出力は45馬力/1万6000回転→40馬力/1万4000回転。

最大トルクは2.5㎏m/1万2000回転→2.6㎏m/1万回転となり、なんと規制後のほうがトルクフルに仕上がっており、低速域からの加速性能は40馬力モデルのほうが鋭いという状況に……

FZR250Rカタログメカ解説部分

●こちらも1994年型「FZR250R」カタログより。いやぁ、全身これハイメカニズムの結晶でありますなぁ……。40馬力化でブーブー言っていた当時のスペック至上主義ヤロウ(筆者を含む)たちはこの後、250㏄スポーツ暗黒時代(?)が到来して2ストはもちろんフルカウルモデルすら絶滅し、10数年経ってからようやくニンジャ250Rが31馬力の並列2気筒エンジンで登場したときに涙を流して喜ぶ、なんて想像すらしていなかったのです……

 

乗り手に優しい最先端マシンを最後まで開発して提供!

ここで話は40馬力最終型FZR250R、東京湾岸(ガソリン補給前)プチツーリングへと戻ります。

「オガワぁ、……まぁ、適当に走ってきてもいいから17時までにマンセン完了よろしく」と、ウエア企画を担当した先輩編集部員からのリクエストを14時過ぎにいただいた26歳の下っ端MC編集部員である筆者は、数百メートル先にあるガソリンスタンドを迷うことなくスルーし、佃大橋を駆け抜けて昨年(1993年8月)に開通したばかりのレインボーブリッジが待つ湾岸方面へとハデハデなFZR250Rを走らせました。

FZR250R真横

●タンデムシートだけ色を変えるという1986〜1988年型「NSR250R」のようなこだわりも見事に結実。どの角度から眺めても惚れ惚れいたします。なお、40馬力化された1993年型「FZR250R(3LN6)」から回転計のレッドゾーン開始は1万6500回転〜となりました(45馬力仕様=1万8500回転〜)。さらに言えば、3000回転からスタートしていた数値表示も0回転からとなり、アイドリング状態でもタコメーターの針が動くように……。そんなところからも「レーサー化が前提ではなくなったんだなぁ」と一抹の寂しさを感じたり感じなかったり!?

 

「ん? これってホントに40馬力仕様なの????」と頭に疑問符が何個も出てくるくらい、発進加速から次の信号までといった都市部を“流す”領域では本当に使い勝手のいいパワフルさが続きます。

あえてギヤチェンジせず高回転域までひっぱってみても、ジールより確実に一枚上手の吹け上がり感!

さすがにレッドゾーン近辺になると“回っているだけ”といった印象が増してきますけれど、開発陣が手塩に掛けて調律を済ませた澄んだエキゾーストノートは乗り手を確実に高揚させてくれます。

まぁ、どのみちそんな超高回転域なんて市街地では無用の長物ですしね……。極低速域からのトルクアップのほうがよほどうれしく、なんちゃって信号グランプリでもその威力は絶大でした。

落ち武者

●刀折れ矢尽き……。馬力抑制に環境諸規制強化、ネイキッド&ビッグスクーターブームの勃興などなど、レーサーレプリカにとって超逆風が吹き荒れるなかでも前のめりで進んでいったヤマハの意地を最終型FZR250Rからは強く感じたものです……

 

ハンドリングどうこうを語れるようなルートではないものの、ちょっとしたカーブをコーナリングしてみても全身に伝わるカチッとした剛性感はサイコー!

“ヤマハワークス直系のイイモノ”に乗っているという満足度の高さはやはりたまらないものがありましたネ。極太のアルミデルタボックスフレームは見た目が美しい上に形状も繊細なので、信号待ちのたびにのぞき込んでは手でも触れて、ニヤニヤが止まりません〜。

ただ、深く感動はしたものの平成6年の筆者は、「う〜ん、コイツってチョー大人気のCB400SF(ツートーン)と全く同じ59万9000円なんだよなぁ。今はやっぱりそっちを選ぶよなぁ……」と考えつつ満タン給油した後、編集部に戻ってきて何だか割り切れない気持ちとともに洗車を開始したもの。

1994年CB400SF

●1992年にデビューするや約2年間で1万7000台を売り上げる大ヒット作となったホンダ「CB400SF」。最初のマイナーチェンジとなった1994年型(写真はツートーンのラピスブルーメタリック×スパークリングシルバーメタリック=59万9000円)で燃料計、ハザード、立体サイドカバーエンブレムなどを採用して完成度をさらにアップ! ベストセラー街道をバク進していったのです

 

しかし、令和5年の筆者なら間違いなく「FZR250R」を選びます

レーサーレプリカは後世に伝えるべき“走る文化遺産”だとも考えておりますし……。

FZR250R 真横

●たった40馬力と言ったって、現行YZF-R25より5馬力も多い(笑)。真摯な開発を経たエンジンはもちろん、贅を尽くしたフレームやスイングアーム、サスペンション、ブレーキ、灯火類……そしてそれらが融合したスタイリングの価値は、これからも高まっていくばかりでしょう!

 

時代の証言者(車)を手に入れるには、今がラストチャンスなのかもしれません!

あ、というわけで「FZR250R」は45馬力仕様だろうと40馬力仕様だろうと、永遠(とわ)の価値を持つヤマハ開発陣こだわりの結晶だと言っても過言ではありません。延べ台数にすればとんでもない数となる車両を販売し、かつメンテナンスしてきたレッドバロンには現場から吸い上げられた膨大な知見がデータとして蓄えられており、アナタだけの1台を力強くサポート。ぜひお近くの店舗で在庫の有無や疑問点、不明点ほか何だって質問してみてください!

 

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