「プロジェクトBIG-1」の名のもとに初代CB1000スーパーフォアが誕生したのは1992年の秋。その思想は現在もCB1300スーパーフォア/スーパーボルドールに受け継がれ、2022年で30周年を迎えた。数あるホンダCBの中でも最長を誇るロングセラーモデルとなったBIG-1の魅力とは何か? 歴代BIG-1を生み出した開発者に話を聞いた。

●文:ヤングマシン編集部(宮田健一) ●写真:真弓悟史 ホンダモーターサイクルジャパン ●外部リンク:ホンダ

バイク大国日本を体現したフラッグシップネイキッド

時は遡ること30年前の1992年。レプリカブームの衰退に代わって巻き起こったネイキッドブーム、そしてビッグバイクブームの大本命として誕生したのが、初代BIG-1=CB1000スーパーフォアだった。故本田宗一郎氏がCB750フォアを前に語った「こんな大きいのに誰が乗れるんだ?」という名言を彷彿とさせるようなその圧倒的な存在感は、日の丸を体現したかのような鮮烈なカラーリングと相まって、まさしくバイク大国日本を象徴するフラッグシップとしての強烈な輝きを放っていた。

【’92 HONDA CB1000 SUPER FOUR(SC30)】CBR1000Fベースの直4を鋼管ダブルクレードルフレームに搭載。フロントサスペンションにはRC30の技術をダイレクトに受け継ぐΦ43mmの大径カートリッジフォーク、リアサスにはリザーバータンク付きの2本サスを採用して、ダイナミックかつエキサイティングな走りを実現。ビッグネイキッドの新たな時代を創造した。■全長2220 全幅785 全高1130 軸距1540 シート高800(各mm) 車重260kg ■水冷4スト並列4気筒 998cc 93ps 8.6kg-m ■タイヤサイズF=120/70R18 R=170/60R18 ●当時新車価格:92万円

その後もBIG-1は台頭するライバルたちを前に、1998年には排気量をさらに増した1300へ、2003年には現行のベースとなる2代目1300へと進化。その揺るぎない価値観は多くの支持を集め、時代が移ろうとも常にジャパニーズネイキッドの王道ド真ん中を突っ走り続けてきた。2022年10月には30周年記念車も登場。その鮮烈な輝きが、最強CBの伝説をさらに未来へとつないでいく。

【’23 HONDA CB1300 SUPER FOUR SP 30th ANNIVERSARY】30周年記念車はオーリンズ&ブレンボ装備の上級版SPを特別カラーで装飾。■全長2200 全幅795 全高1135 軸距1520 シート高790(各mm) 車重266kg ■水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブ 1284cc 113ps/7750rpm 11.4kgf・m/6250rpm 燃料タンク容量21L ■ブレーキ形式F=Wディスク R=ディスク ■タイヤサイズF=120/70ZR17 R=180/55ZR17 ●色:白×赤 ●車両価格:195万8000円 ●発売日:2022年12月15日(2023年1月9日までの受注期間限定)

究極のCB=BIG-1はこうして生まれた。〜BIG-1を作った男たち〜

プロジェクトBIG-1の30周年を記念して、その生みの親である原国隆氏をはじめ開発メンバーが当時の想いを振り返った。

【中央:原国隆氏】CB1000SFおよびCB1300SF(’98~’03)の開発責任者(ラージプロジェクトリーダー)を担当。耐久レーサーRCB/VF1000R/X4/ホーネットなども手がけた。【左:岸敏秋氏】CB1000SFおよび2代目CB1300SF(’03)のデザインを担当。CB400SF/RC45/X4/CBR1100XXなど有名マシンのデザインも氏の手によるものだ。【右:工藤哲也氏】CB1300シリーズ(’04~)完成車まとめを担当。オンロードだけでなくCRF1000Lアフリカツインなどオフロードまで数多くのテストに携わった。

 

気が付いてみると、乗りたいCBがない!

初代BIG-1ことCB1000SFから現在のCB1300SF/SBまで、そのプレスリリースには変わらぬ“5つの感動”が記されている。これこそがプロジェクトBIG-1の原点であり、自分たちが乗りたいものを作りたいと願った開発者たちの思いであった。究極のCB=BIG-1はどうやって生み出されたのか。その開発に携わった彼らが当時のことを振り返る。

原「私は昭和26年生まれの現在71歳。1968年の東京モーターショーにCB750フォア(K0)が出たときに、台上に飾られたマシンを来場者が羨望の眼差しで覗き込んでいる写真を雑誌で見たときの感動を今でも覚えています。それまで72/250/450とずっとCBを乗り継いできた私は、自然に次に乗るにはこれしかないとK0を手に入れ、やがてはホンダに入社するまでとなりました。入社式のときも500人ほどいた中で私ひとりそのK0で乗りつけ、門番さんに一般人と間違われて注意されたのも懐かしい記憶です。

やがて、浜松製作所勤務を経て研究開発に携わるようになり、市販車はもちろんモトクロッサーから耐久レーサーまで、あらゆるバイクを手がけました。でも、マシンの性能がどんどん進化していく一方で、私個人としては自分がK0の後に乗るバイクがないなと悶々と感じるようになっていったんです。K0で得たときの感動がどうしても忘れられなかったのです」

CBが与えてくれた感動、それがBIG-1の原点

開発者の思いとユーザーの声が市販化への道をつないだ
原「K0に乗っていた頃は感動の連続でした。200km/hに挑戦してみたりだとか、高速道路で暴れかける車体を必死に押さえつけながら駆け抜けたときの達成感だとか、左右出しマフラーから4発のボロロロッという音とともにあふれてくる加速感だとか。大きさも感動でしたね。K0はあの当時ものすごく大きく感じたんです。シートも高くて足はツンツンで頑張って乗ってましたけど、それが良かった。でも、気がつくとそんなK0の魅力が肌に染み付いていた私の心を奮わせてくれる次のバイクがなくなっていた。速さや性能を超えたところにある感動が欲しかったんです。そんな思いを抱えつつ、V型エンジン戦略時代やフルカウルレプリカ時代と長い年月が過ぎていったのですが、いつしか同じような思いを抱く仲間たちと、次に来るべきマシンはどうあるべきかと水面下で描くようになっていたのです」

岸「私も直4で育った世代で、1981年に入社。私は限定解除導入1年前に免許を手にしたのですが、後輩たちが苦労していたのを覚えています。ですが、その頃の彼らの目に映っていたのはすでに逆輸入車。しかも話題に上るのは他社製品。ホンダでないことを悔しく感じていました」

やがてネイキッド時代が到来し、ホンダも400ccにCB-1を投入するが予想以上の苦戦。これを挽回すべく後継機となるCB400SFの開発が決まったことで、BIG-1は現実のものとして大きく動き出す。

原「やがて大型バイクの時代が来そうだということも見えてくるようになりました。それでも当初は1000を市販する計画はなかったんです。あくまで400のためのイメージモチーフという位置付けでスタート。そこに自分たちの求めていた感動を整理して集約させました。岸さんは400ではなく1000のスケッチばかり書いていたよね。しかも、いつも白×赤ばかり(笑)」

岸「これに先立ち、CB-1にCB1100Rのタンクを載せたスケッチを描いてみたら、これがいい具合だったんです。日の丸のような赤×白のカラーリングは、ホンダが強かった時代をストレートに表現する象徴として、これ以上はないと思えたのです。400は1000で作り上げたデザインをそのまま落とし込む形で作っていました」

開発にあたり、岸氏が描いたスケッチ群。実は岸氏の中では当初からセクシー&ワイルドなそのイメージは定まっており、それを通すための説得材料として他のスケッチを描いていたのだとか。

原「1991年の東京モーターショーで1000のプロトタイプを展示したときも、市販化はまだ決まっていませんでした。まだ社内でも懐疑的な声が高かったのです。しかし、最終的に欲しいマシンを決めるのはお客様です。そこで皆さんの声に従うのが正しいのではないかということに。結果、おかげさまで好意をもって迎え入れていただけました」

東京モーターショーのCBは大きく話題を呼び、市販化にゴーサイン。翌年の鈴鹿8耐ではマーシャルバイクとして走り、豪快なウイリーも披露。リッターネイキッド時代の到来を我々に大きく印象付けたのだった。

※後編に続く

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