尽きせぬ慟哭と終わらない後悔
お待たせしました。では、前回から引っ張りました「ホンダNR転倒事件」の顛末から……。
1992年夏、乗鞍スカイラインで話題の520万円バイクを取材中、Uターンを失敗して0km/h立ちゴケをやらかしたモーターサイクリスト誌のアルバイター、ボンビー小川。
そりゃもう、目の前が真っ暗になるとはこのこと。ヘルメットの中で言語化できない叫び声を上げ続け、バツが悪くなったのか大学生サークル軍団は「それでは失礼しまーす」と早々に姿を消し、戻ってきたカメラマン氏は状況を見るなり「あー」。
とはいえ「落ち込んでいても何も進まないぞ」と叱咤激励を受けつつ、ページを構成するのに最低限なカットを押さえたあと、下界へ降りて公衆電話から編集部へと発信(約30年前、携帯電話は存在していたものの、まだ一般的ではありませんでした)。ライムグリーンの筐体へテレホンカードを吸い込ませたあと、ボタンを押す指がとても重たかったことを今でも覚えています。
「鷹揚な時代」と「保険」に救われる
報告を受けた大先輩は開口一番、高笑い。「ケガはしてないな? ならいい。やっちまったことはしょうがないんだから逆にそれネタにしちまえ。NRに土下座している写真とか、付けた傷を指さして泣いている図とか明るいうちに撮っておくこと。んじゃ、帰りは気をつけてな」。受話器を置いた瞬間、また腰が抜けた……(詳細は教えてもらえなかったのですが、NRには相当にスペシャルな保険をかけていたらしく売却時はピカピカの状態になっていました)。
雑誌作りに打ち込めた素晴らしき日々
大先輩の【お墨付き】を得た自分は、倒したことを開き直ったツーリングレポートを執筆し、後日ノリだけで[コケちゃんステッカー]なるものまで制作(読者ページのノベルティとして人気に)。以降も猪突猛進を続けているうち先輩諸氏の推薦と創業社長の興味もあったのでしょう、NR転倒事件を起こした翌1993年には八重洲出版の正社員として雇っていただけることに! それから四半世紀以上【趣味の世界を拓く】会社で、忙しくも楽しい日々を送れたことは今思い返してみても夢のようでした。
アルバイト時代と社員時代を含め、在籍中の大部分をモーターサイクリスト誌の編集部員として過ごしましたが、ピカピカのニューモデルに撮影会、試乗会、広報車を借り出しての性能チェックやツーリングテストetcで深く長く接することができるのですから、バイク好きにとっては本当にタマラナイ職場でしたね。
オーストラリア、ドイツ、イタリア、スペイン、アメリカ、台湾など海外で開催されるモーターショーやイベント、新車発表会へ何度となく足を運べたこともありがたい思い出。パスポートの必要な出張が決まるたび『1週間で分かる英文法』のような本を買い込んで勉強しはじめるのですが身についた試しなし。結局はどの国でも単語の羅列とボディランゲージだけで乗り切ったものです(←自慢にならない)。
驚きに満ちた世界へ飛び込むことに
ただ、編集生活は次々にやってくる締め切りとのエンドレスバトル。若い頃は気合いと根性でいろいろなことがリカバリーできていても、年々積み重なる華麗なる加齢は容赦なく身体(特に肝臓!?)を弱体化させていき、気が付けば少しバイクに乗っただけで節々が痛くなり、階段を上れば即刻ハァハァゼイゼイ状態となる3ケタ体重のメタボ野郎に……。
このままいくと親より先に自分が【コケちゃん】してしまいかねないという笑えない事態を重く受け止め、かつ将来的には同様の身体的悩みを持つベテランライダーの手助けができれば最高ではないか!……という思いから、51歳にして大胆なジョブチェンジを決意いたしました。
現在は専門学校生として東洋医学を中心に多様な内容を日々学んでいる最中です。まだまだ一介の学生ではありますが、長年蓄積してきたバイクの知識を織り交ぜながら、とても奥深い『東洋医学の世界』を少しでも分かりやすく面白く、読まれた方のお役に立つよう説明していければ幸い……と考えております。
ここまで読んでいただいた皆さん、お互い【120歳現役ライダー】を目指して頑張りましょう!