スズキの4ストローク版デュアルパーパスモデルと言えば、“DR”! ……なのですが、この輝かしいブランドが日本で終了……いや一時休止(と信じたい)してから10数年という月日が流れてしまいました。というわけで、空前のバイクブーム華やかりし1982年に生まれた、始祖である「DR250S」から、「DR-Z400S/SM」に至るまでの道のりをザザザッと振り返ってまいりましょう~!!

2000年型_DR-Z400Sカタログ

●いやまぁ、日本では2008年6月に発売された2009年モデルをもって「DR-Z400S」も「DR-Z400SM」も環境諸規制強化(具体的には平成19年排出ガス規制)の影響にて販売を終了したのですが、いまだ北米一部の国では両車ならびに「DR650S」でさえキャブレター仕様のまま、ず〜〜〜〜っと現役2024年モデルが発表されたばかりなんですけれどね。もちろん、その車両を大枚はたいて個人で逆輸入しても日本で新規登録はできません。FI化+触媒追加でなんとかならないものか……と書いてて今思い出したのですけれど、ABSとOBD(車載式故障診断装置)2なども新たに装備しないと、もはや日本や欧州ほかでは販売できないのでした。う〜む、令和ニッポンでのサプライズ復活はやはり難しいか……

 

 

DR-Z400SMというバケモノ【前編】はコチラ!

 

行動的に、俊敏に、イキイキと……ハッスル! ハッスル!

 

今や「ハスラー」と言ったら小洒落たデザインで走行性能もグンバツ(死語)“遊べる軽(自動車)!”のことになってしまいましたが、

SUZUKI ハスラー

●スズキ公式ホームページ(四輪)によると「HUSTLER」という車名は英語のハッスル「hustle」からきており、「あらゆる事に行動的に取り組み、俊敏に行動する人」というイメージとのこと。しかしながら調べてみると、他にも「張り切る」「ごり押しする」「乱暴に押しのけて進む」「詐欺師」「ビリヤードのプレイヤー」「ギャングの構成員」「ギャンブラー」などといった少々いかがなものか?といった意味まで……あるようです(^^ゞ

 

 

往年を知るオッサンライダーからすれば「スズキ入魂の2ストロークオフロード車、TSシリーズに付いていた愛称のことだろ、ワレェ!」と漫☆画太郎先生の絵柄に豹変して大声で叫びたくなるくらいの熱量がまだ残っています。

 

なお、「ポール・ニューマン大先生の傑作ビリヤードムービーでしょ、ウフフ♡」という方は、いい機会ですので是非DVD、ブルーレイ、ネット配信サービスなどで「1」と「2」を連続して再視聴し、ブランデーグラスでも傾けながら秋の夜長をお楽しみください。

ハスラーDVD

●写真は『ハスラー[DVD]』(通常版はアマゾンにて1800円)販売元:20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント。ビリヤードの世界で生きる主人公をポール・ニューマン氏が熱演(日本公開は1962年)。氏は続編の「ハスラー2」でトム・クルーズと共演してアカデミー主演男優賞を受賞(日本公開は1986年)! 日本でも空前のビリヤードブームが巻き起こりましたね〜。ちょうど大学に入ったばかりの筆者もイキって熱中したものです

 

 

……と、今回も初っ端から話が脱線問答(by NHK)しておりますが、「DR」を語るならやはりスズキバイク史のなかでも重要な位置を占める2ストオフロードモデルのビッグブランド「TS」を避けては通れません。

 

そんな「TS」シリーズ愛称として長らく使われていたのが「HUSTLER」だったのです。

 

そのペットネームを冠した最初の車両は1969年4月に華々しくデビューした「TS250 ハスラー」で、当時はまだ“オフロード”や“デュアルパーパス”という概念は広まっておらず、“スクランブラー”というジャンルでまとめられていたものでした。

ハスラー250

●写真は1969年式。「仮面ライダーV3」内でライダーマンの相棒として、ほぼ無改造で登場したことでも広く知られる「TS250 ハスラー」は、当時のカタログでも「ハスラー250」と記載されるなど、スズキは「TS」というブランドより愛称のほうを浸透させたかったようですね。ともあれ、ど〜ですか、お客さん! このカッコよさは〜。246㏄の空冷2スト単気筒エンジンは最高出力18.5馬力/6000回転、最大トルク2.36kgm/5,000回転の実力(乾燥重量127㎏、当時価格19万3000円)。別途用意されたシリンダー、キャブレター、マフラー、スプロケットなどのキットパーツを装着すれば、最高出力は25馬力までアップしたとか! 

 

 

その後、“TS○○ ハスラー”は着実に性能を向上させつつ、400㏄(!)、250㏄、185㏄、125㏄、90㏄、80㏄、そして50㏄と幅広い排気量で展開されていき、

ハスラー400

●1972年に登場した「TS400 ハスラー」(乾燥重量126㎏、当時価格23万3000円)。1971年の世界モトクロスGP500ccクラスチャンピオンマシン「RN71」をベースとし、一般市街地走行やオフロード走行も可能とした。……成り立ちからすればホンダ「RC213V-S」(2190万円)と同じですからね!? 始動の楽なプライマリーキックとデコンプを装備した396cc空冷2スト単気筒ピストンバルブエンジン(34馬力/4.2㎏m)にレーサースタイルのダウンマフラーを装備! 点火方式には常に安定した性能を発揮する無接点点火方式のPEIを採用し、足周りは優れた走行安定性を誇るセリアーニ(←英語読み。イタリア語読みならチェリアーニ)タイプのフロントフォークが採用されていました

大関さんとDR-Z400S

●2001年型「DR-Z400S」(税抜き当時価格64万8000円)カタログより。当時46歳、1982年全日本モトクロス125クラスチャンピオンほかの輝かしい戦歴を誇るレジェンド・大関昌典さんを表紙や中身の激走シーンカットに起用し、乗りやすさと奥深い高性能をアピールしていました。上で紹介した「TS400 ハスラー」と同じ排気量クラスのオフロードモデルなから約30年の時を重ねると、ここまで姿形は変わるものなのですね……。なお、「DR-Z400S」のエンジン出力は40馬力/4.0㎏m。さすが2スト、最大トルク値では「TS400 ハスラー」の勝ち!

 

 

数多くの不整地好きライダーが頼りにする相棒として日本の野山……いや、地球上のあらゆる場所を走破していったのです。

水冷ハスラー50

●初代は1971年に登場し1980年に最初のフルモデルチェンジ。そしてエンジンを水冷化して1983年からリリースされたのが写真の「TS50 ハスラー」です(そのカタログにも前述の大関さんが登場!)。49㏄水冷2スト単気筒パワーリードバルブエンジンは7.2馬力/8000回転、0.66㎏/7500回転を発揮するという“スーパーゼロハン”の一角(乾燥重量77㎏、当時価格17万5000円)。フロント21インチ大径タイヤやフルフローターリヤサスペンションの採用により本格的な走りも楽しめました。小改良を受けつつ、なんと1990年代後半までラインアップされ続けた息の長〜い名車。筆者が尊敬してやまないツーリングの現人神(あらひとがみ)、賀曽利 隆さんが世界一周の相棒として選んだのも水冷ハスラー50!

 

 

“秒進分歩”でバイクの新技術が進化していた時代

 

そして4ストロークに目覚めたスズキが「TS ハスラー」の開発&改良で得た知見を全注入しつつ、新開発のTSCCエンジンと革新の1本リヤサス、“フルフローターサスペンション”を融合させて、1982年4月に4ストデュアルパーパス市場へ殴り込みをかけたのが、「DR-Z400S/SM」のルーツとも言える「DR250S」でした。

1982_DR250S

●1982年型「DR250S」(乾燥重量114㎏、当時価格33万9000円)。TSCC(Twin Swirl Combustion Chamber=ツイン・スワール・コンバスチョン・チャンバー=2渦流燃焼室)とは、シリンダーヘッドに2つのドームを設けて、それぞれに吸気・排気バルブを配置するというアイデアで、吸入した混合気は燃焼室内で2つの渦流を生じるため燃焼効率が高まるというもの。そちらを導入して新設計された249㏄空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは22馬力/8500回転、2.0㎏m/6500回転を発生。50㎞/h定地燃費も56.2㎞/ℓを達成するなど、旅バイクとしての実力も隆……いや高し。というわけで、賀曽利 隆さんはこちらでも「南米一周4万3402㎞」という冒険を見事に達成されております

 

フルフローターサスペンション

●1982年型「DR250S」カタログより抜粋。フルフローターサスペンション(Full-Floater Suspension)とは、クッションユニットの両端をフレームに直接固定しないフローティング(浮動)構造のサスペンション。実ストロークを大きくできるため、ロードホールディング性の向上、快適な乗り心地、優れた操縦安定性などを実現しました。ホンダは「プロリンク」、ヤマハは「モノクロス」、カワサキは「ユニトラック」……各社が競うようにリヤ1本サス技術を煮詰めていった1980年代前半。その成果を我々は今やあらゆるジャンルのバイクで享受しているワケですね。なお同年、兄弟車として登場した「DR125S」もイケてましたよ〜!

 

 

同時期のライバルはホンダが「XL250R」、ヤマハは「XT250」、カワサキなら「KL250」でしたので、懐かしく思う読者の方も多いのではないでしょうか 

1981年_XL250R

●1981年型ホンダ「XL250R」(乾燥重量122㎏、当時価格33万8000円)。ホンダのデュアルパーパスモデルとして初めてプロリンクリヤサスペンションを採用したモデルです。248㏄空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは22馬力/7500回転、2.1㎏m/7000回転を発生。50㎞/h定地燃費は55.0㎞/ℓでした。公式リリースには「国内での年間販売は2万台を予定」とありますから、今となっては「アンビリーバボー!」としか言いようがありません……

 

 

筆者もちょうど山口の片田舎でモーターサイクリスト誌を読み始めた中学2年生の頃で、4メーカーから出そろった4スト&2ストオフロードモデルたちの比較試乗対決企画には毎回ドキドキワクワクさせられました。

 

それもそのはず、テスター役として(以下、敬称略)東福寺保雄、光安鉄美、鈴木忠男、佐藤健二、福本敏夫、岡部篤史ほか当代一流のモトクロスライダーがバイク誌の取材へズラリと登場し、それぞれのメーカーの看板を背負いつつモトクロスコースをデビューしたての市販車で(!)激走する様子が、カラーグラビアページをババババ〜ン!と飾っているのですからタマリマセン。

 

そしてペラペラとモノクロ活版ページへ移行すれば、スターライダーたちのインプレ座談会の模様がたっぷりの文字&ページ数でしっかり掲載されており、夢中になって読み進めると気が付けば数時間が溶けていたりして(笑)。

読書

●ピーク時には分厚くなりすぎて「電話帳」とも「時刻表」とも揶揄されたB5判バイク雑誌。毎月500ページ前後(最大800ページ!?)の大ボリュームで多種多様な妄想の材料となる内容が、たったの500円で購入できたのですから最の高!と言うしかありませんでした。……数年後、まさかその編集部で働くことになろうとは

 

 

一字一句を漏らさず何度となく反すうしてはデータなどを暗記して、毎日放課後に開催されるバイク好きな悪友たちとの口(くち)プロレス(←要は舌戦)に備えていました。

ちなみに、スターライダー比較試乗はデュアルパーパスモデルの企画に限った話ではなく、注目のオンロードスポーツをライバル対決させるときには木下恵司、河崎裕之、水谷 勝、清原明彦ほかロードレース界のビッグネームが、バイク雑誌編集部の貸し切ったサーキットに集合し、全開タイムアタックとトークセッションを行っていましたからね。

極論すればフレディ・スペンサーとケニー・ロバーツとバリー・シーンとコーク・バリントンらが一堂に会しCB、XJ、GSX、Zを走らせたあとでインプレを語り合ってもらうようなものですよ!?

 

本当にバイクブーム当時のバイク雑誌には夢が詰まっていました……。

 

とまぁ、どうでもいい昔語りはともかく、「DR250S」は同じ名前のまま、1990年1月に新設計の油冷エンジンと国内市販250㏄4ストロークデュアルパーパスモデル初の倒立式フロントフォークを引っさげて登場し、

1990_DR250S

●1990年型「DR250S」(乾燥重量117㎏、税抜き当時価格41万9000円)。249㏄油冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは29馬力/8500回転、2.5㎏m/7000回転を発揮! 同じ年にスズキ70周年記念車として油圧式車高調整機能(SHC=Suzuki Height Control)を装備した「DR250SH」(乾燥重量118㎏、税抜き当時価格44万9000円)が追加されました。これ、前後サスに油圧ジャッキが仕込んでありまして、ハンドル左側にあるダイヤルを操作いたしますと、Hi側でシート高が870㎜、Lo側で825㎜になるという画期的な機構! 45㎜も上下するなんてハンパないですよ〜、しかも車重はプラス1㎏のみ。短足な筆者も北海道ツーリング取材で大変お世話になりました。翌年1991年には“SH”にセルスターターを追加した「DR250SHE」(乾燥重量128㎏、税抜き当時価格48万8000円)も登場……と、印象的なバリエーションモデルが登場しました(1992年登場の初代「ジェベル250」もこちらがベース)

 

 

1995年にはまたまた新規で開発された油冷DOHCエンジン(31馬力!)とともに全身の軽量化を推し進め、なんと乾燥重量で111㎏を実現した「DR250R」をリリース! 

1995年DR250R

●1995年型「DR250R」(乾燥重量111㎏、税抜き当時価格46万9000円)。249㏄油冷4スト単気筒DOHC4バルブエンジンは31馬力/8500回転、2.8㎏m/7000回転というハイパフォーマンスぶり。シート高は885㎜だったのですけれど、40㎜低い845㎜を実現した“低車高仕様” も同価格で設定されていましたね。……が、当時はホンダ「XR250/BAJA」、ヤマハ「TT250R/Raid」、カワサキ「KLX250ES/SR」が高い人気を集めており、なぜか「DR250R」は苦戦。残念ながら、2000年2月に発売されたモデルが最終型となってしまいました

 

 

そして……何と言っても「DR」の称号を語るとき、このモデルを忘れてはなりません。

 

強い印象を残した大排気量シングルモデル“DRビッグ”

 

そう、“スズキの会長”(オサムさん!?)……いやいやいや、“スズキの怪鳥”こと、ラリー用ファクトリーマシン「DR-Zeta(ゼータ)」のレプリカモデル「DR750S」(1988年登場)と、「DR800S」(1990年登場)です。

DR750S

●輸出専用車である1988年型「DR750S」(乾燥重量179㎏)は、同年のファラオラリーで見事に勝利したファクトリーマシン「DR-Zeta」のレプリカモデルという位置づけ。軽量コンパクトでメンテナンス性の高い727cc油空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは、2つのキャブレターで1つのシリンダーへ混合気を供給する“デュアルスリングショットキャブレター”を装備していました(52馬力/5,9㎏m)。シート高は890㎜、燃料タンク容量は実に29ℓ! 10ℓと18ℓの灯油ポリタンク2つを足した総量より多いガソリンを飲み込むのですから、まさに怪鳥

Vストローム1050との比較

●上図版は最新のスズキ「Vストローム1050/DE」のウェブサイトに掲載されているコンセプトイラスト。色分けぶりや形状といい、まさに「DR750S」をモチーフにしていることが分かりますね。それもそのはず、Vスト1050のスタイリングを担当したデザイナーは、DR750Sの“クチバシ”を作り上げたご本人、宮田一郎さんなのですから!

 

 

今や百花繚乱アドベンチャーモデル群がことごとく採用するほどの重要なアイコンとなった“クチバシ”デザイン世界で初めて採用した車両でもあります(その割りに、スズキ自身はしばらく忘れちゃってたみたいなんですけど……(^^ゞ)。

DR800S

●誰も追ってこないのに、孤高の山をさらに押し上げてしまった1990年型「DR800S」。ストロークを6㎜長くし、ついに779㏄となった油空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは最高出力52.5馬力/7000回転、最大トルク6.06㎏m/5500回転を発揮。エンジン内部には振動を軽減させるバランサーが2本も装備されており、吹け上がり感は想像以上にスムーズだったと聞いております。あ、シート高890㎜、燃料タンク容量29ℓは「DR750S」から踏襲されたのですけれど(リヤブレーキはさりげなくディスク化……)、翌1991年には燃料タンク容量を24ℓに減らしたスリムボディへダイエットが強行され、そちらが意外なほど欧州で人気を集めて1998年モデルまで販売が継続されたのですから本当に大したものですね

 

 

ともに輸出専用車ではありましたが、一部熱烈なマニアたちの情熱によって少数ではございますが日本に里帰りを果たした車両が存在しているとか。

 

ナニがビックリかって、両車とも油空冷単気筒……シングルエンジンなのですよ! 

 

「DR800S」に至っては総排気量が779㏄ですので、ボアは105㎜!

 

ほぼ10㎝というドでかい直径を持つピストンが上下に9㎝(ストローク=90㎜)もドドドドドド〜ッと往復運動をして、最高出力52.5馬力を7000回転で発生させたという……。

 

想像しただけで笑いがこぼれてしまいます!

DR800S

●はい、こちらが燃料タンク容量が5ℓも減らされて、24ℓとなった仕様の「DR800S」でございます。いざ見比べてみると樹脂パーツといい、シートといい、マフラーやリヤキャリヤの形状といい、メチャクチャ手が加えられておりますね。シュッとしていて理屈抜きにカッコいい! ……なんでスズキは初代Vストローム1000/650を開発するときに、この“クチバシ”デザイン(二重フェンダー)を忘れていたのか(血の涙)。「アレって某ドイツBなんとかってバイクメーカーが1994年にデビューさせたR1100Gなんとかっていうモデルで始めたものなんでしょ?」と雑談中に言われるたび「いやいやいや、あのクチバシは1980年代後半にスズキが〜〜〜〜〜(以下10〜80分続く)」と自主的に啓蒙を図っていたのですが、2010年代が始まるころには言い飽きて疲れ果てました。そしたら2010年代中盤から「クチバシはスズキが始めたものだ!」とドトウの逆襲がスタート……過則勿憚改

 

 

う~む、残念ながら筆者はこのビッグなDRシリーズに試乗する機会が得られず口惜しい限り。

 

しかし、別冊モーターサイクリスト編集部時代の上司が記した試乗レポートがウェブページにございますので、ご興味のある方は是非コチラを。

 

なお、スズキの4ストデュアルパーパスモデルは競技志向の強い「DR」の系譜とは別に、ツーリング色を強く打ち出した「SX」「DJEBEL(ジェベル)」「DF」という各シリーズが毎回ポッと現れてはスススス〜ッと消えていったため、流れが少々分かりづらくなっていることは否めません

ジェベル250XC

●「SX」「DJEBEL(ジェベル)」「DF」各シリーズに関しては、また稿を改めてじっくりタップリ紹介していきたいのですけれど、今回は望外の人気を得たコイツだけ取り上げておきましょう。1996年2月に登場した「ジェベル250XC」です。残念ながらヒット作にはなれなかった1995年型「DR250R」ながら、そちらをベースにタンク容量を10ℓから17ℓへと大幅に増やし、ある種の恐怖さえ感じさせる直径20㎝の大径ヘッドライトや荷物積載に便利なリヤキャリヤなどなどを標準装備して税抜き当時価格49万9000円で発売してみると、これが距離ガバ勢に大ウケして2008年まで生産が続けられる堂々のロングセラーへと成り上がり! モデルライフ途中には驚きの“ GPS仕様”も登場したりして、後世にまで語り継がれる迷……いや名車となりました

 

究極のスズキデュアルパーパスモデル、Y2Kに降臨!

 

そして1990年代の末にかけて排ガス&騒音といった環境諸規制がドンドンと厳しくなっていき、数多くのスズキ謹製デュアルパーパスモデルが姿を消していったなか……。

 

突然! 本当に忽然と、しかも国内オフロード市場では一般的ではなくなっていた車検のある400㏄という排気量クラスで、さらにさらに全身これ「本気と書いてマジと読む」ほど高性能パーツの塊という車体構成で、ひょっこりその姿を現したのが「DR-Z400S」だったのです!

DR-Z400S

●2000年型「DR-Z400S」。398㏄水冷4ストローク単気筒DOHC4バルブエンジン(ボア90㎜×ストローク62.6㎜)は最高出力40馬力/7500回転、最大トルク4.0kgm/6500回転を発揮! 乾燥重量は129㎏(車両重量140㎏)で、燃料タンク容量は10ℓ。フロント21インチ、リヤ18インチのタイヤ+超高性能サスペンションを採用していたこともありシート高は895㎜(!)。全身これ硬派全開のエンデューロレーサーレプリカ……だったのですけれど、しっかり二人乗りもできました。とはいえタンデムライダーが乗り込むときは相当にアクロバティックな姿になったはず(笑)。なお、税抜き当時価格は62万8000円でありました

 

 

前回でも軽く述べましたが、このような晴天の霹靂(へきれき)的なモデルが誕生した背景には、並行して開発された一卵性双生児とも言えるエンデューロレーサー「DR-Z400」の存在がありました。

DR-Z400

●「DR-Z400S」と並行して開発されたエンデューロレーサー「DR-Z400」。公道なんて関係ねぇ!というオッパッピーなエンジンは最高出力49馬力/8500回転、最大トルク4.4kgm/7500回転というゴギケンなハイパフォーマンスぶり!  乾燥重量は113㎏! 当然ながらエンデューロレースの世界を席巻し続けた……と思いきや、デビューしてすぐにレギュレーション……レース規則のほうが変更されてしまい、一番盛り上がるクラスの排気量上限が400㏄から450㏄へアップされてしまったのですね(スーパーモタードも同様)。4ストモトクロッサーの最大排気量が450㏄に落ち着いたことへ追従したのでしょうけれど、スズキとしては見事にハシゴを外されてしまったカタチに……。ですが! だからこそ! 普通自動二輪免許で乗ることができる400㏄リーサルウェポンが誕生したのです!

 

 

往年から現在に至るまで欧米を中心として世界中で人気の高いエンデューロレースにおいて、高性能が評判となり人気マシンの座を勝ち取れば新規開発にかかった莫大な開発費すら早期に回収できるだけの出荷量が見込めます。

 

そしてちょうど世はまさに2ストから4ストへの過渡期でもありましたので、世紀をまたぐことが困難だった2ストエンデューロモデル「RMX250S」同等の性能を、排気量こそ400㏄になるものの引き継ぐことができれば市販車としても幅広い支持を得られるはずだ、と。

RMX250S

●スズキ2ストデュアルパーパスモデルは「TS○○ ハスラー」シリーズ以降も順調に進化していき、ライバルと同等以上の戦いを繰り広げていきました。しかし、「RH」「RA」「TS-R」「RMX」とブランド名に一貫性がなかったのが玉にキズ……。そんな、環境諸規制の強化にも翻弄されたスズキ2ストマシンの“ラストエンペラー”が写真の1996年型「RMX250S」だったのです。熟成を重ねた249㏄水冷2スト単気筒クランクケースリードバルブエンジンは最高出力40馬力/8000回転、最大トルク4.0㎏m/6500回転の実力を発揮。エンデューロレース参加を前提に一人乗り専用設計とした車体のフレームは、モトクロッサー「RM250」を基本に新設計したセミダブルクレードル式で高張力クロームモリブデン鋼製の高剛性フレームを採用していました(税抜き当時価格は47万9000円)。気合いの入りまくった仕上がりは一定の支持を集めたものの、1998年モデルを最後に国内向けの生産を終了……(※輸出用としては2000年モデルまで存在していたとか)

 

 

なおかつ、スーパーモタード仕様にすることまで考慮した設計にしておけば、近い将来投入する派生車(2004年登場の“SM”ですね)で圧倒的多数であるオンロードユーザーの一部まで抱え込むことができる……。

 

かくいうスズキの企画&開発&営業陣が一体となった深慮遠謀が実を結んで、奇跡のデュアルパーパスモデル「DR-Z400S」は2000年4月に日本市場デビューを果たしました。

DR-Z400S走り

●2001年型「DR-Z400S」カタログより。大関昌典さんの迫力あるライディング写真が全編に満ちあふれている仕上がりには震えましたね〜。「大関のイチ押し、DR-Z400S。」というキャッチコピーの締めくくりも見事でした。この年式から2007年型までずっと継続されていった“チャンピオンイエロー”は、今や四輪車「スイフト スポーツ」の訴求色としても広く知られていますね。爽やかでチョー目立つ素晴らしい色味です……

 

 

残念ながら筆者は当時、モーターサイクリスト誌から四輪のドライバー誌へ異動しており、同じスズキでも「ゴー、ワゴナー!」と某ハリウッド俳優がCMで連呼していた「ワゴンR/RR」や「スイフト」「キャリイ」などを追っかけていたため「DR-Z400S」登場時の興奮を味わうことはできなかったのですが、家に帰ってバイク誌の記事をつらつら眺めていても、バイクジャーナリストのセンセイ方はおしなべて大絶賛をしていたという記憶がございます。

 

なんてったって……♪ア〜イド〜ルいや、新開発の398cc水冷4スト単気筒DOHC4バルブエンジンは鍛造ピストン&SCEMメッキシリンダー採用を筆頭に最新最良の技術が全投入され、最高出力40馬力/最大トルク4.0kgmという2スト250の「RMX250S」同等のパフォーマンスを実現!

 

エンジンカバー類へのマグネシウム合金使用やアルミ製シートレールなど軽量化にも配慮し、乾燥重量は129kgまで絞り込まれていました(車両重量140㎏。なお、RMX250Sは同112㎏・128㎏)。

DR-Z400S技術解説

●2001年型「DR-Z400S」カタログより。各種機能紹介ネームにも適宜黄色い文字で大関さんのコメントが挿入されるという芸の細かさがナイス! ちなみに60㎞/h定地燃費は40㎞/ℓで燃料タンクが10ℓのため、理論上の満タン航続距離は400㎞で意外とツーリング性能は高め。実際、荷物を満載して林道ツーリングを楽しんでいる猛者にも何回か遭遇したことがあり、毎回「お尻は痛くならないんですか?」とオーナーに尋ねてみれば……「林道ならいつもケツをずらして走っているから平気だなぁ。淡々と高速を走っているときのほうがよほどヤバイけど、スタンディング(中腰姿勢)しちゃえば大丈夫」と判で押したように同じコメントが返ってきました。みんな同類なのか!?

 

 

前後サスペンションもSHOWA製のフルアジャスタブルタイプでインナーチューブ径が49㎜の正立式フロントフォークは公道用市販車では前例が無いもの(減衰力は圧側14段・伸び側18段でアジャスト可能)。

 

リヤショックユニットはシリンダー径46㎜(インナーロッド16㎜)の超絶ゴツイ仕様(イニシャルは無段階、減衰力は圧側 高速側3½回転&低速側20段のダブルアジャスター、伸び側21段で調整が可能)が採用され、大型角断面のアルミスイングアームと組み合わされていました。

 

登場直後の興奮が落ち着き、購入したユーザーの声が伝え聞こえてくるようになると「シートが高くて(895㎜)、細くて、なおかつ薄いので、お尻がすぐ痛くなる(笑)」、

お尻が痛い

●こればっかりは個人差があるので難しいところなのですけれど、筆者が“SM”で200㎞ほど走ったときには特につらさを感じず……脂肪という天然“ゲルザブ”が殿部にあったせい!?

 

 

「林道マシンなのにヘッドライトが暗い(笑)」、「ドライサンプだからオイル交換がちょいと大変(笑)」、「車検があるのは、やっぱり面倒臭いかな(笑)」と細かい不満ポイントにぶつぶつ文句を言いながらも、

苦笑い

●どんなバイクにだって弱点や欠点はあるもの。それをネガティブにとれば、どんどんその車両が嫌いになってしまいますが、ポジティブに捉えられたなら少々の欠点だって愛すべきポイントとなりがち。人間関係だってそうですよね(と、たまにはうまいことも言ってみる)

 

 

いざ不整地を走り始めれば、かくいう弱点すら脳裏から吹き飛んでしまうほどの圧倒的な走行性能に、ほとんどのオーナーが大満足していたようです。

 

やはり開発陣が魂と気合いを入れまくったバイクというのは、呼応するライダーを必ず生み出すものなのですね。

 

その後、「DR-Z400S」は毎年のように細かい改良やカラーチェンジを受け、2004年からはいよいよ“SM”も合流

DR-Z400SM正面

●2005年型「DR-Z400SM」カタログより。目を引いたのは「低いシート高と軽い車重」の項目で、いわく「小径タイヤとサスペンションの変更により、同クラスのデュアルパーパスマシンに対してより低いシート高を達成している。(以下略)」って、同クラスのデュアルパーパスマシンって「DR-Z400S」のことでしょ! ほかに1台もないよ! そしてそいつのシート高は895㎜! それより低いと言ってるアナタ「DR-Z400SM」だってシート高は870㎜あるんですけれど……と、カタログを見ながら一人でツッコんでいました(笑)

 

 

やはりロード好きなライダーの絶対数は多く、かつ国産スーパーモタードバイクの頂点に君臨する存在ということもあってか車検があることも気にしない層がなだれ込んで、“SM”はデビュー以降、比較的好調な販売を記録していきました……。

 

DRの究極(=Z)であり、かつDRの最後(=Z)を飾るべく、スズキの高い技術力が注ぎ込まれた「DR-Z400S」そして「DR-Z400SM」は、ともに国内仕様最終型となる2009年モデルまで、毎年のようにカラーチェンジや小変更を行いつつ、2人(?)並んで全力疾走でゴールテープを切ったのです。

ゴール!

●フツーに買えるときは皆スルーして、いざゴール……生産が終了した途端に中古車相場が高騰していく。なんだかそんなパターンをたどるバイクが多いですね(特にスズキ車によく見られるような!?)

 

 

次回はもちろん「DR-Z400SM」を中心に、カラーチェンジや小改良の変遷ライバルの動向などをもっと掘り下げてまいりましょう。

アオリ写真

●おお! 2001年に米国で生まれたエナジードリンク“ROCKSTAR”カラーにしたセンスのいいカスタム! 黄色はスズキと相性がいいですからね〜(残念ながらエナジードリンク“ROCKSTAR”は2008年ころから日本へ上陸したのですが早々に撤退してしまいました。妙に薬品臭くてクセのある味が好きだったんですけれど)。アナタがレッドバロンで手に入れた暁には、センスよくイジってまいりましょう! “痛単車”化だって大アリだと思いますよ……

 

 

あ、というわけで「DR-Z400SM」へ至るスズキ入魂デュアルパーパスの数々や、そのライバルたちは、軽くて丈夫というメリットを生かしたアクティブなバイクライフの相棒となってくれる存在です。2スト&4ストを問わずレッドバロンの良質な中古車なら、部品供給も心配なくアフターサービスもバッチリですよ! まずは、お近くの店舗でお気軽にスタッフとご相談を~!!

 

DR-Z400SMというバケモノ【後編】はコチラ!

 

DR-Z400SMというバケモノ【前編】はコチラ!

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