平忠彦のポスターを部屋に貼り、「将来レーサーになるんだ」と言っていた中学時代の同級生はどうなったのだろう……。
「1980年代の熱狂」をテーマに与えられ、そんなことをふと思い出しました。自分は学生だったので、どんなに業界が盛り上がっていたか、リアルでは知りません。ただ、バイクが流行していた熱気のようなものは子供ながら肌身に感じていました。
なので、'80年代に関しては、周囲や諸先輩から聞いたウワサを主にお送りして、その余波を引きずった'90年代を実体験として振り返ってみます。
※トップ画像はイメージ。「ヤングマシン」(内外出版社)1984年3月号より。

ノーマルの250ccで60ps? マジっすか? 

'80年代を代表するエピソードとして印象に残っているのは、まず「広報チューン」でしょうか(笑)。
レーサーレプリカの性能競争が熾烈を極めた'80年代後半。馬力や車重といったスペックが少しでも勝っていることが重視され、雑誌のインプレッションもセールスを大きく左右したと言われています。
そこで、広報車(メーカーからメディア向けに貸し出される試乗車)をチューンし、一般市場に出回る車両より性能をアップさせておくことを「広報チューン」と呼びます(あくまで一般論ですよ)。雑誌が広報チューン車でテストすれば、当然いい結果が出て、読者はそれを「ノーマルの性能」だと思いこんでしまいます。
クルマの世界では色々問題になったようですね。


解説が長くなりましたが、私が聞いたのは2件ですね。いずれも真偽のほどは定かではありません(なにぶん私が聞いたのも25年ほど昔なので記憶が……)。
一つ目は、クローズドコースでライバルを集めて比較試乗する企画で、某社のレプリカはメーカーが直接現場にテスト車両を持ち込んだそうです。
開発の方が現場にワラワラ大勢やってきて、テストが終わるとそのまま持ち帰っていったそうです。その車両は明らかにライバルより速かった。詳しく中身を見たり、シャーシダイナモに乗せて実際の馬力を測ったりすることはできないので、「クロ」は確定だろう、ということでした。

二つ目は、ある250ccレプリカの広報車をシャーシダイナモで測定したら、カタログスペック45psのハズが、60psだった! というもの。テストでは、「簡単にウイリーするし、明らかにパワーがありすぎる」との話で、実際に測ったら本当にトンデモなかったというわけです。
ただ、この車両は広報チューンだったというより、元々の性能がスゴすぎたとも言われています(つまりノーマルでも60ps近く出てた……)。

メーカー側も必死だったのだろうと思いますが、「コンプラ」が叫ばれる昨今ではありえない話ですよね。あ、繰り返しますが、あくまでウワサですからネ。

↑某250レプリカがスゴかったのは有名な話。※写真はイメージです。

8耐って首都高でもやってたんですね!?

他にも印象に乗っているのは……「某出版社にハワイ支社があって、そこの社員は毎日サーフィンしつつ、ハワイの交通環境を取材(?)している」という話。遊んでる社員を抱えられるほど儲かっていたみたいですね。

あとは、'80年代のヤングマシンにはトンデモ企画が多かった。中でもインパクトがあったのは「首都高8時間耐久」という企画ですね。
読んだのが昔のため、ウロ覚えで申し訳ないのですが、発売されたばかりのGPZ400Rで延々と首都高をグルグル回るというインプレ記事(?)です。
環状線を鈴鹿サーキットに見立て、確か数人が交代で8時間連続乗ってました(ForR執筆者のイチモトさんによると、大島正さんも参加していたとか)。
法定速度でルールを守っていれば、首都高を周回するのは特に違法ではないようですが、今ならありえないでしょうね。そもそも「首都高8時間耐久」というパワーワードはあれど、勢いだけというか。他を走った方がインプレとしてはいいような気がします(笑)。

↑自分の写真は見つからなかったので、ヤングマシンのバックナンバーでお茶を濁す。「首都高8耐」の号は手元になかったけど、この「キャノンボール」企画もなかなか。筑波サーキットを走行後、そのまま東北道→磐梯吾妻まで800km走って、どのチームが一番先に着くかを競う!

 

↑こっちも強烈。ヤングマシン'84年10月号では、各メーカーから50~750クラスの最速マシン20台を一同に集め、関西ノービスライダー20名が対抗リレーする! 「オリンピックと8耐を足したようなレース」との説明が。

出たー「お車代」――ついでに'90年代の体験記も

私がヤングマシン編集部で働き始めたのは'95年3月。ゼファーやCB400SFなど400ccネイキッドを中心にまだまだバイクが売れていた時代で、'80年代の余波が残っていたように思います。

'80年代によく聞かれる「お車代」を私も一度だけ体験したことがあります。
取材される側が御礼として交通費などを支払うのがお車代で、実際にかかる交通費より遙かに高額。当然、受け取ったメディアは心情的に「忖度(そんたく)」が発生してしまいます。どうやら'80年代での(一部の)慣例だったらしく、今では全くないです(笑)。

私がもらったのは、あるメーカーの試乗会でした(バイクメーカーではない)。
取材を終えて帰る際、編集担当である私のほか、カメラマンとテスターにもそれぞれお車代として封筒が渡されました(1万円だったはず)。
その時はよくわからずに頂いたのですが、後日、当時の編集長に「カメラマンとテスターはいいけど、お前は返却しろ!」と言われました。理由は「ジャーナリストとしての公平性に反するから」と至極真っ当。しぶしぶ、ではなく、心底同意して、丁重に某メーカーへお返ししました。

まとめ:落ち着いた時代で新しいブームを見たい

現在のバイク業界は落ち着いている……。いや、むしろ正常化した印象です。バイクが「性能一辺倒」ではなく多様化したように、2輪業界も成熟したように思います。
'80年代から活躍して今なお現役という驚異的な方もおられるし、'90年代にいて別の業界へ行った方も多い。今も2輪業界で頑張っている人は純粋な方ばかりのように感じます。
近頃、バイク人気に追い風が吹いているので、さらに活況となれば、'80年代とは一味違った盛り上がり方を見せそうですね。その時代は、恐らく広報チューンやお車代とは無縁でしょう。
'80年代の業界はおカネが乱れ飛んでいた時代であったと同時に、「お車代」を返却するようなジャーナリスト魂を持った方もいた熱い時代でもあります。
当時の編集長も既に故人となって久しいですが、教えてもらった矜持を私も大事にしていきたいと考えています。

 

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