いやはや「峠道の王様」ですよ、“♬湖~上~のけむ~り~”ですよ(それは歌手の「王様」)、“おかしのホームラン王”ですよ(それは「ナボナ」で往年のCMキャラクターは(貞治))……と思わず茶化すノリツッコミをしたくなるほどヨーロッパでは褒めちぎられたヤマハのTDMTouring Dual purpose&Multi-purposeとの説あり)850/900シリーズ。その出来過ぎなモデルライフを振り返ってみましょう!

1992年TDM850カタログ表紙

●1992年型の日本仕様「TDM850」カタログ表紙です。余白の使い方も完璧でその中心に据えられている写真がストーリーを感じさせます。とにかくもう、いちいちカッコいいヤマハ……! そしてもう32年前のことなんですね〜。その年のWGP(世界ロードレース選手権)はヤマハ「YZR500」を駆るウェイン・レイニー選手がチャンピオンに輝き、F1はウィリアムズ・ルノー&ナイジェル・マンセル選手が席巻。毛利衛さんが米スペースシャトルで宇宙へ行き、貴花田関と宮沢りえさんが婚約し(後に解消)、スタジオジブリの映画「紅の豚」が7月に公開されました。

紅の豚

●「紅の豚」は呪いを受けた中年パイロットの活躍譚。主人公ポルコ・ロッソ(CV:森山周一郎さん)のイケボに心酔しました。名台詞「飛ばねぇ豚はただの豚だ!」は今も筆者の心に刻み込まれております。でも体型は……ブヒッ

 

 

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多様な方向性が奇跡的にまとまり、完全無欠の優等生が完成ッ!?

 

出木杉クン……もちろんご存じですよね?

 

そう、国民的……いや全世界的に高い人気を誇るSFSukoshi ☆ Fushigi)漫画&アニメの作品「ドラえもん」に登場する、出木杉英才(できすぎ・ひでとし ※「えいさい」との説もあり)クンのこと!

すこしふしぎ

●「SF=すこしふしぎ」とは故・藤子・F・不二雄氏が提唱した造語で、いわゆるサイエンスフィクションではなく、日常に紛れ込む非日常をテーマとした少し不思議なストーリー展開の漫画を意味するのだとか……イイネ!

 

 

ちなみに筆者、今の今まで“出来杉クン”だと勘違いしておりました。訂正してお詫びいたします(←誰に?)

 

そんな出木杉クンは作品の主人公、野比のび太のクラスメイトでスポーツ万能、学業優秀、かつ容姿端麗な上に性格もいいという非の打ち所のないパーフェクト小学生

賢い小学生イメージ

●出木杉くん……大人になったら火星への出張もするという超エリートに! なぜしずかちゃんが彼を選ばなかったのか、幼少期の筆者は大いに不思議でなりませんでした……。なお、イラストはイメージです(汗)

 

 

 

入浴中に何かしらのハプニングに遭遇しがちなヒロイン、しずか(本名は源 静香!)ちゃんをめぐる、のび太との恋の鞘当てには幼少期からヤキモキし続けたものです……って何のハナシでしたっけ?

 

 

そうそう、ヤマハが誇る高汎用二気筒モデル「TDM850/900」のことでした

 

初回となる今回は、850にテーマを絞ってまいりましょう。

 

オン? オフ? 見たこともないスタイルのビッグバイクが現れた!

 

さて、その優等生「TDM850」クンですけれども、日本市場においては1992年3月から発売が開始されました。

 

当時、八重洲出版 モーターサイクリスト(以下MC)誌の編集部アルバイトとして日々忙しく働いて(いるフリをして!?)いた24歳の筆者は、任されていたニューモデル関連資料整理の過程でヤマハ発動機株式会社 広報部から送られてきた角2封筒内に収められている「TDM850」のニュースリリースとポジフィルムなどを机の上に広げて内容物を目視確認

仕事イメージ

●山ほどある雑用をこなしつつ、なけなしの金で購入したパナソニックの白黒液晶ワープロで原稿を仕上げ、感熱紙にて打ち出したものを先輩に確認いただいたMC編集部での日々……。行けばメシをおごってもらえたので用事がない日もウロウロしてました。嗚呼セイシュン!

 

 

大いなる役得感に包まれながら美しいカタログをパラパラと開いたとき、そこへ躍っていた「ヨーロッパの風を知っている。ビッグツイン・ヨーロピアン TDM850」というキャッチコピーにズッキュ~ンと心を撃ち抜かれたものです。

1992年TDM850カタログ

●1992年型「TDM850」カタログより。筆者がズッキュ〜ンときたのが、まさにこのページでした。なお、日本で発売された「TDM850」の前期(型式でいけば“4EP”)は、黒だの濃紺だのチョー渋いカラーリングをまとっておりました。というわけでタイトル文字(……出木杉クン【前編】……)の背景として紹介している左向きの赤い車両は欧州仕様なんですね。かくいう目を引く派手な色も最初から日本導入されていれば違う展開があったのかなぁ……とも、妄想が捗ります

 

 

まんまるな丸目2灯が印象的なその顔は……まるでガチャピン!?

 

しかし、そのスタイリングには当初、違和感を拭えませんでした。

 

 

レーサーレプリカFZ-R/FZRシリーズを彷彿させるギョロっとした丸目2灯ヘッドライト……はいいのですけれど、その下にカウル部分がないため“ガチャピン”さんを真正面から見たような印象が(^^ゞ。

ガチャピン

●ポニーキャニオン「ガチャピン チャレンジ☆シリーズ コンプリートBOX ~チャレンジしなくちゃガチャピンじゃない〜」[DVD]より。昨年2023年4月2日に誕生50周年を迎えたガチャピンさん(もちろんムックさんも)。スキー、スノボにダイビング。サーフィン、(ヒマラヤ)登山にウルトラライトプレーン……。あらゆるアクティビティに精通されており、腕前はプロクラス。モトクロスやトライアルのバイクも華麗に乗りこなしていた姿には衝撃を受けました!

 

 

なおかつ今の基準で考えたならオンロード寄りのアドベンチャーモデルかなぁ!?」と、すぐにすんなりジャンルの仕分けができるのですが(良くも悪くも)、当時はまだ“アドベンチャー”なんて概念は大部分のライダーにとって一般的なものではなく、「コ……コレハイッタイドウイウバイクダ?」と思考停止に陥ってしまうほど個性的なスタイリングに思えたのです。

TDM850カタログ 外観

●1992年型「TDM850」カタログより。下の写真、ヘッドライトの下中央部分に2本前歯を付けたくなりません? なりませんか、そうですか……。まぁそんな冗談(?)はさておきヤマハはすでに1988年、オンロードスポーツとオフロードモデルを融合させたようなクロスオーバー2ストモデル「TDR250」を出しておりましたので、「まぁ、そのようなものかな」との推察もできました。ですけれど、タイヤといいサスペンションの構成といい「TDR250」より圧倒的にオンロード寄りなことは明確で、いったいどんな走りを見せてくれるのかワクワクしたものです!

 

 

すでに登場していたホンダ「アフリカツイン」ほど“ビッグオフ”という雰囲気ではなく(アルミ製のスキッドプレートは標準装備されていましたが……)、かといって純粋な“ロードスポーツ”とも呼べないアップライトなライディングポジション

●1988年5月に日本国内500台限定で発売されたホンダのビッグオフローダー(と、当時は言っていた)「アフリカツイン(RD03)」。パリ-ダカールラリーを制したワークスマシン「NXR750」のテクノロジーを反映させたモデルで、647㏄水冷4ストロークV型2気筒OHC3バルブエンジンは52馬力/5.7㎏mの実力。ビッグアドベンチャー人気の“ハシリ”となった伝説的名車ですね。以降、排気量の拡大や真摯な各部改良が加えられていき、国内最終型となった2000年モデルまで「出せば完売」状態を誇る人気車に……。そのスピリットは現行の「CRF1100L アフリカツイン」にも脈々と受け継がれているのです

 

 

まさにヤマハ自身もカタログ内で「ニューカテゴリーマシン」や「これまでの既成概念を打ち破ったオールラウンドのスーパースポーツバイクだ」、「このマシンはおとこの憧憬でもある」などなど、その魅力をどう言語化して表現すればいいものかご苦労されているご様子がありありとあり……(笑)。

1992年型TDM850 JPN

●改めまして1992年型「TDM850(4EP)」です(色名はブラック2)。1985年の「FZ750」から始まった“ジェネシス”思想を受け継ぎ、40度前傾してスチール製デルタボックスフレームに搭載された849㏄水冷4ストローク並列2気筒DOHC5バルブエンジンは最高出力72馬力/7500回転、最大トルク7.8㎏m/6000回転のパフォーマンスを発揮! 最低地上高160㎜を確保ししつつ、シート高は意外と低い795㎜を達成していました。乾燥重量は199㎏、燃料タンク容量は18ℓ、60㎞/h定地走行での燃費は30㎞/ℓでしたので、理論上の満タン航続距離は540㎞となりますね。税抜き当時価格は75万円(消費税3%込み価格は77万2500円)でありました

 

 

偉大なる“パリダカ”制覇用モデルがベースにあってこその完成度!

 

それもそのはず、「TDM850」は前身となる「XTZ750 スーパーテネレ」からの流れを知らないと、理解しづらいモデルでもあったからなのです。

 

XTZナナヒャクゴジュウ……ナニソレ?」と小首をかしげる読者の方も非常に多いはず。

 

 

1989年に海外向け車両として登場したヤマハ「XTZ750 スーパーテネレ」は、その当時大人気で注目度も高かった“パリダカ(パリ-ダカールラリー)”で必勝を期すため、ヤマハ開発陣が総力を結集して作り上げたビッグオフロードモデル

1989年XTZ750スーパーテネレ

●1989年型「XTZ750 スーパーテネレ」(仕向地により、このような角目一灯も存在)。広く知られているとおり「テネレ」とは“パリダカ”の難所だったテネレ砂漠のこと(その名を今に受け継ぐ「テネレ700」の開発秘話はコチラ!)。そこをとんでもない速度でカッ飛んでいけるマシンを目指してゼロから開発が行われ、360度クランクの水冷5バルブパラツインエンジンが、その心臓として選ばれることに……。車体も本気モードのため燃料タンク容量は26ℓ、シート高は実に865㎜! もちろん日本では正規に売られなかったのですけれどビッグオフ好きの趣味人がごく少数、苦心しつつも日本へ持ち込んでいた……と記憶しております

 

 

砂漠やガレ場といった道なき道を超ハイスピードでぶっ飛ばせるようにするため、水冷化はもちろん、十八番(おはこ)の1気筒当たり5バルブ(吸気3・排気2)を採用した360度クランクの並列2気筒DOHC(+ダウンドラフト吸気の)エンジンを高剛性なスチール製ダブルクレードルフレームへガッチリ搭載!

1992TDM850 メカニズム

●1992年型「TDM850」カタログより。中央に大きく掲載されている写真でも分かるとおり、潤滑油をエンジン下部に溜めておく大きなオイルパンが存在しない強制圧送ドライサンプ方式を採用していた「TDM850」……。こちらは“パリダカ”制覇を目指したビッグオフローダー「XTZ750 スーパーテネレ」をルーツに持つからこその構造なんですね。ゆえに余裕のある最低地上高と低めのシート高とが見事に両立できたというワケなんです。肝心のオイルパンはエンジン背面(ミッションケースの直上)に設定されたため、みんな大好き“マスの集中化”も実現でき……そのメリットは純オンロードスポーツ「TRX850」の卓越したハンドリング構築にも生かされました

 

 

前後のサスペンション&ブレーキなどにも当時最新かつ最良なアイテムを全投入し、まさしくオフロードのホンダ「VFR750R(RC30)」状態……いや、大変失礼。

 

 

ヤマハですので「FZR750R(OW-01)」同様のスペシャルモデル、ということですね。

 

 

そんな「XTZ750 スーパーテネレ」をベースにしたパリダカマシンは期待どおりの大活躍を見せ、1990年には2位表彰台、

1990 XTZ750スーパーテネレ

●この「XTZ750 スーパーテネレ」(写真は1990年型)をベースにしたファクトリーマシン「YZE750T」が、優勝請負人ステファン・ペテランセル選手の手によって1991年、1992年の連覇を成し遂げました(1993年は排気量をアップした「YZE850T」で同選手が優勝=3連覇!

 

 

1991年にはヤマハ11年ぶりの優勝を1〜3位、表彰台独占という超特大なオマケ付きで獲得!! 

1991年XTZ750スーパーテネレ

●1991年型「XTZ750 スーパーテネレ」。いやぁ、堂々たる26ℓタンクが圧倒的な存在感を醸し出していますね! そして……はい、そうなんです。実は1979年に開催された第1回パリ-ダカールラリーで優勝したのは達人、シリル・ヌヴー選手が駆ったヤマハ「XT500」だったんですね(なんと四輪を含めた順位でも総合優勝を達成! かつヤマハはワンツーフィニッシュ!)。ちなみに1980年の第2回でもヌブー&XTは優勝して連覇を達成(なおかつヤマハは表彰台独占!)

 

 

さらにさらにヤマハは結局、1991年の第13回大会から1998年の第20回大会までの8年間でパリダカを実に7回も制し(!)、“アドベンチャーモデルの頂点とは、すなわちヤマハ”という図式を築き上げてしまいます。

テネレ

●株式会社 三栄が発行する「RACERS レーサーズ」のVol.43でヤマハのパリダカ参戦が特集されております(2017年1月24日刊 1019円) 。テネレに興味を持たれた方は是非チェックのほどを……。熱いですよ!

 

 

当然のことながら「XTZ750 スーパーテネレ」は欧州でヒットモデルとなるのですが、ビッグオフローダー然とした……というか、ビッグオフそのまんまの車体(とタイヤ)では、使用速度域がやたらに高い彼の地のハイウェイや雄大なワインディングだと……

1995 XTZ750スーパーテネレ

●最終モデルとなる1995年型「XTZ750 スーパーテネレ」。いやもうこのカラーリング……ぶちカッコええでよ(⇦山口弁)! 不可解なのは、ここでいったんヤマハが“スーパーテネレ”の系譜を断ち切ってしまったこと。TDMでは続いていく850版や900版の5バルブパラレルツインエンジンを搭載した“スーパーテネレ”を細々とでも続け(同時に“テネレ”を原付二種クラスまで下方展開し……)、2010年に登場する「XT1200Z スーパーテネレ」と併売していったなら、BMWの“GSシリーズ”に匹敵するドル箱フルラインアップを構築できたのではないのかなぁ……と妄想。今まさにヤマハ自身が大排気量から小排気量まで同じブランド名でつなげる戦略を“YZF”や“MT”などでやっているのを見るにつけ、つらつらそう考えてしまうのです……

 

 

ちょっち不安な面も出てキマ~ス。5バルブパラツインエンジンはサイコーのマーベラスなので、コチラを使ったオンロード寄り寄りのニューマシンビッテビッテ!」という変態的な要望がツーリング大陸ヨーロッパから届いたというわけで(!?)、生み出されたのが「TDM850」というモデルなのですね。

 

ナナハン以上リッター未満だからこその“峠無双マシン”、爆誕!

 

排気量が749㏄だったXTZのパラツインエンジンはボアとストロークともに拡大され、ちょうど100㏄増量の849㏄となり大幅にパフォーマンスアップ!

 

 

骨格は頑丈さとしなやかさを併せ持つ(スチール製)デルタボックスフレームを採用することで、フロント18インチ、リヤ17インチのオンロードタイヤが生み出す高次元のグリップ力も精緻な前後サスペンションを介しつつ難なく受け止めてくれます。

TDMカタログ1994

●1994年型「TDM850」カタログより。銀色に光り輝いているのでアルミっぽく見えますが、このデルタボックスフレームはスチール製。シートレールの後端部分までガッツリ剛性が確保されている構造ですので、太めのパッセンジャーを乗せた上に後付けパニアケース、トップケースへ荷物を満載しても大丈夫です(もちろん限界はありますが(^^ゞ)。さらにリヤサスユニットは上部にあるアジャスターをワンタッチで切り替えるとバネレートが高くなる機構まで備えており、欧州過積載距離ガバ勢も納得の仕上がり!

 

 

筆者も「TDM850」の単独インプレッション取りやライバル比較試乗の取材に招聘され、車両移動のための人足兼、企画終了後の洗車&満タン仕事までを先輩編集部員に頼まれ、嬉々として遂行……。

 

いやホント、ゾクゾクと編集部へやって来る魅力的なニューモデルに毎日触って乗れたのですから、夢のようなアルバイト生活でした(遠い目)。

 

 

あ、そんなオッサンの懐古な回顧はともかく「TDM850(初代)」はとにかく面白いモデルでしたね~。

 

 

不快な振動を2本のバランサーシャフトが打ち消してくれる2軸バランサー付き360度クランクのエンジンは低回転域から右手の操作へグググッとリニアに反応してくれ、とても力強く気持ちのいい吹け上がりをみせてくれるのが特徴的。

エンジン

●1994年型「TDM850」カタログより。ツインエンジンらしさを一層強調するために等間隔爆発の360度クランクを採用。そのクランク軸を挟むように振動を相殺する2本の金属棒を設定したギヤ駆動二軸バランサーを採用することにより、2つのピストンまわりによって生じる一次慣性力を打ち消しているのです。そして各シリンダーごとに配された吸気3バルブ、排気2バルブの5バルブヘッドは、高い圧縮比を得ながら素早い燃焼速度が得られるペントルーフ型燃焼室を形成しており、それまでのビッグツインエンジンのイメージを超える、トルキーな出力特性を実現……とプレスリリースには書かれていました

 

 

なおかつ最高出力72馬力を発生する7500回転より大幅に低回転側となる3000回転~5000回転あたりを使っての淡々とした高速巡航がとても気持ちよかったことも強く印象に残っております。

 

 

何と言っても一番笑顔がこぼれたのは、そのライディングポジション! 

 

燃料タンクを広く覆うシート前部がピタッとヒザが収まるニーグリップを実現してくれ、背筋もスッと伸びるアップライトな上半身の姿勢が楽に取れるではあ~りませんか。

1993年TDM850

●1993年型「TDM850」。このモデルからエンジンとフレームがシルバーに塗られることとなりました。シートの配色も前年モデルとは逆となり、タンデム部分がグレーに変更されています。細かいところですがこだわりを感じますね。このタンクを広く包み込むシートの形状がとても良く、かつスポンジが内包されているわけですからニーグリップをするとヒザから太ももにかけての内側が吸い付くようにシート表皮と密着し、ピタッと安定するんですね。感動したなぁ……

 

 

これによりリーンウィズを基本にしつつ、状況に応じてリーンインもリーンアウトも思いのままなので、フロント18インチホイールが生み出す落ち着いたハンドリングに自分の意図を乗っけることが超イージーにできるのですね。

 

さらにビッグオフ系モデルのようにやたらハンドル幅が広いわけでもないため、二の腕へ当たる走行風も最小限で、ちょっと上体を伏せればカウリング内の静謐なスペースへ頭部を避難させることもできます(とにかくアッパーカウル&ウインドシールドの形状が秀逸なので……)。

 

 

「こりゃあ、ストレスなくどこまででも走っていけそうじゃぁ……。欧州の旅好きライダーが放っちゃおかんだろうなぁ」と日本海溝より深く感嘆したもの。

 

 

果たして「TDM850」は欧州において当のヤマハも驚くほどの大ヒットを記録! 

1994年TDM850 欧州

●1994年型欧州仕様の「TDM850」です。ね〜、彼の地ではこんなに渋くて、でも目立つ配色のモデルが発売されていたのですよ……。朱に染まった前後ホイールとシートの一部がオシャレですなぁ! ちなみに1995年型欧州仕様では目の覚めるような黄色も用意されました。あ、ちなみに見ての通りウインドシールド上部に長細い孔を設けることにより、走行風がうまく上方へと跳ね飛ばされて耳障りなヘルメット風切り音の原因となる乱流が大幅に抑えられるのです。日本仕様に採用されなかったのは残念……

 

 

逆に「TDM850」が1991年にヨーロッパデビューを果たした後もしっかり併売されていた「XTZ750 スーパーテネレ」の販売台数は年々減少していき、1990年代中盤にはフェードアウトしてしまうことに(“スーパーテネレ”という偉大な称号は2010年に登場した「XT1200Z スーパーテネレ」まで途切れることとなりました……)。

XT1200Z

●10数年の時を超え、大復活を果たした2010年型「XT1200Z スーパーテネレ」! 270度クランクを採用した1199㏄水冷4ストローク並列2気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力110馬力/7250回転、最大トルク11.6㎏m/6000回転を発揮! リヤタイヤはメンテナンスが楽で耐久性も高いシャフトドライブによって駆動されました。シートは高さ調整機能が付いており、845㎜と870㎜が選択可能。装備重量は261㎏、燃料タンク容量は23ℓ。当時ヤマハの逆輸入車を販売していたプレストコーポレーションでの消費税5%込み参考小売価格は168万円(ファーストエディション)でありました。このモデルについてもいつか必ずいろいろ述べたいものですね〜

 

 

それだけ彼の地の(変態的)ライダーたちが「TDM850」のコンセプトを支持したということなのでしょう。

 

 

駄菓子菓子! 

 

そんな海外市場ではウハウハ状態だった出木杉クンこと「TDM850」なのですけれど、日本においては意外なほど鳴かず飛ばずに……。

 

ナゼだ!? 5年3組でジャイアンとスネ夫らが共謀した集団いじめでも発生したのでしょうか(←違う)。

いじめイメージ

●たとえ突出した優等生だとしても、いじめの被害者になることはありえます。本当に根深い問題……って何のハナシでしたっけ?

 

 

次回は日本市場における「TDM850」の苦戦とその理由などについて語らせていただくといたしましょう。

TRX850

●今なお熱狂的なファンの多いスーパーハンドリングマシン「TRX850」についても……語れるかな?? 乞うご期待!

 

 

まった観ってね~(←幼児向けアニメっぽく。おまけのジャンケンは割愛)。

 

 

あ、というわけで日本では大ヒットこそしなかった「TDM850」も後継機となる「TDM900」も、兄弟車「TRX850」も、趣味人たちに愛されて一定数以上の車両が国内で流通しております。レッドバロンの『5つ星品質』な中古車なら、部品の供給も、それに付随する各種アフターサービスも万全です! 相棒をササッと見つけて出来過ぎバイクライフを存分に楽しみましょう!

 

 

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