「18歳になったら教習所へ大型自動二輪免許を取りに行って~、すぐビッグバイクに乗りたいんだ! ワイルドな(ホンダ)レブル1100かなぁ、(ヤマハ)FJR1300A/ASもまだ売ってるよね? (スズキ)GSX-S1000はカッコいいし~、レトロな(カワサキ)Z900RSもアリかな!」と筆者の脳内でイマジナリーJK娘が楽しそうに相談してくるのですが、こんな状況、つい40数年前は考えられないコトだったのですよ!

●ど〜ですか、お客さん! 1994年型「TDM850」のカタログ表紙です……。いやもう言葉を失いますな。ピストンとクランクシャフトを結ぶ重要なパーツ(連結棒)であるゴツい“コネクティングロッド”を2つ、ドンと置いただけでビッグツインエンジン搭載車であることを端的に表現しております。もっと言えば360度クランクであることも示唆している……? まぁそれは考えすぎでしょうかね!?
TDM850/900という出木杉くん【後編その1】はコチラ!
Contents
今の常識は昔の非常識……。思えば遠くへきたもんだ(遠い目)
イマジナリー……。
恥ずかしながら筆者、“シン・エヴァ”で初めて認識した言葉だったのですけれど、「想像上の、架空の、空想の」などを意味する英語だったのですね。

●いわゆる見えないお友達「イマジナリーフレンド」は、5〜6歳になった一人っ子によく見られる現象なのだとか。空想上の存在を作り出して楽しく遊んだり、会話したことなどを両親へ教えてくれたりもするそう。子供の心を支えてくれる仲間なので、安易な否定はダメですよ〜
実際には存在しないけれど心の中で想像されるものを指すとかで、最近よく使われているため流行りに乗っかってみました。
実際には妄想でJK娘を作り出してなんていませんよ。

●「………………」
そんなことはともかく(汗)、ちょいと40数年前にプレイバックしてみましょうか。
老若男女が先をあらそってバイクを買い求めていた、あの頃……
ここのコラムでも何度となく主張してきましたが、空前絶後、狂乱のバイクブームは1980年にヤマハが「RZ250」を発売したことから本格的に始まった……と筆者は考えております。

●今なお濃すぎるほどのファンが存在しているヤマハ「RZ250」。これまでの人生で何時間このカタログ表紙を眺めて続けてきたことでしょうか。時を経るごとに輝きを増すという希有なプロダクトデザインであります!
俗に言われる“HY戦争”を軸にしてスズキとカワサキも巻き込まれ(?)、血で血を洗う開発競争が激化!
250㏄クラスならホンダ「VT250F」、スズキ「RG250Γ」、ヤマハ「TZR250」、ホンダ「NSR250R」、カワサキ「ZXR250」……。

●1983年に発売されたスズキ「RG250Γ(ガンマ)」。市販車世界初のアルミフレーム! 45馬力を発生する2ストロークエンジン! フロント16インチホイール! フルフローターリヤサスペンション! もう筆者のようなスペック至上主義ヤロウにとっては、光り輝く神様・仏様にしか見えなかった偉大なるご本尊(^^ゞ
400㏄クラスならカワサキ「Z400FX」、ホンダ「CBX400F」、スズキ「GSX-R」、ヤマハ「FZ400R」、ホンダ「CBR400RR」、カワサキ「GPZ400R」……といったキラ星のごとく革新的、かつ魅力的なニューモデルたちがゾクゾクと発売され、その多くは押し並べて大ヒットを記録!

●丸目2灯ヘッドライトを採用した、いわゆる“耐久レーサーレプリカ”なデザインが市場を席巻している最中に、アンチレプリカな重工いや、重厚スタイルで一世を風靡したカワサキ「GPZ400R」(1985年発売)は、なんと1985〜1986年と連続して400㏄クラスのベストセラーに輝きました。後継機の「GPX400R」が登場したあとも人気は衰えず、細部を改良されつつ1989年まで継続生産……スゴイ!
大ベストセラー「VT250F」なんて初代(1982年発売:MC08前期)も2代目(1984年発売:MC08後期)も公式プレスリリースにて国内のみで年間3万6000台を販売予定と謳っていましたからね。

●1982年6月に登場した初代ホンダ「VT250F」。それから34ヵ月後の1985年3月には販売累計10万台を達成したということですから、単純に10万台を34ヵ月で割ると1ヵ月当たり2941台強となり、そちらへ12(ヵ月)を掛けると年間3万5294台強ペースという計算になります(←ほぼリリースの販売予定どおり)! なお、令和の現在、バカ売れで増産が続いているホンダ「レブル250/Sエディション」でさえ年間販売計画はシリーズ合計で1万7000台ですからね……(←いや、現在の経済状況などを考慮すれば、こちらもとんでもない数字ですな!)
そりゃもう250も400も(もちろん50㏄の原付バイクも)文字どおり飛ぶように売れたものです。
自分の国で生産しているバイクへ簡単には乗れなかった時代!
……と、ここまで読んでカンのいいナウなヤングは素朴な疑問を抱いたことでしょう。
「1980年代のバイクブーム時代って、ナナハンやセンヒャクといったビッグバイクの話をあまり聞かないけれど、どうだったの? 売れてなかったの?」と……。
「そ~うなんですよ、川崎さん!」(分かる?)
ちょうど1980年代バイクブームが燃え盛ったときに400㏄以上、つまり大ざっぱに言ってビッグバイクは多くのライダーにとって非常に縁遠い存在だったのです(今となっては信じられないことなのですが……)。
その理由、まず第1には「自主規制によって国内市場でメーカーが正規販売するバイクは750㏄(ナナハン)が最大排気量だった」ということ。
こちらはホンダがあの「DREAM CB750FOUR」を1969年に発売し、大ヒットさせたことがキッカケだったと言われております。

●ホンダ「ドリームCB750フォア」……。それまでせいぜい450㏄だったり2気筒だったり最高速度も150㎞/h程度だった世界に、突然200㎞/hも実現できそうな67馬力の736㏄空冷4ストローク並列4気筒OHC2バルブエンジンを搭載した山のように大きなバイクが登場したのですから、その衝撃たるや……。そりゃ正統派ライダーならずともゼッタイに購入したくなりますヨ
それまでも社会的な懸案となっていたバイク死亡事故増加や暴走族問題という事象へ火に油を注ぐ結果となってしまったことから、国産メーカー各社は申し合わせて「以降750㏄を超える排気量のバイクを日本では販売しません」という“自主規制”をスタートさせたのです。
とはいえ、逆に言えばナナハン(まで)なら何でもアリということですから、1971年にスズキが「GT750」、カワサキは「750SS」を。翌年にはヤマハが「TX750」を。そして1973年はカワサキが真打ち“Z2”こと「750RS」をデビューさせるなどで、いわゆる一大“ナナハンブーム”が巻き起こったのですね。

●1972年に82馬力を発揮する903㏄空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブエンジンを引っさげて登場し、世界的な大ヒットモデルとなった“Z1”こと「900スーパー4」。当然ながらナナハン自主規制が続行中の日本では正規発売ができず、エンジンのボア×ストロークをともに変更して最適な出力特性を持つ746㏄(69馬力)へ仕立て直した写真の“Z2”こと「750RS(ロードスター)」を1973年にリリース。狙ったとおりの大ヒット作へのし上がっていったことは、ご存じのとおりです。ノーヘル好きな某漫画主人公の愛車でもありましたね(汗)
そうすると……、「んんん? メーカーはナナハン自主規制をしたかもしれんが、結局バイク事故も暴走族問題も減るどころか増えているじゃないか! けしから~ん!」と、国家行政組織の中枢へ近いところにおられるとても偉い方々が激怒したかどうか……は、不明なのですけれど(^^ゞ。
「ならばナナハンに乗るための免許取得をメチャクチャ難しくしてしまえ!」という方向性が定まってしまいます。
実のところ大昔、日本において二輪車に乗るための免許を取得することは非常にたやすく、例えば1965年まで「クルマの免許」さえ持っていれば制限なしであらゆるバイクに乗れたほど!……だったのですけれど、

●世の中には6200㏄だか8200ccだかの四輪用シボレーV8エンジンを搭載した二輪車(やトライク)「BOSS HOSS」も存在しています(試乗記はコチラ!)。ビッグバイク免許があれば、こちらも含め、銀河に乗れぬバイクはないのです!
その後、多少の紆余曲折があった(詳しくはコチラ)あと、ついに1975年、バイク免許が排気量制限のない「自動二輪免許」と400㏄以下に乗れる「中型限定自動二輪免許」、そして125㏄以下に乗れる「小型限定自動二輪免許」の3つに分類されるようになってしまいました。
こちらが1980年代バイクブーム時に大型バイクが縁遠かった第2の理由となります。
ビッグバイクへ乗るためには東大入試より難しい試験があった!?
つまり、小型&中型……400㏄以下のバイクに乗るための免許は身近な自動車教習所でも取得できるのですけれど、ナナハンだろうがリッタークラスだろうが堂々と乗ることができる「自動二輪免許」は、各都道府県ごとに1~数カ所しかない運転免許試験場で“限定解除審査”を受けなくてはならなくなったのですヨ。
これがいわゆる「限定解除」や「一発試験」と言われてきたヤツでして、イマいヤングたちもご両親や先輩ライダーたちから「とにかくヤベー試験だったんだよ……」と(聞きもしないのに)苦労話を語られたことがあるのではないでしょうか?
なんとその“限定解除”合格率は1~2%だったとも言われており、パスするまで数十回単位で試験場へ通ったという執念の逸話もザラにありました。

●一時期は「東大に入るより難しい」とも言われていた限定解除試験。合格の秘訣や道のりを読者にレポートしてもらう企画は、モーターサイクリスト誌で大人気を得ていたほど〜!
こちらについてはまた項を改めてネチネチ語ってやりたいところですけれど(笑)。
……ともあれ百花繚乱1980年代バイクブーム当時、
①国産メーカーのオーバーナナハンモデルは正規ラインアップとして買えず、逆輸入という手はあったもののまだ一般的ではなかった(ハーレーやドゥカティなど外国車メーカーは自主規制の外ながら、相当なマニアでなければ手を出しづらい高嶺の花状態)

●それまでショップ単位での輸入に終始していたハーレーダビッドソンが1989年8月18日、満を持して「HDJ(ハーレーダビッドソンジャパン)」を設立し正規販売をスタート。するとなぜかビッグバイクに関する自主規制や諸々の縛りが次々に消えていきました。なぜだろう?
②チューメンこと「中型限定自動二輪免許」から限定解除をはたして何でも乗れる「自動二輪免許」へステップアップしたい単車乗りは、それこそ星の数ほどいたけれど、“一発試験”という高いハードルのため、あきらめる人もまた星の数……というわけで、その鬱憤を晴らすかのように400㏄や250㏄モデルがバカ売れし続け、峠・サーキット・オフロードコースで国産4メーカーのガチバトルが繰り広げられたため、パフォーマンスは(ついでに価格も)アップアップし続けたのです。
1990年代は憧れの大排気量バイクがドンドン身近になっていった
しかし、そんな潮目が変わったのは1980年代が終わりを告げて訪れた1990年その年。
日本市場における750㏄上限の排気量制限“自主規制”がついに撤廃されて、オーバーナナハン国内仕様がドカスカと登場してきました(まぁ、馬力の自主規制は継続されたのですけれど……)。
同年ヤマハが先陣を切って1200㏄の「VMAX1200」が国内仕様を発売開始。

●1990年2月から発売が開始されたヤマハ「VMAX1200」。「オーバーナナハンは100馬力以下であること」という馬力の自主規制はまだ残っていたため、VMAXの特徴でもあった“Vブースト(6000回転を超えると1気筒に2つのキャブレターから混合気が吸気されるシステム)”は未搭載。北米フルパワー仕様なら145馬力を発揮する1197㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンは97馬力までデチューンされていたのですが、そちらが気にくわないのなら100万円オーバーの逆輸入車を買えばいい……という選択もできた時代でした。国内仕様の税抜き当時価格は89万円(消費税3%込み価格は91万6700円)と割安で、なおかつメーカー保証も万全ということで人気は上々……
スズキは「VX800」、ホンダも800㏄の「パシフィックコースト」で続きました。

●「パシフィックコースト」は1989年にデビューして北米を中心に輸出され、1990年11月からホンダとして初めて排気量750ccを超えるモデルとして国内で生産&販売され好評を得ました。800㏄水冷4ストV型2気筒OHC3バルブエンジン(56馬力/6.7㎏m)をダブルクレードル方式の角型ツインチューブフレームに搭載し、シャフトドライブで後輪を駆動。シート高760㎜、車両重量285㎏、燃料タンク容量16ℓ、60㎞/h定地燃費は26.0㎞/ℓ。税抜き当時価格は89万9000円(消費税3%込み価格は92万5970円)。車体左右に突き出た翼のようなガードで軽度の転倒ならダメージは僅少!
翌1991年はカワサキが「GPZ900R」をリリース。

●1984年の発売以来、息の長い人気を誇っていた“ニンジャ”がカワサキ初のオーバーナナハンモデルとして日本市場へ登場! それが写真の1991年型「GPZ900R(A8)」だったのです。仕向地により108馬力の仕様もあったエンジンは86馬力までデチューンされていたものの(国内仕様なので180㎞/h速度リミッターも装備)、日本専用カラーも用意されたり、税抜き当時価格79万9000円(消費税3%込み価格82万2970円)というお買い得感の高いプライスだったりしたため人気を博しました
“国内仕様と逆輸入車、どちらを選ぶべきか!?”という論争も激化しましたね(こちらもまたいつか……)。
人気ネイキッドの旗艦がリッターモデルとして登場し大フィーバー!
そしてそして運命の1992年、カワサキ「ゼファー1100」とホンダ「CB1000SF」というジャンル的にも大人気なドストライク車両がオーバーナナハン国内市場へと降臨いたします。

●1992年……といっても11月24日発売なので、実質的には1993年型とも言える「CB1000SUPER FOUR」。いやもう1991年の第29回東京モーターショーで参考出品されて以来、ずっと話題が沸騰し続けており、「コイツに乗るために今、限定解除を頑張ってます!」という(筆者がバイトをしていた)モーターサイクリスト誌の読者も数多くいらっしゃいました。しかしながら、どうしても時間などを捻出できない“チューメン”ライダーは、取り急ぎ相似形の「CB400SUPER FOUR」を買う……というマーベラスな流れもできあがり、ホンダの戦略(?)に舌を巻いたものです。税抜き当時価格は92万円(消費税3%込み価格は94万7600円)
ともにチューメン……400㏄版の兄弟車が火をつけたネイキッドカテゴリーのフラッグシップモデル!
苦労して念願の限定解除をはたした絶対数の少ない「自動二輪免許」取得者は、「どうせなら威風堂々たる大排気量ビッグバイクを(一度は)経験したい」と考えてしまいがちなのですね(ワタシもそうでした(^^ゞ)。
そんな想いに応えるリッタークラスのゼファー&CBは想定どおりの人気爆発をはたし、ヤマハも「XJR1200」、スズキは「GSX1100Sカタナ」などで速攻追随し、オーバーナナハンのビッグネイキッドジャンルは一躍活況を呈することとなったのです……。

●1994年型「XJR1200」は海外市場向けツアラー「FJ1200」用をベースにした1188㏄空冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンは97馬力を発生。標準装備されたオイルクーラーは「FJ1200」比で1.4倍の大容量とされ、熱ダレ対策も万全……を目指していました(後年、さらに増量))。リヤサスはオーリンズ製! 税抜き当時価格は89万9000円(消費税3%込み価格は92万5970円)。こちらも前年に登場していた「XJR400」ともども幅広いライダーから熱い支持をゲット!
孤高の中間排気量ワインディングファイターは“西風”に翻弄されて……
と、ここまでリード欄や小見出し&写真説明分込みで6000文字以上書き連ねてきて、ようやく当コラム主人公、出木杉クンの登場です。
そ・う・な・の・で・す・よ。
ヤマハ「TDM850」が国内市場へ投入された1992年3月は、まさしくカワサキ「ゼファー1100」登場と同じ年、同じ月……。

●こちらも「CB1000SF」同様、1991年の第29回東京モーターショーでアンベールされて予約が殺到した1992年型「ゼファー1100」。1990年に登場していた「ゼファー750」よりワンサイズ大きな新設計ダブルクレードルフレームに搭載されるエンジンは、大型ツアラー「ボエジャーⅫ」の水冷パワーユニットをわざわざ空冷化するという前代未聞の手法が取られたもの。結果、完成した1062㏄空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブエンジンは93馬力のパフォーマンスを発揮。税抜き当時価格は84万9000円(消費税3%込み価格は87万4470円)
あのレーサーレプリカブームでさえ吹き飛ばす勢いとなったネイキッドブームの代名詞、「ゼファー」の旗艦が満を持して登場するとあっては、バイク雑誌もこぞって大特集を組むしかありません。
当時、不肖オガワがアルバイトとして在籍していた八重洲出版 モーターサイクリスト誌でも表紙からカラーグラビア、モノクログラビア、活版ページに至るまでぶち抜きで多彩な企画が組まれた号に引き続き、数ヶ月間は何かしらのゼファー関連記事が誌面を賑わせていったもの。

●いくらでも与太話を書き連ねていくことができる(?)ネット記事とは違い、判型にページ数という厳密かつ物理的な限界のある紙の本は、どんな内容を何ページのボリュームで展開するかを椅子取りゲームのように奪い合わねばなりません。必然、注目を集めるモデルほど誌幅に占める割合は大きくなるわけで……
それに引き替え「TDM850」はニューモデル紹介記事ちょびっと、単独試乗記事そこそこ、こじつけに近いライバル比較試乗企画(「パシフィックコースト」だったっけな?)にツーリングもの1~2本で誌上の露出はほぼ終了……。

●1994年型「TDM850」カタログより。ビッグバイク解禁!という浮かれ気分な世の風潮を受けてのものか、「BIG」や「ビッグ」という文字をやたらと強調している印象が……。当時は確かに排気量は大きいほどエライ、気筒数も多いほどエライ、妙なカウリングが付いているくらいなら裸(ネイキッド)のほうがエライ、という妙な雰囲気がバイクギョーカイ界隈にまん延しておりましたからね……
インターネットがまだまだ普及していなかった当時は雑誌媒体の影響力がハンパなかったため、そこであまり取り上げられなかったことは販売戦略上、大きなハンデになったことは間違いありません。
結局、「TDM850」は翌1993年モデルでカラーリングチェンジを受け、

●1992年モデルに塗られていた「ブラック2」から「ベリーダークバイオレットカクテル1」にカラーを変更した1993年型「TDM850」。いやぁ、見れば見るほどカッコよく思えてくるなぁ……ヤマハマジック!
その翌年となる1994年型ではカラーリングはそのままにデカール類の配色が小変更されたのみで、(日本市場においては)雌伏の時期を過ごしていきます……。

●“TDM”のロゴデカールが赤くなって目立ちますね……の1994年型「TDM850」カタログより。改めましてスペックを列記しておきますと、1985年の「FZ750」から始まった“ジェネシス”思想を受け継ぎ、40度前傾してスチール製デルタボックスフレームに搭載された849㏄水冷4ストローク並列2気筒DOHC5バルブエンジンは最高出力72馬力/7500回転、最大トルク7.8㎏m/6000回転を発揮(ミッションは5速)。最低地上高160㎜を確保ししつつシート高は795㎜を達成。乾燥重量は199㎏、燃料タンク容量は18ℓ、60㎞/h定地走行での燃費は30㎞/ℓでしたので、理論上の満タン航続距離は540㎞。税抜き当時価格は79万円とデビュー時から4万円値上がりしており、消費税3%込みの価格は81万3700円になっていました
逆に言うと豪勢な4気筒リッターバイクばかりが規制撤廃お祭り騒ぎでもてはやされるなか、“アドベンチャー”という殺し文句すらない時代に850㏄・5バルブ・並列2気筒のマルチパーパス☆峠無双ヤロウという微妙な立ち位置だった「TDM850(前期型)」を選び、購入した慧眼の“限定解除ライダー”には頭が下がるばかりです。
入手された方々は、さぞかし出来過ぎな好性能を楽しまれたはず……(イイネ!)。
世界初の270度クランク・パラレルツインを搭載した兄弟車が登場!
時に、西暦1995年。
「新世紀エヴァンゲリオン」が放送開始されたその年、のちに登場する後期型「TDM850」へも大きく関係してくるロードスポーツモデルが華々しくデビューを果たしました。
その名も「TRX850」!

●1995年3月に発売されたヤマハ「TRX850」。何といっても最初に目を引くのは某イタリアンメーカーのマシンを彷彿させるようなスチール鋼管製トラスフレーム! エンジンを剛性メンバーとして利用することによりダウンチューブを不要とし、徹底的な軽量化と車体のスリム化を実現していました。そこへ前傾して搭載された「TDM850」ベースのパラレルツイン5バルブエンジンは、270度位相クランクを新たに採用すると同時に吸排気系をブラッシュアップすることで最高出力83馬力/7500回転、最大トルク8.6㎏m/6000回転と大幅にパフォーマンスアップ! さらに乾燥重量は188㎏とTDMの199㎏から実に11㎏もの軽量化を実現(装備重量は206㎏)していました。シート高は795㎜。燃料タンク容量は18ℓ、60㎞/h定地走行での燃費は33㎞/ℓとTDM比で3㎞/ℓ向上しており理論上の満タン航続距離は594㎞。税抜き当時価格は85万円(消費税3%込みの価格は87万5500円)。フレームにマウントされた精悍なハーフカウル、左右2本出しのエキゾースト、ブレンボ製のフロントブレーキキャリパーなどもキマッていましたね〜
見てのとおり「TDM850」用がベースの849㏄水冷4ストローク並列2気筒DOHC5バルブエンジンを採用しているのですけれど、左右シリンダーの爆発間隔が360度から270度へ変更されていました。
この270度位相クランクを持つ並列2気筒エンジンというのは、1995年型「TRX850」が量産車として世界で初めて採用したメカニズムだったのですね!

●1997年型「TRX850」カタログより。自信に満ちあふれた前口上と美しいフレームワークが満喫できる1ページ……。メインフレームと一体化されているシートレール部分がテールカウル内でこのような取り回しになっていたとは、今回改めて知りました。こりゃあ芸術品だ……。あ、荷掛けフックも4つしっかり溶接されていますね(笑)。あ、鈴鹿8耐参戦については次回にてしっかりと……
元はと言えば前回紹介したとおり、ヤマハがパリ-ダカールラリー制覇に向けたマシン「YZE750T」を開発していく過程で砂漠にてトラクションを得やすいエンジン特性を探し求めているなか、それまで並列2気筒エンジンで一般的だった360度クランクと180度クランクではなく、270度クランクにしてみると非常に具合がいいことを発見!
「まるでバンク角90度のV型2気筒エンジンのような……気持ちよく、かつ路面をガッチリつかむトルク特性が得られるじゃないか! こりゃいいや、さっそくロードモデルに使ってみよう……」とパリダカマシンへ実戦投入するより先に(笑)、市場へ送り出されたのが「TRX850」だったのですね(安心してください、1997年と1998年は270度クランクを採用したパリダカマシン「XTZ850TRX」が見事に連覇を飾っていますよ)。

●1997年型「TRX850」カタログより。も〜筆者はメカニズム解説(うんちく)で文字だらけになっているカタログや雑誌広告が好きで好きでタマリマセン(^^ゞ。初代FF「ファミリア」や初代〜2代目の「RX-7」、マグナムエンジンを採用したFF「カペラ」などで光り輝いていたころのマツダが、クルマ雑誌や新聞で展開していた「文字だらけ広告」にトラウマ級のインパクトを与えられてしまったからでしょう……。あ、そんなことはともかく、このヤマハ開発陣の情熱がほとばしる文字列もガシガシ画面を拡大して一字一句読んでみてくださいね〜
ちなみにこの270度位相クランクを採用する並列2気筒エンジンというのは、当のヤマハが「XT1200Z スーパーテネレ」や、「MT-07」シリーズで展開していっただけでなく、

●ヤマハ「XT1200Z スーパーテネレ」のエンジン心臓部。270度位相クランクやバランサーシャフトなどが見てとれますね。あ、こちらは1気筒当たり4バルブです……
ホンダも「NC700」シリーズ以降、「アフリカツイン」や「CB750ホーネット」ほか数多くのモデルで採用!

●2012年型ホンダ「NC700X」PRESS INFORMATIONより抜粋。「NSR250R」や「ゴールドウイング」などを手がけた名エンジニア、青木征憲さんが手腕をふるったニューミッドコンセプトの並列2気筒エンジンは虚飾を排し、徹底して実利と費用対効果を追い求めたもので、トラクションに優れる味わい深い出力特性を実現するために迷わず270度位相クランクを採用! 製法にも工夫を凝らすなどで2012年のブランニューモデルでありながら「NC700X(ABSなし)」は税抜き当時価格で61万9000円(消費税5%込み価格64万9950円)という圧倒的な低価格でもドギモを抜き、一躍大ヒットモデルへ……
スズキだって最新の「GSX-8S/R」と「Vストローム800/DE」の心臓は270度位相クランクパラツイン……。

●図版と主要諸元数値はスズキ「GSX-8S」ウェブサイトより。270度位相クランクにより発生する1次振動と偶力振動を抑制するため、クランク軸に対して90度に1次バランサーを2軸配置したのが特許取得済みの新技術「スズキクロスバランサー」! 筆者はまだ体験できていないのですが、この80馬力/7.7㎏mを発揮する(Vストローム版は82馬力なんですね!)新開発された775㏄水冷4スト並列2気筒DOHC4バルブエンジン、やたらめったら評判がよろしいですなぁ……
ほか、数多い海外メーカーのニューモデルにもゾクゾク採用されるという一大トレンドとなっております。
90度V型エンジンと基本的に同じ優れたトルク特性を、前後長が短く車体設計の自由度を広げられ、なおかつコスト面でも有利な並列2気筒で実現できるとなれば、会社の偉い人もハンコをポンポン押すのは当然ですよね~。

●な〜んだかパラレルツインエンジンばっかりな世の中になってしまうのには、ちょっとばかり抵抗があったのですけれど、我々がお求め安い価格で好性能が楽しめるのならば、アリなのかなぁ……と現在思い直しています。技術の理想ばかり高くても偉い人の裁可が下りなければ製品は世に出てきませんしね〜
と、出木杉クン、いや「TDM850(前期型)」が不遇だった背景を述べるのに誌幅を使いすぎてしまいましたが(反省はしても後悔はしない)、次回はもうちょいとだけ「TRX850」を深掘りしつつ「TDM850(後期型)」そして「TDM900」までイッキに述べさせていただく予定です。

●いやぁ、2000年代を駆け抜けた「TDM900」も美麗ですなぁ! 原稿仕上がりをお楽しみに〜
あ、というわけで今や市場に数多く出回っている“270度位相クランクパラレルツインエンジン”搭載車。かくいう少々マニアックな視点から次期相棒を見つけるというのも大アリですよ。日本全国に300強の店舗を構えるレッドバロンには膨大な数の『5つ星品質』の中古車と魅力的なニューモデルが多数在庫しておりますので、きっとアナタのお眼鏡にかなう車両が見つかります!
TDM850/900という出木杉くん【後編その1】はコチラ!