「18歳になったら教習所へ大型自動二輪免許を取りに行って~、すぐビッグバイクに乗りたいんだ! ワイルドな(ホンダ)レブル1100かなぁ、(ヤマハ)FJR1300A/ASもまだ売ってるよね? (スズキ)GSX-S1000はカッコいいし~、レトロな(カワサキ)Z900RSもアリかな!」と筆者の脳内でイマジナリーJK娘が楽しそうに相談してくるのですが、こんな状況、つい40数年前は考えられないコトだったのですよ!
TDM850/900という出木杉くん【後編その1】はコチラ!
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今の常識は昔の非常識……。思えば遠くへきたもんだ(遠い目)
イマジナリー……。
恥ずかしながら筆者、“シン・エヴァ”で初めて認識した言葉だったのですけれど、「想像上の、架空の、空想の」などを意味する英語だったのですね。
実際には存在しないけれど心の中で想像されるものを指すとかで、最近よく使われているため流行りに乗っかってみました。
実際には妄想でJK娘を作り出してなんていませんよ。
そんなことはともかく(汗)、ちょいと40数年前にプレイバックしてみましょうか。
老若男女が先をあらそってバイクを買い求めていた、あの頃……
ここのコラムでも何度となく主張してきましたが、空前絶後、狂乱のバイクブームは1980年にヤマハが「RZ250」を発売したことから本格的に始まった……と筆者は考えております。
俗に言われる“HY戦争”を軸にしてスズキとカワサキも巻き込まれ(?)、血で血を洗う開発競争が激化!
250㏄クラスならホンダ「VT250F」、スズキ「RG250Γ」、ヤマハ「TZR250」、ホンダ「NSR250R」、カワサキ「ZXR250」……。
400㏄クラスならカワサキ「Z400FX」、ホンダ「CBX400F」、スズキ「GSX-R」、ヤマハ「FZ400R」、ホンダ「CBR400RR」、カワサキ「GPZ400R」……といったキラ星のごとく革新的、かつ魅力的なニューモデルたちがゾクゾクと発売され、その多くは押し並べて大ヒットを記録!
大ベストセラー「VT250F」なんて初代(1982年発売:MC08前期)も2代目(1984年発売:MC08後期)も公式プレスリリースにて国内のみで年間3万6000台を販売予定と謳っていましたからね。
そりゃもう250も400も(もちろん50㏄の原付バイクも)文字どおり飛ぶように売れたものです。
自分の国で生産しているバイクへ簡単には乗れなかった時代!
……と、ここまで読んでカンのいいナウなヤングは素朴な疑問を抱いたことでしょう。
「1980年代のバイクブーム時代って、ナナハンやセンヒャクといったビッグバイクの話をあまり聞かないけれど、どうだったの? 売れてなかったの?」と……。
「そ~うなんですよ、川崎さん!」(分かる?)
ちょうど1980年代バイクブームが燃え盛ったときに400㏄以上、つまり大ざっぱに言ってビッグバイクは多くのライダーにとって非常に縁遠い存在だったのです(今となっては信じられないことなのですが……)。
その理由、まず第1には「自主規制によって国内市場でメーカーが正規販売するバイクは750㏄(ナナハン)が最大排気量だった」ということ。
こちらはホンダがあの「DREAM CB750FOUR」を1969年に発売し、大ヒットさせたことがキッカケだったと言われております。
それまでも社会的な懸案となっていたバイク死亡事故増加や暴走族問題という事象へ火に油を注ぐ結果となってしまったことから、国産メーカー各社は申し合わせて「以降750㏄を超える排気量のバイクを日本では販売しません」という“自主規制”をスタートさせたのです。
とはいえ、逆に言えばナナハン(まで)なら何でもアリということですから、1971年にスズキが「GT750」、カワサキは「750SS」を。翌年にはヤマハが「TX750」を。そして1973年はカワサキが真打ち“Z2”こと「750RS」をデビューさせるなどで、いわゆる一大“ナナハンブーム”が巻き起こったのですね。
そうすると……、「んんん? メーカーはナナハン自主規制をしたかもしれんが、結局バイク事故も暴走族問題も減るどころか増えているじゃないか! けしから~ん!」と、国家行政組織の中枢へ近いところにおられるとても偉い方々が激怒したかどうか……は、不明なのですけれど(^^ゞ。
「ならばナナハンに乗るための免許取得をメチャクチャ難しくしてしまえ!」という方向性が定まってしまいます。
実のところ大昔、日本において二輪車に乗るための免許を取得することは非常にたやすく、例えば1965年まで「クルマの免許」さえ持っていれば制限なしであらゆるバイクに乗れたほど!……だったのですけれど、
その後、多少の紆余曲折があった(詳しくはコチラ)あと、ついに1975年、バイク免許が排気量制限のない「自動二輪免許」と400㏄以下に乗れる「中型限定自動二輪免許」、そして125㏄以下に乗れる「小型限定自動二輪免許」の3つに分類されるようになってしまいました。
こちらが1980年代バイクブーム時に大型バイクが縁遠かった第2の理由となります。
ビッグバイクへ乗るためには東大入試より難しい試験があった!?
つまり、小型&中型……400㏄以下のバイクに乗るための免許は身近な自動車教習所でも取得できるのですけれど、ナナハンだろうがリッタークラスだろうが堂々と乗ることができる「自動二輪免許」は、各都道府県ごとに1~数カ所しかない運転免許試験場で“限定解除審査”を受けなくてはならなくなったのですヨ。
これがいわゆる「限定解除」や「一発試験」と言われてきたヤツでして、イマいヤングたちもご両親や先輩ライダーたちから「とにかくヤベー試験だったんだよ……」と(聞きもしないのに)苦労話を語られたことがあるのではないでしょうか?
なんとその“限定解除”合格率は1~2%だったとも言われており、パスするまで数十回単位で試験場へ通ったという執念の逸話もザラにありました。
こちらについてはまた項を改めてネチネチ語ってやりたいところですけれど(笑)。
……ともあれ百花繚乱1980年代バイクブーム当時、
①国産メーカーのオーバーナナハンモデルは正規ラインアップとして買えず、逆輸入という手はあったもののまだ一般的ではなかった(ハーレーやドゥカティなど外国車メーカーは自主規制の外ながら、相当なマニアでなければ手を出しづらい高嶺の花状態)
②チューメンこと「中型限定自動二輪免許」から限定解除をはたして何でも乗れる「自動二輪免許」へステップアップしたい単車乗りは、それこそ星の数ほどいたけれど、“一発試験”という高いハードルのため、あきらめる人もまた星の数……というわけで、その鬱憤を晴らすかのように400㏄や250㏄モデルがバカ売れし続け、峠・サーキット・オフロードコースで国産4メーカーのガチバトルが繰り広げられたため、パフォーマンスは(ついでに価格も)アップアップし続けたのです。
1990年代は憧れの大排気量バイクがドンドン身近になっていった
しかし、そんな潮目が変わったのは1980年代が終わりを告げて訪れた1990年その年。
日本市場における750㏄上限の排気量制限“自主規制”がついに撤廃されて、オーバーナナハン国内仕様がドカスカと登場してきました(まぁ、馬力の自主規制は継続されたのですけれど……)。
同年ヤマハが先陣を切って1200㏄の「VMAX1200」が国内仕様を発売開始。
スズキは「VX800」、ホンダも800㏄の「パシフィックコースト」で続きました。
翌1991年はカワサキが「GPZ900R」をリリース。
“国内仕様と逆輸入車、どちらを選ぶべきか!?”という論争も激化しましたね(こちらもまたいつか……)。
人気ネイキッドの旗艦がリッターモデルとして登場し大フィーバー!
そしてそして運命の1992年、カワサキ「ゼファー1100」とホンダ「CB1000SF」というジャンル的にも大人気なドストライク車両がオーバーナナハン国内市場へと降臨いたします。
ともにチューメン……400㏄版の兄弟車が火をつけたネイキッドカテゴリーのフラッグシップモデル!
苦労して念願の限定解除をはたした絶対数の少ない「自動二輪免許」取得者は、「どうせなら威風堂々たる大排気量ビッグバイクを(一度は)経験したい」と考えてしまいがちなのですね(ワタシもそうでした(^^ゞ)。
そんな想いに応えるリッタークラスのゼファー&CBは想定どおりの人気爆発をはたし、ヤマハも「XJR1200」、スズキは「GSX1100Sカタナ」などで速攻追随し、オーバーナナハンのビッグネイキッドジャンルは一躍活況を呈することとなったのです……。
孤高の中間排気量ワインディングファイターは“西風”に翻弄されて……
と、ここまでリード欄や小見出し&写真説明分込みで6000文字以上書き連ねてきて、ようやく当コラム主人公、出木杉クンの登場です。
そ・う・な・の・で・す・よ。
ヤマハ「TDM850」が国内市場へ投入された1992年3月は、まさしくカワサキ「ゼファー1100」登場と同じ年、同じ月……。
あのレーサーレプリカブームでさえ吹き飛ばす勢いとなったネイキッドブームの代名詞、「ゼファー」の旗艦が満を持して登場するとあっては、バイク雑誌もこぞって大特集を組むしかありません。
当時、不肖オガワがアルバイトとして在籍していた八重洲出版 モーターサイクリスト誌でも表紙からカラーグラビア、モノクログラビア、活版ページに至るまでぶち抜きで多彩な企画が組まれた号に引き続き、数ヶ月間は何かしらのゼファー関連記事が誌面を賑わせていったもの。
それに引き替え「TDM850」はニューモデル紹介記事ちょびっと、単独試乗記事そこそこ、こじつけに近いライバル比較試乗企画(「パシフィックコースト」だったっけな?)にツーリングもの1~2本で誌上の露出はほぼ終了……。
インターネットがまだまだ普及していなかった当時は雑誌媒体の影響力がハンパなかったため、そこであまり取り上げられなかったことは販売戦略上、大きなハンデになったことは間違いありません。
結局、「TDM850」は翌1993年モデルでカラーリングチェンジを受け、
その翌年となる1994年型ではカラーリングはそのままにデカール類の配色が小変更されたのみで、(日本市場においては)雌伏の時期を過ごしていきます……。
逆に言うと豪勢な4気筒リッターバイクばかりが規制撤廃お祭り騒ぎでもてはやされるなか、“アドベンチャー”という殺し文句すらない時代に850㏄・5バルブ・並列2気筒のマルチパーパス☆峠無双ヤロウという微妙な立ち位置だった「TDM850(前期型)」を選び、購入した慧眼の“限定解除ライダー”には頭が下がるばかりです。
入手された方々は、さぞかし出来過ぎな好性能を楽しまれたはず……(イイネ!)。
世界初の270度クランク・パラレルツインを搭載した兄弟車が登場!
時に、西暦1995年。
「新世紀エヴァンゲリオン」が放送開始されたその年、のちに登場する後期型「TDM850」へも大きく関係してくるロードスポーツモデルが華々しくデビューを果たしました。
その名も「TRX850」!
見てのとおり「TDM850」用がベースの849㏄水冷4ストローク並列2気筒DOHC5バルブエンジンを採用しているのですけれど、左右シリンダーの爆発間隔が360度から270度へ変更されていました。
この270度位相クランクを持つ並列2気筒エンジンというのは、1995年型「TRX850」が量産車として世界で初めて採用したメカニズムだったのですね!
元はと言えば前回紹介したとおり、ヤマハがパリ-ダカールラリー制覇に向けたマシン「YZE750T」を開発していく過程で砂漠にてトラクションを得やすいエンジン特性を探し求めているなか、それまで並列2気筒エンジンで一般的だった360度クランクと180度クランクではなく、270度クランクにしてみると非常に具合がいいことを発見!
「まるでバンク角90度のV型2気筒エンジンのような……気持ちよく、かつ路面をガッチリつかむトルク特性が得られるじゃないか! こりゃいいや、さっそくロードモデルに使ってみよう……」とパリダカマシンへ実戦投入するより先に(笑)、市場へ送り出されたのが「TRX850」だったのですね(安心してください、1997年と1998年は270度クランクを採用したパリダカマシン「XTZ850TRX」が見事に連覇を飾っていますよ)。
ちなみにこの270度位相クランクを採用する並列2気筒エンジンというのは、当のヤマハが「XT1200Z スーパーテネレ」や、「MT-07」シリーズで展開していっただけでなく、
ホンダも「NC700」シリーズ以降、「アフリカツイン」や「CB750ホーネット」ほか数多くのモデルで採用!
スズキだって最新の「GSX-8S/R」と「Vストローム800/DE」の心臓は270度位相クランクパラツイン……。
ほか、数多い海外メーカーのニューモデルにもゾクゾク採用されるという一大トレンドとなっております。
90度V型エンジンと基本的に同じ優れたトルク特性を、前後長が短く車体設計の自由度を広げられ、なおかつコスト面でも有利な並列2気筒で実現できるとなれば、会社の偉い人もハンコをポンポン押すのは当然ですよね~。
と、出木杉クン、いや「TDM850(前期型)」が不遇だった背景を述べるのに誌幅を使いすぎてしまいましたが(反省はしても後悔はしない)、次回はもうちょいとだけ「TRX850」を深掘りしつつ「TDM850(後期型)」そして「TDM900」までイッキに述べさせていただく予定です。
あ、というわけで今や市場に数多く出回っている“270度位相クランクパラレルツインエンジン”搭載車。かくいう少々マニアックな視点から次期相棒を見つけるというのも大アリですよ。日本全国に300強の店舗を構えるレッドバロンには膨大な数の『5つ星品質』の中古車と魅力的なニューモデルが多数在庫しておりますので、きっとアナタのお眼鏡にかなう車両が見つかります!
TDM850/900という出木杉くん【後編その1】はコチラ!