1985年、当時の量産市販二輪車においてブッチギリの最高出力145馬力を引っさげ北米デビューを果たした力の象徴「VMAX」! 「ナニソ~レ、イイジャン! コッチにも頼メルシー!?」とばかり1986年には欧州仕様が。なんと1990年にはヤマハのオーバーナナハン解禁第一号モデルとして日本仕様まで登場したではあ~りませんか。駄菓子菓~子! 欧州&日本向けには“アレ”が付いてなかったのですよ……(涙)

VMAXリヤビュー

●後述いたしますが、まだEU(欧州連合)も創立されていなかった1980年代後半(EU設立は1993年11月1日〜。もっと言えばユーロ貨幣の流通開始は2002年1月1日〜)。欧州向けとして送り込まれた「VMAX」が一番売れたのはフランスだったとか。バイクもクルマも自転車も耐久レースが大好きなお国柄でホットロッドなスプリント・アメリカンが受けたというのは不思議な気もいたしますが、だからこそ“アレ”が付いていなかったことを大して気に留めなかったのかな……とも!?

 

 

VMAXという孤高の“魔神”【その1】はコチラ!

 

VMAXという孤高の“魔神”【その3】はしばらくお待ちください m(_ _)m

1998㏄直6のトヨタ1G-EUでさえ130馬力だった時代に……

 

しつこいようですが、1985年に1198㏄のバイク「VMAX」が叩き出した145馬力というパワーには絶大なるインパクトがありました。

セリカXX

1980年に全く新規の“ストレート6”として登場したトヨタのLASRE(レーザー)・1G-EU型水冷4スト直列6気筒OHC2バルブエンジン。往年を知る人には懐かしいはずのLASREとはLight-Weight Advanced SuperResponse Engineの頭文字をとったもので軽量で抜群のレスポンスを示すエンジン……といったところ。クラウン、ソアラ、マークⅡ、チェイサー、クレスタなどにも使われた中堅量販パワーユニットは登場時125馬力でしたが、1985年1月にマイナーチェンジを受けた写真の「セリカXX(ダブルエックス)」搭載版では電子制御装置の進化を受けて130馬力を絞り出しました

 

 

 

現在のイメージでいったら“ポッと出のジャメリカン(ジャパニーズアメリカンの揶揄語)がフルパワー300馬力で降臨した!?”くらいの衝撃度でしょうか(^^ゞ

 

 

ちなみに皆さんご存じ『頭文字(イニシャル)D』でおなじみ“ハチロク”ことトヨタ「カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)」は、まさしく「VMAX」が北米デビューした1985年に絶賛発売中だったのですけれど、搭載されていた4A-GEU型(1587㏄水冷4スト直列4気筒DOHC4バルブ)エンジンはカタログ値で130馬力/6600rpmというスペックでした。

イニシャルD

●写真は2024年10月9日〜21日、そごう横浜店で開催された「しげの秀一原画展」で展示されていた実物大ハチロクの撮影用ボード。まぁ作中の藤原とうふ店AE86トレノは主人公藤原拓海の父、文太が入念に手を加えたエンジンを積んでおり、初代エンジンで150馬力(高橋涼介推測値)。そちらが壊れて載せ替えた2代目パワーユニットはレース向けのハイチューンが施された超高回転型で最大240馬力……公道用にデチューンされて220馬力ほどではないかと言われていましたね。あ、こちらの原画展、2024年12月19日〜12月30日までの期間限定で東京・東武百貨店 池袋店にて開催されますのでタイミングが合えばぜひ。バリバリ伝説の名シーンもテンコ盛りで感涙必至です!

 

 

 

そんな昭和60年は日産のR31「スカイライン」や

R31スカイラインGTS-R

●1985年に7代目として登場したR31型スカイライン。トヨタが牽引した“ハイソカー”ブームに乗ろうとしたのですけれどうまくいかず、後期型で写真の1987年型「スカイライン2000GTS-R」のようなスポーティ路線へ大胆に舵を切って人気が持ち直しましたね。全日本ツーリングカー選手権をはじめとしたレースを席巻した勢いが1989年デビューの「スカイラインGT-R」復活へとつながっていったのです

 

 

 

センターピラーレス4ドアハードトップ(!)のトヨタ「カリーナED」、

カリーナED

●質実剛健な“足のいいやつ”としてトヨタ「コロナ」や日産「ブルーバード」とはちょいと違う、若々しいセダンイメージを訴求していたトヨタ「カリーナ」が、突然どうしちゃったの的にはっちゃけたエロティックでナンパな派生車を爆誕……。それが写真の1985年型トヨタ「カリーナED」でした。今となっては相当に使いづらいし発声しづらい“ED”というペットネームは「エキサイティング・ドレッシー」の頭文字。やたらと天井が低いし車体剛性的にも少々難のあるスタイリングが当時バカ受けしたのですから、世の中どこにヒットの芽があるかわかりません。ライバルメーカーからも次々と追随したモデルが出てきたものです……

 

 

フランスはパリを自在に舞うテレビCMで話題となったいすゞ「ジェミニ」、

FFジェミニ_1985

●写真は「街の遊撃手」という名キャッチコピーでも知られる1985年デビューのいすゞ「ジェミニ」。あのアクロバティックなテレビCMで認知度が一気に広がり、いすゞ最大のヒット作へと成り上がったモデルですね。アーバンライフを満喫しつつバイクもクルマも大好きな親戚のオジサンが後日、「ジェミニZZ ハンドリング・バイ・ロータス」を購入したと聞いたときには快哉を叫びました。ターボのイルムシャーを選ばなかったところも“らしい”なぁ、と……

 

 

デートカーとして一世を風靡した2代目ホンダ「プレリュード」待望のDOHCエンジン搭載モデル

プレリュードSI

●1982年11月にフルモデルチェンジを受けてリトラクタブルヘッドライトのFFスペシャリティカーとして登場した2代目ホンダ「プレリュード」。「ボレロ」とともに疾走するCMもカッコよかった〜。その人気を猛加速させたのが1985年にタイプ追加された「プレリュード2.0 Si」でした。ファンが待ち焦がれた1958㏄水冷4スト直列4気筒DOHC4バルブエンジンはVTEC機構こそ持たないもののスカッと吹け上がり160馬力/6300rpmのパフォーマンスを発揮! キープコンセプトで洗練度を深めた3代目ではさらに人気が爆発しました。ホント〜に街でよく見たなぁ……。そして……令和の世に6代目が復活するとも言われてますね!

 

 

などが次々にデビューして走り回っていたという、今となっては夢のような懐かしき世界

カップルでドライブ

●大学生のうちに免許を取ってバイクに乗って新社会人になったらソッコーで長期間ローン組んでデートカーかスポーツカーを買って“ヤングアダルト情報源”片手に彼女を作って休みのたびにドライブデート……。受験勉強そっちのけでモーターサイクリスト誌の一字一句を暗記しつつ妄想を膨らませていた筆者の未来予想図は半分も実現せず。クリスマスだというのに肉体労働バイトの帰り道、プレリュードやシルビア、RX-7などの車内でイチャイチャしている仲むつまじいカップルの姿を見るたびに、ひがみ心のVブーストが全開になったものです

 

 

 

当時、クルマ向け排気量2000㏄+αの自然吸気エンジンは、ほぼほぼ軒並み「VMAX」より最高出力が下でしたからね~。

 

 

もちろんバイクとクルマとでは土俵が違うため単純比較できるものではないのですけれど、ひとつの指標として……。

 

フルパワー「VMAX」は1馬力=1万円で日本へ逆輸入されていた!?

 

かくいう「VMAX」を「VMAX」たらしめた驚きのハイパワーを生み出すコアテクノロジーこそが、その名も「V-BOOST」

 

 

1気筒が吸い込む混合気をエンジン回転数に応じて1つのキャブレターから倍となるツインキャブ状態へと変化させ、ドカスカと〜かつスムーズにシリンダー内へと供給するという悪魔的アイテムの存在は、瞬く間に世界中のバイクファンへ知れわたることとなりました。

Vブースト

●本当に「VMAX」のキモなので何度でも掲載&説明しますよのVブースト! V型4気筒エンジンのVバンク間にダウンドラフトキャブレターが4つ装着されており、その下部にある混合気の通路=インテークマニホールド(上図版の黄色い部分)の前後を貫通させてサーボモーターで可動するバタフライバルブを設定したのがVブーストシステム。エンジン回転数が6000rpmを超えた時点でバルブが開き始め8500rpmで全開に(上図はまさに全開時)! すると1気筒当たり2つのキャブレターが大量かつスムーズにガソリン混合気をシリンダーへ送り込むため、爆発的なパワーアップ=怒濤の加速を実現するのです!!

 

 

 

当然のごとくまばゆいばかりの魅力に満ちた“力の象徴”奪い合う狂想曲は日本でも速攻でスタートし、おなじみレッドバロンでは「VMAX」が北米デビューを果たした1985年からフルパワーUS仕様の逆輸入車を発売開始!

レッドバロン逆車カタログ

●写真はレッドバロン(当時の社名はヤマハオートセンター)が1985年に自社で製作して店舗に設置していたというカタログ。国内4メーカーの逆輸入車(例:ホンダ「CB900F」、「CB1100F」、「CX500ターボ」、ヤマハ「FJ1100」、「FJ1200」、「XV1100ビラーゴ」、スズキ「GSX-R1100」、「GSX1100S KATANA」、カワサキ「KZ1300A」、「GPZ900R」といった憧れのビッグバイクたち!)はもちろんのこと、ハーレー、BMW、ドゥカティ、モト・グッツィ、ベスパといった外国車も掲載。筆者が当時こんなものを入手した日にはゴハン2968杯くらいイッてましたわ!

 

 

 

当時の価格は145万円1馬力1万円ということ!?(^^ゞ)だったそうですが、当時を知るレッドバロンのベテランスタッフいわく、「1985年のデビュー後すぐに仕入れ始めたときからVMAXはもう飛ぶように売れました。入荷しても入荷してもすぐに店頭からなくなる……という状況です。とにもかくにも“Vブースト”という言葉に刺さるライダーが多かった! 個人的な印象ですけれど、レーサーレプリカから乗り換える人が相当な比率を占めてましたね」とのこと。

VMAX北米1985年

1985年型北米フルパワー仕様の「VMX12(V-MAX)」。シリンダー挟角70度の1198㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンはボア×ストローク76×66㎜、圧縮比10.5、そして4連ダウンドラフトキャブレター (ミクニ・BDS35)の実力と相まって最高出力145馬力/9000rpm、最大トルク12.4kgm/7500rpm(変速機は5速リターン)! 全長×全幅×全高は2300×795×1160㎜。ホイールベース1590㎜、キャスター角29゜、トレール量119㎜、最低地上高145㎜。燃料タンク容量15ℓ、シート高765㎜、装備重量274㎏。ブレーキ形式(前・後)φ310㎜ダブルディスク・φ230㎜ディスク……。ほんまに、カッコよろしおますなぁ〜(^^ゞ

 

 

東大合格より難しい!?とも言われた限定解除へのモチベーションに

 

ご存じのとおり、そのころはまだ自動車教習所でも取得できる「大型自動二輪免許」なんて影も形もなく、ビッグバイクに乗りたければ各都道府県の免許センターにある“試験場”で眼光鋭い試験官から発せられるプレッシャーをはねのけつつ、毎回変わるコースを一定以上のミスなく走りきらなければ(中型限定二輪免許からの)限定解除ができなかった一発試験時代!

合格発表

●いやぁ,高校受験や大学受験で合格した瞬間も嬉しかったのですが、やはり人生で最高にアガった合格発表というのは“限定解除”に成功した瞬間ですね(個人の感想です)。大学時代、埼玉県草加市の下宿から早起きして当時の愛車ホンダ「VTZ250」とともに鴻巣市の運転免許センターまで、限定解除試験を受けるたびにちょっとしたツーリング(往復で約100㎞。ほぼ4時間が消えるルート……)。合格発表時、電光掲示板に自分のナンバーを見つけたときは「これで宇宙に乗れぬバイクなし!」と大興奮すると同時に「渋滞と信号だらけの受験ツーからオサラバできる!」という感慨も湧きました

 

 

 

冗談抜きで1980年代、限定解除の合格率は数(1〜3)%だとささやかれていた時代にもかかわらず、「VMAXに乗りたいですから!」とその狭き門へ果敢に挑んでいくライダーをやたら数多く輩出したという面でも特筆すべきモデルだったと断言できるでしょう(当時、リッターバイクのために限定解除!の1位は「VMAX」として2位カワサキ「GPZ900R」、3位スズキ「GSX1100Sカタナ」……でしょうか。ホンダは「VF1000R」より「CB1100F」のほうが人気アリだった印象。あくまで筆者の肌感覚ですが m(_ _)m)。

CB1100F

●写真は1983年型ホンダ「CB1100F」北米仕様……。とにかく1980年代前半の「CB750F」人気というのは異常なほどで実際ナナハンは限定解除時代とは思えない大ヒットを記録。そうなると「その方向性は好きだけど人と全く同じものはイヤだ〜」という気分になるのがニンゲンというものなのでしょう。「CB900F」、「CB1100F」、果ては「CB1100R」まで食指を動かすライダーが多数。かくいう方々のおかげもあって、日本市場に本来はありえない珍しく貴重な車両が山ほど流通していたりするのです m(_ _)m

 

 

 

そしてなんとか合格した暁には猛ダッシュでレッドバロンほかの逆輸入車販売ショップへ行き、晴れて「VMAX」をご契約……という流れがそこここで発生していたのですね。

1986年VMAX_USA

●北米仕様1986年型「VMX12(V-MAX)」。サイドカバーの“Vmax”ロゴが立体化されたほか、リヤシートの厚みが増され、リヤホイールの形状変更も行われました。色はシャイニーブラック(写真)とスパークマルーンへ変更されています。ちなみに北米仕様は1985年に6622台、翌1986年は315台が生産されたと記録されています

 

 

 

今やカワサキ「Z900RS」のスタンダードモデルが148万5000円のプライスタグをぶら下げているご時世ですので感覚が麻痺してしまいますけれど、約40年前だとしても145万円が非常に高価なことは間違いありません。

Z900RS_2025年モデル

●2017年12月に発売開始。以来、2018年から6年連続でビッグバイククラスベストセラーの座に君臨しており、2024年度もまず間違いなくトップを獲るだろうと言われているカワサキ「Z900RS」(写真は2025年型のSTDモデル)。いやぁ、本当に老若男女のココロを撃ち抜く仕掛けが素晴らしいですね。今やSTDに加えて「Z900RS CAFE」、「Z900RS SE」、「Z900RS Yellow Ball Edition」と全4バリエーションを展開しており、幅広い方向性のファンを数多く獲得しています。スタイリング的にもちょっとイジるところがないので、このまま“SR”のように外装デザイン不変のままで覇道を突き進んでいく……のかな!?

 

 

 

……とはいえ当時はバブル経済勃興前夜でもありましたし給料は着実に上昇中

 

 

さらに社会保険料はまだ安く消費税なんてものもナシでしたから、モーレツに働いた分は手取りとしてしっかりフトコロに入ってきて可処分所得もタップリというイイ時代でした。

仕事しただけ

●仕事は大変だったけど、やればやるだけ素直に収入が増えていった時代。♪24時間たたか〜えますか〜とばかり、栄養ドリンク片手に徹夜もいとわずバリバリと働いたものです

 

 

 

また、1985年9月のプラザ合意から強烈な円高が進み海外のものが割安で購入できるようになっていきましたので、このあたりから1990年代にかけて空前の逆輸入車ブームが巻き起こることになったのです!

 

今や死語!? 当時を語るとき避けて通れない「逆輸入車」という概念!

 

……と、ここで「ハテ、今どきのナウなヤングは“逆輸入車”なんて言葉すら知らないのかも」と思い至りましたので簡単に説明をば。

 

 

ズバリ逆輸入車とは日本のバイクメーカーが海外向けに開発と生産と行ない、一度は輸出した車両再び日本に輸入する……というハンパない手間をかけたバイクのこと。

輸入イメージ

日本にある工場で作られたバイクなのに、わざわざコンテナに載せて船で海を渡って輸出して、現地のディストリビューターが手続きをしたあと再び日本へ輸入というカタチで送り返す(ゆえに逆輸入車、略して逆車)。するとあら不思議、ナナハン以上だろうが200馬力だろうが、300㎞/h出せるような超高性能日本車であろうとも堂々と公道を走らせることができるようになる……。今こうして文字におこしていても「なんだかなぁ!」(by加藤あい、いや阿藤 快)という思いがぬぐえません

 

 

 

な~んで、そのようなしち面倒くさい手続きをしなければならなかったのかというと、日本のメーカーが国内で販売する車両にはそれはもう数多くの規制(自主規制を含む)があったからなのですね。

 

 

なんといっても大きかったのはナナハン規制

 

 

1969年に発売されたホンダ「ドリームCB750フォア」の誇る高性能っぷりがあまりにも従来車とケタ違いかつ衝撃的だったためバイク事故や暴走族問題の増加拡大が懸念され、「これ以上速いバイクを日本で走らせちゃイカ~ン!」とばかり関係各省庁の指導があった……かどうかは不明ながら、国内4大メーカーは1969年以降に750㏄を超える排気量の二輪車を国内では販売しないという自主規制をスタートさせたのです。

Honda CB750FOUR

●1969年8月に国内発売され“世界最高級の超高性能オートバイ”として圧倒的人気を誇ったホンダ「ドリームCB750 FOUR(K0)」。736㏄空冷4ストローク並列4気筒OHC2バルブエンジンは最高出力67馬力/8000rpm、最大トルク6.1kgm/7000rpm。燃料タンク容量19ℓ、シート高805㎜、乾燥重量218㎏、当時価格38万5000円最高速度200㎞/h、ゼロヨン12.4秒というハイパフォーマンスは当時、全世界的にみてもズバ抜けたものでした

 

 

 

その影響をまともに食らったのがカワサキZ1こと「900スーパーフォア」で、打倒CB750フォア!を掲げて開発に注力し、性能的に大きく凌駕するバイクを作り上げたものの国内市場には出せなくなった……

Z1

●1972年に世界デビューを飾ったカワサキ「900 SUPER FOUR」。903㏄空冷4ストローク並列4気筒DOHC2バルブエンジンは最高出力82馬力/8500rpm、最大トルク7.5㎏m/7000rpm。燃料タンク容量18ℓ、シート高813㎜、乾燥重量230㎏。最高速度209㎞/h以上、ゼロヨン12.0秒と公表されました。なお「Z1」とは型式名

 

 

ならば!とばかり用意されたのがZ2こと「750RS」なのです。

●1973年に国内発売されたカワサキ「750RS(型式名Z2)」。746㏄空冷4ストローク並列4気筒DOHC2バルブエンジンは最高出力69馬力/9000rpm、最大トルク5.9kgm/8500rpm。燃料タンク容量17ℓ、シート高820㎜、乾燥重量230㎏、当時価格41万8000円。Z1からボアダウンだけしてお手軽に排気量ダウンするのではなく、ストロークまで変更してナナハン最適化を図った点も高く評価されていますね。研二クンもご満悦です(^▽^)

 

 

同様にスズキ「GSX1100Sカタナ」は「GSX750S」となり、Ninjaことカワサキ「GPZ900R」も「GPZ750R」となって国内正規発売が行われました。

 

 

ちなみにこのナナハン規制、海外メーカーが作ったモデルを日本へ輸入するぶんにはお咎めなし

 

 

ドゥカティ、モト・グッツィ、BMW、トライアンフ、ハーレーダビッドソン……名だたる海外ビッグバイク勢に憧れるライダーも多かったはずですが、そもそも高嶺の花だし~免許取得(限定解除)は大変だし~で、現在とは比べるべくもないほど特殊な存在……羨望の的だったのです。

BMW R100RS

●シブすぎる1986年型 BMW「R100RS」……いやもう当時は廃品回収置き場からせしめた(時効)別冊モーターサイクリストを眺めては「ぶちすげぇ。でもワシにゃぁ関係ねぇ世界じゃのう〜」と勝手に壁を作ってましたね。狂乱のバイクブームど真ん中、思春期のスペック至上主義ヤロウにとって国内4メーカーの仁義なき大バトルがあまりにもオモシロすぎたので……

 

 

大変だ! 力の象徴たる“魔神”が去勢(?)されてしまったァ……

 

さて、話を「VMAX」に戻すと猛ダッシュを決めた北米での人気へ引きずられるように1986年には欧州への輸出がスタートしたのですが、なんとエンジンにVブーストは実装されておらず(キャブレターの連結部分にはアルミ製のぶっといジョイントでフタが……)最高出力は100馬力/7500rpm、最大トルクは11.7kgm/6000rpmというパフォーマンスに抑えられてしまったのですけれど、これがまたフランス市場を中心に大人気を博すことになるのですから真実は小説より奇なり。

1986年型欧州向けVMAX1200

●1986年型 欧州向け「V-Max」。実のところひと口に欧州と言っても各国で独自の規制があり、例えば当時フランスではバイク出力の上限が106馬力、ドイツでは100馬力だったりしたので、一律100馬力にしてしまえば幅広い国に売ることができたんだよ……と事情通な先輩に聞いた覚えがあります。そりゃVブーストは要りませんよね……

 

 

 

以降、北米仕様欧州仕様はカラーだけでなく外観の小変更を含め独自性を持った改良が施されていくことになります。

VMAX1200_1987

北米仕様1987年型「VMX12(V-MAX)」! イエ〜イ、筆者の脳裏に刻み込まれている“魔神”のイメージはアップルレッドのコイツなんですよね〜。前後ともディッシュタイプのホイールとなりシリンダーの中央部にも銀色が輝いて……。首尾良く獨協大学へ入学して2年生になったはいいけれど、彼女もおらず下宿でバイク雑誌ばかり読んでいたせいかもしれない。あ、当時を思い出したら涙が(^^ゞ

 

 

ちょいと遠回りしてしまいましたが再び舞台を日本へと戻しますと、長らく日本のバイク好きを苦しめてきたナナハン(以上の排気量は売っちゃダメよ)規制は、1988年にホンダが米国生産の「ゴールドウイング(GL1500)」を輸入して正規販売、さらには1990年にスズキが創業70周年を記念して「GSX1100S カタナ」を1000台限定で逆輸入してスズキディーラーで正規販売を行ったことから形骸化……。

 

 

結局、1969年に始まった国内ではナナハンが実質的に最大排気量という自主規制は1990年に撤廃されることとなり、各メーカーから750㏄を超えるモデルが続々とデビューすることに~。

 

 

そして数ある大排気量ラインアップの中からヤマハがオーバーナナハン解禁第一弾として選んだのが、まさしく「VMAX」だったのです。

VMAX1200_1990

●1990年型 日本仕様のヤマハ「VMAX1200」。登場当時の車体色はシャイニーブラックでした。ドヤァ……!

 

 

ところがところが当時はまだ“たとえ大排気量車であろうが上限は100馬力”というパワー面での自主規制が残っており(ついでに書いておくと180㎞/hまでという最高速度自主規制もありました)、国内仕様は欧州仕様同様にVブーストが取り除かれて最高出力97馬力/7000rpm、最大トルク11.3㎏m/6000rpmという言葉は悪いですが牙を抜かれた仕様で登場……。

VMAX1200カタログ

●1990年12月に配布された国内向けヤマハ「VMAX1200」カタログより。さりげなく車体色がブラックメタリックⅡに変更されております。税抜き当時価格は89万円。国内デビューしたのは同年2月でしたが、なんとも微妙な空気が漂っていたのを記憶しています。というのも1985年当時1ドル=約238円だった為替レートはプラザ合意のおかげで1989年には1ドル=約138円と100円単位でどえりゃぁ円高化。当初145万円だったレッドバロンでのフルパワーUS仕様の価格は税抜き108万円にまで下がっておりましたので「19万円差で48馬力違うのか……」とカタログを凝視しながらず〜っと悩んでいる友人の姿が忘れられません(結局、逆輸入車を購入)

 

 

ここから日本ライダーの「逆輸入車にするべきか日本仕様にするべきか、それが問題だ」というシェークスピア『ハムレット』もかくやの悩ましい葛藤劇が始まったのです……。

シェイクスピア

●いらすとやさんにいたシェークスピアさん。美味しそうな名前ですね(オイ)

 

 

次回はそんな究極な選択肢に多くのライダーたちがどう決断していったのかを中心にお届けしてまいりましょう!

 

【おまけ】好敵手カワサキ「エリミネーター」は驚きの下方展開戦略!

エリミネーター900

●「VMAX」が北米デビューした1985年、カワサキからも大排気量ドラッグアメリカン「エリミネーター900」が世界デビューを果たしていたのですよね。こちらはお察しのとおりNinjaこと「GPZ900R」のエンジンをデチューンして(105馬力)搭載しており、ロー&ロングなスタイリングのカッコよさも相まって一定以上の支持を獲得。しっかり国内向けに「エリミネーター750」を出してくるところも好感度大! というわけでそのあたりのストーリーはこちらをご覧ください m(_ _)m

エリミネーター400カタログ

●1994年型カワサキ「エリミネーター400」カタログより。こんなはっちゃけたカラーリングもあったのです。筆者も大ファンの「てんちょー」さんが可愛らしいイラストとともにエリミの歴史を語るウェブサイトはコチラ

 

 

あ、というわけで貿易部が設立された1976年以降、約50年間にわたり国内外さまざまな車両を取り扱ってきたレッドバロンには、当然ながら「VMAX」の1200版だけでなく1700版も(逆輸入車、国内仕様とも)在庫あり。特に1200の逆輸入車は豊富な数がそろっているとか。補修パーツもたっぷりストックされておりますのでアフターサービスの心配ご無用! まずはお近くの店舗でスタッフに問い合わせてみてくださいね~(^^ゞ

 

 

VMAXという孤高の“魔神”【その3】はしばらくお待ちください m(_ _)m

 

VMAXという孤高の“魔神”【その1】はコチラ!

 

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