1990年、ふた昔以上前からずっと続いていた自主規制「日本の4大メーカーは750㏄以上のバイクを国内で正規販売いたしません」が本格的に撤廃され、ビッグバイクブームが急加速いたします。ヤマハは数多の海外向けラインアップの中から「VMAX」に白羽の矢を立てリーズナブルプライスとともに日本市場へリリース! 押すな押すなの大盛況になる……と思いきや、異なる規制が気勢を削いだのです~!?
●1990年12月に配布された国内向けヤマハ「VMAX1200」カタログより。5年前の1985年、“ホットロッド、スプリント・アメリカン”という勇ましいキャッチフレーズと145馬力という当時の市販車最高馬力を引っさげて北米デビューを果たした「VMX12(V-MAX)」。それから5年後の1990年、Vブースト機構を外されて97馬力となった「VMAX1200」が晴れて国内市場へとデビューいたしました。謳い文句は“プレスティージ・グランド・ツアラー”……そうなのです。ゼロヨンを10秒台で走りきるアメリカ向け“力の象徴”は、厳しい日本の規制へ適応し“威信ある壮大なツアラー”として故郷へ降り立ったのです。実際のところ車両はとてもイイ出来だったのですけれどユーザーのフルパワーへの渇望は想像を絶するほどだったのDEATH YO……
VMAXという孤高の“魔神”【その2】はコチラ!
VMAXという孤高の“魔神”【その4】は今しばらくお待ちください m(_ _)m
バブル好景気真っ盛り! バイク好景気も永遠に続くはず……だった!?
1990(平成2年)……。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2&PART3』や『ダイ・ハード2』が大ヒットを記録し、トレンディドラマにお茶の間が沸き、東西ドイツが統一され、日経平均株価が一時3万9000円台を記録した約35年前。
●関東圏のアルバイト情報誌がどんどんブ厚くなり、それでも週一じゃページ数が足りないってんで週二刊行となったり、就活で企業面接へ行けば1回目で即内定が出て帰りの交通費+αまで手渡されたり、冬は毎週のようにスキーバスツアーへ行ってリフト乗るのに2時間以上かかったり、似合わない肩幅の広いスーツでキメてディスコで扇子持って踊るボディコンさんと一瞬だけ仲良くなったり、大型ショップにて10万円台で叩き売られている中古のNSRやTZRやGSX-RやGPzを眺めて「どれにしようかな〜」とほくそ笑んだり(上記は全て筆者の体験談)していた1990年。リッターバイクが本格的に解禁される!というニュースには一段とココロときめいたものです〜
2スト250、4スト400を中心としたレーサーレプリカブームは相変わらず燃えさかっており(性能と価格が正比例して急上昇しておりましたが……)、
●1990年型ホンダ「NSR250R」。ヤマハがRZで先鞭をつけTZRが築いた大きなアドバンテージを電脳化された超強力Vツインで一気にひっくり返し、シャシーの高い熟成度でもひとつの完成をみた“キューマルNSR”。以降このSTDだけでなくSE、SPといったバリエーションモデルも展開して2ストレプリカの代名詞的存在へ……。同ジャンルでヤマハとスズキが本腰を入れて猛追したときにはブームが終焉してしまうというタイミングを考えても、ホントにNSRは“持って”おりましたなぁ。なお、先鋭化していくばかりの性能競争は価格の急騰をもたらし、末期の400レプリカなんて70万〜80万円台は当たり前!という世界に突入していましたから……(汗)
オフロードジャンルに目を向ければエンデューロレースだって相変わらずの大人気。
●1984年の登場以来、日本の2ストオフロードシーンを牽引し続けたヤマハ「DT200R」。長らくライバル不在な月日が流れたものの1989年にカワサキが「KDX200SR」を登場させて王座を奪取。そちらに対応すべく1991年に衝撃のデビューを果たしたのが「DT200WR」でした(写真は1992年型)。199.7㏄の水冷単気筒エンジンは35馬力を発揮! ところがホンダ「CRM250R」やカワサキ「KDX250SR」、スズキからは「RMX250S」が同時期に相次いで発表され2ストオフロード市場の関心は250㏄クラスへ……。それでも200㏄に拘り続けたヤマハには,その後も一定以上の支持が集まり続けたものです
蛍光色やブラッシュパターンを取り入れたド派手なライディングウエアもオン用、オフ用問わず百花繚乱……と、
●ショッキングピンクのKISS(キジマ)、蛍光色を多用したKENZ、鮮烈な黄色が目に眩しかったイエローコーンなどなど、多くのジャケットメーカーがド派手な製品を作り、一般ライダーもそれで街を闊歩していた1990年代初頭。まさしくズバリな写真が見つからなかったのでイラストはイメージなのですけれど、色味的にはこのような雰囲気だったのです、ホント
1980年代に絶頂を極めたバイクブームは1990年代に入ってもまだまだ幾久しく続いていくのだぁ〜っ!と一般ライダーはもちろんギョーカイ人でさえ強く思い込んでいた時期でありました。
ただ、前年ひっそりデビューしたカワサキ「ゼファー」をきっかけにネイキッドブームが巻き起こりはじめ、さらに翌1991年からバブル崩壊が本格化してしまいますので密かに、しかし確実に潮目は変わりつつあったのですけれど……。
閑話休題。
待望久しかったリッターバイクも遂に解禁だヨ ヤァ!ヤァ!ヤァ!
1988年にホンダが米国生産の「ゴールドウイング(GL1500)」を輸入販売しオーバーナナハン解禁の鏑矢とすると、1990年にはスズキが創業70周年記念車として「GSX1100Sカタナ」を逆輸入して正規販売。
●1990年型スズキ「GSX1100S カタナ アニバーサリー」。俗に“アニバ”とも呼ばれている(アミバじゃないよ)スズキ創業70周年記念車。逆輸入車ですから111馬力/9.8㎏mというパワフルエンジンなまま1000台限定で記念ステッカーや純銀製キーホルダーまで付いて119万円(※税抜き価格・以下同)ポッキリ! そりゃもう当然のごとく大人気沸騰でアッという間に売り切れてしまい、買い損ねたユーザーから大ブーイングが巻き起こります。すると優しいスズキは(?)その声へ応えるように記念ステッカーとキーホルダーこそ抜きにしたけど同様のモデルを追加販売……。1994年にはまた改めて国内仕様車として95馬力/8.6㎏mの「GSX1100S カタナ」が89万9000円で発売されたりしてますので、もう何がなんだか状態でしたな(^^ゞ
以降ついに750㏄超えのビッグバイクを正規販売する国内仕様車が続々と登場してくることになります。
このとき面白かったのがスズキでして、前述のとおりホンダは「ゴールドウイング GL1500」、ヤマハが「VMAX(国内仕様の正式名称は「VMAX1200」)」、
●1990年型日本仕様のヤマハ「VMAX1200」。1198㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンはVブーストが取り外されて最高出力97馬力/7000rpm【145馬力/9000rpm *USフルパワー仕様 以下同】、最大トルク11.3㎏m/6000rpm【12.4kgm/7500rpm】に……。全長×全幅×全高は2300×785×1175㎜【2300×795×1160㎜】。ホイールベース1590㎜、キャスター角29゜、トレール量119㎜、最低地上高155㎜【145㎜】。燃料タンク容量15ℓ、シート高765㎜、乾燥重量264㎏【装備重量274㎏(乾燥重量254㎏)】。タイヤ前・後110/90-18・150/90-15【110/90 V18・150/90 V15】 ブレーキ形式(前・後)φ310㎜ダブルディスク・φ230㎜ディスク。当然、180㎞/hリミッターも付いておりました
カワサキは世界デビューから7年以上経つも根強い人気を誇っていたニンジャこと「GPZ900R」と、
●1984年に115馬力/8.7㎏m(欧州フルパワー仕様)を誇示しつつ衝撃のデビューを果たした“Ninja”こと「GPZ900R」。世界最速の座を狙うフラッグシップとしての役割は1986年登場の「GPZ1000RX」、1988年「ZX-10」、1990年「ZZR1100」が受け継いでいったものの、トータルバランスの良さや1986年に公開された『トップガン』の影響もあり生産は継続。そして1991年、カワサキのオーバーナナハン解禁第一弾として国内仕様(A8。写真)が誕生したのです。最高出力自主規制に対応するため、吸排気系や最終減速比などがフルパワー仕様とは異なりエンジンは86馬力/7.3㎏mへデチューン。他のモデル同様180㎞/hリミッターも装着されました……が、メーカーの保証付き正規販売モデルとして逆輸入モデルよりも格安な79万9000円という価格設定はインパクト大で、なんと1991年の登録台数は「ゼファー750」に次ぐ2位を記録したのです!
どれも既に逆輸入車が日本市場でも高い人気を勝ち得ていたモデルを満を持して国内仕様として導入してきました、まぁ当然ですよね。
さて、ではスズキはどう攻めてくるのか!?
他メーカー同様、逆輸入車としても人気のあった当時最高のスーパースポーツ「GSX-R1100」……は、大幅なパワーダウンが必須となる国内仕様にするのがもったいなさすぎる。
●1986年にデビューして以来、3年目のフルモデルチェンジを受けた1989年型「GSX-R1100」。1988年に一新された「GSX-R750」のスタイリングデザインを踏襲しており1127㏄油冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力138馬力/9500rpm、最大トルク11.4㎏m/7250rpmを発揮。出力向上に対応するためオイルクーラーを湾曲タイプに変えて冷却効率を上げたほか、フレーム剛性を25%向上させて走行性能の向上を図っていました。マフラーを2本出しとしたこともあり、乾燥重量は初期型に対して13kg増加の210kgに……。こんなスーパースポーツを自主規制にならって100馬力以下にしたら、やっぱり誰も買ってくれませんよね
だとしたら同系列の油冷エンジンを搭載したハイスピードツアラー「GSX1100F」あたりかなぁ、と筆者はアルバイトとして潜り込んだモーターサイクリスト編集部でアンケートハガキを仕分けしつつ考えておりました。
●1988年型スズキ「GSX1100F」……1986年型初代「GSX-R1100」のエンジンをベースに排気量を1052㏄から1127㏄へ拡大して輸出仕様は最高出力136馬力/9500rpm、最大トルク11.4㎏m/7000rpmの強心臓。高速でのロングツーリングを意識した大柄なカウルに、なんと電動可変式ウインドスクリーンまで装備! たとえ国内仕様化して100馬力以下になったとしても、油冷ならではの図太い低速トルクを強調して快適なクルージング性能を標榜すれば想定外のヒット作になったのでは……なんて今でも思っているのですけれどどうッスかね?
すでに欧州で発売していたモデルですから、日本仕様へも比較的簡単に移行できたのではないかな?……とね。
駄菓子菓子!
やはりスズキは想像の斜め上50万フィートを突き抜けるメーカーでした。
ぬぁんと、既存輸出向けモデルの国内版ではなく新型車として「VX800」をドヤ顔で出してきたではあ~りませんか!
●1990年型スズキ「VX800」……鼓動感あふれる805cc水冷4ストV型2気筒OHC4バルブエンジン(57馬力/7.0㎏m)とメンテナンスフリーのシャフトドライブ方式&楽なポジションが取れる大きめのシートなどの組み合わせで余裕のあるライディングを演出。水冷エンジンでありながら冷却フィンを設けて造形的な美しさにも配慮したスリムなV型エンジンや19ℓの大型フューエルタンクを採用し、テーパー形状のマフラーやリヤ2本ショックなどを個性的なデザインとして愛着の持てる品質の高い仕上がりとした……モデルなのですが、今こうして見ていてもココロがザワつく絶妙なフォルム。67万9000円という驚愕の低価格戦略をもってしても幅広い支持は得られませんでした
ジャメリカンいやアメリカン、今で言ったらクルーザーモデルである「VS750 イントルーダー」のVツインをベースに805㏄までボアアップ(ヤクルト1本分以下の+58㏄)した水冷エンジン(馬力自主規制なんぞ全く関係ない57馬力)を、なんとも形容しがたいスタイリングの車体に搭載したネイキッドスポーツモデル。
その広報写真ポジフィルムをルーペ(拡大鏡)でのぞき込みつつ「どうして……」と今でいう電話猫状態に陥ったものです。
いや、筆者のかつての仕事仲間である大親友が所有していましたし、実際にいいバイクであったことは間違いなかったのですけれど個人的に「そうきたか……(きちゃったか)」感が否めなかったのは事実です。
●残念ながらヒット作とはなれなかった「VX800」ですが、そのエンジンは1993年に登場した「イントルーダー800(VS800)」に再利用され、65万9000円という驚きの低価格と相まって見事なるリベンジを果たしました。ベースとなった「VS750イントルーダー」の67万円より1万1000円安かったのですから、そりゃビックリしますって!
あ、思わず熱くなってしまいました、「VMAX」の話ですよね(^^ゞ
象徴的なアイテム「Vブースト」を失った“魔神”の明日はどっちだ……
というわけで1990年2月1日から国内仕様「VMAX1200」が、満を持して日本市場へとリリースされました。
●1990年型日本仕様「VMAX1200」。当時価格は89万円でありました。なお、1990年2月1日発売時に車体色はシャイニーブラックでしたが同年12月6日からブラックメタリック2に変わっております。……正直言って、見分けはつきません(^^ゞ
とはいえ排気量の縛りこそなくなったものの、どんなビッグバイクでも最高出力の上限は100馬力! さらには最高速度は180㎞/h以上出しちゃダメよ! という規制……いや自主規制が厳然と残っておりましたので、国内向け「VMAX1200〈型式名3UF ※以下同〉」は当然のごとくVブーストが装着されておらず、最高出力は97馬力、最大トルクも11.3㎏mという北米仕様(145馬力/12.4㎏m)と比べたらとても奥ゆかしいスペックでの登場と相成ったのです。
●同じエンジンから「CBX400F」1台分の最高出力を上乗せする悪魔的アイテム「Vブースト」! 詳細はコチラをご覧下さい
しかしもちろん真摯かつ真面目なヤマハ開発陣が手を抜いたわけではなく、全くもってその逆で「Vブーストはなくとも、たとえ97馬力であろうとも、最高のVMAX体験を!」とばかり微に入り細を穿つ改良が施されていました。
具体的にはキャブレターのセッティングを低~中速の回転域で力強いものとし、それに呼応すべくスロットルボディやマフラーエンドの開口部、さらにプラグ点火を制御するイグニッションコイルや専用スピードメーターなどに至るまでキメ細かく最適化。
●1990年12月に配布された国内向けヤマハ「VMAX1200」カタログより。縁あって今はなき谷田部テストコースにてフルパワー145馬力仕様を体験したこともあったのですけれど、そりゃぁVブーストシステムが作動し始める6000回転からはドえらい勢いでパワーが盛り上がっていくではありませんか。ズ太い快音とともに車体各部がキシミを上げてフル加速していき振動や揺動もハンパない! ホント、ハンドルにしがみつくことで精一杯……よく無事だったなぁ(汗)。正直、「日本のドコでこんな性能を楽しめるのか……?」と深く考えさせられましたヨ。国内仕様でも十分にビッグバイクらしく走ることができましたしね〜
さらにはドライブシャフトのファイナルギヤ比まで変更され、日本における一般使用域で爽快な加速が味わえるものとなっていたのです。
実際、筆者も「オーバーナナハン新時代!」みたいな企画の人足(にんそく)として車両移動の任を受け「VMAX1200」にて都内や郊外を移動しましたが、ズドドドドドヒュ~ム!との吸排気音も勇ましく乾燥重量264㎏の巨躯がキビキビ走ってくれるのには心底驚きました。
●1990年12月に配布された国内向けヤマハ「VMAX1200」カタログより。眺めているだけで魂にグイグイと迫ってくる造形の美しさはどんな仕様でも共通でした。なお、フルパワー仕様と国内仕様とで使用されているカムシャフトは同じ(USカリフォルニア仕様は違っていたとか)。また、日本仕様向けに装備されたシャフトドライブのファイナルギヤがパワーアップしたエンジンとのマッチングがとてもいいとのことで、その他細部の違いから「国内仕様をフルパワー化したほうが北米仕様より速いマシンになる!」との説もあったりして界隈は非常に盛り上がっていましたネ
ついでに書いておくとハンドリングも秀逸なんです「VMAX1200」。
鞍のような幅広シートにドカッと座りつつリーンイン気味の体勢のままコーナー出口をにらみ付ければ想像以上にクルクルと気持ちよ~く曲がっていってくれるんですね〜、そんな操安性にもビックリ。
●国内仕様の出来がよく、性能的にも日本で走るには十二分に過ぎるほど……と分かっていても、フルパワーを求めてしまうのが「VMAX」に魅せられたオーナーの性(さが)なのでしょう。パワージャンキーと化した一部の人々は、Vブーストの魔改造(作動を開始する回転数を下げたり、常時開放にしたり)にも飽き足らず、しまいにはターボチャージャー装着まで! そのあたりのパワーマシマシカスタムの話は次回ゆっくりと語らせていただきます。
とまぁ、取材も無事終わり「オガワァ、今日乗った車両の満タンと洗車ヨロシク!」と大先輩に言われガソリンスタンドに着いたはいいものの「アレ? どこに給油口があるんだっけ???」と狼狽し、再び編集部に戻って先輩の指示を仰いだことは情けない……いや、良い思い出です。
●アーバンライフを満喫している親戚から、いち速く「VMAX」の情報を仕入れた高校時代でもサスガに給油方法なんて興味の外でしたからね!? で、「VMAX」のガソリンタンクはシート直下にあり、給油口は加速時にお尻を支えてくれる段差部分(上写真で言えばちょっと色味が違う部分)の下なんですね。左右タンデムグリップ近くに丸いレバーが隠れており、こいつを両方とも前に倒すことで尻を支える部分が前に倒れて給油口が顔を覗かせます。あ、そこのキャップを開外すにはキーが必要となり、給油後再び取り付けるときは三角の印を前方に向けるようにする必要がありますので覚えておきましょう(^▽^)
●ハイ、コチラが給油口です。ガソリンタンク容量は15ℓ。国内仕様の60㎞/h定地燃費は32.0㎞/ℓとなっていましたが、取材でとても大人しく走っても20㎞/ℓいかなかった記憶が……。Vブースト付きのフルパワー仕様だと10㎞/ℓ台前半。魔改造テンコ盛り、かつセッティングが外れていたりなんかしたら5㎞/ℓ台というバットマンカー並みな燃費を記録した車両さえ存在とかしないとか(^^ゞ
そんな国内仕様「VMAX1200」は、登場した時期も結果的に微妙だったのですよね……。
世は1980年代後半から巻き起こったバブル好景気の真っ盛り。
前回でも述べましたが円高もガンガン進んで「VMAX」がデビューした1985年に1ドル=約238円だったものが、4年後には1ドル=約138円に。
●円高(円の価値が高くなる)が進むと輸入品が安くなったり、海外旅行へ行きやすくなるというメリットがあることはご承知のとおり。こちらが逆輸入車ブームを下支えしていたことは間違いありません……
国内仕様が消費税抜き89万円で登場したとき、一例としてレッドバロン取り扱いのUS逆輸入車は108万円のプライスタグを付けていましたから(145万円だった1985年の発売当初から37万円も安くなっていた)、“逆車”は高い!というデメリットがとても薄まっていたのです。
●日本で作っているのに日本では買えなかった魅惑のジャパニーズ・ビッグバイクがドンドン身近になっていく時代が到来し、筆者もドキがムネムネしたものです(^^ゞ なお、写真はレッドバロン(当時社名:ヤマハオートセンター)が1985年に自社で製作し店舗に設置していたカタログ。懐かしい〜!
また、バブルの恩恵でほとんどのサラリーマンのボーナス袋は年々ドンドンバンバンぶ厚くなっていったご時世でしたので「19万円で48馬力差かぁ……」とバイク雑誌片手に発売されたばかりのキリン一番搾りをあおりつつ購入を考えたとき、「苦労して限定解除したんだし、どうせ買うならフルパワーっしょ!」とあっさり決断を下す人が多かったとしても無理からぬことでしょう。
●1987年にアサヒ「スーパードライ」が発売され一躍大大大ブームに(バイクで言ったらRZか?)! 市場を席巻する快進撃に待ったをかけるべく業界の王者、キリンが1990年に放ったカウンターパンチのひとつが「一番絞り」でした(VTか?)。HY戦争を彷彿させるような熱いビールバトル主人公の歴史を振り返るウェブサイトはコチラ(ハタチ未満の方はダメよ)
また、当時はレンタルバイクがめちゃくちゃ珍しかった時代ですから、購入決断前に比較試乗なんてほぼ不可能。
もしそれができていたなら「国内仕様で十分じゃないか!」と胸を張って購入するライダーが数倍は増えていたはずだよなぁ……と個人的には思っています。
●ナンダカンダ言っても国内仕様の1990年モデルは1000台以上が生産されたそうで、まぁまぁなスタートを切ったのですけれど次第に浪漫、いや低空飛行へ……。それでも粘り強く「VMAX1200」は販売が続けられました
後日、ヤマハ車の純正アクセサリーパーツを取り扱うワイズギアから国内仕様車用「後付けVブーストキット」が発売されたのには苦笑いしてしまいましたが……。
●「付いてないなら後付けすればいいじゃない!」と誰が言ったかは知りませんが、需要があれば供給するのが市場経済の理。というわけで用意されるべくして用意されたVブーストキット……。正直、素人がDIYするにはハードルが高く、ちゃんと装着してベストセッティングを出すまで請け負うVMAXプロショップが全国至るところに林立したものです……
とまぁ、こんなわけで当時「VMAX」に魅せられし者のほとんどは“フルパワー至上主義”に陥っていたわけで、それゆえの狂想曲も奏でられました。
今のように全世界的にほぼ同一の仕様でバイクが作られるようになってきたのは意外なほど最近のことでして、かつては主要国ごと……ヘタをすると同じ米国でも州によって仕様を変えなくてはいけないくらい基準がバラバラでメーカーは大変だったのです。
くだんの「VMAX」もひとくちに北米仕様と言っても実際はUS(全米アメリカ)仕様〈1FK(1985年発売当初の型式名)→2WE(1987年マイチェン後の型式名 ※以下同)〉、USカリフォルニア仕様〈1JH→2WF〉、カナダ仕様〈1GR→2LT〉と細かく作り分けられており、国内仕様〈3UF〉が97馬力で出た1990年には2WE=143馬力、2WFは公式発表ナシながらおそらく140馬力、2LT=145馬力のまま、ということで「カナダ仕様こそ至高のフルパワー!」という風説が広まりました。
●1991年型北米向け「VMX12(V-MAX)」。衝撃の登場から6年が経過していましたが人気は安定。前後数年は3000台アベレージでの生産が続いていったそうです
そのため怪しげな業者がカリフォルニア仕様を「超パワフルな北米仕様!」という具合に(ウソはついてない)銘打ち販売し、いざオーナーが納車後に型式を確認したら「145馬力仕様じゃないじゃないか!」と押し問答になった……という話を聞いた記憶もございます。
●少なくない額のお金が絡む話でしたので……(汗)
門外漢からすると「たかだか数馬力の差じゃん……」と思いますが、オーナーにとっては死活問題!?
当時、今みたいにSNSが発達していたら大炎上したことでしょう……。
●数が増えれば質が落ちる……というのもままあることで、なかなかに悪辣な「VMAX」ショップのウワサもよく聞いたものです。そんなトコはやはり速攻で淘汰されていきましたけれど
さて、次回は「VMAX」をさらにパワフルにするカスタムの話を含めつつ、2000年代を駆け抜けたモデルの変遷を追っていくことにいたしましょう。
【おまけ】雰囲気ソックリ! 「小マックス」として愛されたナナハンがあった!?
●クロームめっきも美しいエアインテーク(風)ダミーパーツや前後ホイールなどが「VMAX」を彷彿とさせますね。当然ヤマハもそれを狙っていたはず(しかしそのせいで?ガソリンタンク容量は「VMAX」より2ℓも少ない13ℓ……)。正直、一般ピーポーにはあまりウケなかったのですけれど、大型二輪免許の教習車(運転免許センターでの一発試験車両)としてはロングセラーを誇りましたので、接したことのあるライダーは意外に多いハズ
●1988年型 欧州仕様「FZX750」。グラブバーもオシャレだし配色を工夫するだけでグッと目を引くようになるので、こんな雰囲気で国内投入したら「小MAX」も案外ヒットしたかも……。そんな妄想が止まりません!
あ、というわけで40年前から誠実に「VMAX」を販売してきたレッドバロンでは、1200版&1700版ともに逆輸入車はもちろん国内仕様もしっかり在庫中! 丁寧に扱われた国内仕様をあえてチョイスするいう選択肢は大いにアリですよ! まずはお近くの店舗でどんな車両があるのかスタッフに問い合わせてみてくださいね~(^^ゞ
VMAXという孤高の“魔神”【その4】は今しばらくお待ちください m(_ _)m
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