埼玉から新潟まで下道ツーリングに出発した私。「伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館」を満喫した後(満喫しすぎ?)、三国峠を越えて新潟に入った。道中で名物のうどんとラーメンをイート!
長閑な里山のうどんとこんにゃくでホッコリ
大満足の自動車博物館を出て少し走ると、目の前に榛名山の独特な山容が広がっている。平日にも係わらず、大勢のツーリングライダーが山に向かっていくのを見かけた。東に向かえば榛名山だが、自分は県道36号に合流し、ひたすら北上。田園風景から次第に山道に入っていく。
時折出くわす暗いトンネルの内部は外気よりキュッと冷たい。俄然、ツーリング気分が盛り上がってくる。
気分とは反比例して……腹が減ってきた。1時間30分ほど走り、群馬県みなかみ町須川平にある「道の駅 たくみの里」に寄ってみた。
昔は、前橋から新潟をつなぐ三国街道の須川宿を中心とする農村で、昭和50年代まで養蚕やこんにゃく栽培が盛んだったとか。その雰囲気は今もしっかり残っている。
そして昭和60年(1985年)にたくみの里が開設された。とても特色がある道の駅で、そば打ち、ヨーグルトづくり、わら細工、陶芸、竹細工、おめん絵付けなど、20種類以上の体験工房が町のあちこちに家として設置されている。ここだけで丸1日どころか、何日も楽しめてしまいそうだ。
それはともかくメシ……ということで、何箇所かある食事処から私が選んだのはレトロな雰囲気の「里山食堂」。
十割そばもウマそうだったけど、自家製という「かけうどん」と「味噌おでん」をチョイス。
混雑しているのか、かなり待って着膳。
水沢うどん系と思われる麺は中太で、コシがスゴい。そして「味噌おでん」は今まで食べたことのない触感! 非常にサラッとしてみずみずしいのだ。この町で栽培したこんにゃくのせいなのか、とても美味い。
「妙にアッサリしたメシだなぁ」と思った方も多いことだろう。時は既に13時30分。予定では17時ぐらいに到着予定の新潟県長岡市で、どうしても食べたいラーメンがある。そのための胃袋調整だったのだ(笑)。調整にしてはメチャクチャ美味かったが!
安土桃山レトロな三国峠を越えて、思い出の苗場へ
さて、ここからは国道17号を行き、三国峠を越えて新潟までひた走る。三国峠とは上野(こうずけ)、信濃、越後の三国の境をまたぐ峠から命名され、上杉謙信も三国峠を越えて関東に出兵したとか。さらに、国道17号も江戸時代に隆盛した三国街道と大部分が重なっている。
昭和レトロどころか、江戸レトロ、安土桃山レトロなのだ(笑)。
ひたすらワインディングをスーパーカブで駆け抜ける。上りではエンジンが唸りを上げて頑張っており、速くはないがシッカリ法定速度に達するので問題ない。もちろん下りはスイスイ。自称・下り最速!? 藤原とうふ店の気分(前回参照)で快調に走る。
交通量が少なく、実に快適。前後にクルマのいない時間がほとんどだった。
道中に名跡やら色々あった気がするが、走るのが気持ちよくて停めたくない。したがってこの辺の写真はない(笑)。
それにしても……国道17号は昔の旧三国街道と全く同じルートではないようだが、よくこんな険所を徒歩で越えたものだ、と呆れてしまう。昔の人は凄い。体の構造やら気の持ちようが現代人とは根本的に違うのだろうなぁ、と感慨にふけってしまう。
そんな山中に突然、巨大な建物が現れ、思わずバイクを停めてしまった。苗場プリンスホテルである。
いつのまにか新潟。そして苗場って……こんなに近い? いや、ここまで7~8時間かかっているので、近くはないか(笑)。30年前、学生時代に都内からクルマで来た時はもっと遠かった感覚がある。カブに乗っていると「距離感覚がバグる」とはよく聞くけど、本当かもしれない。
余談ながら平成になって間もない頃、何度か苗場にスキーをしに来た。バブルの残り香が少しあり、リゾートマンションを友人と共同で2~3ヶ月借り、入れ替わり泊まったものだ(ナンパして連れ込んだりはしていませんヨ)。
ついに憧れの元祖「青島食堂」でラーメンを実食!
湯沢町、南魚沼を過ぎたら国道17号を外れ、農道を経由して国道117号へ。街中の十日町と風景がコロコロ変化する。
新潟から赤く錆びた路面が目立つ。立ち寄った道の駅でタバコを吸ってヒマそうにしている従業員さんに何気なく聞いてみたら「冬に使う融雪パイプのサビ」と教えてくれた。
たくみの里から休憩しつつ3時間少々。ようやく次の目的に着いた。JR長岡駅の一つ前、宮内駅前にある「青島食堂 宮内駅前店」だ。“食堂”と言ってもラーメン屋で、一見、何屋なのかわかりにくい。
この青島食堂は、“新潟五大ラーメン” の一つ「長岡生姜醤油ラーメン」のルーツと言われるお店だ。宿泊する燕市にも五大ラーメンの一つである“燕三条背脂ラーメン”の名店があるのだけど、あいにくの休業日。それに青島食堂には東京・秋葉原に支店があり、何度も通っていた。
初めて食べた時は、生姜が効いた醤油ラーメンとツルッとした麺のハーモニーに衝撃を受けた。以後、アキバに行った際は必ず寄るほどのリピーターになったのだ(とはいえ直近で行ったのはもう3年以上前)。
新潟に本店があるとは聞いていたので「いつかは」と考えていたが、思いがけず、このツーリングで実現することになった。
創業は昭和38年(1963年)。60年近い歴史がある。ちなみに本店はないらしいけど、この宮内駅前店が最初の店舗という。
外観はいかにも昭和。……なのだが、意外にも券売機は最新のタッチパネル。メニューは潔い「青島ラーメン」(800円)のみで、大盛、チャーシューほか各種トッピングが選べる。私は自家製メンマ(50円増し)をチョイス。
内部は横に長いカウンターのみで10席ほど。コロナ感染対策で間仕切りが設けられている。
厨房には巨大なズンドウを前に、なんとオバサン一人が切り盛りしている。
「おまちどおさま~」待つこと10分ほどで着丼!
並み並みと注がれた濃い醤油スープの表面が油でキラキラしている。手元に引き寄せようと丼をさわったらアッチィ(笑)。さっそく実食。
ンマーイ!(藤子不二雄A『まんが道』風)。
鶏ガラベースの滋味深い醤油スープに、ツルッとしているのにモチッとした中細麺が絡んで昇天。ホロホロした細切れチャーシューは脂味があってジューシー、量もある。さらに自家製メンマはコリッとした細身でいくらでも食べられそう。
一口目に油っ気と塩味を感じる醤油スープは、ほんのり効いた生姜のせいか、実は意外とサッパリしている。麺と具を全て平らげた後もダラダラと呑み続け、コップの水を一口含む。さすがにもうやめようと決意する。が、気が付くとまたレンゲでスープをすくって口に運んでいる。またコップの水、スープ、コップの水……と手が勝手に動き、気が付けばスープが空になっていた。
秋葉原店と比べてドッチがンマーイか考えてみた
思い出の中の秋葉原店と比べてみる。どっちもンマーイ! に変わりはないのだが、秋葉原店の方がスープの生姜が前に出て、若干「洗練」という単語が思い浮かぶ。
対して、宮原駅前店は生姜と塩っけの主張が薄く、スープの油を感じたせいか、もっと素朴で野趣に溢れている。思わず「昭和」の単語を当てはめてみたくなった。
完全に好みだが、スープは秋葉原店の方が好きかも。一方、他の部分に関しては全面的に宮原駅前店に軍配が上がる……気がする。うーん、帰ったら秋葉原店にも行かなきゃならないな、これは(笑)。
とにもかくにも「ごちそうさま」と店を出て、燕市へ。間に合えば、日本海の夕焼けでも……と考えていたが、ラーメンには勝てなかった。
間もなく日が暮れ、辺りは真っ暗。ようやく目的地であり、本日の宿「ホテル公楽園」に着いた~!
ん、宿?
<次号 「ホテル公楽園」発動篇!>