連載企画の「北海道をハンターカブで走る」
【第1回:1日目午前】1〜3本目
【第2回:1日目午後】4〜6本目
【第3回:2日目】7〜11本目
はコチラです.

この短期集中連載では、CT125ハンターカブやビッグオフでも走れる北海道の釧路湿原周辺のフラット林道を紹介します。苫小牧港にはハンターカブを積載したルノー カングーで上陸し、釧路湿原近くの逹古武キャンプ場まで一気に走りました。そこでハンターカブを下ろし身軽になって周辺の林道を走りました。

3日目となる今回は、釧路港のコインパーキングに車を駐めてハンターカブで出発します。目指すのは釧路湿原西側の山間の林道です。

12本目:全長16.5kmの山を越える「温根内林道&幌呂越林道」

釧路港を出発し市街地を越え、釧路湿原西側の「たんちょう舞ろーど」を北へ走ります。途中、「釧路市湿原展望台」の有料展望台から湿原を眺めました。展望台内の資料館では、釧路湿原の自然と歴史を学べる他、成長すると体長が1mを超えることもある淡水魚イトウの生体を観察できます。

釧路市湿原展望台

展望台から北へ10分ほど走ると、左手に目指す林道の入り口が現れます。
途中からGoogleマップ上に道が表示されなくなりますが、山の向こう側の道道(どうどう)243号へ繋がる林道が続いています。

入口から1kmほどにあるこの沼までは舗装路ですが、そこから先はダートとなります。

林道は自動車が一台通れるくらいの道幅で、バラストが固く敷き詰められたフラットダートです。しかし、高度を上げるにつれ路面は荒れ始めます。昨晩の雨でしっとりした森の中を走っていると、土砂崩れの補修工事に出会いました。林道で人に会うと安心感から笑顔になります。

「こんにちは、失礼します」と声をかけつつ脇を通り、林道を進みます。

ツーリングマップルには温根内林道と幌呂越林道の名前が連なっていますが、どこが切り替えポイントなのかはわからず仕舞いのまま林道を走り切りました。

 

温根内林道&幌呂越林道

ダート区間:16.5km
路面:入り口は固く締まった細かなバラストのフラットダート。高度が上がるにつれて路面は荒れる。
高低差:あり。峠越え
すれ違った車:3台
出会った動物:1匹
熊の痕跡:なし
難易度:★★

13本目:シュンクシタカラ湖を目指す「発見沢林道」

次に向かったのは雄別炭鉱跡裏に広がる林道群。いくつもの林道を繋ぐと40km以上の超ロングダートとなるので、しっかりと腹ごしらえをします。立ち寄ったのは道の駅 阿寒丹頂の里です。

温泉が併設されたレストランで阿寒モルト牛のステーキ重(2580円)をいただきます。赤身で柔らかい肉質で和風の味付けで大変美味。お値段以上の満足感を味わえました。他にも地元産の豚肉を使用したトンカツやハンバーグなど魅力的なメニューもありましたよ。
出発しようと外へ出るとまさかの雨。雨雲レーダーから察すると30分ほどで止みそうなので、道の駅でもう少し休憩することにします。
友人の旅好きカメラマンに影響され自分も実践しているのが、ご当地牛乳を使用したコーヒー牛乳を楽しむこと。糖分で頭と身体を休めつつ雨雲が通り過ぎるのを待ちます。
30分後、予報通り雨が止んだので出発。道の駅から道道222号を北上し10分ほど走ると雄別エリアです。廃墟となった集合住宅が林道入り口の目印です。
建物の脇を通り林道に入ります。この林道はシュンクシタカラ湖まで繋がる22km長のロングダート。道中では地面が隆起してできた断層が見られます。
ここを通り過ぎると道幅が狭くなり深い森へ入ります。トコトコと道を登ると嫌な看板が道の中央に出現します。
「この先通行止め。シュンクシタカラ湖へは行けません」
地図で確認すると湖は林道の支線の先。この看板はその支線のことだけを指し、本線は通れるかもしれないので、行けるところまで先を進みます。
結果、ダメでした。
入り口から6kmほどでガッチリと閉ざされたゲートに行く手を阻まれてしまいました。
手前の看板に書かれていたとはいえ、がっかりです。来た道を引き返し、林道の反対側からトライしてみることに。林道の入口は雄別炭鉱跡の北側に位置します。

発見沢林道

ダート区間:ゲートまで6km(閉鎖されていなければ22km)
路面:固く締まった細かなバラストのフラットダート。ゲート直前までの2kmはやや荒れ
高低差:あり。若干の登り
すれ違った車:0台
出会った動物:0匹
熊の痕跡:なし
難易度:★

14本目:雄別炭鉱跡を南北に横切る林道

雄別炭鉱は今から50年以上前に稼働していた炭鉱です。最盛期には鉄道が釧路駅まで繋がっていたほど栄えていた炭鉱。国のエネルギー政策の転換によって閉山し、それをきっかけに一気に住人が町から流出して炭鉱周辺は完全に廃墟化しました。
この町の中央を走る南北の道は大型ダンプカーが走れる道幅があります。ダートではありますが、整備されているので走りやすく、時折、トラックや乗用車とすれ違います。
至る所で廃墟や遺構を見つけられます。
正面の大きな煙突は、総合ボイラー煙突跡です。その脇を通ると病院跡や坑道の入り口へ続く脇道がありますが、誰も立ち入らないようで草が生え放題となっています。
取り回しの容易なハンターカブですが、ここを進むには度胸が必要です。また、ゲートがないとはいえ私有地だと思われるのでやめておきます。
さらに進むと当初の目的の林道入り口に到着しましたが、残念なことに閉鎖されていました。
テープの向こう側は道が崩落していて、進むことができませんでした。
林道が閉鎖されていなければ下記のような軌跡を描くことができたはずです。残念。

雄別炭鉱跡を南北に横切る道道222号

ダート区間:ゲートまで4km
路面:固く締まった細かなバラストのフラットダート。
高低差:なし
すれ違った車:4台
出会った動物:0匹
熊の痕跡:なし
難易度:★

資料室で当時繁栄ぶりを偲ぶ

来た道を戻ると、雄別の公営住宅の廃墟に出会い、その先には古潭雄別歴史資料室(雄別炭鉱歴史資料室)があります。せっかくなので覗いてみることにしました。

「消えたマチ」という看板が物悲しさを語ります。資料館を見ると、この町の成り立ちから終焉までの説明。そして雄別鉄道の膨大な資料が展示されていました。閉山と共にその鉄道もなくなったとのこと。道沿いには鉄道の遺構が確認できます。

炭鉱を運営する企業の城下町だったので、閉山=消滅に。炭鉱が見つかるまでは誰も住んでいなかった土地なので仕方がないのかもしれません。全ての住人が引っ越したわけではなく、2割ほどは残ったそうで、集合住宅の廃墟の近くには新しい公営住宅が建てられています。しかし、そこは元学校だった場所。つまり残っていた住人も年々高齢化し、このエリアから子供たちがいなくなったということが想像でき、ここが限界集落という現実を突きつけられます。

先ほどの炭鉱跡も地域おこしの一環として、遊歩道として案内しているようです。遺構巡りの写真と説明が展示されていました。

展示場の片隅で、興味深い雑誌を読むことができました。閉山が決まった後の炭鉱を取材した記事が掲載されていて、そこには驚く内容が記載されていました。

自分にとって閉山とは、町がなくなる=陰惨なイメージでした。しかし、その当時の状況は真逆だったようです。仕事を失い無職となってしまう炭鉱夫や関係者たちをスカウトしようと、北海道内はもちろん東京からも様々な企業が来訪し、町に人が溢れたそうです。時代はちょうど高度成長期、その説明会を写した写真を見る限りでは著名な企業の名が連なっていました。

もちろん仲間とは離れ離れになり、親しんだ土地から離れることになるので、当事者の気持ちを察すると、しんみりとしてします。

このような炭鉱、鉱山など明治以降発展し、昭和中期に元気がなくなってしまった地区を訪問する旅が最近多くなりました。直近訪れたのは足尾銅山、長崎の端島など。

今回の炭鉱跡で発見した内容など実際に行かないと知り得ない歴史を感じる旅には、独自の趣や学びがあります。さらにそこで知ったことや興味を持ったキーワードをインターネットで検索すると、新たな資料や先人たちの感想も含めたレポートに出会うことができます。

もしネット上で新たな発見がない場合、現地まで行った者だけが得られた情報と経験だということ。訪れた先は、かけがえのない旅の思い出となるはずです。現地、もしくは帰宅後でもよいのでぜひ試してみてください。

釧路港にて。

(おわり)

おまけ:この日の旅の軌跡

ツーリングマップのアプリケーション「Route!」で記録した軌跡ログです。記録しつつこの画面を表示できるので、地図に記載された観光名所や絶景ロードを見落としません。月額600円で全国のツーリングマップルをスマホで閲覧可能です。さらに携帯に地図情報を事前にダウンロードできるので、電波の届かない場所でも地図を確認できます。

アプリ、サービスの詳細とダウンロードはこちらから。
Route!(昭文社

SHARE IT!

この記事の執筆者

この記事に関連する記事