絶景の志賀草津高原ルート
こんにちは青木タカオです。前回はレッドバロンにて購入したホンダ『CRF250L<S>』で、長野県と群馬県の県境に位置する「毛無峠」(けなしとうげ)を目指すという記事を公開させていただきました。今回はその続き、後編となります。
暗いうちから、都内の自宅を出発。「なんとなく道はわかる」と、地図を見ないままテキトーに走り続けたため、遠回りしてしまうことに。
普段なら取材や撮影など仕事がほとんどですから、時間厳守で移動しなければなりません。その点、プライベートのオフタイムに道に迷うのは、ボクにとっては贅沢な時間でもあります。
ましてや、上信越自動車道・碓氷軽井沢インターチェンジを降りてから北上し、群馬県へ至る道のりは快適でしたし、草津温泉からの「志賀草津道路」は最高に気持ちの良いワインディングロードですから、なにも言うことありません。
雄大な山並みを縫うように走る快適で豪快な山岳路を堪能していると、長らく寄稿させていただいていた『ジパングツーリング』(2009年休刊)を思い出すのでした。
旅するライダーへ、オススメのツーリングルートやお立ち寄りスポットを細かく紹介する専門誌が『ジパングツーリング』でした。きっと、これを読んでいただいている人の中にも、ご存じの方がいらっしゃるはずです。
小さな判型なのは、タンクバッグに入れて持ち運びしやすくするため。ツーリングライダーたちの頼れる相棒『ツーリングマップル』(昭文社)も初期の頃はコンパクトでしたよね。雨に濡れて、ボロボロになりながらもずっと愛用していました。
懐かしいなぁ。
そんな気持ちに浸るキッカケとなったのは「志賀草津道路」沿いにある草津白根レストハウス。現在、火山活動によって閉鎖中でした。
「志賀草津道路」はツーリングのメッカですから、『ジパングツーリング』でも頻繁に扱っていたと思います。ボクが記事を書いていた頃は、休日なら観光客のクルマやライダーで駐車場は溢れかえり、遊歩道で歩いて行ける火口湖「湯釜」(ゆがま)周辺も賑わっていました。エメラルドグリーンの湖水は、とても美しかったと記憶しています。
草津温泉から志賀高原、湯田中・渋温泉郷に至る国道292号、通称「志賀草津道路」は絶景ロードの雄。このまま全区間を堪能してもいいなぁとも思いますが、やっぱり目指すは「毛無峠」です。
ちなみに「志賀草津道路」については、ツーリングマガジン『アウトライダー』の編集長として全国を取材、旅してきた菅生雅文さんがレポートしています。地図を拝借したので、リンクを張っておきましょう。専門家ならではの詳細でわかりやすい記事です。
絶景度とダイナミックさは国内トップクラス! 標高日本一の国道「志賀草津道路」
■志賀草津道路(国道292号)
冬期閉鎖:2023年11月15日(水曜日)午後1時00分~2024年4月24日(水曜日)午前10時00分まで
閉鎖区間:長野県山ノ内町志賀高原陽坂ゲートから群馬草津町天狗山ゲートまで
※詳しくは長野県北信建設事務所、群馬県中之条土木事務所まで。
いよいよ毛無峠へ
そのまま志賀高原まで行ってしまわぬよう、県道466号に入るポイントをスマホのナビアプリで確認します。万座温泉を経て、県道112号の分岐を左へ。曲がる場所を見落とさないよう気をつけます。
大前須坂線(県道112号)に入れば、もう道に迷うことはありません。途中、林道湯沢線の終点があります。最初に走ったのは、おそらく30年くらい前。友人と湯田中温泉に泊まったことを思い出します。そのときは、ヤマハ『TW200E』のフルノーマル車でした。
さぁ、舗装が荒れてきたら、いよいよ「毛無峠」です。行き止まりに駐車場があり、最後はわずかな区間ですが、フラットダートとなり気分が高まるのでした。未舗装路は少しですので、オンロードバイクでも問題なくたどり着けるはずです。
周囲の木々が少なくなり、その名の通り「毛無」の峠といった独特な雰囲気。かつて「小串(おぐし)鉱山」があった場所で、峠の直下に最盛期は約2100人が暮らしていました。
昭和9年(1929年)より北海道硫黄が硫黄採掘を開始し、日本で2番目に大きい硫黄鉱山に。昭和12年(1937年)には大規模な斜面崩壊が発生し、鉱山施設や居住地区を土砂が襲い、小学校の分教場などが埋没した他、火災が発生。製錬した硫黄が燃え、火薬庫が爆発を起こすなど245名の尊い命が奪われました。
日本経済を支えた鉱山、繁栄を極めた山深い町でしたが、昭和46年(1971年)に廃鉱し閉山。鉱山跡への道にはチェーンがかかり、「この先危険につき、関係者以外立入禁止」と警告看板があり「遭難多発」とも書かれています。
毛無峠の駐車場から破風岳に歩いて登れば、山頂から北信の山々や鉱山跡も見渡せます。
目の前の浅間山も曇って見えない
来た道を引き返し、万座温泉へ戻ったら白根山の麓を走る「万座ハイウェイ」を利用します。群馬県嬬恋村までを結ぶ全長20kmの有料道路で、往路もこれを使うのが最短ルートでした。
林道に詳しい人とツーリングした記憶を辿っていろいろと彷徨い、ダートも走ってボクは大満足。午後遅くからは曇って、浅間山も見えなくなりました。
鬼押ハイウェー沿いにある浅間六里ヶ原休憩所は、「浅間山キャンプ場」として生まれ変わっていました。
楽しみは峠の釜めしとキハ
南下し、碓氷軽井沢インターから帰ろうと思います。途中、横川サービスエリアで名物の『峠の釜めし』をいただきます。
荻野屋さんの売店で購入し、昭和38年(1963年)年に電化されるまでの信越本線を再現したディーゼルカー(気動車)の中で食べることもできます。
電化前の横川〜軽井沢間は急勾配を克服するためのアプト式電気機関車が連結されるアプト区間。それに対応したのが『キハ57形』で、昭和36年(1961年)から上野-長野・湯田中間を走った急行『志賀』や『丸池』に使用されました。
もちろん、当時の車両にはテーブルなんてありません。角ばった椅子のクロスシート、いいですよねぇー。横川サービスエリア(上り)にある車両は、JR九州で廃車となった『キハ58 624』の前面部分や廃車発生品を用いて制作されたもの。
『ジパングツーリング』でも、こうした“鉄ネタ”をずいぶん書いたことを思い出します。
益子焼の容器も好き
駅弁がルーツの『峠の釜めし』は、歳を取るごとに好きになっていきます。荻野屋秘伝のダシで炊き上げた自家精米のコシヒカリの上に、色彩豊かな9種類の具材がのっています。
容器は保温性に優れる益子焼の土釜を使用。紙やプラスチックの容器とは異なる、ずっしりとした重みと温かみが魅力です。
昭和33年、信越線横川駅で発売開始。60年が経った今でも年間300万個も売れ続ける大ヒット商品で、これまでに約1億7000万個を発売している駅弁を代表する商品です。クルマで通ったときは家族の分もお土産に買って帰りますが、今回はフードコートで『峠の釜めし定食 豚汁セット』(1650円)をいただきました。
相変わらず、とても旨い!
帰路も再び、上信越道→関越道→外環道→首都高と高速道路を一気走り。『CRF250L<S>』での毛無峠ツーリングは、ひたすら走ってばかりでしたが、とても楽しい1日となりました。
あっそうそう、前回『CRF250L』の燃料タンクについて、7.8リットルの容量はツーリングに出かけると少なく感じると書きましたが、旅仕様としているのが『CRF250ラリー』です。タンク容量を12リットルに増量し、ライダーの上半身への風圧を低減する大型ウインドスクリーンも装備。シートの座面を20mm広げ、快適性を考慮しラバーマウントにするなど細かいところまで配慮がなされていて、購入時に「どっちにする?」とメチャクチャ迷ったのでした。
左右非対称の二眼LEDヘッドライトのフロントマスクもいいし、『CRF250L<S>』を所有している現在でもボクが大いに気になるモデル『CRF250ラリー』は、メディア向け試乗会で初ライドした時の様子を動画で紹介しています。もし、ご興味ございましたら、ぜひご覧ください! 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。