日本でもスーパークロスがおこなわれていた
学生の頃は、その年に行われたヤクルト-阪神戦(地方遠征除く)をすべて神宮球場で観戦するほど、暑苦しいトラファンのボクですが、90年代はプロ野球のためだけでなく、神宮球場や千葉マリンスタジアムへ足繁く通いました。ジャパンスーパークロスです。
ジェフ・スタントンが250ccクラスを連覇した1989-90年頃からAMAスーパークロスに夢中となり、ジェレミー・マクグラス全盛期には、自分もどっぷりモトクロスにハマりました。
なんてカッコイイんだ! スーパークロス!!
中学生の頃から兄に誘われると、なんとなくやっていたモトクロス。河川敷で黙々と走り、泥だらけになって、痛い思いもかなり高い確率でする。垢抜けた雰囲気とは言い難い。野球やサッカーに比べると、マイナーなスポーツであると感じていました。
しかし、借りてきたビデオで観たスーパークロスは、スタジアムにてナイターで開催され、なんときらびやかなことか。スタンドの観客は満員で、レース内容も超エキサイティング。こんなに人気のある二輪スポーツがあったなんてと、度肝を抜かされたのです。
一気にモトクロス熱がヒートアップしたボクは、ウイリー松浦さんのショップでYZ80LWを購入し、トランスポーターとしてホンダ「アクティ550」も3万円で調達してきます。週末だけでなく、平日もコース通いを続けるのでした。
バイクがCR125Rになるとクルマはタウンエースになり、やがてハイエースに。MFJのノービスクラスは激戦区でしたが、初めて出た時も予選落ちは免れるくらいの位置を走れ、非公認レースではたまに優勝できたりもしました。
バイクに乗っているだけでは済まなくなっていく
そのまま、モトクロスに明け暮れたいと思っていましたが、そんな資金もありません。購入するバイクやクルマはぜんぶローン。まだバブルの余韻が残る頃で、学生がローンを組んでも将来きっと返せると漠然と思える時代でした。
ボクだけでなく、同級生たちもそんな気楽な感じで、割の良い短期バイトもあったりして、将来のことを真剣に考えることもなく、なんとなく毎日を楽しく、だらしなく過ごしていました。
大学3年生の頃だったと思います。アルバイト求人情報誌を見ていると、「求む、大型二輪免許所持者」と書いてある一コマを見つけます。「雑誌編集アシスタント募集」とありますが、よくわからないまま、とりあえず面接へ。
聞けば、大型バイク専門誌「BIG MACHINE」(内外出版社)なるものが創刊したばかりで、排気量問わずバイクを運転できる人が出版社内でもまだ少ないとのこと。「ふ〜ん、なんでもいいけど、ラクなバイトならいいなぁ」と思いつつ、とんとん拍子でボクは編集見習いのバイト員となったのでした。
編集部はまさに不夜城。メーカーがメディアのために用意する広報車をハイエースに積んで運んだり、乗って移動させたり、撮影のアシスタントをしたりで大忙し。大型バイク専門誌だから「大型二輪免許所持者」ということわけで、さらにモトクロスでバイクをクルマに積むのも慣れているボク。面接で受かる条件はこの2つだけで、「編集者ってナニ?」っていう自分でも採用された理由が入るとすぐにわかるのでした。
それから四半世紀。雑誌をつくり続けることになります
いかにサボるかだけを考えていた
デスクの下で寝て起きて、一番下っ端のボクにモトクロスを楽しむ時間なんて、あるはずがありません。それでも「編集者やライターになりたい」なんていう目標があるわけでもないので、仕事はテキトーでしかありません。
その頃のボクを知る先輩方は「完全になめてたよね」と、振り返って笑います。まったくそのとおりで、いかにサボるかだけを考えてロケや取材のアシスタントとして日々を過ごしていました。
2年ほど学生であることを忘れて働いていると、「大学を卒業しないと、出版社に就職できない」と先輩が教えてくれます。「そりゃそうだ、このままアルバイトを続けているわけにはいかない」と編集部を辞め、ひたすら勉強しなおし卒業にこぎ着けます。
大好きなモトクロスに関わりたいと、専門誌「ダートクール」で短期間だけ見習いで働いていると、ビッグマシン時代からずっと親切にしてくれていた先輩が「うちに来い」と声をかけてくれて、編集プロダクションに就職することに。クルマの雑誌編集者を2〜3年やると、その後は「乗り物の専門誌以外の編集者もやってみたい」と、いろいろな出版社を渡り歩きました。
そして「バイク誌を手伝って欲しい」と、先輩にまた声をかけられたのが30歳の頃。ハーレーが売れに売れ、専門誌やムック本の仕事がワンサカあるからと、フリーランスで携わることに。その頃には「やっぱりバイク誌がいちばん面白い!」と思っていたはずです。
少しずつハーレーにも魅了され、10年後には「バージンハーレー」誌、そして今では「ウィズハーレー」というハーレー専門誌で編集長を務めることになっていきます。
モトクロスも仕事に!
2001年にヤマハからYZ250F(初の4スト250ccモデルでした)が出ると、すぐに購入しました。HARPセーフティパーク埼玉(桶川)の近くにあったモトロマンはホンダのお店でしたが、CR125Rの面倒をずっと見てくれ、コースで走った後の洗車や整備もそこでしていたので、無理を言ってヤマハの新車を手配してもらいます。
ずっと趣味で楽しんでいたモトクロスですが、専門誌「ダートクール」では元カワサキワークスライダー榎本選手に走りを学ぶ生徒役として連載させてもらったり、レースに出る企画を誌面でやったりで、モトクロスも仕事に。
少しずつ専門誌からニューモデルの試乗なども頼まれるようになり、現在にいたります。マシンが軽くて、跳んだり跳ねたりもできるモトクロスのファンだったボクがなぜ、ハーレーに魅了されたのかはまた次の機会に。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
こんなボクが、ココではバイクにまつわることをいろいろと書いていきますので、どうぞよろしくお願い致します!
バイク購入から編集長になるまで【1/4】 片岡義男小説は今もボクのバイブル!!