80年代“ゼロハン”回顧録①を読む

80年代“ゼロハン”回顧録②を読む

1980年代前半に高性能を競い合ったRZ50、MBX50、RG50Γ、AR50らのスーパーゼロハンは“60㎞/h速度規制”に対応して進化やモデルチェンジをはたしていきます。そして俗にいうフルサイズボディ……16~18インチホイールを履く大柄なモデル群の最後を飾ったのが、まさかの復活を遂げたヤマハ「RZ50」というのには感慨深いものがありました。

スーパーゼロハンの代名詞はなぜかテコ入れ最小限

1981年6月にクラス初の水冷エンジンを搭載して華々しく登場し、スーパーゼロハン大戦の口火を切ったヤマハ「RZ50(5R6)」でしたが、以降はなぜかカラーリングチェンジすら行われない放置プレイ状態に……。

放置のイメージイラスト

●やり尽くしたから必要ないという判断だったのか、HY戦争の余波なのか、お察しするべき事態が背景にあったのか? 真相は分かりませんが、RZ50に心奪われた中高生としては「なんでだろう〜」という想いがずっと去来

 

“60㎞/h速度規制”に対応する電気式速度リミッターと紅白まんじゅうのようなカラーをまとった「RZ50(1HK)」がリリースされたのは、ライバルから大きく遅れた1985年1月のことでした。

RZ50

●速度リミッターの装着で7.2馬力の最高出力や0.62㎏mという最大トルクは不変。ミニカウルとアンダーカウルが新たに追加されたのに、初代からたったの1万7000円アップとなる19万3000円で発売された後期型RZ50。サイドカバーの車名書体が時代を感じさせます

 

しかも、こちらの仕様でも再び放置プレイが始まってしまい、最終的にカタログ落ちする1990年代初頭まで色変更すら行われず……。それだけ完成度が高かった、と言えないことはないのですけれど。

カワサキは50㏄クラスでも我が道を往く!

なお、“空冷魂”を貫いたカワサキのAR50は7.2馬力→機構的なデチューンで4.6馬力化→速度リミッター装着で7.2馬力復活と、レ・ミゼラブルのジャン・バルジャン並み!?な波瀾万丈さで速度規制に対応したあとも、毎年のようにグラフィックやカラーリングを変更。商品力を維持し続けましたが1988年12月に登場した「AR50S Special」を最終型として幕を引きました。

AR50S広報写真

●写真は最終型……今気が付いたのですが、こちらも紅白まんじゅうカラーですね(笑)。前モデルまでずっとゴールドだったホイールを白くし、シートまで赤くしてのこだわりぶりがハンパではありません。兄貴分の空冷GPzシリーズに通じるタンクからテールカウルにかけての流麗なフォルムはいつまでも眺めていられます……

 

しかし、そのエアクールドな心臓は前年1987年12月に登場したフルカウル付きのミニバイク……ではなく、あえてのミニスーパーモタード「KS-Ⅰ」に受け継がれており、どこまでも独自路線を突き進むカワサキらしさに目頭を熱くしたファンも多かったのではないでしょうか。

KS-Ⅰ

●写真は1988年に登場したKS-Ⅰと同様のスタイリングを持つ80㏄版のKS-Ⅱ。前後10インチタイヤで全長1560㎜、乾燥重量66.5㎏のミニボディに9.2馬力の空冷2ストエンジンを搭載していたのですからタマリマセン。1990年には10馬力の水冷エンジンと12インチタイヤ(乾燥重量は77㎏)を装備した「KSR-Ⅱ」へとモデルチェンジ(50㏄版ももちろんあり)。2002年には4スト110㏄化され、東南アジアでも大人気なモデルへと発展!

大ブランド「NSR」の称号はミニバイクのほうへ……

ホンダもMBX50で7.2馬力→5.6馬力→7.2馬力復活とカワサキ同様、巌窟王のモンテ・クリスト伯並み!?な浮き沈みを経てミニカウルも装着したMBX50Fとなり(1985年11月)、今しばらく継続されるのかな……と思いきや、1987年2月にはあっさり「NS50F AERO(エアロ)」へとフルモデルチェンジいたします。

NS50F

●1986年7月に発売されたフルカバードモデル「(初代)CBR400R」の流れを汲むデザインテイストとカラーリングが特徴的だった「NS50F AERO」(ロスマンズカラー的な青もありました)。こちらも速度リミッター付きで7.2馬力は当然。毎年のようにカラーリングやエンジンの仕様変更を受け、無敵艦隊NSR50との相乗効果もあってSPレースなどクローズドコースでのバトルでは絶対王者として君臨し続けていきます

 

 

NS50Fカタログ

●こちらは最終型となった1990年版のカタログ。なお、一体型のデュアルヘッドライトを新採用した前年の改良時に「エアロ」が外れて「NS50F」という車名になりました。税抜き当時価格22万5000円という値付けも嬉しい限り。ただちょっとゼロハンフルサイズボディでガッチガチの“NSR”も見てみたかった気がいたしますなぁ

 

すでに250㏄クラスでは真打ちNSR250Rも登場しており、タイミング的に「なぜフルカウリング化してNSR!とやらず、NSなのだろう……?」といぶかしんでおりましたら、4ヵ月後にNSR50がミニバイクとしてデビュー

「そうきたか!」とモーターサイクリストの記事をみて驚きつつ、厚くなるばかりのアルバイト情報誌“FromA”でアルバイトを探していた大学2年の初夏でありました。

バブリシャスな豪華装備でTZR50が颯爽と登場

世はバブル景気の真っ只中。レーサーレプリカブームも爛熟期を迎えようとする1990年2月、ようやく……と言ってもいいでしょう。待望久しい“TZR”ブランドが50㏄クラスへと降臨しました。

フルサイズボディに精悍なフォルムのフルカウルをまとった,文句の付けようのないフルサイズゼロハンレーサーレプリカ「TZR50(3TU1)」がデビューしたのです。

TZR50_1990

●これが50㏄バイクに見えますか? 筆者には見えません。ヘッドパイプ部もカバーではなくリアルに分厚い新設計の角形高張力スチール製ダブルクレードルフレームに、クラス初のマイコン制御式デジタル進角点火方式ほか新規パーツてんこ盛り水冷2ストエンジンを搭載。チューブレスタイヤ、アルミ鍛造ハンドルetc、そして何よりヤマハレーサーレプリカデザインが結集した至高のスタイリングを標準装備して、税抜き当時価格は26万9000円。しかし時代は1990年代に突入。スペックが一番なら例外なく飛ぶように売れるという時代ではなくなっていました……

 

いやもう全身“本気”と書いて“マジ”と読むくらい気合いの入った造りで、デザイン完成度と品質とスペックなら間違いなくナンバーワン

「すわっ、他メーカーとの高性能バトルが再び!?」……と筆者のような一部好き者は期待をしましたが、残念ながらそうはなりませんでした。すでに前年に登場したゼファーが大ヒットを記録しており、ネイキッドブームがバイク業界を覆い尽くし始めていたのです。

TZRとガチンコ勝負するライバルは現れず……

レーサーレプリカへの逆風がどんどん強まっていくなか、スズキはRG50Γを小改良で延命させ(1995年版が最終型)、ホンダに至ってはスポーツバイクへメットイン機能という新しい価値観を付帯した「NS-1」で生き残りを模索(1992年2月登場~1998年版が最終型というロングヒットに)。

NS-1最終型

●1991年2月に登場した「NS-1」は50㏄クラスで初めて燃料タンクをシート下に配置し、燃料タンクに見える部分にフルフェイスヘルメットも収納可能なトランクルームを設定。NS50Fの最終型より5万4000円高い27万9000円でのスタート。その後、1995年型からデュアルヘッドライトを採用し、写真は最終型となった1998年モデルで、プライスタグは29万9000円となっていましたが、市場には好感を持って受け入れられ続けました(価格はすべて税抜き当時価格)

 

TZR50は初代RZ50とは打って変わって毎年のように小改良や色変更を繰り返し、1993年型では新型エンジンまで投入して車名も「TZR50R(4EU1)」に変更。

TZR50R_1993_METS

●これが50㏄バイクに見えますか? 筆者には見えません。写真をまさぐっているとき、キリンメッツ(ソフトドリンク)の懸賞品カラーが見つかったので狂喜乱舞しつつご紹介。いやもう何もかもがドン決まりでタマリマセンな。そんなカウルに隠された新型エンジンは、モトクロッサーYZ80をベースにした一軸バランサー付きクランクケースリードバルブ式となり、セルフスターターまで装着。車体周りもまんべんなく剛性アップが図られております。テールカウル関連まで一新されているんですよ!

 

その後も完成度を高めていきますが、お値段も税抜き当時販売価格で29万9000円とお高くなってしまい(内容を考えれば超絶ウルトラハイパーサービス価格なのですが……)、ヤングのフトコロ事情との乖離が大きくなったせいもあるのか、1997年版をもって最終型となってしまいます。

TZM50R

●TZR50Rを語る上で欠かせないのは「TZM50R」の存在。1994年2月、ミニバイクレースの皇帝NSR50に対抗するべく、ヤマハが総力を挙げて開発したカウンターマシンです。前年にTZR50R用として改良を受けたセル付きエンジンをさらに磨き上げて(ポート拡大、キャブ大型化、クラッチ強化、大型ラジエター&クロスミッション採用ほか),シャシーも当時考えうる限りの最上性能を実現。税抜き当時価格27万9000円でリリースされたのですが、もう本当に時代が悪すぎたとしか言えない結果に……。歴史にたらればはありませんが、もう数年早く世に出ていたなら違う世界観になっていたのかもしれません

同じ車名で真逆の方向性!? 驚天動地の「RZ50」復活

当時モーターサイクリスト誌の新製品紹介欄を担当していた筆者。「ゼロハン2ストスポーツが消えていく……これも時代の流れかぁ、致し方なし」と知ったような口を利きつつ、ヤマハから送られてきた茶封筒を開封して内容を確認した瞬間、「ウソォ!」と叫んで椅子から転げ落ちました(←多少誇張あり)。青春をともにしたビッグネーム「RZ50」が復活するというではありませんか!! 思わずカレンダーを目視確認、1998年で間違いありません。

驚き

●まぁ、CBR250Rとか、CBR250RRとか、CBR400Rとか、同じ車名での復活に慣らされてしまった今となっては問題なく受け入れられますが、RZ50のときは心底驚いたものです

 

急いでポジフィルムをルーペでのぞき込み、今度は心の中で絶叫します。「こうきたか!」

初代は当時として非常に“未来”を感じさせるシャープなフォルムでしたが、復活版「RZ50(RA01J)」はレトロ調デザインに全振り。

RZ50_1998

●折しもスズキからコレダスポーツ50、ホンダからドリーム50やベンリィCL50、ヤマハからもYB-1が出て人気や話題を集めていた時代。長いタンクやテールカウルに1970年代のヤマハ市販レーサー「TZシリーズ」をイメージさせる造形をもってきたのはさすがです

 

丸目ヘッドライトに始まり、ロングタンクにキュートなテールカウル、はてはスポークホイールまで採用されています。フレームとスイングアームはデュアルパーパス「DT50」がベースとのことで、リヤブレーキはドラム式。カンチレバー式モノクロスサスペンションの構成も懐古的なデザインにはピッタリでした。

RZ50黒

●1998年6月に正式リリースされた「RZ50(RA01J)」は精悍なヤマハブラックと上で紹介したラジカルホワイトとの2色展開。エンジンはもちろんTZR50R系で、タンク下部とパワーユニットとの間に大きく開いた空間も当時流行した“スカチューン”を想起させるナイスポイントでした。MC誌内で担当していた「CLUB 50!」という原付ページでも、よく企画に引っ張り出しては、ハイパワー2スト50㏄ならではの“全開回しきり感”を気分よく味わっていたものです。税抜き当時価格は24万9000円

 

では、性能をあきらめたモデルなのか……というと、さにあらず。心臓は熟成極まるTZR50R譲りの最新2ストエンジン(セル付き!)。カウルレスなこともあり軽量(乾燥重量80㎏)だったので、パワーウエイトレシオは当時のフルサイズゼロハンの中でナンバーワン。ミニバイクレース「SP50クラス」などでも十分に活躍可能なポテンシャルを秘めていたのです。

“2ストのヤマハ”が見せた意地とプライド

「これが最後の2ストロークスポーツだ。とにかく俺たちにできることはすべてやろう」とは、1980年にデビューするRZ250の開発時にプロジェクトリーダーがスタッフに飛ばした有名な決意表明ですが、同様の熱い想いが丸目RZ50の開発にもあったことは間違いありません

RZ50カタログ

●RZ250のときはマスキー法、丸目RZ50のときは国内の排ガス規制という高い壁が2ストスポーツモデルの目の前にそびえ立っていましたが、そこへ最後まで果敢に立ち向かっていった姿には胸が熱くなりました。RZ50に始まりRZ50で終わる……本当に出来すぎなストーリーですね

 

2000年2月には厳しさを増す排ガス規制へしっかり対応し「RZ50(RA02J)」へ。7.2馬力のまま、みごと20世紀から21世紀へと世紀越えを果たしたのです。その後も粛々と販売は続きましたが、色変更を受けての2006年版がファイナルモデルとなりました。

RZ50最終型

●キャタリストチューブやエアインダクションシステムなどが追加され、エミッション対応を果たした最終型RZ50。もう1色のディープパープリッシュブルーメタリックC(青)版にも同様のストロボラインが白色で入れられていました。数々の改良や商品力アップを受けながら価格は据え置き。現在でもたま〜〜〜に公道で元気よく走っている姿を見かけると、思わず2ストオイルの焼ける匂いを嗅ぎにいってしまいます(笑)

 

RZに限らず、現在でも実動可能なスーパーゼロハンを所有してらっしゃる方がいらっしゃいましたら、どうか大切に……。そして折に触れて子や孫、ひ孫、玄孫(やしゃご)たちへ魂が燃えるあの全開上等な二次曲線的吹け上がりを体験させてあげてください。「玄孫のためにも2ストスポーツが欲しい!」という方、今すぐお近くのレッドバロンにてご相談を……!

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