耐久性、積載性、悪路走破性、低燃費、いやいや単純に楽しけりゃいいじゃん……などと、あらゆる需要に数多くのモデルが応えていた、百花繚乱のゼロハンラプソディ。世はまさにスペック至上主義がまかりとおるレーサーレプリカブームの真っ只中であり、その大波は原付一種クラスをも飲み込みます。紆余曲折があった80年代後半に燦然と現れた“覇車”は小さな巨人でした!
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お上からの「通達」により“自主規制”合戦がスタート
「性能でライバルを上回って1番になれば絶対に大ヒットする」
というとても分かりやすい図式で突き進んできたイケイケドンドン状態の80'sバイクブームでしたが、技術の向上と相まって進化が加速しすぎました。
本来「30㎞/h以上出してはいけない、ゆえにノーヘルでも良しとしましょう」といった存在の原動機付自転車が90㎞/h超でぶっ飛んでいく……。
さすがにそれはヤバいということで、あわてた関係各位からのストップがかかった……というのが、ゼロハンバイクにおける最高速度60㎞/h規制の実態だったと言えます。
では、高くなりすぎた性能をどのようにメーカーは“自主規制”していったのでしょうか?
従来の方向性とは真逆の努力が開発陣に求められた
速攻でメカニズム的に手を加えたのがホンダとカワサキで、吸排気系の設定変更などでエンジン出力を抑えるだけでなく6段変速だったミッションを5段にするという大変更まで行ない、スロットル全開を続けても物理的に60㎞/h以上出せない仕様をまとめ上げました。
ただ、お察しのとおり、そちら方向での改変はユーザーからはまったく支持を得られず……。いろいろあったものの、スズキが先行した“電気的リミッターの装着”が高性能ゼロハンの対応策として標準化していきます。
バイクライフ初の相棒として最適だった2ストゼロハン
49㏄から7.2馬力を絞り出せるパワフルなエンジンはそのまま、60㎞/hに到達したらスパークプラグの点火がカットされて速度を出せなくなり、いざ安全なクローズドコースなどを走るときは、その制御をスペシャルな「市販CDI」で相殺すれば本来の性能を楽しめる……という方式に大多数の高性能ゼロハンは落ち着きました。
筆者も山口から埼玉の大学に進学した1986年、念願の初バイクとしてリミッター付き7.2馬力のホンダMTX50Rを購入。大柄なフルサイズボディにもかかわらず60㎞/hへ至る加速力は十分に鋭く(2ストエンジンだからこそ!)、とてもキビキビと良く走ってくれたものです。
大人気だった“原チャリ”に暗雲が立ち込めはじめる
“最高速度60㎞/h規制”への対策が一段落してホッとしたのもつかの間、ゼロハン……原動機付自転車に新たな逆風(?)がやってきます。
そうです。「ヘルメット着用義務化」と「二段階右折」が、ともに1986年からスタートしたのです。
前者は当然とも言えますが問題は後者。
法定速度30㎞/h遵守とキープレフトが義務である原動機付自転車の本分からすれば十分納得できる内容なのですけれど、とにかくややこしい。
片側3車線以上あるところでちゃんと二段階右折をしようとしたら、ひょっこり「二段階右折禁止標識」が出ていたり……。正直筆者も、うっかり違反を含めるとトータル5~6回は二段階右折関連で取り締まりを受けてしまいました。
フルカウルレーサーレプリカの波が50㏄に到来!
「あーしなさい、こーしなさい、でもアレはダメ、ソレもダメ……」
それまで放任主義だったオカンが、突然小うるさい教育ママになったような閉塞感に包まれはじめた原動機付自転車界隈。
そんな風潮を笑い飛ばそう! というわけではなかったでしょうが、1986年2月にスズキから「GAG(ギャグ)」というバイクが発売されます。
小さなボディながらしっかりとフルカウリングをまとったプチプチレーサーレプリカといった趣のGAG。すごいことながら同じような時期に同じようなことを考えている人がヤマハにもいたようで、GAGの登場からたった3ヵ月後の1986年5月に「YSR50」が登場しました。
TZR250と見間違える人続出のスタイルも大ウケ
ただ、YSR50はGAGよりひとまわり大きい前後12インチホイールのより本格的なシャシーに空冷ながら7馬力を発揮する2ストロークエンジンを積んでいたこともあり、公道を流すだけではもったいないとクローズドコースへ持ち込むライダーが続出。
絶妙なサイズ感はポケバイ上がりの小中学生にジャストフィットしつつ大柄な成人男性の騎乗でさえ許容するもので、その結果、全国各地でYSRどうしが可愛らしくも激しいバトルを繰り広げる「ミニバイクレース」という新たなャンルが爆発的に増えていきました。
速度リミッターや二段階右折も関係ない80㏄モデルも用意したり、秀逸なカラーリング展開を行ったことも相まってYSRシリーズは大ヒットを記録します。
結局、“NSR”がすべてを持っていった……(笑)
そして1987年6月、満を持してホンダが「NSR50」を投入いたします。
こちらはもうバリバリ水冷の7.2馬力エンジンに前後ディスクブレーキも採用した、全身本気な「4分の3スケールのホンモノ」マシン。
YSR50との性能差も圧倒的なものだったため、はたして各地のミニバイクレースはNSR50に埋め尽くされていきます。250㏄クラスにおけるTZR vs NSRの図式と同じく、YSRを徹底研究したホンダ陣営は絶妙なサイズ感やグランプリレーサーを模したカラーリング展開、80㏄モデルを用意する点まで踏襲しながら、ほぼ全ての性能スペックで上回りつつリーズナブルな価格で勝負……エゲツナイ(笑)。
熱狂的なミニバイクレースブームが生んだ功績は∞
他メーカーのファンがいくらやっかもうと、「性能1番=大ヒット」は80'sバイクブームの掟です。
実際、NSR50は本当によく仕上がっていました。
筆者もMC編集部員時代にミニバイクレース参戦を果たしましたが、うまく操作をすればタイムが縮まるし、ヒザスリやり放題なことに浮かれていい加減な挙動を与えればコロンと転倒(狭いコースの場合、速度域が低いのでケガ知らず←もちろん革ツナギにフルフェイスヘルメットなどのしっかりした安全装備は参加するための必須条件)。
筆者同様、バイクの楽しさ、奥深さ、恐ろしさ、達成感など大切なことをミニバイクレースで学んだ人は多いはず……。そんな幅広い世代を巻き込んだ大ブームは青木三兄弟、加藤大治郎、阿部典文(敬称略)ほか、世界へ羽ばたいたGPライダーを多数生み出しました。これ,本当にすごいことです。
2ストマシンを楽しむには今がラストチャンスかも!?
走るだけでストレスを感じるようになった公道からクローズドコースにメインの舞台を変えて、命脈を保ってきた7.2馬力スーパーゼロハンの末裔たちでしたが、排ガスや騒音など抗うことのできない環境諸規制の強化により、2000年代を待たずにほぼ全滅いたしました(実は1台だけ世紀をまたいだ公道2スト50㏄スポーツバイクが! そちらについては、また稿を改めて)。
とはいえ、現在ではレース数こそ激減いたしましたがミニバイクレースは各地で開催されております。少しでも関心を持っていただけたら礎となったスーパーゼロハンたちも喜ぶことでしょう。
また、公道を含め「また乗りたくなってしまった」というシニア層も、「2ストバイクがどんな乗り味か知りたい」というヤングたちも、興味が出たらまずはお近くのレッドバロンにてご相談を!