80年代“ゼロハン”回顧録 ① を読む

耐久性、積載性、悪路走破性、低燃費、いやいや単純に楽しけりゃいいじゃん……などと、あらゆる需要に数多くのモデルが応えていた、百花繚乱のゼロハンラプソディ。世はまさにスペック至上主義がまかりとおるレーサーレプリカブームの真っ只中であり、その大波は原付一種クラスをも飲み込みます。紆余曲折があった80年代後半に燦然と現れた“覇車”小さな巨人でした!

お上からの「通達」により“自主規制”合戦がスタート

「性能でライバルを上回って1番になれば絶対に大ヒットする」

というとても分かりやすい図式で突き進んできたイケイケドンドン状態の80'sバイクブームでしたが、技術の向上と相まって進化が加速しすぎました。

本来「30㎞/h以上出してはいけないゆえにノーヘルでも良しとしましょう」といった存在の原動機付自転車が90㎞/h超でぶっ飛んでいく……。

さすがにそれはヤバいということで、あわてた関係各位からのストップがかかった……というのが、ゼロハンバイクにおける最高速度60/h規制の実態だったと言えます。

慌てるお役人

●「最高速度を落とすべし」と認可省庁から“通達”が来たとあっては、メーカーとしても真摯に対応しなければなりません。同様の“自主規制”は以降もちょくちょくバイク(クルマ)史に影を落としていきます……

 

では、高くなりすぎた性能をどのようにメーカーは“自主規制”していったのでしょうか? 

従来の方向性とは真逆の努力が開発陣に求められた

速攻でメカニズム的に手を加えたのがホンダとカワサキで、吸排気系の設定変更などでエンジン出力を抑えるだけでなく6段変速だったミッションを5段にするという大変更まで行ない、スロットル全開を続けても物理的に60㎞/h以上出せない仕様をまとめ上げました。

MBX50_1984

●1984年4月に登場した速度規制対応版が写真の「MBX50」。最高出力は5.6馬力となり、ミッションは5速化。代わりに(?)オプションだったアンダーカウルが標準化され、メーターパネルも透過光式となり、各部もグレードアップ……。したのですがスペック至上主義がはびこる時代に支持は得られず、翌年1985年11月には電気リミッター装着の上で7.2馬力+6段ミッションが復活し、ミニカウルも装着した「MBX50F」として仕切り直しております

 

ただ、お察しのとおり、そちら方向での改変はユーザーからはまったく支持を得られず……。いろいろあったものの、スズキが先行した“電気的リミッターの装着”が高性能ゼロハンの対応策として標準化していきます。

スズキ ウルフ

●1984年にササッと電気式リミッターを装着し、7.2馬力のままトルクアップまで果たしてゼロハンファンを喜ばせたRG50Γ。そのネイキッドバージョンとして1989年12月に登場したのが写真の「WOLF50」でした。「すごい! ぶっといツインチューブフレームだ!」と思いきや、フレームはRG50Γと同じスチール製角形ダブルクレードル式でカバーを付けただけというオチ(笑)。でもカッコよければいいんです! ウルフは125や200、250でも展開されました。そういえば「コブラ」という4スト4気筒スポーツもありましたね……。動物園か

バイクライフ初の相棒として最適だった2ストゼロハン

49㏄から7.2馬力を絞り出せるパワフルなエンジンはそのまま、60/hに到達したらスパークプラグの点火がカットされて速度を出せなくなり、いざ安全なクローズドコースなどを走るときは、その制御をスペシャルな「市販CDI」で相殺すれば本来の性能を楽しめる……という方式に大多数の高性能ゼロハンは落ち着きました。

筆者も山口から埼玉の大学に進学した1986年、念願の初バイクとしてリミッター付き7.2馬力のホンダMTX50Rを購入。大柄なフルサイズボディにもかかわらず60/hへ至る加速力は十分に鋭く(2ストエンジンだからこそ!)、とてもキビキビと良く走ってくれたものです。

MTX50R

●おお我が青春のMTX50Rよ! 178㎝の筆者が乗っても全く違和感のない堂々たるサイズ感でライポジもひろびろ。ロングツーリングさえ苦もなくこなしてくれました。原付なのにそんな車体パッケージが成立したのも軽量ハイパワーな2ストロークエンジンあってこそ。あの気持ちのいい吹け上がりは、できうることなら全宇宙のライダーに経験していただきたいものです!

大人気だった“原チャリ”に暗雲が立ち込めはじめる

“最高速度60/h規制”への対策が一段落してホッとしたのもつかの間、ゼロハン……原動機付自転車に新たな逆風(?)がやってきます。

そうです。「ヘルメット着用義務化」「二段階右折」が、ともに1986年からスタートしたのです。

前者は当然とも言えますが問題は後者。

法定速度30㎞/h遵守とキープレフトが義務である原動機付自転車の本分からすれば十分納得できる内容なのですけれど、とにかくややこしい

二段階右折の標識

●左折専用レーンが出てきたときには? T字路だった場合は……など、法規の深い理解と標識の迅速なる確認が求められる難易度の高い知的ゲームが原付二段階右折。ミステイクしたら国家権力に呼び止められてしまいます(汗)

 

片側3車線以上あるところでちゃんと二段階右折をしようとしたら、ひょっこり「二段階右折禁止標識」が出ていたり……。正直筆者も、うっかり違反を含めるとトータル56回は二段階右折関連で取り締まりを受けてしまいました。

フルカウルレーサーレプリカの波が50㏄に到来!

「あーしなさい、こーしなさい、でもアレはダメ、ソレもダメ……」

それまで放任主義だったオカンが、突然小うるさい教育ママになったような閉塞感に包まれはじめた原動機付自転車界隈。

小うるさい教育ママ

●我々ライダーが大ケガなどをしないよう、さまざまな規制や規則をかけてくれる大きな存在は、本当にありがたいものですね!?

 

そんな風潮を笑い飛ばそう! というわけではなかったでしょうが、19862月にスズキから「GAG(ギャグ)」というバイクが発売されます。

スズキGAG

●その名も「ギャグ」! 全長1540㎜のミニサイズで角型パイプを用いたバックボーンフレームに、5.2馬力を発揮する空冷4ストローク単気筒OHCエンジンをマニュアルクラッチ4段変速と組み合わせて搭載。フロントに油圧式ディスクブレーキ、リアに1本サスを採用するなど本格的な装備で当時価格は18万3000円。乾燥重量はなんと64㎏!

 

GAGカタログ中身

●あああああああ〜、キャッチコピーといい文字の傾け方といい、80年代としかいいようのないビジュアルがたまらないGAGのカタログ

 

GAGのカタログ末尾

●用意された4色のうちピンクと赤はさすがに……と当時は思いましたが、赤は「SUZUKI」を車体に大きく配する現在のモトGPマシンカラーリングと共通性があったりして改めて驚きました。ちなみにピンクの車体横に描かれているのはバニーちゃん……

 

小さなボディながらしっかりとフルカウリングをまとったプチプチレーサーレプリカといった趣のGAG。すごいことながら同じような時期に同じようなことを考えている人がヤマハにもいたようで、GAGの登場からたった3ヵ月後の19865月に「YSR50」が登場しました。

YSR50テック21

●写真は1986年、鈴鹿8耐参戦記念の限定仕様としてリリースされたYSR50テック21仕様。いやもうコイツが突然目の前に現れたら泣くしかないですね。タマランのう〜

TZR250と見間違える人続出のスタイルも大ウケ

ただ、YSR50GAGよりひとまわり大きい前後12インチホイールのより本格的なシャシーに空冷ながら7馬力を発揮する2ストロークエンジンを積んでいたこともあり、公道を流すだけではもったいないとクローズドコースへ持ち込むライダーが続出。

YSR50カタログ

●空冷2ストローク単気筒ピストンリードバルブエンジンの最高出力は7.0ps/8800rpm、最大トルクは0.59㎏m/8500rpm。5速リターンの変速機との組み合わせ。全長はGAGより35㎜長い1575㎜で乾燥重量は75㎏。燃料タンク容量は8ℓでおお!と思ったのですが、GAGも7ℓを確保していたのですね、今知りました。YSR50の当時価格は18万9000円

 

YSR50カタログ中身

●有名な「ルーキーにしてヒーロー。」というキャッチコピー。バイク&クルマ雑誌編集部員時代、ほとぼりが冷めたころ少しずつモディファイして(←パクリという)よく使わせていただきました

 

YSR50カタログ末尾

●いやホントに遠目でYSR50を見たとき「あ、TZR250だ!」と勘違いしたこと多数……。筆者だけですか!?

 

絶妙なサイズ感はポケバイ上がりの小中学生にジャストフィットしつつ大柄な成人男性の騎乗でさえ許容するもので、その結果、全国各地でYSRどうしが可愛らしくも激しいバトルを繰り広げる「ミニバイクレース」という新たなャンルが爆発的に増えていきました。

速度リミッターや二段階右折も関係ない80㏄モデルも用意したり、秀逸なカラーリング展開を行ったことも相まってYSRシリーズは大ヒットを記録します。

結局、“NSR”がすべてを持っていった……(笑)

そして19876月、満を持してホンダが「NSR50」を投入いたします。

1987_NSR50

●当時のワークスレーサーNSR500イメージを色濃く反映させて登場するや大人気を博した「NSR50」(写真は初代)。水冷2ストローク単気筒ピストンリードバルブエンジンの最高出力は7.2ps/10000rpm、最大トルクは0.65㎏m/7500rpm。振動を抑える一軸バランサーに6速リターンの変速機も装備。全長はYSR50より5㎜長い1580㎜で乾燥重量は76㎏。燃料タンク容量はGAGとYSR50の中間となる7.5ℓ。当時価格はYSR50比で3万円高の21万9000円でした

 

こちらはもうバリバリ水冷の7.2馬力エンジンに前後ディスクブレーキも採用した、全身本気な「4分の3スケールのホンモノ」マシン。

YSR50との性能差も圧倒的なものだったため、はたして各地のミニバイクレースはNSR50に埋め尽くされていきます。250㏄クラスにおけるTZR vs NSRの図式と同じくYSR徹底研究したホンダ陣営は絶妙なサイズ感やグランプリレーサーを模したカラーリング展開、80㏄モデルを用意する点まで踏襲しながら、ほぼ全ての性能スペックで上回りつつリーズナブルな価格で勝負……エゲツナイ(笑)

熱狂的なミニバイクレースブームが生んだ功績は∞

他メーカーのファンがいくらやっかもうと、「性能1番=大ヒット」は80'sバイクブームの掟です。

実際、NSR50は本当によく仕上がっていました。

NSR50カタログ

●以降紹介するカタログはNSR50の最終型である1999年式のもの。ここに至るまで1989年、1992年、1995年にも大幅なアップデートがなされ、孤高の存在として君臨。ライバルであるヤマハは1994年にTZM50R(セルスターター付き!)を登場させたのですが、時すでにお寿司、いや遅し。ミニバイクレースブームは過ぎ去りつつあるタイミングとなってしまったのです。NSR50も95年モデル以降の改良はなし。99年式は幕引きを告げるカラーリングチェンジでした

 

NSR50カタログ_メカ

●ミニバイクレースを楽しむ人たちの声を反映させて、地道な改良がなされていったNSR50。この最終型の当時販売価格は消費税抜きで28万5000円。今、中古車はいくらくらいなのかな〜、と軽い気持ちで調べてみたら気を失いそうになりました……

 

NSR50スペック

●1999年式は50も80も“レプソルカラー”のみ。もちろん、マイケル・ドゥーハン選手が駆ったワークスNSR500イメージを踏襲したものです。とにかく彼+NSR500は強かった……

 

筆者もMC編集部員時代にミニバイクレース参戦を果たしましたが、うまく操作をすればタイムが縮まるし、ヒザスリやり放題なことに浮かれていい加減な挙動を与えればコロンと転倒(狭いコースの場合、速度域が低いのでケガ知らず←もちろん革ツナギにフルフェイスヘルメットなどのしっかりした安全装備は参加するための必須条件)。

筆者同様、バイクの楽しさ、奥深さ、恐ろしさ、達成感など大切なことをミニバイクレースで学んだ人は多いはず……。そんな幅広い世代を巻き込んだ大ブームは青木三兄弟、加藤大治郎、阿部典文(敬称略)ほか、世界へ羽ばたいたGPライダーを多数生み出しました。これ,本当にすごいことです。

NSRミニ

●NSR50の生産終了を受け継ぐかのようにサーキット専用モデルとしてHRCから発売された「NSR mini」。こちらも惜しまれつつ2009年に販売を終了しましたが、今なお愛用者多し!

2ストマシンを楽しむには今がラストチャンスかも!?

走るだけでストレスを感じるようになった公道からクローズドコースにメインの舞台を変えて、命脈を保ってきた7.2馬力スーパーゼロハンの末裔たちでしたが、排ガスや騒音など抗うことのできない環境諸規制の強化により、2000年代を待たずにほぼ全滅いたしました(実は1台だけ世紀をまたいだ公道2スト50㏄スポーツバイクが! そちらについては、また稿を改めて)。

とはいえ、現在ではレース数こそ激減いたしましたがミニバイクレースは各地で開催されております。少しでも関心を持っていただけたら礎となったスーパーゼロハンたちも喜ぶことでしょう。

RZ50モノクロ写真

●1981年に登場した写真の「RZ50」から始まった“スーパーゼロハン”ムーブメント。時代の流れには逆らえず、21世紀を越えることなく終了か……と思っていたら1998年にまさかのブランニューモデルが登場! その車名は……えっ?「RZ50」!?

 

また、公道を含め「また乗りたくなってしまった」というシニア層も、「2ストバイクがどんな乗り味か知りたい」というヤングたちも、興味が出たらまずはお近くのレッドバロンにてご相談を!

80年代“ゼロハン”回顧録③を読む

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