250スーパースポーツという新時代の新たな金脈を掘り当てたカワサキ ニンジャ250R。パイオニアゆえの利得として長らく独占状態を続けましたが、ライバルたちも迎撃態勢を整えて同ジャンルへとなだれ込んできました。ホンダはCBR、スズキはGSRという兄貴分と同じ著名なブランドを冠しての登場です。勢力図はどう変わっていったのか……!?
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250クラスで3年間も続いたニンジャR一強時代!
2008年4月に税込み49万8000円という衝撃的な価格設定で鮮烈デビューをはたしたカワサキ ニンジャ250R。
前編、中編で述べてきたとおり、250㏄クラス(もっと言えば400㏄クラスも含め)当時唯一のフルフェアリングロードスポーツとして脚光を浴び、ばく大なバックオーダーを抱えるほどの大ヒットモデルに成り上がっていきました。
デビュー以降、毎年きっちりカラーチェンジを行うたびに高人気を受けて価格をつり上げ……いや失礼。
海の向こう、タイ王国生産ゆえの為替変動調整で適正な価格への改定を繰り返し、ド定番かつシンプルな単色勝負のSTD、デザイナーの遊び心を存分に具現化したSE(スペシャルエディション。STDよりさらに1.5万~2万円くらい高い)という販売戦略もバッチリ決まり、街はニンジャ250Rで埋め尽くされていきます。
ライバルメーカーは何故すぐ対応できなかったのか
当時、ホンダ、ヤマハ、スズキの企画担当者は歯ぎしりをして悔しがっていたはず……。
「だったら1980年代バイクブームのときのように、速攻で似たような車両を開発して追撃すればいいじゃん」と無責任な外野はお気楽に考えてしまいがちですが、2000年代後半の時代背景は30余年前の“二輪車黄金期”とは全く異なってしまっており、対抗車種の即時擁立は簡単な話ではなくなっていたのです。
端的に言ってしまえば「日本市場だけを考えたモデルなんて、もう造れない!」ということ。
ノーヘル合法でフツーの主婦さんたちも日々の買い物用に原付スクーターを買い漁り、高校生や大学生だってひと夏バイトを頑張れば最高性能のマシンが購入できたバイクブームの初期は、まさしく毎日が奇跡の無制限確変☆大フィーバー状態。
特に1982年には実に日本国内だけでバイクが約328万5000台も販売されたのですよ(1日当たり9000台が売れていたという計算に)!
そうして回収できた圧倒的な原資を元手に、また魅力的なモデルを速攻で開発していく……という理想的な拡大再生産のサイクルは、原付バイクのヘルメット義務化と環境諸規制の強化を受けたレーサーレプリカブームの沈静化などにより1990年代でほぼ終了となり、その後の国内販売台数は一貫して減少を続けて2008年は52万2000台強に(2019年にはピークの約10分の1となる36万2000台強まで)下がってしまいます、嗚呼。
二輪界を動かすインド、中国、そしてASEANの力!
逆にインドネシア、ベトナム、タイ、インド、中国ほかのアジア地域では2000年代に入ってハイパーなバイクブームが巻き起こり、日本とは文字通り“ケタ”が数個違う規模でセールスが推移していったのですから、国内4メーカーも販売戦略の軸足を元気な市場へ移さざるを得ません。
現地には次々と最新鋭の工場が建てられ、そこで生産した“国際戦略車”を地元だけでなく欧州や北米にもザクザク送り込むといった図式が確立してしまい、ジャパニーズメーカーといえども日本の小さな小さなマーケットだけを考えた車種をサクッと造ってサクッと販売することなど、もはやほぼ不可能になってしまったのです。
カワサキはタイ王国で2003年からZZ-R250を生産してきた実績があり、その流れをうまく使ってニンジャ250Rをリリースできたのですが、他の3メーカーは膨大なコストと長い期間のかかる、厳しい環境諸規制に対応した(対応し続けることのできる)エンジンを新規開発するところから始めなくてはなりません。
交通法規や保険や税制の縛りによりガラパゴス化している日本の250㏄市場も(少し)考えつつ、全世界的には圧倒的にメジャーな300㏄前後のマーケットで勝ち抜くためのパワーユニットと車体まわりを新たに構築しなくてはならないのですから、そりゃぁ時間もかかります……。
「昔の名前で出ています」が話題となったホンダ対抗馬
と、いうわけで実質的なニンジャ250R追撃モデルが登場したのは2011年のこと。
同年3月18日、ホンダから「CBR250R(MC41型)」が国内デビューを果たしました。
前年から「ホンダが対忍者車両を開発中!?」といったスクープが数多くのバイク雑誌に取り上げられ、製造国であるタイ王国やインドで先行発売された車両を現地へ飛んだスタッフが綿密に取材した記事にも熱い視線が集まったもの。
ただ、当初は数多くのライダーからネガティブな意見が聞かれたことも事実です。
「車名がCBR250R? なんで直4エンジンを積んだ名車と同じなの? しかも今回のは単コロ(気筒)なのに」
「CBRといったら精悍な2眼ヘッドライトでしょ、これじゃVFRの顔じゃん」
「後出しジャンケンにも関わらずニンジャ250R(31馬力)よりパワーが少ない(27馬力)ってどういうこと?」etc……。
あえて単気筒にして、ニンジャとのガチンコ勝負を避けたかのような印象まで!?
“ライバルの登場=市場が活性化”は永遠の定理!
ですが、いざ実車が発売されてマジマジと眺めたり小気味よく走らせてみたならば、さすがのホンダクオリティに脱帽!
複雑な面構成を持つカウリングデザインや液晶表示部を持つインストルメントパネルは所有感を満たし、単気筒ならではの小気味良いエンジンフィーリングが生み出す奥の深いライティングプレジャーは新生CBR250R独自の世界観を構築していたのです。
そして、やはりこうきたか……の低価格戦略。
250㏄クラスのロードスポーツモデルとしては世界初となるコンバインドABS装着車でさえ“税込み50万円切り”を果たした49万9800円という驚愕のプライスタグを引っさげて日本へ上陸してきたのです。
ABSなしのSTDなら45万円すら切ってきた44万9400円!
同年式のニンジャ250RがSTDで53万3000円、グラフィックのみが異なるSEは55万3000円となっていましたから、競争力はバッチリチリのチリコンカーン(?)です。
ホンダ、スズキ、そしてヤマハも。4メーカー集結へ
果たしてCBR250Rも一躍人気車となりましたが、ニンジャのシェアを大きく食いつぶしたというわけではなく、250クラスの市場規模がCBR分そのまま大きくなったという雰囲気でしたね。
翌年2012年の11月にCBR250Rはマイナーチェンジを行い、足着き性向上のためシート形状を変更するとともに“レプソル”と“モリワキ”のイメージカラーをまとった〈ABS〉スペシャルエディション(51万300円。同時に色変更を受けたSTDとABS仕様車の価格は変わらず←エライ!)を投入。
スズキもネイキッドモデルではありましたが、世界戦略車として中国で生産されるブランニューモデルGSR250を2012年7月から日本へ導入し、43万8900円という低価格もあって、これまたスマッシュヒットを記録……と、魅力的なニューモデルが出るたびに250クラスの“パイ”が広がっていくという好循環が回っていきます。
そしてゲームチェンジャーは次のステージへ!
どの車種も①グローバル展開、②アジア圏生産、③最新規制対応型エンジン、④性能に不足なくコスト面も優れる鉄製パイプフレーム、⑤所有感を満たす質感&スタイリング、そして⑥各国のユーザーが納得する走行性能と⑦お値打ちプライス……というニンジャ250Rが先鞭をつけた新時代250マシンのひな形(テンプレート)を忠実になぞってきての登場です。
そんなライバルモデルがチラホラと現れ始めた2012年の8月、カワサキは必死で追従してきた彼らを置き去りにするかのような圧倒的ステップアップを遂げた2013年型ニューモデルを発表し、またまたバイク業界をザワつかせます。
その名も「ニンジャ250」!
“R”が外れてスタイリングも兄貴分であるニンジャZX-10Rや6Rと同様のイメージを獲得しつつ、カワサキ250モデルとしては初となるABS仕様車も設定してCBR250R対策も万全なものに。
翌年(2013年)2月1日に正式発売されるや、3日で日本向けの年間販売計画台数6000台が売り切れてしまうという、とんでもない事態となりました。
具体的なその進化の内容や、ヤマハからの強力な刺客「YZF-R25」の詳細ほかについては、次回にて~。
あ、というわけで2011年以降に登場してきたCBR250RやGSR250、そしてもちろん同時期のニンジャ250Rも、いまだ中古車の台数は豊富で老若男女を問わず気軽なバイクライフの相棒としてずっと選ばれ続けております。レッドバロンで購入したなら国内直営300店舗オーバーのアフターサービス網をフル活用できるので、ロングツーリング先でアクシデントが起こっても安心! 詳しい内容はぜひお近くの店舗で聞いてみてくださいね!
(つづく)