Contents
日本でバイクが328万5000台売れた年に
山口の片田舎にて生まれ育ったワタクシ。そのころ民放は2つしか映らず、“笑っていいとも!”が、なぜか毎日夕方からの放映で「東京では16時からお昼休みかぁ」と信じ込んでおりました。
そんな紅顔、いや厚顔の美少年がバイクに目覚めたのは1982年、中学2年へ進級した春のこと。
小学生時代はバイクなんて“こち亀”か“仮面ライダー”に出てくる小道具のひとつ……くらいの認識しかなかったのですが、リトラクタブルライトに電動変速機が付いた自転車で走るころになると、どちらの民放へチャンネルを回してもやたらソフトバイクやスクーターのテレビCMが流れていることに気付きます。
「必死こいて足で漕がんでも、右手をひねるだけで前に進むんか……。ブチすげぇのう!」というところから火の着いたモーターサイクルへの憧れ。ふと周りを見渡すと自転車屋兼の小さなショップにもカラフルなスクーターが大量に並べられるようになり、田舎にも空前のバイクブームはゆっくり、しかし確実に波及してきていたのですね。
“電話帳”のようなバイク誌が与えてくれた興奮
労せず前へ進む乗り物の詳細が知りたくなり、少年ジャンプの立ち読みだけに通っていた本屋の奥深くへ意を決して踏み込んでみれば、ツインタワービルのごとくオートバイ誌とモーターサイクリスト誌が積み上がっているではありませんか。
右側にあったので利き腕で取り上げた、という理由だけで初購入したモーターサイクリスト誌1982年5月号が、ワタクシと最高な趣味をつなぐ最初の架け橋となってくれたのです(まさか8年後に、その編集部で働くことになるとは……。左利きだったらオートバイ編集部にいた!?)。
1980年代前半といえばインターネットなど影も形もなく、スマホとパソコンどころかビデオすらろくに普及していなかった時代。月に一度、500円札を握りしめて買いにいくモーターサイクリスト誌だけがバイクに関する情報のすべてなのですから、誇張なく活字のひとつすら飛ばすまいと全集中して精読し続けました。
カンブリア期のような多様性で覇を競う
折しも二輪業界は食うか食われるかの大乱闘時代。
「2ストのRZ250を打倒するべく、世界GPレーサーNRの技術を投入してVT250Fが登場!」、「RG250Γは市販車世界初のアルミフレームを搭載!」、「驚きのタンデムツイン、KR250が来た!」などライバルを圧倒するためなら何でもアリで、レースにおける背景を知っていればさらに胸熱なストーリーが満載。
ほかにもリトラクタブルだ、YPVSだ、スーパークロスだ、ニンジャだ、ターボだ、油冷だ、フューエルインジェクションだ、ハリケーンだ、アルフィンカバーだ、カソリングだ、ラジアルタイヤだ、400㏄いや250㏄の4気筒エンジンだ、TECH21だ、東福寺だ、ケニー&平だ、スペンサーだ……etcetc。
未曾有のバイクブームという追い風……いや爆風を得たメカニズムの進化(と試行錯誤)は凄まじく、それに伴った大ヒットブランドの誕生、神ライダーによる苛烈な戦い、壮大すぎるビッグイベントなど、百花繚乱めくるめく事象が次から次へと紹介されていくのですから、それはもうタマリマセン。
ブーム最高潮時に「おあずけ」をくらったからこそ
ニューモデルが出るたび筑波サーキットのラップタイムは削られ、谷田部のJARI(日本自動車研究所)で行われた最高速テストの記録は塗り替えられていくばかり。
毎月のように同排気量(2ストも4ストもそれぞれ)、同ジャンルでの4メーカーライバル対決を眺めては胸をときめかせ、高校進学とともに突然増えていったバイク好きのクラスメイトたちと時間を忘れて“口(くち)プロレス(←要は「舌戦」)”を繰り広げました。
「やっぱGSX-Rすげーよな」、「いやいやFZには敵わない」、「ふざけるなCBRのほうが上だよ」、「総合力ではGPZがイチバンさ……」。
酒も飲まずにどうしてあれほど盛り上がれたのか不思議なくらいです。
誰ひとりバイクはおろか、免許すら持っていなかったというのに。そう、誰ひとりバイクはおろか、免許すら持っていなかったのです!
当時の山口県は名にし負う教育県(今どうなのかは不明)で、『8時だョ!全員集合』ですらワースト番組として「子供には見せてはだめ!」とお達しがくるようなお国柄でしたから、“バイクの免許を取らせない・バイクに乗らせない・バイクを買わせない”という「3ナイ運動」の締め付けも厳しく、高校時代に二輪免許の取得など夢のまた夢。すると抑えきれないリビドーは、はけ口を求めて大爆発するものです。
乗れなくても「妄想サイクリスト」になろう!
以下、ワタクシの中学&高校時代は……、
①近所のバイク屋に通ってはカタログを集めまくる
②各メーカーのファンクラブH・A・R・T、Y.E.S.S.、JAJA-UMA CLUB、KAZEなどの会員になる
③1/12、1/6スケールのバイクプラモデルをやたらと作る、とにかく作る、執拗に作る
④電車に乗って美祢サーキットまでロードレースを見に行く(両親にはオートレースと勘違いされた)
⑤自転車に「FZ」のロゴとブロックパターンをペイントする(もちろん通学用ヘルメットにはAraiステッカー)
⑥モーターサイクリスト編集部へカタナにまたがったラムちゃんイラストの年賀状を送る……。
と、今振り返ってみれば乗れなかったからこその青白く燃え上がった情熱で、バイク(の妄想)と真剣に向き合っていた気がいたします。
ちなみに②のメーカーファンクラブ。記憶が曖昧で申し訳ないのですけれど、私の中高生時代は数百円〜数千円の年会費をショップや事務局に支払えば名刺大の会員証をGETできたはず。
それぞれツーリングやレース観戦時などに多大なる特典があったのですが、私自身はな〜んも使えず。それでも国産各メーカーの“一員”になれた気がして最高でしたね……。
ともあれ、忍従の時代に活字で得たメカニズムの知識やバイクの歴史、ライバルとの相関関係、交通法規への理解などは、全て大学生になってからのバイクデビュー、さらにはMC編集部での仕事にも非常に役立ちました。
もしこの原稿を読んでいらっしゃる人のなかに年齢や諸般の事情によって二輪に乗ることができず、もどかしい思いをしている方がいらっしゃるならば、その気持ちを起爆剤にしてバイクのことを幅広く学んでおくことを老爺心ながらお薦めいたします。ネットをうまく活用すれば、驚くような世界だって広がっていくはずですよ。
現在のバイクブームの主役はアナタ方なのですから!