♬「V(ブイ)! V! V! ビクトリィ~~ッ!」と水木一郎アニキたちが熱唱する「コン・バトラーV」のオープニングテーマが今も脳内に深く刻み込まれている筆者。そう、“V”とはVictory(勝利、優勝、克服、征服)の頭文字。ホンダV4エンジンもレースで勝利をもたらすために生まれ、実際に数多くのビクトリーを得てきたのです。そのテクノロジーを全集中して生まれた市販車もまた“勝ち組”でした!
●キリッとした目鼻立ちがたまらない(トランスフォーマー風味!?)ホンダ「VFR800F」のフロントフェイス(写真は2017年型カタログより)。アッパーカウルの左右端部まで伸びるX字デザインのLEDヘッドライトが先進的な雰囲気を醸し出しております。2010年に登場した「VFR1200F」との関連性も見てとれますね〜
VFR800FというハイメカV4の貴公子【中編】はコチラ!
VFR1200FというV4最高到達点【後編】はコチラ!
誕生以降、Victoryに彩られたホンダV4レーサーたち……
♪「身長ぉ~57メートル、体重ぅ~550トン~」。
●東映ビデオから現在も絶賛発売中の『超電磁ロボ コン・バトラーV VOL.1』DVD(DSTD08926)1万780円(税込)/ COLOR/ 本編290分/ 片面2層2枚組/ 1.主音声:モノラル/ 4:3/ 12話収録(C)東映 ヒロイン南原ちずるさんの立ち居振る舞いにドキドキした幼少期……。現在、公式が第1話と第2話を無料配信しておりますので、よろしければご確認ください。さぁ、アナタも「レッツ、コンバイン!」
いやぁ、冒頭のこじつけ(?)引用ネタを探すためブイブイとネットサーフィン(死語)をしていたら止まらなくなり、気が付けば数時間を溶かしていました……。
●本当に恐ろしいです、電脳空間。「ちょっと息抜き……」と迷い込んだなら最後、貴重な時間がみるみるうちに消えていってしまう魔界でもあります。オトナなら正しく付き合ってまいりましょう(←おまゆう)
そんなことはともかく、知っている人は知っているロボットアニメ「超電磁ロボ コン・バトラーV」(タイトルへ ・〈中黒[なかぐろ]〉が入っていたことを令和5年末に初めて認識!)は、全長と重量が銀河一知られているスーパーロボットとしても有名ですね、エンディングテーマで毎回歌われていましたので(笑)。
放映期間は1976年4月17日から1977年5月28日までの全54話!
現在55歳の筆者がまだ可愛らしかった8~9ちゃい時期のテレビアニメーションですので46~47年前になるのですか……。
山口の片田舎にて筆者が最終回を観終わり“コンVロス”を発症しているころ、ホンダ社内では壮大なプロジェクトが検討&推進されており、コンV最終回から約半年後(←しつこい)となる1977年11月にビッグニュースが全世界へ向けて発信されました。
●まぁ実際にはすぐ後番組の「超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)」に夢中となっていたのですが(^^ゞ。この作品、フィリピンで国民的人気を誇っており、とんでもない実写版も製作されております……
それが「WGP(ロードレース世界選手権)への参戦復帰宣言」であり、ホンダV4エンジンの始まりでもあったのです。
1959年からスタートしたWGP第一期挑戦では、“精密機械”と呼ばれた空冷&4ストローク&並列の多気筒超高回転・超高出力エンジン路線で勝利と栄光を欲しいままにしてきたホンダでしたが、1967年にWGPを一時撤退してから10余年。
●1967年、2ストロークマシンが優勢になりつつなる中でマイク・ヘイルウッド選手が駆り、2年連続でWGP250㏄クラスのライダータイトルを彼へともたらした「RC166」。249.42㏄の空冷4ストローク並列6気筒(!)DOHC4バルブエンジンは60馬力以上を1万8000回転で発生(7段ミッション)。車両重量は112㎏で最高速度は240㎞/hオーバーとされていました……。いやはやもう、想像の域を超えているマシンです
当時……1970年代後半のWGPは2ストロークマシンが全盛となっていたものの、それを単純に後追いすることは“4ストのホンダ”という矜持が許さなかったのでしょう。
「ならば4ストで2ストを凌駕するにはどうすればいいか……」とがんじがらめ具合が増したレギュレーションの中で技術者たちが導き出した答えが「水冷4ストロークV型4気筒DOHCエンジン」だったのです。
●「WGP復帰宣言」を受けて翌1978年、朝霞研究所にNR(New Racing)ブロックが誕生。当時の2ストライバルが110馬力以上を約1万回転で出していることから、4ストの「NR500」が同等以上の出力を得るためには単純に倍の約2万回転を実現することが必須ということに。当初は多気筒化、つまりV型8気筒で対抗しようという案もあったようですが、レギュレーションで4気筒以上は認められず……。だったらV8エンジンの燃焼室を2気筒分をつなげて1つのピストンにしてしまえ! これなら4気筒でしょ! という常識外れにも程があるアイデアを着々と現実化していき1979年、写真の「NR500(0X)」が第11戦イギリスGPで念願の実戦デビューを果たしたのです……燃える!
まぁ、初っ端の「NR500」は1気筒当たり8バルブという常識外れの“長円形ピストン”を採用していましたけれど……(驚)。
1979年から4年間続いた「NR500」でのWGP挑戦にて得た膨大な知見は市販4ストスポーツモデルの開発に遺憾なく発揮され、1982年3月、真円ピストンを採用した米国デイトナ200マイルレース用プロトタイプマシン「RS1000RW」の大活躍を経たあと、満を持して同1982年4月から市販車向けV4エンジンを初搭載したホンダ「VF750セイバー/マグナ」が新発売!
●これぞ「RS1000RW」の勇姿(1983年型ホンダ「VF750F」カタログより抜粋)! なお、写真のライダー木山賢悟選手といえば1981年6月14日、雨の「鈴鹿200㎞レース」にて「NR500」へ唯一の優勝を与えたホンダのエース。翌々年の1983年6月10日、同イベントでの事故において早世されたことが本当に悔やまれます……合掌
以降、2022年10月に「VFR800F/X」が生産終了となるまで約40年間にわたる市販ホンダV4の濃密な旅路が始まったのです。
●2018年11月に発表され、2022年10月に生産が終了した最終型の(完熟!)ホンダ「VFR800F(RC79)」。エンジン回転数に応じてバルブ数を切り替える“HYPER VTEC”を搭載する781㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力107馬力/1万250回転、最大トルク7.9㎏m/8500回転を発揮! TCS(トラクション・コントロール・システム)も装備され、走りにゆとりと安心感をもたらしています。シートは2段階(809㎜/789㎜)の選択が可能で、グリップ位置を上方13,5㎜、手前6.5㎜に変更できるハンドルアジャストプレートもオプションで用意されていたので4通りのライポジが選べました。さらにグリップヒーター、ACCソケット、ETC2.0車載器も標準装備……! 車両重量243㎏、燃料タンク容量21ℓ、60㎞/h定地走行燃費は28.7㎞/ℓ。最終型の消費税10%込み当時価格は、写真の“INTERCEPTOR”ロゴも精悍なパールグレアホワイトが152万2400円、ヴィクトリーレッドが144万5400円でありました
「NR500」からスタートしたレース活動と高性能市販車とが密接にリンクしている“Force V4”の歴史を逐一紹介していくと、前中後編ではとても収まりきらず、ヘタすると10回くらいの大河連載になってしまいますので、市販車を中心とした「VF750シリーズ」~「VFR750シリーズ」を筆者の主観も混ぜ込みつつザザッと(?)紹介してまいりましょう(ホンダ公式の“Force V4”ページはコチラ)。
サブレじゃないよセイバーだよの「VFR750 SABRE」 初マグナの栄誉にあずかった「VF750 MAGNA 」
まさしく筆者が厨二……いや中二、つまり中学二年生となり、不良に間違えられないかとドキドキしながら生まれて初めてバイク雑誌、モーターサイクリスト5月号を購入した1982年4月、華々しく登場したのが“プレステージ・ツアラー”「VF750セイバー」と“プレステージ・カスタム”「VF750マグナ」でありました。
●1982年4月1日、後述する「VF750マグナ」と同時に発売が開始された「VF750セイバー」の勇姿! セイバー(SABRE)とはサーベル(剣)との意味で、当時たけなわだったHY戦争をこのひと突きで終わらせる……という意味が込められていたのかどうかは不明です(汗)。新規開発された748㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力72馬力/9500回転、最大トルク6,1㎏m/7500回転のパフォーマンス。シート高770㎜、車両重量242㎏、燃料タンク容量20ℓ、60㎞/h定地走行燃費は38.0㎞/ℓと良好でした。当時価格は69万5000円ナリ!
水冷・シリンダー挟み角90度・V型・4気筒・DOHC・4バルブという、従来とはあまりにも異次元でスペック至上主義ヤロウたちが鼻血を出して大興奮したエンジンはもちろん世界初登場モノ。
「瞬間、近未来。」というキャッチコピーが躍る雑誌の見開き広告ビジュアルも“未来からやってきたスゴイバイク”感を全面的に打ち出しており、そりゃぁドキドキしたものです……。
●「VF750マグナ」がこちら。マグナ(MAGNA)とはラテン語で偉大なとの意味で、日本では大ヒットした「Vツイン マグナ」、「マグナ・フィフティ」でよく知られていますね。ナナハン版は1987年に2代目となる「V45マグナ」が登場。1993年には「マグナ」、1994年にはビキニカウルなどを装備した「マグナ・RS」が相次いでリリースされています。話を「VF750マグナ」に戻すとエンジン性能や燃料タンク容量、燃費などはセイバーと同じで、シート高は725㎜、車両重量が236㎏、当時価格は67万円でした。いや、今見ると超正統派ジャメリカン、いやアメリカンスタイルで、メチャクチャカッコいいではないですか!
が、改めてよく眺めてみると両車とも「んんんん????」なスタイリング(筆者は当時、マグナはもちろん特にセイバーの良さが全く理解できず……)。
「NR500」だぁ! 「RS1000RW」だぁ!とサーキットでの活躍を大々的にフィーチャーしてきた割に、初手で出てきたモデルはシャフトドライブを採用したツアラーとカスタム(今で言うクルーザー)……でしたので、田舎の中二ボーイも「なぁぜなぁぜ?」と大いに困惑したものです。
お待たせしました!のスポーティ仕様 「VF750F(RC15)」
「んなこたぁ百も承知だぜ。出すからにゃぁしっかり煮詰め、ついでに弟分の400ともタイミングを合わせて……ヘイ、お待ち!」とばかりセイバー&マグナから遅れること約8ヵ月、1982年12月に登場したのが「VF750F(RC15)」(12月11日発売。なお、弟分の「VF400F(NC13)」は12月15日発売)でした。
●ど〜うですか、お客さん! これがアンダーカウルの「V-FOUR」のロゴも誇らしげな「VF750F」デスヨ。エンジン性能や燃費などはセイバー、マグナと同じだったんですね……今知りました。シート高は795㎜、車両重量が240㎏。燃料タンク容量は逆に“セイマグ”より2ℓ多い22ℓですか〜。当時価格はググッと跳ね上がって70万円台中盤となる74万8000円! ……同時期、改良を重ねた“FC”型として絶大な人気を誇っていた空冷並列4気筒エンジンの雄「CB750F」が64万円、フルフェアリングを得た「CB750Fインテグラ」でようやく“VF”と同等の75万円でしたから、相当に強気な値付けだったことが分かります。その上、リリースに記載されている年間販売計画台数が1万5000台(VF400Fは3万6000台!)……1980年代のバイクブームって本当に凄かったのですなぁ
スポーティなビキニカウル、業界初の角形断面鉄パイプフレーム、ブーメラン型アルミコムスターホイール(前輪は16インチ!)、バックトルクリミッター、そしてもちろんチェーン駆動など、筆者も含め小うるさいマニアックなファンも押し黙る豪華装備を散りばめての真打ち登場!
●構図といい光の加減といい、文句ナシにカッコいい「VF750F」の透視図ポスター。カムシャフトからピストン〜クランク軸に付けられたジェネレーターまでの配列やプロリンク式リヤサスペンションなどがよく分かりますネ。スチール製の燃料タンク側面にレイアウトされたフューエルコックレバーも、よくよく考えてみればハンパなくコストのかかる構造……。急激なシフトダウンによる後輪のホッピング防止を計るバックトルクリミッター機構は、この「VF750F」が二輪市販車として世界で初めて装備したもの。今では同様の効果が得られつつ、クラッチの操作力まで軽減してくれる「アシスト&スリッパークラッチ」が250㏄クラス……いや、ヤマハの最新125㏄スポーツモデルにまで採用されるようになりました。あ、当時はバリバリのロードスポーツ車両でもしっかりセンタースタンドが標準装備されていたんですよ〜!
翌1983年から1985年にかけてはWGP参戦で忙しいフレディ・スペンサー選手を(ムリヤリ?)AMAスーパーバイク仕様にて“デイトナ200マイルレース”へ参戦させたり、全身を鍛え上げた「RS850/750R」で世界耐久選手権&世界スーパーバイク選手権で勝利を重ねたりと、「VF750F」はホンダV4スポーツのイメージアップに大きく寄与しました。
●筆者が編集に深く関わった“ホンダ透視図本”こと『Technical Illustrations of HONDA MOTORCYCLE(ヤエスメディアムック474)』にも収録してある「VF750F(RC15)」エンジン透視図。毎回書いてますが、コレ全部手描きですからね! しかも有名な「NR」の透視図を筆頭に、空前のバイクブーム時にカタログや広告で我々を楽しませてくれた、とんでもない数のホンダバイクの透視図は、ほぼ1人の(あえて言います)“超人”の手によるもの。前述の本ではその方にインタビュー……というか、全ての図版に対して描画時のオモシロ裏話を収録しています。ご興味がある方はぜひぜひ……m(_ _)m あ、この頃はまだカムシャフトはチェーン駆動でしたし、吸排気バルブもロッカーアームを介して上下させていたのですよ
また、迎撃機という意味のペットネーム、“INTERCEPTOR(インターセプター)”が北米仕様に付けられたのも、このモデルからなのです。
●2019年型「VFR800F」カタログより抜粋。データを相当に拡大したので、少々見づらい点はご了承ください。「ゴールド&シルバーウイング」、「ハリケーン」、「ファイアーブレード」、「スーパーブラックバード」、「ファイアーストーム」などなど、ホンダのモデルには様々なペットネーム類が付けられてきましたが、個人的には「インターセプター」こそ、一番キマッていると考えております
●資料をまさぐっておりましたら、「VF750F」用の純正アクセサリーをまとめたチラシが見つかりましたのでご紹介。「タンクバッグ」や「ソフトバッグ」のデザインが時代を感じさせてエモいですね(笑)。あと、「エンジンガード」が用意されていたなんて知りませんでしたヨ……(コレを付けている車両を見た記憶は皆無)
“カムギヤ”+アルミフレームを得た 「VFR750F(RC24)」
1986年の4月1日、「VFR400R(NC21)」と同時に登場したのが「VFR750F(RC24)」です。
●こちらは1986年型「VFR750F(RC24)」カタログの表紙。キャッチコピーが「パフォーマンス・アート」ですからね〜! 翌1987年にギッチギチでガッチガチのレーサーレプリカモデル「VFR750R(RC30)」を登場させることが既定事実だったせいか、“F”は幅広い用途さえそつなくこなせる高い汎用性を追求する方向へ……。このモデル、色は白(パールクレセントホワイト)しかないと勝手に思い込んでいたのですけれど、黒(ブラック)と青(キャンディウェーブブルー)も存在していた……ということを今初めて知りました(焦)
すでにレーサーレプリカブームは着火して燃えさかっておりましたけれど、750&400の両車ともヘッドライトは一眼タイプで能面のようなフロントフェイスを採用。
特に750は「ベテランライダー向けに“落ち着いて乗れる雰囲気”を持ったスタイル」とリリースにも書かれているように、フロントフェンダーからアッパー&サイド&ロアカウル、タンク、サイドカバー、テールカウル、テールランプへ至るまで非常にスッキリとして端正なデザインをまとっておりました。
●当時価格84万9000円で発売されたホンダ「VFR750F(RC24)」。カムギヤトレーン採用の748㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力77馬力/9500回転(当時の馬力自主規制最高値)、最大トルク6.5㎏m/7500回転の実力を披露。シート高785㎜、車両重量221㎏、燃料タンク容量20ℓ、60㎞/h定地走行燃費は38.1㎞/ℓ。フロント16インチ&リヤ18インチのホイールサイズが“時代”を感じさせますね。国内仕様にトリコロールの「インターセプター」カラーをラインアップしておけば、大ヒットが実現できたのではないか……と遠い目をしつつ想いを巡らせてしまいます
……とはいえ、中身はバリバリの高性能追求型でエンジンのカムシャフトの駆動方式は従来のチェーンからギヤとなるカムギヤトレーン方式を採用し、エンジンのクランク角も360度から180度へと大変更(振動やポンピングロスの低減はもちろん、排気音質もよりエキサイティングなものへ……)。
●1986年型「VFR750F(RC24)」カタログより。カムシャフトがギヤを使って駆動されることを強調したエンジン透視図となっておりますね。クランクシャフトとカムシャフトの間に2個のギヤを配列することにより、高回転時のより正確なバルブ開閉時期とフリクションロスの低減を実現しつつ、新設計のピローボール式ロッカーアームがより高度なバルブ追従性を確保していました。これら全ては世界耐久レーサー「RVF750」からのフィードバックである……とカタログ内では高らかに謳われていたのです
フレームもアルミツインチューブタイプとなり、フロントブレーキキャリパーには量産車初となる高含有セラミック焼結パッドを採用などなど、新機軸がテンコ盛り……だったのですけれど、ネコも杓子もレーサーレプリカ方向へ突き進んでいた時代が悪かったのか、爆発的なヒットにはならず。
●想定より盛り上がらないセールスにテコを入れるべく(?)、発売から半年が経過した1986年10月1日から12月末にかけて「ツーリング・バッグ プレゼント」が実施されました。「西ドイツ(!)ヘプコ&ベッカー社製ツーリング・バッグ(今でいうパニアケースですね)」とオプション品だった「メイン(センター)スタンド」までセットになって、84万9000円という販売価格がビタ一文上がらないというナイスに過ぎる企画! 「VFR750Fに尾翼が付く日。」というキャッチコピーもタマリマセン……
筆者的には「やたらこの顔をした白バイだけ増殖していたなぁ」というイメージが残るのみとなっております(ご興味のある方は「VFR750F 白バイ」で検索してみてください。懐かしく思う人も多いはず!)。
●やはり少しでも紹介しておかねばならない伝説のマシンが、1987年8月31日に148万円、限定1000台で発売されたVFRのイメージリーダー「VFR750R(RC30)」でしょう。新たに設計され、チタン合金製コンロッドやクロームモリブデン浸炭鋼製カムシャフトを採用したほか数多くの特別な仕様が盛り込まれたカムギヤトレーン748㏄水冷4ストV型4気筒DOHC4バルブエンジンは、最高出力こそ“F”と同じ77馬力/9500回転(海外フルパワー仕様は112馬力)ながら、最大トルクは0.6㎏mアップの7.1㎏m/7000回転を発生。シート高785㎜、FRP製カウリングの採用などで車両重量は“F”より20㎏(!)軽い201㎏。アルミ製の燃料タンク容量は18ℓ、60㎞/h定地走行燃費は32.2㎞/ℓ……。当時のカタログデータやリフレッシュプランの話がテンコ盛りな公式ウェブサイトはコチラです!
プロアーム採用はこのモデルから! 「VFR750F(RC36)」
1990年3月15日から発売された二代目「VFR750F(RC36)」……。
●税抜き当時価格は初代より安いくらいの83万9000円(消費税3%込み価格は……86万4170円)というプライスタグで登場した二代目「VFR750F(RC36)」。後述する数多くの変更が施されたV4エンジンは最高出力77馬力/9500回転、最大トルク6.6㎏m/8000回転という実力を発揮しました。シート高は800㎜、車両重量が246㎏、燃料タンク容量18ℓ、60㎞/h定地走行燃費は26.5㎞/ℓ。優れた作動特性を持つカートリッジタイプのフロントフォークも採用され、ハンドリングはより素直かつニュートラルなものへと進化していたのです。ヘッドライト直上に導風孔を設けたラムエア式スクリーンは走行風を適切に制御して空気抵抗の低減まで実現。また、サイドカウルからフレームサイドへつながるエアインテークダクトが設けられ、エンジン冷却効率のアップも計られていました〜
国内仕様は色も写真の「グラニット・ブルーメタリック」1色のみということで地味な存在に見えますけれど、以降のVFRシリーズが進む方向性を決定づけた、なにげに重要なポジションを担うモデルでありました。
エンジンはカムギヤトレーン方式こそ不変ながら、バルブ駆動方式を従来のロッカーアーム式から直押しバケット式にすると同時に、バルブ挟み角も変更してシリンダーヘッドのコンパクト化と軽量化を実現。
●1990年型「VFR750F(RC36)」カタログより図版を抜粋。理想的な車体ディメンションを実現するシリンダーヘッド周りのコンパクト化のため、まずバルブの駆動方式をロッカーアーム式からダイレクトリフターを仕様したバケットタイプへ変更。これによりロッカーアームの支点部分を省けるためカム軸間距離が飛躍的に短縮され、バルブアングルも38度から32度へ狭角化……。加えてカムギヤトレーンの構成部品も大幅に小型化(400㏄並み)されております。執念!
同時にアルミツインチューブフレームも新設計の異形五角断面のものとなり、何と言ってもこのモデルから専用設計の片持ちリヤスイングアーム“プロアーム”が採用されているのです!
前後輪とも17インチラジアルタイヤを導入するなど、足まわりもグッと最新バイクに通じる定番の車体構成へ……。
●どことなくカワサキのZZ-Rシリーズを彷彿させる……と書いてしまうと両社に対して失礼ですね。ZZ-Rシリーズと二代目VFR750Fは同じ1990年生まれですから、どちらかがマネをしたというわけではなく、ともに超一級のスポーツツアラーを目指した結果、構成要素が似通ってしまった……と言うべきでしょう。熱いライディングにもトコトン応えてくれる汎用性の高いスポーツツアラー……というコンセプトが理解された欧州では非常に高い人気を誇った「VFR750F(RC36)」でしたが、まだまだレーサーレプリカブームの余熱が高かった日本ではイマイチ注目を集めることができなかったのは残念でした
試乗した気さくな先輩編集部員によれば「まさに自由自在! リーンウィズのままカーブの大小を問わずニュートラルなコーナリングをしてくれるし、スロットルを大きく捻ると特徴的なカムギヤ音とビートの効いたV4ならではの排気音とが混ざり合って気持ちいいったらありゃしない。これでもうちょい個性的なスタイリングならヒットしたのかも……ね」と、のたまっていたことを記憶しています。
とはいえ、個性的なデュアルヘッドライト、シュッとして精悍なサイドビュー、前後席とも座り心地のいい幅広シート、本気の峠攻めも許容するライディングポジション、パッセンジャーも快適かつ荷物積載にも便利なグラブバー、視認性に優れるメーター、意のままにパワーとトルクが引き出せるV4エンジン、耐久レーサー「RVF750」、古くは伝説の「モトelf」を彷彿とさせるプロアーム……。
●1990年型「VFR750F」カタログより抜粋……した写真群なのですけれど注目すべきは左下。マフラーのサイレンサー部分が上で濃く、下で薄く写っており「アレ? 露光ミス?」と思いきや、リリースを確認してみると「リヤホイールの着脱が容易にできるアジャスタブル式のマフラージョイント」とあるではあ〜りませんか。慌ててカタログも確認してみると「フレキシブル・ジョイントによって、ホイールメンテナンス向上とマスの集中化を両立させた、上下可動な右出しエキゾーストマフラー」とより分かりやすく記載されていました。そうなのです、ステップの下にあるマフラーチャンバーとサイレンサー部分との連結部にフレキシブルジョイントを採用することで、マフラー(サイレンサー)後端が大きく上下に動く構造が持たされており、リヤホイールの脱着性やパニアケースの装着を容易にしてくれるという構造なんですね! さらにグラブバー(タンデムグリップ)は収納式で、使用時のみシート下から引き出せばいいというカラクリ付きだったとか。いやはや、小技が効いてます〜
それらは全て2022年10月に惜しまれつつ生産を終了した最終型「VFR800F(RC79)」まで踏襲される、ホンダ謹製ミドルV4スポーツツアラーの特徴となりました。
では次回は、車名から排気量が消えた1998年登場の「VFR」からリスタートしてまいりましょう。
●この「VFR」登場の背景には、あの「RVF/RC45」も深く関わっているのです……!
あ、というわけで、もはや40年選手となる「VF750」シリーズから最新の「VFR800」シリーズに至るまで、レッドバロンの上質な中古車に在庫があるのなら消耗パーツや交換部品、アフターサービスに心配はいりません! まずはアナタのお住まい近くの店舗まで気軽に足を運んでみて、車両の検索やあらゆる疑問に対する質問をしてみてくださいね!
VFR800FというハイメカV4の貴公子【中編】はコチラ!
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