「セル」! ドクター・ゲロのコンピュータが作り出した未来世界のバイオロイド(人造人間)で孫悟空、ベジータ、ピッコロ、コルド大王、フリーザらや様々な生物の細胞を組み合わせて作られた“ラスボス”……って、アレ? 失礼しました。セルで検索したら『ドラゴンボール』の世界に飛んでしまったようですネ。と、お約束なスタートをいたしましたが、いやいやいやセローと「セル」は意外なほどリンクしているのです!?

セロー225_1989年式

●1989年型ヤマハ「SEROW225(3RW1)」。後述する筆者の大学生時代、同じ部活で少々ときめいた美人の後輩さんが、まさにこのホワイト×フレンチブルーのセローを購入。颯爽と駆け抜ける姿をたまに見かけてはずっと目で追ったもの……。かくいうピュアピュアな(?)思い出もあるため、この配色の車両を発見すると今でも心が躍ります(^^ゞ

 

 

セローという人気者と愉快な仲間たち【その2】はコチラ!

 

セローという人気者と愉快な仲間たち【その4】はコチラ!

 

改良されるごとに強さのインフレーションが起こった奇跡の一台

 

1985年にデビューした最初期型「セロー225」をドラゴンボールにおける「セル」に例えるならば、まだ(比較的)弱かった第1形態だと言えるでしょう。

1985年セロー225

●偉大なる始祖、初期型「セロー225(1KH)」であ〜る! 最高出力20馬力/8000rpm、最大トルク1.9kgm/7000rpmを生み出した223㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジン始動が(当然)キックのみで凝ったセミ・オートデコンプ機構を採用していました。燃料タンク容量7.6ℓ、シート高810㎜、乾燥重量102㎏。50㎞/hでの舗装平坦路燃費は60.0㎞/ℓを記録してツーリング派もご満悦。当時価格は32万9000円でした(消費税なんてまだないころですよ)!

 

 

特別仕様版譲りのゴージャスな足周りやより強靱になったエンジン、流麗なグラフィックなどを得た1987年型が、いわば第2形態……。

セロー225_1987年

●1986年12月5日に発売開始された1987年型「セロー225(2LN)」。エンジンはキャブレターをφ26㎜のVMタイプからφ34㎜フラットバルブのSUタイプへ変更し、1986年2月に発売されて好評を得ていたYSP特別仕様車で導入された3段階の減衰力調整機構付きフロントサスペンションなども採用し33万9000円という絶妙な価格設定でリリース!

 

 

そして1989年、モデルチェンジを受けて待望のセルフスターターを得た「セロー225」は、まさしく無敵な弁慶に薙刀状態……ドラゴンボールの「セル」なら“完全体”へと進化していったのです!?

●集英社 ジャンプコミックス「DRAGON BALL 33」著:鳥山 明 人造人間17号、18号を取り込んでとてつもない戦闘力の“完全体”へ成長したセル(左側)……。まさにセルを飲み込んだセローのごとし!? う〜ん、鳥山先生が今年3月1日にお亡くなりになったなんて、まだ信じられません……

 

 

と、まぁマンガやアニメに興味のない人もいらっしゃるでしょうから少々無理矢理なコジツケは(←認めます)ここいらで店じまいして……(^^ゞ。

 

 

とにもかくにもセルフスターターを標準装備した「セロー225」は、よりスタイリッシュになった外観やいちいちツボに刺さる細部改良などが相まって、堂々たる人気モデルへと成り上がっていきました。

セロー225_1989年型

●おそらく多くの読者様がイメージするセローの姿はこちらではないかと……な、1989年8月9日に発売が開始された「セロー225(3RW1)」です。上の従来型と見比べていただくとイメージは共通なのに、あらゆる部分を刷新していることに気づくでしょう。223㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジン(最高出力20馬力/8000rpm、最大トルク1.9kgm/7000rpm)にはセルスターターが装着され、キックペダルは消失……したのですが、オプションで後付けできるという配慮も購入への敷居を非常に低めてくれました(写真はホワイト×フォレストグリーン)

 

 

今に語り継がれるセローの覇道伝説はここから本格的に始まったのですヨ。

 

平成が始まったその年、世相やバイク業界はどうだったかというと……

 

 

1989年!

 

 

今から35年前となるこの年に昭和が終わり平成時代が始まって消費税までスタートし、ベルリンの壁は崩壊。

 

任天堂の「ゲームボーイ」が発売開始され、『魔女の宅急便』・『ブラック・レイン』・『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』なども続々公開。

魔女の宅急便

●昨今、毎年1回は金曜日に観ることができるため感覚が麻痺しますが1989年の作品だったのですね“魔女宅”って。人気の宮崎アニメだけに同年ブッチギリのナンバーワンヒット……かと思いきや、1位『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』、2位『レインマン』に続く3位だったとか(配給収入は21.5億円……こちらも意外な数字。ちなみに『千と千尋の神隠し』は316.8億円ですってよ奥さま!)。主人公のキキさんは当時13歳でしたから今や48歳ですか(←違う)。あ、最近話題になったマクドナルドの“魔女宅”CMは『クレヨンしんちゃん』で知られるシンエイ動画の制作です

 

 

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』もこの年の10月からレギュラー放送が開始されました。

 

 

クルマの世界では日産「スカイラインGT-R(R32)」を筆頭に、トヨタ「セルシオ」、スバル「レガシィ」、マツダ「ユーノス ロードスター」など、エポックメイキングな伝説的車種が続々登場(日本車のヴィンテージイヤーとも言われていますね)。

スカイラインGT-R

●いやもう車両の詳細はコチラを読んでいただきたいのですが、「16年ぶりのGT-R復活!」はクルマ好きにとって白飯29杯は楽勝でおかわりできるくらいの大ニュースだったのです。その登場は1989年8月……奇しくもセル付き「セロー225」デビューと同タイミングではあ〜りませんか! 「だからどうした」と言われれば返す言葉はないのですけど!!

 

 

我らがバイク業界に目を転じれば、レーサーレプリカ軍団の高性能&高額化に歯止めが効かなくなり、大多数のライダーがちょっと引き始めたなか、カワサキ「ゼファー」がひっそり静かなデビューを飾る……という具合でした。

FZR400RR

●モデルイヤー的には1990年型なのですが、1989年12月に発売されたのでここで紹介することを許してください……なヤマハ「FZR400RR」。税抜き当時価格は73万9000円! 同33万9000円の「セロー225(セル付き)」が余裕で2台買えてしまう〜。もちろん、お値段相応の高性能はもちろん備えていたのですけれど、1980年代初頭の「RZ250」や「XJ400」などのように、“高校生が夏休みにバイトしまくったらなんとか買える”、“1馬力=約1万円”という麗しい世界からは完全に逸脱してしまった感は否めませんでした

 

 

オフロードバイクを取り巻く環境も、当時大ブームとなりつつあったエンデューロレースでの戦闘力こそが主に問われる時代で、ブームに火をつけた張本人であるヤマハ「DT200R」は毎年のように行われたアップグレードで一番人気を堅持

1989年モデルのDT200R

1988年6月にフルモデルチェンジを受けた型式的には4代目!とも言える「DT200R(3ET)」(写真は1989年に追加されたスカイブルー)。新開発された195㏄水冷2スト単気筒クランクケースリードバルブエンジンは最高出力33馬力/8500rpm、最大トルク2.8kgm/8000rpmを発揮! 燃料タンク容量10ℓ、シート高885㎜、乾燥重量107㎏。当時価格は36万9000円と、ありゃま「セロー225」と3万円しか差がなかったのか……。何だか凄い!

 

 

ホンダは2ストフルサイズの「CRM250R」で対抗しつつ、伝家の宝刀である4スト「XLR250R」を磨き上げて幅広いファン層を獲得。

CRM250R_1989

●ホンダは初期型ヤマハ「DT200R(37F)」に先立つこと1年、1983年のうちに「MTX200R」を登場させますがポテンヒット止まり。そのリベンジを果たすべく1985年に出力向上(26馬力→28馬力)や前輪ディスクブレーキなどを採用した「MTX200RⅡ」とデビューさせるも同年32馬力にアップした2代目「DT200R(1TG)」には及ばず……。「ならばいっそフルサイズで!」とばかり1989年に強力な246㏄水冷2スト単気筒クランクケースリードバルブエンジン(37馬力/3.4㎏m)を搭載した「CRM250R」(写真)を市場へ投下し(税抜き当時価格は42万9000円)、一定以上の支持を獲得することに成功。後にカワサキ、スズキも2スト250モデルをデビューさせるものの、ヤマハだけは200㏄にこだわり続けました……

 

 

スズキは1989年当時、2スト「TS200R」で挑むものの、ライバルたちからはちょっと水をあけられてしまった……という雰囲気でありました。

TS200R

●なんで大ウケしなかったのだろう……。全日本選手権モトクロスレースやAMAスーパークロスで活躍したモトクロッサーRMシリーズを母体に開発されて1989年5月に登場したスズキ「TS200R」。デジタルCDI(Capacitor Discharge Ignition)点火方式を採用した新設計195㏄2スト水冷単気筒クランクケースリードバルブエンジンは、排気デバイスAETCの装備もあり全域で使いやすい35馬力/2.9㎏mのハイパフォーマンスを実現! まだ珍しかった倒立式フロントフォークまで導入し、スタイリングの面でもライバルには引けを取らなかったのですけれど……。税抜き当時価格38万8000円も内容を考えれば十分にリーズナブル。うむむむむ、当時のライダーたちに圧迫インタビューしたい!

 

 

「アレ? ヤマハも4ストフルサイズ……250のXTがなかったっけ?」と思ったアナタはいい記憶力をお持ちで!

 

 

はい、前回でもぶっ飛びカタログ表紙を紹介した「XT250T」は1983年にオフロードモデル初のDOHC4バルブエンジンを引っさげて登場し、1985年には各部をブラッシュアップしつつ、27馬力→28馬力化を果たして再デビュー。

1985年式XT250T

●ハイ、こちらが1985年式ヤマハ「XT250T」(税抜き当時価格36万9000円 ※以下同)でございます。従来型から最高出力を1馬力アップしただけでなく、フロントブレーキをドラム→ディスク化、フロントフェンダーもカラーパーツを追加して大型化するなど細部までこだわって商品力を向上! ……させたのですけれど、直前にデビューしたホンダ「XLR250R」(35万8000円)へいいところを全部持っていかれた雰囲気になってしまい間下このみ……

 

 

ホンダ「XLR250R」と真っ向勝負を挑んだ……のですが、「XT-TはDOHC4バルブだけど、OHC4バルブ(RFVC)のXLRと同じ28馬力なんだ……。逆に最大トルクは2.3kgmで2.5kgmのXLRに負けてんじゃん! 同じ乾燥重量113㎏は凄いけど、だったらエンジンヘッドが重たいDOHCよりOHCのほうが低重心だよね……」と、当時の大勢を占めるスペック至上主義ヤロウたちに敬遠されてしまったのか、結果的に1985年モデル以降、放置プレイされていつしかラインアップからフェードアウト

XLR250R

●1985年4月にXLX→XLRとなり幅広い支持を得た「XLR250R(MD16)」は1987年モデルで全面刷新を受けて「XLR250R(MD20)」へ。さらに1989年型「XLR250R(MD22)」(写真)でマイナーチェンジされ同ブランドの“完全体”へ成長(^^ゞ。以降、型式名を変えることなく最終仕様となる1994年モデルまで4スト250オフロード界のトップランナーとして君臨しつづけました。こちらは部活の後輩くんが購入したのですが、いやもう市街地でも峠道でも速いこと速いこと……。レーサーレプリカに“乗せられている輩”なんぞ歯牙にもかけませんでしたから。かくいう潜在能力の高さでも群を抜く完成度を誇っていた名車中の名車です。とにかくタフで好燃費で汎用性もバツグンで……というところから「オフ車界のスーパーカブ」との異名も多くのライダーから(やっかみ半分で!?)頂戴していましたね

 

 

幸いにして2ストの大黒柱である「DT200R」はスペック至上主義ヤロウたちも大層ご満悦であらせられる高性能を誇示し続け幅広く人気を博しておりましたので、「う~ん、XLRが強すぎる4スト250クラスのバトルからはいったん距離を置き、着実にファンを獲得しはじめたセローにリソースを全集中しよう」

 

……という判断がヤマハ開発陣の中であったかどうかは知りませんが、そう邪推しても全くおかしくない、めちゃくちゃ気合いの入ったモデルチェンジが「セロー225」に敢行されたことは事実なのです。

TT250R_1993年

●ちなみにヤマハの本気(と書いてマジと読む)250オフロードは1993年4月に発売した「TT250R」まで待たなくてはなりませんでした。30馬力/2.8㎏mを発揮する249cc空冷4スト単気筒DOHC4バルブエンジン(セルスターター標準装備)に強靱なフレーム、ストロークの長い足まわり……と、全てを完全新設計しただけあって妥協のない仕上がりを誇示! 翌年に投入された大径丸型ヘッドライト+ビッグタンクを備える「TT250Rレイド」とともに1990年代中盤から後半にかけて高い人気を博したのです〜

 

 

乾燥重量比4㎏増大と引き替えにラクラク始動を手に入れた!

 

何と言っても1989年に刷新された「セロー225(3RW1)」最大のニュースは、セル……セルスターター(セルフスターターとも言われますね)の標準装備化でしょう。

セローセル部

●エンジン前方、黄金色に輝くエキパイ直下にある円状の部分が新たに追加されたセルモーターですね。それに伴い、キックペダルは見事に消失。しかし取り付け用の孔は残されており、オプションパーツを組み込めばセル/キック併用式へ早変わり……。ユーザーの不安を解消するこの戦略は超ナイスでした!

 

 

道なき道をトコトコドタバタと“二輪二足”で分け入っていくとき、うっかりエンストしてしまっても親指のボタン操作ひとつで223㏄の心臓が再び動き出す……。

営業再開!

●不肖オガワが所有しているスズキ「ジェベル200」はセル/キック併用式なのですけれど、うっかりバッテリーを弱らせてしまってもキック一発でエンジンスタート……。めちゃくちゃ重宝しています(←ちゃんとメンテしろ)

 

 

この安心感は絶大なものです。

 

 

一度でも体験した人は知っているでしょうけれどキックスタートって足場がしっかりしていないとやりづらいことこの上ないのですよね。

 

 

斜面やガレ場、ヌタヌタになった地面で無理に行おうとすると逆に転倒したりして更なるドツボへ……!?

沼地

●ショップ仲間に誘われてエンデューロレースに出場したこともあったのですが、沼でスタックしたときは絶望を味わいました。2スト200㏄の車両だったので何とか脱出したのですけれど、あれがキック式4ストフルサイズモデルだったらリスタートできなかったかも……

 

 

そんな苦労や心配を取り去ってくれるセルの標準装備化は、道なき道を行くマウンテントレールを標榜する「セロー225」にドはまりしました。

 

 

前回紹介した「SEROW225 開発者インタビュー」でも語られていましたが、実は最初期型……1985年デビューの「セロー225」にも(当然ながら)セルを装着しようという話はあったそうです。

セロー225W_1997

●セル初採用ウンヌンという話からググッと現代に近づいた1997年型「セロー225WE」カタログより。何年経とうがコンセプトが全くブレないことが表紙写真からも伝わってきますね。この後「セロー250」の時代になっても、カタログの雰囲気は頑として変わっておりません。もちろん車両コンセプトも(笑)

 

 

ただ、どうしても重たくなってしまうところが主に嫌われたのでしょう。

 

 

初期モデルでは見送られた“鬼に金棒”満を持して1989年型「セロー225」に導入されたのです! 

 

エンストの恐怖から解放されたヒマラヤカモシカは爆買い対象に!

 

セル採用に伴いバッテリーは従来の12V3Ahから12V6Ah(容量が倍になった!)のメンテナンスフリータイプに変更され、燃料タンク容量は7.6ℓ→8.8ℓへ拡大

セロー225赤

60㎞/hでの舗装平坦路燃費60.0㎞/ℓはともかくとして、税抜き当時価格33万9000円までセルなしの従来型から変更ナッシング! セル装着&スタイル刷新をはじめとした多岐に渡る変更&改良点を考えたなら、ちょっとコスト計算がオカシイ大バーゲンセール状態! そりゃライダーが群れをなして販売店へ向かいますわな。あ、写真はホワイト×チャピイレッド。フロントディスクブレーキカバーまでオシャレにカラーコーディネートされておりました……。そうそう、エンジンまわりがシルバー塗装された効果で軽快感はマシマシになってます

 

 

前後サスペンションも全面的に見直され、シート高は810㎜という低さを維持しつつクッション厚を5㎜→8㎜へアップ

 

ハンドル切れ角51度は不変のままハンドルの幅は20㎜短縮……などなど(細かいところは各写真のキャプションでも紹介!)改良箇所は盛りだくさん

セロー225青

●シートのクッション厚は増えたのにシート高は不変……? というのもリヤには新たにビルシュタインタイプのサスペンションが採用され、適切なセッティングと相まって実際の足着き性がアップ! 左側サイドカバーに設定された樹脂製のリザーバータンク切り替えフューエルコックもセンス良し。チョークレバーがメーターの右手に配されたのも非常に便利でしたね〜。あ、フットレスト位置やフロントサスのセッティングも変更されてます

 

 

かくいう変更点をうまく包み込みつつ、「ザ・セロー225」としか言い様のないスタイリッシュなデザインに昇華されているのは、さすがGKデザイン!と感嘆するしかございません。

 

 

さて、センスのいいカラーリング、見方によっては可愛らしささえ感じさせるコンパクトな車体でシート高も低い。

セロー225_1989年緑

●リヤフェンダーを兼ねるテールカウルがフラットな形状となり、従来型ではシートの後端に回り込んでいたリヤフレームが廃止されて荷物積載性が大幅に向上! タンデムステップ位置もスイングアーム後端からフレームにマウントされたステーへの変更を受け、不整地を走行してもパッセンジャーのヒザがガクガク動くことがなくなりました。エキパイとサイレンサーカバーには質感の高いゴールドに輝くステンレス素材を採用……。しっかりデザインされているフロントフェンダーの形状もシュッとしておりますなぁ〜(^^ゞ

 

 

セル装着などで従来型から4㎏重たくなったとはいえ、それでも106㎏に収まっている乾燥重量……。

 

 

だ・と・す・る・と~~? 

 

 

ハイそうです、お察しのとおり多くの女性ライダーが「セロー225」へ熱視線を送るようになったのです! 

恋に落ちて

ブームは女性が作る……。太古の昔から不変の真実でもございます!?

 

 

実際、筆者の大学生時代、部活(ワンダーフォーゲル部)に入ってきた美人な後輩さんが“中免(死語)”を取得後、迷うことなく居酒屋バイトで貯めてきたお金を突っ込んでホワイト×フレンチブルーのセル付き「セロー225」を購入。

 

 

不肖オガワ、バイク先輩ヅラして「今度一緒に走らない~」と誘いをかける間もなく彼女はキャンプ用品一式も買い揃えて、とっとと1ヵ月単位の北海道アドベンチャーツーリングへ出掛けてしまい、筆者の下心は見事に空振り三振バッターアウト……。

求愛行動

●ええ、二十歳前後の野郎なんて可愛い女性を見かけたら無条件かつ速攻で恋が芽生えるものなのですよ。ワンピースのサンジさんほどカッコよくない惨事さんだったワタシは日々悶々。ちなみにセローの後輩さんは試される大地で、当然のごとくイイ出会いがあった……とか!?

 

 

と、まぁそんなほろ苦いセイシュンの与太話はともかく、乗り手が無理矢理バイクの高い性能(シートもね)へ合わせなければならなかった200~250㏄オフロード車群の中で、たとえ初心者でもすぐに自分が“主役”になれる(マウンテン)トレール車は美人後輩さんのような女性ライダー……だけでなく、どちらを向いても“ウィークエンド・モトクロッサー”な状態へ敷居の高さ(シートもね)を感じていた男性ライダーたちにも諸手を挙げて大歓迎されたのです。

 

 

ワタシにも、オレにも、「とにかく乗セロー!」時代の到来……

 

また、シュッとした小粋なスタイリングにアップライトなライディングポジション(足着き性も良好)、圧倒的なハンドル切れ角により小まわりも自由自在で、街中を走るには十分過ぎるパワーかつ高い経済性……となれば、通勤や通学、街乗りで使う人も急増し、かくいう姿を見かけたライダー予備軍がインターネットもない時代、雑誌記事や口コミを頼りに「セロー225」情報を集めて指名買いするという好循環までスタート!

 

 

毎月、毎年のように販売台数を更新する右肩上がりの人気を獲得していきました。

 

 

とはいえ「ひとり勝ちは許さない!」というのが1980年代☆熱烈バイクブーム時代、例外なき“血の掟”

 

 

ホンダは1987年12月、セロー以上にアグレッシブなコンセプト……オフロードとオンロードの融合を果たした「AX-1」を登場させていたのですが、一部の熱狂的なファンには支持されたものの……(^^ゞ。

AX-1

●1987年12月に発売開始された(実質的には1988年モデル)ホンダ「AX-1」。今で言えばオンロード寄りなアドベンチャーバイク!?とも説明できる端正なデザインで非常にカッコよく思えますが、当時大部分のライダーたちは「ミョーなバイクだなぁ」でガンスルーしていた印象が……。しかし、最終モデルが登場したのは1994年であり、当初の予想以上に息の長〜いモデルとなりました!

 

 

かくいう「AX-1」向けに新設計された249㏄水冷4スト単気筒DOHC4バルブエンジン(25馬力/2.5㎏m ※もちろんセルスターターのみ)をセローよりもっとシート高の低い(790㎜)フレンドリーさあふれる、されどオフロードモデルの文法にも則ったスタイリングのボディへ載せて、ホンダが1991年4月に登場させたのが「XLディグリー」だったのです

XLディグリー

●いやコレ、本当に名車です「XLディグリー」。「うわっ、女性向け丸出しのデザインと色!」、「水冷なのにXLを名乗るの?」、「乾燥重量119㎏は重すぎない? セローが106㎏なのに……」などネガティブな意見が筆者の周囲にも満ち満ちていた逆風の船出とはなりましたが、車重のハンデは足着き性の良さでしっかり相殺でき、逆に水冷車ならではのパワフルさで高速巡航は快速かつ安定そのもの……。都内を走るバイク便でもめちゃくちゃ採用されていた記憶がございます。残念ながら1995年型が最終モデルとなりました

 

 

こちらは目論見どおり「セローみたいなバイクがいいけれど、同じモノはイヤッ!」という複雑な乙女ライダーもガッチリつかみ、しっかりとした存在感を示していくことになります(万能ぶりがゆっくり知られていった兄貴分の「AX-1」も地道にファンを拡大していきました)。

 

ライバルの動向も横目で見つつ、セローは信じた道をいく!

 

当の「セロー225」は1991年7月に常時点灯式ヘッドライトを採用し、

セロー225_1991

●1991年型「セロー225(3RW2)」……なんと当時はやっていたブラッシュ風(刷毛でシャッシャッシャッと描いたような)グラフィックを採用! あとヘッドライトが常時点灯式となり、併せて電装系を改良&強化。諸元などに変化はなく、価格は据え置きで33万9000円

 

 

1992年3月にまたカラーリングを変更するくらいで好調な販売を維持し、

セロー225_1992

●1年未満……というか約8ヵ月でブラッシュ風グラフィックを引っ込めて(?)、まさに“ザ・セロー”的なカラーリングへ回帰した「セロー225(3RW4)」。白×赤、白×緑、白×青といったラインアップは不変ながら、フォークブーツは黄色に統一〜。価格はまたまた据え置きの33万9000円……。今考えると信じられないですねぇ

 

 

さらにそれから2ヵ月も経たない1992年5月には足まわりをグレードアップした限定車(2000台)「セロー225S」を登場させ、すでに“フレンドリーオフロード界の大横綱”という風格すら漂わせていました。

セロー225S_1992

●初代登場から7周年であることを記念して35万9000円! 2000台限定!として登場したスペシャルな「セロー225S(3RW3)」。エンジン前方、金色に輝くリザーバータンクを備えたリヤサスペンションは伸び側20段階だけでなく圧側も20段階で減衰力が調整可能な逸品。座ったままスッとダイヤルをクリクリ回せば、ダンパーセッティングが明確に変わるのですから最高です。ブラッシュガード採用をはじめとして特別な部品や加工が追加されたハンドル周りも所有欲を満足させました。タンクに配されたワッペンのようなエンブレムもオシャレですね〜。「当然ながらサクッと完売しましたよ」……と後日、関係者から聞いた記憶がございます

 

 

そして1993年6月には、さらにさらに完成度を高めた「セロー225W」へとモデルチェンジを果たします。

セロー225W_1993

●リヤブレーキがディスク化されただけ……ではない「セロー225W(4JG1)」!

 

 

……そこからのあれやこれやは、次回に譲ることといたしましょう。

シルクロード

【セローの愉快な仲間(!?) その3】仲間……としてしまうと関係各所から怒られてしまいそうですが、初期型「セロー225」が登場する4年も前になる1981年3月に、“トレッキングバイク”を標榜してホンダから発売された「シルクロード」は、セローと似た“志(こころざし)”を持っていたパイセンとして、ぜひここで紹介しておきたかったのです m(_ _)m。ご覧のとおりセル始動で、20馬力&2.0㎏mを発揮した248㏄空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは通常の5速ミッションにプラスして“スーパーロー・ギア”を設定! 活用すると急坂やぬかるみも力強く走破していったとか。乾燥重量こそ131㎏と重めながらシート高は「XLディグリー」よりさらに低い775㎜! 写真を見ると「アレレレ? ひとり乗り?」と思っちゃいますけれど乗車定員はしっかり2名。オプションでピリオンクッション(タンデムシート)も用意されていて二人乗りにもしっかり対応していました。当時価格は33万8000円。“速さこそ命!”というベクトルが暴走していた1980年代初頭にデビューしていなければ、大ヒットもありえたのではないか?と思わず妄想が広がってしまいました……

 

 

あ、というわけで「セロー225/250」が牽引し、後にライバルメーカーからも続々登場することになる取っつきやすいオフロードモデルたちは、いずれも秀逸な出来映えを誇ります。パーツ供給やアフターサービスが安心なレッドバロンが提供する『5つ星品質』中古車なら、ガンガン遊び尽くすことが可能ですよ! まずは近くにある各店舗で車両在庫のチェックを~!

 

 

セローという人気者と愉快な仲間たち【その4】はコチラ!

 

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