上タイトルは非常にさばけたYマハ関係者が、1985年の「セロー225」デビュー当時を述懐したひと言。まぁ、その後大ヒットモデルになったからこそのコメントなのでしょうけれど、ヘタすると数年でラインアップからフェードアウトしていた可能性すらあった……!? オン&オフ問わず全てがレース志向だった“時代”の逆風をいかにやり過ごし、順風満帆としていったのか? キーワードは「二輪二足」

セロー250カタログ_2018

●2018年型「セロー250」カタログより。中で謳われている「セローイスト」という言葉は、不肖オガワ正直言ってあまり使った記憶がないのですけれど(笑)、確かにセローにこだわって乗り続ける人は今も数多く存在しております。バイクに急かされることなく、自分なりのペースでトコトコ林道やケモノ道へ分け入っていく……。こんな楽しみをプレゼンテーションして広めたのは、やはり初代「セロー225」の功績なのです!

 

 

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今一度深く語りたい、「セロー225」登場前夜の状況を……

 

前回紹介したとおり、「セロー225」にはベース車両とも呼ぶべき車両が存在しており、そちらが当時のヤマハ4ストオフロードマシンの称号“XT”を冠する「XT200」であることは十分ご承知いただけたことと思われます。

XT200_1982

●1982年8月7日に当時価格26万5000円で発売されたヤマハ「XT200(23J)」。このモデルのために新規開発された196㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンは最高出力18馬力/8500rpm、最大トルク1.6kgm/7000rpmという実力。燃料タンク容量7.3ℓ、シート高835㎜(←セロー225より25㎜高い)、乾燥重量98㎏。タンクからサイドカバーにかけて流れるラインがめちゃくちゃオシャレ。本当にヤマハは昔も今もいちいちカッコいい……

 

 

車検制度がないことや十分にパワフルなエンジン性能、なおかつ当時“秒針分歩”だった車体の進化により飛躍的に高まった悪路走破性……、それらのバランスが高い次元でまとまっていた4スト250㏄クラスは1970年代後半からオフロードバイクのメインストリームとして君臨!

XT250_1980

●1980年代☆狂乱バイクブームの幕開けとなる1980年、4月にこの「XT250」が登場。6月には「XJ400」、そして8月には「RZ250」がデビューするわけですから、そりゃぁヤマハの激烈快進撃が始まるワケですな(勃発した「HY戦争」についてはコチラ)。なお「XT250」は21馬力/2.0㎏mの249㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンを、モトクロッサーYZ譲りのモノクロスリヤサスペンションを持つ乾燥重量114㎏の車体に積んだオフロードモデル。1978年に発売開始されて高い人気を誇ったホンダ「XL250S」のシェアをグイグイすりつぶしていきました……

 

 

そこへ連なる登竜門モデルとして「XT125」ほかのフルサイズ原付二種マシンも続々と登場……というのが1980年代初頭の4ストオフロード市場における状況でありました。

XT125_1982

●「XT200」から遡ること5ヵ月。1982年3月に発売されたヤマハ「XT125」(写真)。124㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンは最高出力13馬力/9500rpm、最大トルク1.0kgm/8000rpmというパフォーマンスで、なんと乾燥重量は「XT200」と同じ98㎏。同時期のライバル「XL125R」は同106㎏でしたから「XT125」が重たかったわけではなく、いかに「XT200」が規格外の軽さを誇ったか……という話ですね。ちなみに同年2月に出た「DT125」は乾燥重量97㎏……

 

 

かくなるシチュエーションのなかで「XT200」は「XT125」並みの軽量コンパクトな車体に「XT250」に比肩する本格的なストロークを持つサスペンションが与えられ、高速道路走行も可能な196㏄の18馬力エンジンまで組み合わされた、まさに“いいとこ取り”なモデルとして1982年に登場。

高速道路イメージ

●時間を金で買うことができる高速道路。「使えないよりは使えたほうがいい」と考えるのは当然なのですけれど……(^^ゞ

 

 

200オフロードのパイオニアとして市場へインパクトを与え、他メーカーも次々と200㏄クラスへ追従したのはご承知のとおり……。

XL200R_1982

「考えることはみな同じ」からなのか苛烈なHY戦争のせいなのかは不明ですが「XT200」がデビューした同年2ヵ月後の1982年10月に勇躍登場したホンダ「XL200R」。194㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンのパフォーマンスは最高出力18馬力/8000rpm、最大トルク1.7kgm/6500rpm。乾燥重量106㎏。リヤサスが革新の“プロリンク”であることを強く謳っていました。当時価格27万8000円。実は筆者が「MTX50R」の次に入手した中古バイクがコイツでして、めちゃくちゃパワフルに感じたものです……

 

 

なのですが、“いいとこ取り”が、得てして“どっちつかず”へ変容してしまうことは珍しくなく、残念ながら「XT200」も高性能を求める当時のユーザー層からは後者へと振り分けられてしまい、

十徳ナイフ

●ナイフ、ハサミ、ノコギリ、ドライバー、缶切りなどの道具がセットになったアーミー(十徳)ナイフ。ご多分に漏れず筆者も「すっごく便利そう!」と非常に憧れて入手したひとりなのですけれど……。結局のところ旗幟鮮明な単機能アイテムに勝るものなし(個人の感想です)!!

 

 

デビュー2年後の1984年1月に流行りのレーシースタイルへお色直しを行うも、販売は劇的には上向かず……。

1984年型XT200

●1984年に大胆なイメチェンを図って再デビューした「XT200(47J)」(当時価格28万5000円)。1982年に実施されたカウリング解禁を受けて(それ以前、日本国内で発売する車両にカウリング〈フェアリングとも〉は認められなかったのですよ。ナウなヤングには信じられない話でしょうけれど)、オンロードモデルはもちろん、オフロードモデルも一気にフロントミニカウル(メーターバイザーとも言われてましたね)が大流行。これまた信じられないでしょうが、ヘッドライトは「角目がいいか、丸目がいいか」でも大論争が繰り広げられたのですから時代ですね……

 

 

オフロードモデルの“レーサーレプリカ化”を推進した「DT200R」!

 

特にヤマハの場合は同じ1984年の3月に水冷化だけでなく、YPVSという鬼に金棒的な排気デバイスまで手に入れた2ストロークオフロードモデル……“ウィークエンド・モトクロッサー”ことDT200R(37F)」が鮮烈デビューいたしましたので、熱い注目は(ほぼ)全てそちらのほうへ総取りされてしまったのです。

1984年式DT200R

●デビューするや話題沸騰、出荷台数も爆発、押しも押されもしない名車としてエンデューロレースブームを作り上げたと言っても過言ではない「DT200R」! 195㏄水冷2スト単気筒ピストンリードバルブエンジンは最高出力30馬力/8500rpm、最大トルク2.6kgm/7500rpmという当時クラストップの実力を発揮。燃料タンク容量10ℓ、シート高850㎜、乾燥重量99㎏。当時価格は32万9000円でありました

 

 

ぶっちゃけ、“「DT200R」旋風”は相当に長く吹き荒れ、翌1985年11月には30馬力→32馬力という戦闘力アップを果たした「DT200R(1TG)」へとマイナーチェンジ。

DT200R_1986

●実質的には1986年モデルとなる「DT200R(1TG)」。燃焼室形状を変更したエンジンは最高出力32馬力/8500rpm、最大トルク2.7kgm/8000rpmへさらにパフォーマンスアップ! 1速のギヤレシオを変更するなど、キメ細かい変更を受けつつ当時価格は1万円ポッキリしか上がっていない33万9000円へ。翌1987年2月にはナックルガードやキー付きタンクキャップなどを採用した「DT200R(2LR)」 へと進化(価格は不変)!

DT200R_1988

●1988年6月にはフルモデルチェンジを受けた「DT200R(3ET)」へ(写真は1989年に追加された新色のスカイブルー)。新たにクランクケースリードバルブ方式が採用された195㏄水冷2スト単気筒エンジンは最高出力33馬力/8500rpm、最大トルク2.8kgm/8000rpmへ! 燃料タンク容量10ℓ、シート高885㎜、乾燥重量107㎏。当時価格はそれでも36万9000円とリーズナブル。スタイリングも一気に垢抜けましたね〜

 

 

その後も毎年のようにバージョンアップを繰り返していくという、後のホンダ「NSR250R」もビックリな戦略で、ほぼほぼライバル不在のまま幅広い支持を得ていきます(肌感覚的には1989年にカワサキから「KDX200SR」が出てくるまで一党独裁状態が続いたような印象が残っております)。

KDX200SR_1989

●1988年にエンデューロレーサーとして発売され、高い人気を得ていた「KDX200R」の公道仕様として1989年1月に登場した「KDX200SR」。198㏄水冷2スト単気筒ピストンリードバルブエンジンは「DT200R」を凌駕する最高出力35馬力/8000rpm、最大トルク3.2kgm/7500rpmというハイパフォーマンス! 車体は当時量産公道モデル中最大値のサスペンションストローク量(前290㎜/後ろ300㎜)を誇りました。燃料タンク容量9.5ℓ、シート高885㎜、乾燥重量107㎏。当時価格は37万5000円。負けじとヤマハは1991年にリアルエンデューロ「DT200WR」を投入し……とキリがないので、そのあたりの仁義なきバトルは項を改めて……

 

 

意外!? 「DT200R」の開発陣が「セロー225」を作り上げた!

 

 

ハイ、そうなんです。

 

 

高性能こそ至上!という“時代”の追い風を受けたオフロードバイク界のレーサーレプリカ化。

 

 

その権化とも言える「DT200R」とは真逆の方向性を持って1985年8月に登場した「セロー225」の陰が、当初とても薄かったのは致し方ないことでもあったのですね。

1985年セロー225

●改めまして最初期型の「セロー225(1KH)」です。223㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンは最高出力20馬力/8000rpm、最大トルク1.9kgm/7000rpmという実力(始動はキックのみ。セミ・オートデコンプ機構を採用)。燃料タンク容量7.6ℓ、シート高810㎜、乾燥重量102㎏。50㎞/hでの舗装平坦路燃費は60.0㎞/ℓを記録。当時価格は32万9000円……。ここまで紹介してきたレーサーレプリカ的オフロードモデルとは明らかに一線を画した端正なスタイリング。広報写真だけ見るとシート高が810㎜に抑えられているとは思えないところでも損していましたね。しかし,実車へまたがってみると例外なく「おっ!?」と驚く、足着き性の良さと軽さとハンドル切れ角の大きさが口コミで次第に広がっていきました〜〜〜

 

 

しかし、真実は小説より奇なり

野球イラスト

●野球界の大谷翔平選手といい、将棋界の藤井聡太七冠といい、小説やマンガでも描かれてこなかったレベルで活躍する人も増えましたね。本当にアンビリーバボー! だからこそこの世は面白いのです〜(^^ゞ

 

 

「XT200」の持っていた潜在能力に惚れ込み、各部を鍛え上げて「セロー225」を作り上げたのは、ほかでもない「DT200R」の主要開発メンバーだったのです! 

 

 

読めば「ほっほ~」と数百回は首肯して白飯50数杯はおかわりできるヤマハ発動機公式ウェブサイトの「SEROW225 開発ストーリー」「SEROW225 開発者インタビュー」リンク先を熟読していただきたいのですが、『走る・曲がる・止まるの基本要素に、登る・下る・転ぶを加え……』というくだりには不肖オガワ、文章を目で追うたび思わず快哉を叫んでしまいますね。

セロー225カタログ

●1985年型「セロー225」カタログより。まさにセローの世界観を1枚の写真で表現しておりますね

 

 

林道という形容をはるかに超えるような岩場やケモノ道という苛酷(過激!?)なフィールドを設計や実験の担当者が実際に走り込むことによって、ライダーが創意工夫し、車両が応えるという“二輪二足”でなら、とんでもない山の頂まで踏破していける……という開発者自身がドロドロになって体験したからこそ生み出された奥深い性能が「セロー225」には盛り込まれていきました。

セローカタログメカ2

●1985年型「セロー225」カタログより。前回も紹介いたしましたが再掲。ぜひリンク先のセロー開発コソコソないしょ話(?)を堪能したあと、このページをピンチアウトで拡大して読み直してみてください

 

 

810㎜という低いシート高左右51度という大きなハンドル切れ角、ベース車両「XT200」からちょい足しした223㏄という排気量、前1つ+後ろに2つ用意された取っ手(ハンドルスタンディング)ほか、ありとあらゆるスペックや装備には、マウンテントレールという新たな世界を切り拓くための意味と必然があったのです。

1985年セロー225の赤

●1985年型「セロー225」のホワイト×ファイヤーレッド。カタログを見てもメイン訴求色はホワイト×フォレストグリーンのほうなのですが、今見るとこの赤色もいいですなぁ!

セロー250ファイナル

●2020年型「セロー250ファイナルエディション」では、偉大なる初代をリスペクトしてカラーフレームまで特別に復活採用。写真の白×赤だけでなく、白×緑もこだわりっぷり全開の仕上がりとなっておりました〜。ちなみに税込み当時価格は58万8500円……。手に入れられた方は大切に、でもガンガンと二輪二足走行をしていただきた〜い

 

 

テコ入れ(!?)大サービスな特別仕様車がセローの運命を変えた!

 

繰り返しますが1985年8月、勇躍市場へとリリースされた初代「セロー225」ですが、知名度の低さはもちろん、前回紹介した“奈良の鹿”事件もあったりして幸先のいいスタートとはならず、前述のとおり「笑っちゃうくらいに売れなかった」と関係者が後日、自虐ネタにするほどの静かな船出となりました。

子供失敗

●思ったとおりのスタートダッシュ……は決められなかった「セロー225」ですが、開発陣は真摯に手を変え品を変え、改良を重ねていきました。そして……!

 

 

「う~ん、支持は得られなかったかぁ~。じゃあ放置、放置。生産した分はなんとか売りさばき、気を取り直して別のモデルで勝負しましょ」と、デビュー後早々にフェードアウトされてしまう憂き目に遭ったモデルが、これまでのバイク史で山ほど存在してきたのは皆さんご承知のとおり。

ディバージョン400

●ヤマハとしては珍しく短命に終わったバイクとしてよく引き合いに出される「ディバージョン400」。1991年7月に新設計の398㏄空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブエンジン(42馬力/3.5㎏m)を整流効果の高いハーフフェアリング付きの車体に搭載してデビューした“ウインドツアラー”。ぶっちゃけ筆者は愛車であるスズキ「GSF1200S」とスタイリングが似ているため、とても気に入っているのですけれど、周囲にいた人たちの評判は散々でしたね……。時はまさにカワサキ「ゼファー」旋風が吹き荒れていたころでして、単純な後追いを良しとしないヤマハの意地が妙な方向に行ってしまったのかもしれません……(速攻でラインアップ落ち)。なお、1993年3月にはガチなゼファー対抗馬として「XJR400」をリリースし、それはそれは見事な大ヒットをカッ飛ばしました

 

 

他メーカーに比べてガマン強い印象のあるヤマハではありますが、極度の販売不振が長く続けば営利企業だからこその冷徹な経営判断が求められます。

 

 

しかし、翌年……1986年2月14日、バレンタインデーの日に発売開始された「セロー225 YSP特別仕様車」潮目を変えました

セロー225YSP_1986

●1986年型「セロー225 YSP Special Edition(1RF)」。ど〜ですかお客さん! この特別感がマシマシなお姿は〜っ。良く言えば純朴でケレン味のない田舎の女子高生のようだった最初期型と見比べると、化粧使いがうまくなって派手めなコーディネートもバッチリきめた都会のオフィスレディ(死語?)のような趣きではあ〜りませんか。車体色の正式名は「ホワイト×フレンチブルー」でありました

 

 

「この先どうなるか分からないから、デビューモデルでやり残したコト全部突っ込んどけ~!」とセロー開発陣が考えたかどうかは知りませんが、スタイリング(カラーリング)的にも機能的にも数多くの改良&挑戦が盛り込まれた、まさにスペシャルな1台

セロー225YSP真横

●目を引くのはやはりゴールドホイールに専用グラフィックのツートーンカラーですよね。フレームがチタニックグレーになったことに呼応して、ハンドル、前と後ろのハンドルスタンディング、そしてフロントブレーキキャリパーも同じチタニックグレーとして軽快感を演出。ハンドルクラウンとハンドルホルダーもバフ掛けしてのクリア仕上げが施されました。さらに言えば小型バッグを装着可能にするアルミ製のハンドルブリッジまで標準装備……

セロー225YSP右頭

●さらに機能面ではフロントフォークに減衰力を3段階で調整可能なダンピングアジャスターを装備し、ブレーキホースはステンメッシュでカバーされたテフロンチューブを新採用。さらにさらに転倒時のダメージを軽減するハンドルグリップエンドまで大盤振る舞い。ちなみにこのハンドルグリップエンドは「セロー250」時代も含めて、この1986年のYSP特別仕様車にしか装着されず……。なお、乾燥重量はこれらを装着したため1㎏増の103㎏となりました。当時価格はSTDより2万円高い34万9000円……でしたが、内容を考えれば大バーゲン!

 

 

その特別仕様の詳細は写真キャプションにて詳しく紹介しておりますが、個人的に「コレでしょ!」と考えるのが、ヘッドライトの直上、メーターバイザーにシュッと引かれたボディカラーと同じ色のライン

 

 

これはもう“発明”だと思うのですよ。

 

 

性能向上至上主義のもとレーサー化する数多のライバルたちがゼッケンプレートよろしく黒や白や赤など、そのバイクのボディカラーとは違う色をヘッドライト上のスペースにベタ~ッと置いていたのに比べ、タンクやサイドカバーの塗り分け部分や、さらに言えばシートと同じ色を純白なメーターバイザー上部分に控えめな幅で描く……。

セロー225顔

「セロー225」の顔と言えばコレでしょ!

 

 

YSP特別仕様車で初お披露目されたこのデザイン手法は以降に続く「セロー225」のアイデンティティとなり、起死回生どころか35年続く超絶ロングセラー化への礎となった……と、しつこいようですが個人的には思っています

 

 

人形もバイクも顔が猪木……いや命ですからね!

アントニオ猪木本

「元気ですか〜ッ!」「だぁ〜っ!」という雄叫びが忘れられない筆者にとっても永遠のヒーロー、アントニオ猪木さん。独特の存在感で高い人気を保ち続けた点は、まさにセローに通じるところ! なおこちらは昨年3月に発行された永久保存版写真集  『アントニオ猪木写真集 1960-1988年』

 

 

当時価格で最初期型より2万円高い34万9000円でリリースされた「セロー225 YSP特別仕様車」ですが、販売計画台数1200台はしっかりクリアしたと後日聞いた記憶がございます。

 

 

さらに台数限定ではなかったので、プラス数百台は上乗せされたのかもしれません!?

 

多段式ロケットよろしく人気上昇の加速度を増していったセロー!

 

ともあれ、これで人気に火がついた「セロー225」は翌1987年モデルでも攻めの姿勢は崩しません。

セロー225_1987年

●1986年12月5日に発売開始された実質的な1987年モデルと言える「セロー225(2LN)」。写真のホワイト×フォレストグリーンは最初期型と同じ色構成ながら、グラフィックの違いでよりスタイリッシュな印象へと変化(ヘッドライト上のラインがとても効いてるでしょ!?)。同時に下で紹介しているホワイト×コンペティションイエローをラインアップ。1987年5月20日にはホワイト×チャピイレッドが追加され、合計3色の展開となりました〜

 

 

YSP特別仕様車で導入されたスペシャルなフロントサスペンションを採用し、吸排気系なども徹底的に見直されたにも関わらず33万9000円という絶妙な価格設定で勝負をかけ、見事2段目の(人気)ロケットへ点火成功。

●メインのメカニズム的アップデートはキャブレターをφ26㎜のVMタイプからφ34㎜かつフラットバルブのSUタイプへ変更したこと。こちらにより車両姿勢の変化が大きい時でも油面レベルが影響を受けにくくなり、併せてアイドリング特性やピックアップ特性、高地での実用燃費まで向上したとか。同時に吸排気系の細部見直しによって吸排気音の低減も図られている。また、川を渡るときエアクリーナーへ水が入るリスクを減らすべく、吸気口の位置を従来より上にした……というのだから、どれだけこだわるというのか(笑)。なお、フロントフォークはYSP特別仕様車に装着されていた3段階の減衰力調整機構付きが導入されている

 

 

「セロー225」の人気はうなぎ上りでグイグイと高度を上げていき、そして1989年に待望の“アレ”を装備したモデルが超加速を実現する3段目ロケットとなり、一気に大気圏外へ達するとともに第一宇宙速度(遠心力と重力がつりあうロケットが地球へ落下してこない速度)を確保。

サターンVロケット

●こちらはアポロ計画で使われたアメリカのサターンV(5)型ロケットのイラスト……って、何のハナシでしたっけ? あ、そうそう、人類を初めて月面に着陸させた「アポロ11号」の偉業から20年後となる1989年、「セロー225」はある飛び道具を使って人気を不動のものといたします。そいつぁ、一体なんでしょう……(しらじらしい)? 答えは次回で言わセロー!

 

 

販売台数的に「存続するかしないか」という低いレベルへは二度と落ちることのない孤高の地位を築きます。

 

 

「セロー225」を大ブレイクさせた“アレ”とは……!? 

セロー225_1989

●フフフフ……分かるかな????

 

 

次回、じっくりと(かつ先を急ぎつつ(^^ゞ)述べてまいります!

TW200_1987

【セローの愉快な仲間 その2】「セロー225」のルーツである「XT200」系エンジンを活用したモデルとして、超メジャーな存在になったのが「TW200」! 1987年4月5日に極太タイヤを履くレジャーバイクとして当時価格29万9000円で発売開始されたものの……正直「なんじゃこりゃ?」的な扱われかたで「セロー225」以上に販売は低空飛行。こちらをベースにしたスペシャルマシンで風間深志氏がバイク史上初の北極点到達を成功させたのですけれどね……。それでも地道に販売を続けていたら時代が勝手に到来し、カスタムのベース車両としてウルトラ激烈ハイパー大ブレイク! 街にロングスイングアーム装着やスカチューンなどが施された「TW200」が街にあふれるという、それはそれは摩訶不思議な風景が展開されたのです! なお、米国では今でも現役モデルだったりして(^^ゞ

 

 

あ、というわけで「セロー225/250」シリーズは“超”がつくトップ&ロングセラーモデルですから大量の車両が日本国内に存在しています。ゆえにネットを使った個人売買も多数行われていますが、トラブルが発生することもしばしば……。その点、レッドバロンが提供する『5つ星品質』中古車なら、安心してセローライフをスタートできますヨ。まずは近くにある各店舗で車両の在庫チェックを~!

 

 

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