「全部同じじゃないですか!?」「ちがいますよーっ」「これだからしろうとはダメだ! もっとよく見ろ!」(とある超有名漫画のワンシーン)。細かい改良を少しずつ重ねて完成度を増した長い歴史を持つ乗り物やアイテムというのは、門外漢にはなかなか区別が付かないもの……。しかし、オーナー(予備軍)にとっては、ゆるがせにできない明白な差違だったりします。かくいう“セロー225”中盤戦の地道な進化を紹介しましょう!
●1995年型「セロー225W」カタログより。当時はまだシートバッグやケース類が一般的ではなかった時代。キャンプ用品などの荷物をいかにカッコよく、しっかり固定するかは大問題だったのですよ。シンプル極まりないゴムひもやゴムネットをこう使えばスマートにパッキングできるゾ……というお役立ち記事がバイク雑誌にたびたび掲載されていましたね(今はそんな企画あるのかしら?)
セローという人気者と愉快な仲間たち【その3】はコチラ!
セローという人気者と愉快な仲間たち【その5】はコチラ!
またまた導入が「少年ジャンプ」ネタで申し訳ないですが……
上のリード文(←目次や本文の前に配される、原稿の概略を伝える導入部)冒頭に引用させていただいた内容、分かります?
ネットの世界で一世を風靡したコラージュネタのひとつで元ネタは“こち亀”なんですね。
●「全部同じじゃないですか!?」とは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第141巻に収録されている「あこがれライダーの巻」で亀有公園前派出所の中川圭一巡査が発した台詞。……作者の秋本治先生はライダーであることでも有名で、バイク好きの琴線に触れまくるギャグも多数。筆者が8歳だった1976年から48歳(!)になった2016年まで、40年にも及ぶ週刊連載で一度も休載しなかったというギネス世界記録まで持っているお化け作品ですね。パリ五輪に関連して?、2024年も新作読み切りが少年ジャンプ36・37合併号(8月5日発売)掲載されて感涙しました
1ページ8コマの中で両さんがスズキ「Gストライダー」(!)によく似た御免ライダーの超合金オモチャを7つ繰り出し、それらの違いを全く理解できない中川巡査が大いに困惑する……というギャグシーン。
●冗談抜きで小学校時代から中学〜高校〜大学……社会人になってからも大いに楽しませていただきつつ、人生に大切なことを山ほど教えてくれた両さん。少なくとも筆者が還暦になるまでは年イチでもこち亀新作を読むことができそう……かな!? 秋本先生、ずっとお元気で〜!
マニアックな内容をシニカルな笑いに転化するテンプレートとして今なおオモシロ新作品が次々と出回っておりますので、貴女&貴殿にもご理解いただけるかなぁ、と思った次第。
……で「セロー225」の話でしたね(汗)。
実のところセルが装着された1989年型「セロー225(3RW1)」以降のモデルは、パッと見の印象はほぼほぼ変わらず、しろうと目にはサイゼリヤ間違い探しのレベル……と言っても過言ではありますまい。
●偉大なるSEROWのアイコン……とも言える1989年型「セロー225(3RW1)」。外装の造形やグラフィックはもちろん、セル付き223㏄空冷4ストOHC2バルブエンジンに過不足ない足まわりなどなど、多くの人々が容易に想起する“セロー像”の原点はここにある……と不肖オガワは思っているのですよ
駄菓子菓子!
これがまたオーナーになってやるゾ!という意気込みで車両をチェックしだすと、細かい違いが気になって気になって……。
●ちなみにこちらが“225”の最終型となる、2004年型「セロー225WE」となります(詳細はその5にて)。よ〜く眺めて比較してみると「変わってないところは無いんじゃない!?」と叫んでしまうほど細部は研ぎ澄まされているのですけれど、パッと見だとやっぱり「セロー(225)」なんですよね、それって本当にスゴイことだと思います……
はい、実は筆者も「セロー225」を購入したひとりなのですが(後述)、当時はバイク雑誌「モーターサイクリスト」の編集部員だったこともありヤマハ発動機広報グループからニュースリリースが郵送で送られてくるたび、ポジフィルムの入った封筒を開封しては「おおっ! ソコを変えてくるかぁ~っ!」「良かった……性能的にはワシのセロー、最新型のまんまだ……」などと一喜一憂したものです。
そんな怒濤の細部改良を駈け足で追っていってみましょう~!
さらなるWideな支持を得た「セロー225W(笑い……ではない)」
『Wの悲劇』は薬師丸ひろ子さん主演の青春映画ですけれども(また与太話……)、「セロー225」の「W」は人気をさらに加速させる大成功モデルの称号となりました。
前回ご紹介した1992年5月、2000台限定の特別仕様車「セロー225S(3RW3)」の登場から、1年ほどしか経っていない1993年6月に発売が開始された性能ブラッシュアップ版が「セロー225W(4JG1)」だったのです。
●ど〜ですか、このパープリッシュホワイトソリッド1×ビビッドパープリッシュレッドソリッド1のカラーリングセンスの良さ! そんな1993年型「セロー225W」は最高出力20馬力/8000rpm、最大トルク1.9kgm/7000rpmという223㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンのスペックは不変。燃料タンク容量8.8ℓ、シート高810㎜、乾燥重量106㎏。60㎞/hでの舗装平坦路燃費は54.0㎞/ℓ。税抜き当時価格(以下同)は36万9000円。ヘッドライトは60/55W大容量版へ変更され、フットレスト部にアルミ製プロテクターも新採用!
グレードアップした前後サスペンション、光量を大幅にアップしたヘッドライト、そのほか随所へキメ細かい改良が施されるとともに大きなウリとなったのがリヤディスクブレーキの新採用でした(なお、ドラムブレーキ仕様の「セロー225(3RW5)」も短期間ながら34万9000円で併売)。
●前年発売された「セロー225S」に採用された(金色に輝く)別体式サブタンク付きリヤサスペンションが標準化されるとともに、フロントサスのスライドメタルも材質が変更されて動作性が向上。小型キャリパーに焼結パッドが組み合わされたφ203㎜のリヤディスクブレーキは操作性も上々(同時にフロントブレーキのパッド材質も変更)でした! まだまだ需要の多かったキックスターターセットは9600円でオプション設定されており、同様のショックレスアルミハンドル、ブッシュガード、リヤキャリヤと並んで新車購入時に高い人気を誇りました。まさに全方位スキなし……好きにやらセロー状態だったのです!?
●1993年に配布された販促パンフレットより。“W”と併売されたドラムブレーキの「セロー225」は白×緑のみでした
ちなみに車名の最後に付けられた“W”とはWilderness(手つかずの自然)や、Woods ridingといった、まさに“マウンテントレール”セローならではなコンセプトワードの頭文字から取られたとの説がございます。
リヤディスクブレーキを得てメカニズム的にほぼ完成の域に達した1993年モデルは、マイルドヤンキー……ならぬマイルドオフロード(?)ジャンルで圧倒的な人気を博していきました。
●マイルドヤンキー(mild yankee)とは従来の不良やツッパリほどの攻撃性・違法行為性はないヤンキーな人々のこと……だそうです。 博報堂のエライ人が2014年に定義した概念とか。勉強になりました m(_ _)m
実は同じ1993年の3月にスズキから「ジェベル200」もひっそりデビューしているのですが、正直「セロー225W」の快進撃を止めるまでにはいたりませんでしたねぇ。
●最初にリリースを見たとき「ド……ドジェベル?」と読んだ記憶もあるスズキ「DJEBEL(ジェベル)200」。シート高810㎜、乾燥重量106㎏はセローと同じ。エンジンは199㏄という排気量ながら(空冷4ストOHC2バルブ)20馬力/1.8㎏mというセローと遜色ないスペックを叩き出し、53.4㎞/ℓという60㎞/h定地燃費もセロー同等。その上で13ℓという大容量を誇る燃料タンクという飛び道具まで装備して32万9000円という戦略的なプライス! なのに一部マニアは飛びついたものの、セローの快進撃をストップさせるには至らず……。バイクビジネスというのは本当に難しいものです。とはいえ地味〜に販売は続けられて2005年型で生産終了。なお、筆者は2007年に最終型の店頭在庫を格安で購入いたしました(^^ゞ
ちなみに1985年モデルを最後にフェードアウトした「XT250T」から久々となる、ヤマハ本気の4スト250フルサイズオフローダー「TT250R」も1993年4月に市場へ降臨しております。1991年にバブル景気は崩壊したとされていますが、この頃はまだまだバイク業界、元気だったなぁ……(遠い目)。
●1993年型ヤマハ「TT250R」(46万9000円)は30馬力/2.8㎏mを発揮する249cc空冷4スト単気筒DOHC4バルブエンジン(もちろんセルスターターを標準装備)に強靱なフレーム、ストロークの長い足まわり(シート高895㎜、乾燥重量113㎏、燃料タンク容量9ℓ)……と、全てを完全新設計しただけあって妥協のない仕上がりで絶対王者であり続けたホンダ「XLR250R」を追撃! 翌1994年3月に投入された大径丸型ヘッドライト+16ℓビッグタンクを備える「TT250Rレイド」とともに1990年代中盤から後半にかけて高い人気を博していったのです〜
熟成が極まったモデルを狙って自腹で購入してしまった!
そしてそして〜〜、1995年モデルこと「セロー225W(4JG2)」!
●いやぁ〜これこれ、この白×紫! 懐かしいなぁ……。主要諸元も価格も1993年型から変更ないのですが、各部熟成は多岐にわたり……。着座面の幅を30㎜拡大してクッションの材質まで見直されたシート、極低速からの“ツキ”の良さを向上させるキャブレターセッティングの変更、フットレスト踏面前後幅を8.6㎜拡大、フロントブレーキの操作フィーリング改良、クラッチワイヤーの内部構造変更(!)、強化メインスイッチにピン回転式ヘルメットホルダー導入……などなど変態的とも呼べる作り込みにノックダウン! 深夜のモーターサイクリスト編集部でプレスリリースを開封&熟読した瞬間、手に入れることを決めたのです
幅広になったシート、フットレスト幅も拡大、ピン回転式ヘルメットホルダー採用などなど、もはや細部をチマチマとツメていくしかやりようがなかったのだなぁ……(?)と思わせる高い完成度を誇ったコチラ……を不肖オガワ、購入させていただきました~。
●やはり女性を中心に人気が高かったのが、こちらのパープリッシュホワイトソリッド1×ビビッドパープリッシュレッドソリッド1(白×赤)。フレームやシート、フォークブーツの色までこだわってコーディネートすることが、まだ許された時代なのですね……(1990年代も後半になっていくと、このあたりの変更や塗り分けが加速度的に世知辛くなっていきます)
アルバイトとして潜り込んだモーターサイクリスト編集部で人一倍タダメシを食べ……いや、ただひたすら働いた(?)おかげで1993年に八重洲出版の社員になることができ、ちょいと生まれた金銭的余裕を全投入してパープリッシュホワイトソリッド1×ディープバイオレットソリッド1(白×紫)を入手したのです。
●仕事はしてましたよ……たぶん(汗)
いやぁ、本当にいいバイクでしたね~。
小生、身長こそ数値上は178㎝あれど、そのうち100㎝+αが殿部から頭頂部までの長さでしたから(高校時代のあだ名は座頭市ならぬ座高イチ〈メートル〉!)、セローの短足にも優しい足着き性は本当にストレスフリーで嬉しかったもの。
●ホント、バイクを動かす仕事をしていると短足はとても気を遣います。ゆえにプライベートでは足着き性のいいバイクを選びがちになり……
日々の街乗りに活用しながら、時間を見つけて「RMX250S」や「XLR250R」を駆る爆速な後輩たちとおっかなびっくり林道を走ったり、桶川や成田のダートコースで15㎝ほどジャンプするもフロントから落下してビビりまくったり……と等身大のオフロードごっこを楽しませてもらいました。
実はワインディングダンサーだった!?(個人の感想です)
しかぁし! 一番強烈な記憶として残っているのが、舗装路ワインディングでの身のこなし!
とある日、フリーター時代からお世話になっていた某寺の住職と友人ともども栃木県日光市にある中三依温泉へ遊びに行き、さぁいよいよカンパイだ……というタイミングでデジタル・ムーバPⅡ(会社備品)がピロピロピロと鳴り響いたではあ~りませんか。
●サイクルスポーツ、カーボーイ、ドライバー、(別冊)モーターサイクリスト、ラジコンマガジンetc。八重洲出版の各編集部ごとに1〜2台が配備されたケータイ。個人所有が高嶺の花だった当時、スタッフ間で争奪戦が巻き起こってましたね(笑)
胸騒ぎとともに通話開始のボタンを押せば、編集部の大先輩から「さっき会議で決まって、お前が担当することになった新連載の企画打ち合わせがしたいからすぐに来い」と……。
そのころの八重洲出版はバリバリの24時間タタカエマスカな不夜城でしたし、大先輩からのお願いは絶対服従の命令と同義(^^ゞでしたから、ご馳走を秒で平らげたあと泣く泣く旅館を飛び出して刻一刻と暗くなっていく国道121号をマイ「セロー225W」でひた走っていきました。
●いやもう当時はフツーに会社で徹夜していましたからね。その頃は若いし独身だし仕事はやりたい放題。暗室で仮眠して近所の銭湯で朝風呂浴びれば、また1日フル活動……。今考えれば隣にいた大先輩たちもタフだったよなぁ
1993年モデルから採用された60/55Wのヘッドライトが闇を切り裂き、次々に迫ってくるコーナーを明るく照らし出してくれます。
最初は真っ暗な峠道におびえていた筆者も次第に肩の力が抜け、つづら折りのリズムをうまく捉えられるようになると……「うわっ! メチャクチャ面白いじゃん!!」とヘルメットの中で快哉を叫んでしまいました。
コーナーの頂点へはスロットルを一定にし進んでいき、うまく抜けたら右手をスッと捻る……と、そこからセローはグイグイと向きを変えていくではありませんか!
●1995年型「セロー225W」の、これまた人気を集めていたパープリッシュホワイトソリッド1×フォレストグリーン(白×緑)。さて舗装されている峠道を快走する件、絶対的な速さで言えばホンダ「XLR250R」やカワサキ「KLX250SR」といった250フルサイズデュアルパーパスが上回るのですけれど、なかなかの速度を維持しながらもクルクル曲がっていく“楽しさ”という面ならセローは相当に……いや、非常にハイレベルだと思いました
高名なバイクジャーナリストの方々が口々に述べていた“二次旋回が鋭いヤマハハンドリング”とは、このことだったのか!?
……もちろんワタシの盛大な勘違いかもしれませんけれど(笑)。
とにもかくにも夜のワインディングを最高な気持ちよさで駆け抜けたことは厳然たる事実です。
後日、後輩くんの「XLR250R」や、筆者が今なお持っている「ジェベル200」はもちろん、数々の広報車での取材などでも峠走りする機会があったのですが、速さはともかく“面白さ”では「セロー225W」の圧勝でしたね……(あくまで個人の感想ですが(^^ゞ)。
あ、深夜の新連載打ち合わせも無事終了いたしました(^^ゞ。
●到着してみれば、編集長と副編集長まで待っていて直々に取材内容をディスカッション。さっそく次の号から筆者担当で各ショップの中古車を紹介していく新企画がスタートしました
アホなオーナーの大失敗はともかくセローの快進撃は続く……
そんなこんなで気に入っていたセローなのですけれど、興味を持った某社のボアアップキットを組み込んだはいいものの、「必ずハイオクガソリン使用のこと!」と書かれていた注意書きを軽んじてレギュラーガソリンを入れ続けてしまい、盛大なノッキング祭りを起こしてエンジン終了のお知らせ……。
今思い出してもナゼそんなバカなことをしてしまったのかワケが分かりません。
●「反省はしても後悔はしない」が信条の不肖オガワではありますが、この大失敗だけは思い出すたび心がえぐられます。「ジェベル200」の横に「セロー225W(4JG2)」が並んでいる世界線があったのかもしれないのに〜〜
目先のガソリン代、リッター10円、20円をケチって数十万円単位の損害を発生させてしまうという……(涙)。
●ちなみにそのエンジンを痛めつけてしまったセローは懇意にしていた某ショップがエンジン修理費をキッチリ割り引いた適正価格で引き取ってくれました。それでも……時が戻せるなら手元に置いておきたかった……(血の涙)
かくいうアホないちユーザーの悲哀はともかく、セローは大ヒット街道をひた走っていきます。
1995年の7月には誕生10周年を記念した「セロー225W リミテッドエディション(4JG3)」を1000台限定で発売。
●1985年の初代発売から1995年3月までに、累計販売台数が6万台を超えたというセロー! 誕生10周年を記念した限定車は専用のパープリッシュホワイトソリッド1×ダークブルーカクテル2の塗色に立体エンブレムと前後アルミゴールドリムが目を引く仕上がり。さらに軽量アルミハンドル&バフ仕上げのハンドルホルダーを装備して価格上昇は1万円ポッキリの37万9000円! そりゃ秒で売り切りますわ……
翌1996年2月には前年2月から続くレギュラーモデルである「セロー225W」を継続しながら一部カラーチェンジを行い、
●上でも紹介してきたSTDモデル3色展開のうち白×赤のみ深みのある赤(レッドEスパークル)が導入されて金ホイール+黒フレーム&フォークブーツ&シートも採用。とても引き締まった印象を見る者に与えました。それで価格は他の継続2色と変わらず36万9000円だったのですから、お買い得感がマシマシでしたね〜
同年7月には「セロー225W リミテッドカラーエディション(4JG4)」を投入するなど、
●前回1000台を売り切ったリミテッドエディションから、ちょうど1年後となる1996年7月1日に登場した限定1500台のリミテッドカラーエディション。そうなんです、色はダークマゼンタカクテル1に変更されたのですが、ハンドル周りはSTDのまま……というわけで前回の限定車よりちょいとお安い37万4000円のプライスタグが付けられていました。マルーンな色調がタマリマセンなぁ。本当にヤマハはいちいちカッコイイ……(^^ゞ
それこそ中川巡査が「全部同じじゃないですか!?」と絶望しそうな細かすぎる小変更を繰り返していきました、ハイ。
そして1997年、セローはモデルチェンジを受けて「セロー225WE」へと進化いたします。
●2000年型「セロー225WE」。20世紀末からの二輪業界は、バイクブームの沈静化だけでなく騒音や排ガスといった環境諸規制の強化とも戦っていかなくてはなりませんでした。そのなかでセローは……!?
ナニがドウ変わったか、などのオハナシは次回ということに……。
【セローの愉快な仲間 その4】マウンテントレールと言っても、実際にセローで山へ分け入るライダーは購入層全体の約2割程度。「だったらエンジンやフレームを流用しつつ、もうちょっとシティラン寄りのカッコいいモデルを作ればウケんじゃね? モチーフには……DT-1なんかがイイんじゃね?」とまぁ、営業企画会議はこんな軽薄な雰囲気ではなかったでしょうけれど(笑)、1997年5月に突然!という雰囲気で登場したのがヤマハ「BRONCO(ブロンコ)」でした。北米に棲む野生馬という車名の由来を持つヤマハいわくスクランブラーモデルは、写真のライトレディッシュイエローソリッド1(黄)とライトグレーメタリック3(銀)という2色展開かつ、39万9000円という価格で登場(プラス2万円で全10色からタンクカラーを選べるカラーオーダーシステムも用意されていました)! エンジンはもちろんセロー譲りで20馬力/1.9㎏mというスペックは同じながら、キャブセッティングや1〜2速のギヤ比には変更を受けており、ホイールベースも短縮、フロントタイヤは21→19インチ化、リヤブレーキはドラム式へ戻される(?)など多岐にわたる変更を受けており、開発陣の気合いも入りまくり……。端正な燃料タンクの容量は8.3ℓ、シート高はセローより低い795㎜、乾燥重量も108㎏に抑えられていたということで不肖オガワ、プレスリリースとポジフィルムを閲覧した瞬間、大ヒットを確信した……のですが、現実には支持が全く広がらず登場した1997年モデルが最終型となってしまいました。バイクビジネスって本当に難しい……
あ、というわけで「セロー225/250」シリーズ、そして打倒セローに燃えたライバルたち(ブロンコも含め)は、どれも出来の良さでは一流バイクジャーナリストたちが太鼓判を押す仕上がり。レッドバロンが提供する『5つ星品質』中古車なら、安心してマイルドオフロード(?)ライフをスタートできます。まずは近くにある各店舗で車両の在庫チェックを~!
セローという人気者と愉快な仲間たち【その5】はコチラ!
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