レッドバロンユーザーで賑わった!


こんにちは青木タカオです。前回ここでお伝えしました通り、3月15日(土)はレッドバロンが主催する「2025年 第1回 Fan Funミーティング」(岡崎中央総合公園)に行ってきました。

来場者数はなんと417人! 集合写真をご覧いただければお分かりの通り大盛況でした。

さて、当日の様子はこちらForRに寄稿されている高木はるかさんがレポートされると思いますので、そちらをぜひご覧ください。会場をくまなく回って取材していたので、濃厚なレポートが読めると思います。

Fan Funミーティングを取材中の高木はるかさん。
▲Fan Funミーティングを取材中の高木はるかさん。
ボクが気になったのは、高木はるかさんが着ていた黄色いトレーナー。“クロスカブ”のプリントに目を奪われました。愛車『クロスカブ110』への愛情を強く感じます。

というわけで、ここではボクが気になった独断と偏見のレポートをお届けいたしましょう。

60年前の名車現る!!

バイクイベントでは会場のコンテンツももちろんですが、ボクは来場者たちの愛車を眺められる「バイクパーキングが好きなんです」と、前回もここでお伝えしました。

いつも通り駐車場を見て回っていると、ダブワン(カワサキW1SA/1971年式)乗りのボクとしては見逃せないオートバイを発見! 『カワサキ250メグロSG』(1965年)ですっ!!

『カワサキ250メグロSG』(1965年)。レッドバロンが主催する「2025年 第1回 Fan Funミーティング」(岡崎中央総合公園)にて。撮影:宮下豊史

▲『カワサキ250メグロSG』(1965年)。レッドバロンが主催する「2025年 第1回 Fan Funミーティング」(岡崎中央総合公園)にて。撮影:宮下豊史

メグロはカワサキの歴史を語る上では欠かせない存在なのは、オールドバイクファンらの間ではよく知られています。1925年(大正14年)に創業した目黒製作所は、トランスミッションなど二輪パーツメーカーを経て、1932年(昭和7年)からはOHV500cc単気筒の本格派エンジンを製作。

1937年(昭和12年)には完成車として『メグロZ97型』を発売。1939年(昭和9年)には白バイとして警視庁に納入されるなど、陸王に並ぶ国産オートバイメーカーとして名を馳せます。ちなみに、車名は日本海軍伝統の“Z旗”と皇紀2597年に由来します。

目黒製作所の社屋前で撮影された貴重な写真。画像提供:カワサキモータースジャパン

目黒製作所の社屋前で撮影された貴重な写真。▲画像提供:カワサキモータースジャパン

庶民に手が出せる代物ではなかったオートバイですが、戦後はオートバイの大衆化が進みます。目黒製作所は500cc単気筒モデルだけでなく、250ccや125ccへとラインナップを増やし、業績を伸ばしていきました。

メグロでは最後の500cc単気筒モデルとなった『メグロ スタミナZ7』(1956年)。画像提供:カワサキモータースジャパン

▲メグロでは最後の500cc単気筒モデルとなった『メグロ スタミナZ7』(1956年)。画像提供:カワサキモータースジャパン

しかし、1950年代半ばには200社を超えた二輪メーカーが60数社にまで淘汰されていきます。目黒製作所もまた業績が少しずつ悪化。1960年(昭和35年)には500cc並列2気筒エンジン搭載の『メグロ500スタミナK1』をリリースしますが、同年に川崎航空機工業(現在のカワサキ)と業務提携をおこないます。

『カワサキ500メグロK2』画像提供:カワサキモータースジャパン

▲出荷前の『メグロ500スタミナK1』(1960年)。画像提供:カワサキモータースジャパン

1962年(昭和37年)にはカワサキが資本提供し、「カワサキメグロ製作所」に社名を変更。1964年(昭和39年)には吸収合併へと至りました。

『メグロ500スタミナK1』を川崎航空機工業の技術者たちで全面改良したのが『カワサキ500メグロK2』(1965年)です。そして、排気量アップしたのが初代『カワサキ650W1』(1966年)なのです。だからこそ、ダブワン乗りの間ではメグロは直系のご先祖様であり、愛好家が特に多いのです。

知られざるジュニアの系譜

さて、250ccシリーズはどうか。目黒製作所の主力モデルが、戦前の『Z97』からはじまり1956年の『Z7スタミナ』で終焉を迎えた500ccの「Zシリーズ」でした。そのチルドレンというコンセプトで生み出されているのが、1950年にスタートした『ジュニア号』です。

メグロ ジュニア号(1950年)画像提供:カワサキモータースジャパン

▲メグロ ジュニア号(1950年)画像提供:カワサキモータースジャパン

250ccは当時からポピュラーなクラスであり、メグロのセールスを支えた最大の人気シリーズとなりました。ジュニアJ2型(1951年)から1953年には『ジュニアS』となり、『S2』(1954年)、『S3』(1956年)、『S5』(1959年)……と、マイナーチェンジを繰り返すごとに末尾の数字が増えて、1963年の『S8』以降は『SGT』および『SG』(1964〜65年)となり、66年以降はその系譜が途絶えてしまいます。

カワサキ250メグロSG(1965年)画像提供:カワサキモータースジャパン

▲カワサキ250メグロSG(1965年)画像提供:カワサキモータースジャパン

今回、レッドバロンFan Funミーティングにご来場されていたのが、この『カワサキ250メグロSG』なのです!!

メグロがカワサキと合併し、誕生したのが『W1』のルーツとなった『カワサキ500メグロK2』(1965年)と先述しましたが、この体制になって生産された初号機が『カワサキ250メグロSG』であることはマニアの間にしか知られていません。

『エストレヤ』(1992年発売)のデザインに繋がっていて、デビュー当時は「SGの再来」とコアなファンが注目しました。

カワサキ ESTRELLA-RS クロームバージョン(2006年式) 画像提供:カワサキモータースジャパン

▲カワサキ ESTRELLA-RS クロームバージョン(2006年式) 画像提供:カワサキモータースジャパン

いま注目すべき名車なのだ!!

そして、さらに今とてもタイムリーな注目モデルと言えるのです。

カワサキ MEGURO S1 画像提供:カワサキモータースジャパン

▲カワサキ MEGURO S1 画像提供:カワサキモータースジャパン

カワサキが2024年11月に新発売した『メグロ S1』(空冷SOHC2バルブ単気筒232ccエンジン搭載)が、この『カワサキ250メグロSG』の後継としているのです!!

どうして「S」を名乗るのかは、ジュニアからSへとモデル名が変わっていく歴史の流れを見れば合点がいくでしょう。

いやぁ〜、説明が長くてすいません。しかし発売以来、話題を集めている『メグロS1』のご先祖様にあたるのが、この『カワサキ250メグロSG』。これに注目せずにはいられないのですっ!!

いよいよメグロオーナーに取材開始!!

Fan Funミーティングにご参加された藤原さん。愛車は『カワサキ250メグロSG』。

▲Fan Funミーティングにご参加された藤原さん。愛車は『カワサキ250メグロSG』。

オーナーの藤原さんに、ボクはネチネチと質問しまくります。だって、大好きなんですもの。

まず、OHVエンジンをニタニタしながら眺めます。ボア×ストロークは66×72.6mmで、スタミナK1やK2と同じ。ピストンなども共通にしていました。ボクのダブワンはその排気量拡大版(ボア66→74mm)ですから、親戚関係に相当するのです。

エンジンガードは純正オプションだと藤原さんが教えてくれます。ご自身で塗装し、美しく仕上がっています。

カタログスペックによれば、最高速度は120km/hを発揮。4速ロータリーチェンジはシーソーペダルで操作します。もちろん始動方式はキックのみ。

メーターの距離計末尾が赤いのは初期型だとご教示いただきました。

ラバー製のニーグリップパッドが備わる燃料タンクは、黒を基調にメッキが施され、ホワイトラインが描かれます。タンクを上から長い1本のボルトで固定する方式はダブワンにも受け継がれています。

エンブレムはMEGUROのロゴにカワサキリバーマークをミックスさせたもの。

マフラーはW1S以降が装着していたキャプトンタイプに換装されています。

フラッグはオーナーによって製作されたもの。

ヘルメットにもメグロとスターマークが描かれていて、愛情たっぷりなのが伝わってきます。

とまぁ、こんな感じで『Fan Funミーティング』を満喫した次第で、こうしてライダーさんと交流するのが、ボクのバイクイベントの楽しみ方。バイクパーキングで見た1台をご紹介するだけで、だいぶ長くなってしまいましたので、今回はここまで。また次回以降レポートを続けていきます! 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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