「……シューーーーーンッッズゴォ!!!ォォォォォォォォォーーッ……」

 

1990年の秋から冬にかけ、モーターサイクリスト誌のアルバイトだった筆者は何度か早朝の“ヤタベ”へと駆り出され、高速周回路での最高速チャレンジをこの目で見ていました。

主役はカワサキZZ-R1100

ZZR1100青

●カワサキにおいて“究極”という意味がある「Z」が2つ! ZZ-Rの読み方は「ゼットゼットアール」(商標登録上はゼットゼットアアル)というのが正しいとされていますが、「ズィーズィーアール」でも「ダブルジーアール」でも構わないそうです。なお、表記に関しては「ZZ-R」と「ZZR」が混在していましたが、2003年の段階でカワサキから表記統一が公式に発表され「ZZR」に一本化されました。ですが今回のコラムでは筆者の思い入れがある「ZZ-R」で始めさせていただきます

 

公道向け市販車で初めて実測300㎞/hの壁を破る資質を持って生まれたマシンであり、その“夢”を具現化させる過程にいちスタッフとして立ち会えたことは本当にバイク好き冥利に尽きることだったと言えます。

新車が出たらまずは最高速をチェックしていた時代

テストの舞台となった“ヤタベ”とは、正式には茨城県谷田部町(当時 現つくば市)にあった一般財団法人日本自動車研究所JARI現 一般財団法人日本自動車研究所)の高速周回路のことで、通称……というか俗称が「谷田部テストコース」。

1964年に完成し1周は5.5㎞。約1.5㎞の直線2本を半径400mのコーナーで結んでおり、世界水準の車両開発ができると各メーカーがこぞって使用していたオーバルコースで、当時クルマ&バイク雑誌がひんぱんに行っていた最高速テストの“聖地”だったことは覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。

最高速テストの画像

●八重洲出版 モーターサイクリスト 1990年8月号の記事より。GoProもデジカメもなかった時代。ZZ-R1100を駆りメーター読み300㎞/h超え(実測値は290.50㎞/h)でコースを全開走行中にライダー(宮崎敬一郎氏)自身が、タンクの上に設置したフィルムカメラのシャッターを押す……冗談抜きに命がけの取材でした

 

MC編集部では厳密な速度を計測するためタグホイヤー製の光電管システムを使用しており、筆者は出てきた数値の読み上げ係を拝命(いわゆる一番簡単な下っ端仕事ですね)。

つい目の前を1秒間に約80m進む物体が通過していくというのは、なかなかにスリリングなものでして、空気を切り裂く音と吸排気音が通過前後で如実に変化するドップラー効果も激しく“体感”でき、テスト中は誇張なく鳥肌が立ちっぱなしでした……。

偉大すぎた“初代Ninja”の陰で苦労?した新旗艦

くだんのZZ-R1100とは、1989年の東京モーターショーでひっそりと姿を現した(後述)カワサキのフラッグシップモデル。

1984年に登場した、ご存じ“Ninja”の始祖としても有名な大人気モデル「GPZ900R」に端を発する水冷ハイパフォーマンス路線を受け継いだ正統後継車です。

GPZ900R

●鉄製ダイヤモンドフレームに搭載された908㏄水冷4ストローク並列4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力115ps/9500rpm、最大トルク8.7kgm/8500rpmを発揮。乾燥重量228㎏、シート高780㎜、燃料タンク容量22ℓ。250㎞/hの最高速はもちろん当時のナンバーワン。フロント16インチタイヤが時代を感じさせます……。以降も数々の改良が施されつつ(1991年からは国内仕様も登場)、なんと2003年まで販売が継続された怪物モデル。今なお高い人気を誇っています

 

1980年代といえば日本はもちろん、世界に目を向けても目覚ましく様々な技術が向上していった時期で、性能がアップすればイコール好調なセールスを記録するという好循環もしっかり成立しており、つまりは「超イケイケドンドン」な時代。

GPZ900Rが大ヒットを飛ばしているというのに、2年後の1986年には「GPZ1000RX」が。

GPZ1000RX

●997㏄となったエンジンは最高出力125ps/9500rpm、最大トルク10.1kgm/8500rpmというパフォーマンス。乾燥重量238㎏、シート高805㎜、燃料タンク容量21ℓ。フレームは鉄製のダブルクレードルタイプとなっています。前後16インチタイヤというのも個性的で、フロントフェイスはまんまGPZ400Rを彷彿とさせますね。最高速は260㎞/h、ゼロヨンは10秒台に突入!と話題になっていました

 

そのまた2年後の1988年には「ZX-10」が登場。

ZX-10

●997㏄の排気量はそのままに最高出力は137ps/10000rpmに向上(最大トルクも10.5kgm/9000rpmへ)。乾燥重量も16㎏軽くなって222㎏を実現。シート高790㎜、燃料タンク容量は22ℓ。フレームはアルミツインスパー形式の「e-BOXフレーム」が採用されました。タイヤは前17インチ、後ろ18インチという当時の主流だったサイズに変更され、最高速度270㎞/h、ゼロヨン10.5秒という韋駄天ぶりを発揮しましたが、GPZ1000RXとイメージの変わらないふくよかなボディデザインが敬遠されたのか、大ヒットには至らず

 

そして前述、1989年東京モーターショーでのお披露目の後、1990年モデルとしてリリースされたのが「ZZ-R1100」というわけでした。

ZZR1100赤

●排気量が1052㏄となり最高出力はさらに10馬力アップの147ps/10500rpmへ。最大トルクも11.2kgm/8500rpmへと向上。乾燥重量は228㎏になったものの、洗練されたエアロダイナミクス性能と新規採用されたラムエアシステムがそれまでとはレベルの違う高速域性能を実現。何も手を加えない公道仕様でも280㎞/h超、ゼロヨン10.25秒が出ると話題となりました。それでいてシート高は780㎜に抑えられるなどフレンドリーさも向上。燃料タンク容量はZX-10比で1ℓ減の21ℓとなりましたが、必要にして十分なキャパシティです。

 

バブル真っ盛りのショー会場でさりげなく登壇

1989年の東京モーターショー……。

筆者は6年目の大学生活を回避するべく試験対策と卒論作成に忙殺されていたため現地(東京・晴海から千葉の幕張メッセへと会場が移された最初の年!)へは行けずじまい。

情報は雑誌記事だけが頼りだったのですが「ホンダNRプロトタイプ現る!」との大ニュースに意識をすべて持っていかれて、ZZ-R1100のことなんて完全にスルー(ついでに言えば「ZEPHYR」も同ブースで飾られていたのですね……)。

NRプロトタイプ

●ホンダブースにて最大限の注目を浴びていた、第28回東京モーターショー参考出品車「NR」。当時のモーターサイクリスト編集長が「市販車第1号はウチが買う!」と堂々の購入宣言をしたことも話題になりました。実際、1992年5月に発売された520万円、シリアルナンバー0001のモデルは八重洲出版へ……。そのバイクを筆者が転倒させた顛末はコチラ

 

それはバイク業界も同様だったようで、ショーの紹介欄での扱いも最小限

正直、「あぁ、1000RX~ZX-10と続いたズングリムックリ系の旗艦とやらがまた出たのか、ふ~ん。おっ? GPZ900Rは継続されるのね、良かった~」という筆者同様の感想を持っていたライダーやギョーカイ関係者が大部分だったのではないでしょうか。

地味な陰キャと思っていたらゴリゴリの武闘派!

しかし、海外試乗会などで初めて実車両を走らせたバイクジャーナリストは気付きます。

「ん……コイツはただ者ではないぞ!」

当時、モーターサイクリスト誌で熱筆を振るっていた宮崎敬一郎氏もそのひとりで、それまで各メーカーの名だたる最速フラッグシップがどうしてもたどり着けなかった“実測300㎞/h”が現実のものになるのではないか?という直感があったそうです。

最高速記事

●上と同じく八重洲出版 モーターサイクリスト 1990年8月号の記事より。このときZZ-R1100のライバルとして“ヤタベ”へ持っていったのは各メーカーのフラッグシップたち。しかし290㎞/hオーバーを記録したZZ-Rの敵ではありませんでした。その後、ホンダはCBR1100XXスーパーブラックバード、スズキはGSX1300Rハヤブサで打倒ZZ-Rへの狼煙を上げますが、それはまだずっと先のお話。なお、ヤマハは以降の最高速バトルには参戦しませんでしたね……

 

かくして宮崎氏と鈴鹿4時間耐久レースを何度も制したファインチューニングの名手がいるショップ「モーターサイクルドクター須田」とイキとノリのいい編集部員がいた「モーターサイクリスト誌」とがチームを組んで“OVER300㎞/hチャレンジ”がスタートしました。

乗るほど知るほどイジるほど底知れぬ実力に驚愕!

車両の日本到着(当時のオーバーナナハンモデルは“逆輸入”されていたのですね。今は消えたこの制度についても近く稿を改めて……)からSTD状態での試乗やパワーチェック、最高速確認。そこからの各部改良、0-400mチェック、そして想定以上に高かった実測300㎞/hの壁……。

ZZR1100フロント

●左右非対称のデザインがまたカッコよかった初代ZZ-R1100の「ラムエア導入口」。高速走行時にこちらの穴から強い走行風をダイレクトにエアクリーナーボックスへと取り込んで、圧力(密度)の高い空気をエンジンに供給するというもので、速度を増せば増すほどパワフルさも向上するという魔法のアイテム。実は1989年に出たZXR250/Rのほうが先行してラムエアシステムを採用していたのですが、広く認知されたのはやはりZZ-R1100のほう。今ではスーパースポーツなどハイパワーを競うモデルには採用して当たり前の機構となりましたね

 

ZZ-R1100の秘めた実力がリアルタイムで解き明かされていく過程の記事を毎月心待ちにしていたモーターサイクリスト読者の方々も多かったはず。

この挑戦がZZ-R1100大ブレイクの一因になったと言っても過言ではないでしょう。

では次回、なぜZZ-R1100が当時のライバルとは一線を画していたのかご紹介します!

中編へ続く

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