「……シューーーーーンッッズゴォ!!!ォォォォォォォォォーーッ……」
1990年の秋から冬にかけ、モーターサイクリスト誌のアルバイトだった筆者は何度か早朝の“ヤタベ”へと駆り出され、高速周回路での最高速チャレンジをこの目で見ていました。
主役はカワサキZZ-R1100。
公道向け市販車で初めて実測300㎞/hの壁を破る資質を持って生まれたマシンであり、その“夢”を具現化させる過程にいちスタッフとして立ち会えたことは本当にバイク好き冥利に尽きることだったと言えます。
Contents
新車が出たらまずは最高速をチェックしていた時代
テストの舞台となった“ヤタベ”とは、正式には茨城県谷田部町(当時 現つくば市)にあった一般財団法人日本自動車研究所(JARI=現 一般財団法人日本自動車研究所)の高速周回路のことで、通称……というか俗称が「谷田部テストコース」。
1964年に完成し1周は5.5㎞。約1.5㎞の直線2本を半径400mのコーナーで結んでおり、世界水準の車両開発ができると各メーカーがこぞって使用していたオーバルコースで、当時クルマ&バイク雑誌がひんぱんに行っていた最高速テストの“聖地”だったことは覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。
MC編集部では厳密な速度を計測するためタグホイヤー製の光電管システムを使用しており、筆者は出てきた数値の読み上げ係を拝命(いわゆる一番簡単な下っ端仕事ですね)。
つい目の前を1秒間に約80m進む物体が通過していくというのは、なかなかにスリリングなものでして、空気を切り裂く音と吸排気音が通過前後で如実に変化するドップラー効果も激しく“体感”でき、テスト中は誇張なく鳥肌が立ちっぱなしでした……。
偉大すぎた“初代Ninja”の陰で苦労?した新旗艦
くだんのZZ-R1100とは、1989年の東京モーターショーでひっそりと姿を現した(後述)カワサキのフラッグシップモデル。
1984年に登場した、ご存じ“Ninja”の始祖としても有名な大人気モデル「GPZ900R」に端を発する水冷ハイパフォーマンス路線を受け継いだ正統後継車です。
1980年代といえば日本はもちろん、世界に目を向けても目覚ましく様々な技術が向上していった時期で、性能がアップすればイコール好調なセールスを記録するという好循環もしっかり成立しており、つまりは「超イケイケドンドン」な時代。
GPZ900Rが大ヒットを飛ばしているというのに、2年後の1986年には「GPZ1000RX」が。
そのまた2年後の1988年には「ZX-10」が登場。
そして前述、1989年東京モーターショーでのお披露目の後、1990年モデルとしてリリースされたのが「ZZ-R1100」というわけでした。
バブル真っ盛りのショー会場でさりげなく登壇
1989年の東京モーターショー……。
筆者は6年目の大学生活を回避するべく試験対策と卒論作成に忙殺されていたため現地(東京・晴海から千葉の幕張メッセへと会場が移された最初の年!)へは行けずじまい。
情報は雑誌記事だけが頼りだったのですが「ホンダNRプロトタイプ現る!」との大ニュースに意識をすべて持っていかれて、ZZ-R1100のことなんて完全にスルー(ついでに言えば「ZEPHYR」も同ブースで飾られていたのですね……)。
それはバイク業界も同様だったようで、ショーの紹介欄での扱いも最小限。
正直、「あぁ、1000RX~ZX-10と続いたズングリムックリ系の旗艦とやらがまた出たのか、ふ~ん。おっ? GPZ900Rは継続されるのね、良かった~」という筆者同様の感想を持っていたライダーやギョーカイ関係者が大部分だったのではないでしょうか。
地味な陰キャと思っていたらゴリゴリの武闘派!
しかし、海外試乗会などで初めて実車両を走らせたバイクジャーナリストは気付きます。
「ん……コイツはただ者ではないぞ!」
当時、モーターサイクリスト誌で熱筆を振るっていた宮崎敬一郎氏もそのひとりで、それまで各メーカーの名だたる最速フラッグシップがどうしてもたどり着けなかった“実測300㎞/h”が現実のものになるのではないか?という直感があったそうです。
かくして宮崎氏と鈴鹿4時間耐久レースを何度も制したファインチューニングの名手がいるショップ「モーターサイクルドクター須田」とイキとノリのいい編集部員がいた「モーターサイクリスト誌」とがチームを組んで“OVER300㎞/hチャレンジ”がスタートしました。
乗るほど知るほどイジるほど底知れぬ実力に驚愕!
車両の日本到着(当時のオーバーナナハンモデルは“逆輸入”されていたのですね。今は消えたこの制度についても近く稿を改めて……)からSTD状態での試乗やパワーチェック、最高速確認。そこからの各部改良、0-400mチェック、そして想定以上に高かった実測300㎞/hの壁……。
ZZ-R1100の秘めた実力がリアルタイムで解き明かされていく過程の記事を毎月心待ちにしていたモーターサイクリスト読者の方々も多かったはず。
この挑戦がZZ-R1100大ブレイクの一因になったと言っても過言ではないでしょう。
では次回、なぜZZ-R1100が当時のライバルとは一線を画していたのかご紹介します!
(中編へ続く)