冬の北海道へバイクで行くということは、決して人にオススメできることではありません。
-10℃前後の雪の中という厳しい環境の中を生身の人間がバイクで走るという行為は、日常では考えられないぐらい身近に「死」があります。
今回のレポート内での装備やルートが絶対的な正解ではなく、常に状況は変化します。どれだけ準備をしてもし足りないほどです。
それだけではなく、ロードサービスやレスキュー車もすぐに来てくれるとは限りません。
その旨をご理解いただいた上でお読みいただけますようお願いいたします。
はじめに
視界いっぱいに広がる白銀の世界。
あたりには人ひとり見当たらず、硬くて冷たい路面をタイヤが蹴る音、冷たい風が身体にぶつかる音、そして相棒 クロスカブ110のエンジン音だけが絶え間なく耳に届く。
2018年12月31日。私、高木はるかは北海道の大地を北に向かってただ走り続けていた。
既に目的は見失っている。
ただこの先どんな景色が広がっているのか、自分で走ってこの目で確かめたいという強い願いだけがあった。
──これは林道すらもほとんど走ったことがなかった素人が最北端の地を目指し、愛車とともに走り続けた1週間を記録した物語である。
こんにちは!
ForRの読者の皆さま、はじめまして。ライターの高木はるかと申します。
ロケットニュースや@DIMEなどの媒体でバイクやアウトドア、おもしろスポットを中心に記事を書いています。
学生時代に友人と出掛けたハイキングの途中、ツーリングを楽しむライダーたちを見かけたことをきっかけに免許を取得し、バイクに乗り始めました。
バイク歴は8年ほどで、現在の愛車はヴェルシス650、クロスカブ110、スーパーカブ90です。
普段のツーリングスタイルは下道でトコトコのんびりと走ることが多め。キャンプやロングツーリングも大好きです。
身体を張ったり体力に任せたりする企画もドーンと来い。つよく、しぶとく、たくましくなんでも挑戦していきますよ!
ということで、3年前の年越し北海道ツーリングの回想記をお送りします。
皆さまに楽しんでいただけますと幸いです。
2018年12月28日 17:00 出発の時
皆さんは「年越し宗谷岬」という単語を聞いたことはあるだろうか?
試される大地とも呼ばれる冬の北海道をバイクで縦断し、12月31日~1月1日の年越しを最北端 宗谷岬で過ごすという無謀とも思えるチャレンジ。
これを聞いて「年末年始はコタツでミカンを食べるのが至高でしょ。馬鹿だなぁ」なんて思った方、たぶんそれが正解だ。
私も2017年に雪の中走るライダーたちをインターネット上で眺めながら、「元気だなぁ」なんて他人事のように思っていた。
しかしどうして、好奇心なのか、怖いもの見たさなのか。この行事が頭から離れなくなり、いつの間にか自分の目で北の大地を見てみたいと願うようになっていったのだ。
年末の仕事を納め、一直線に自宅に帰ってきた。この日は楽しみにしつつも心のどこかで恐れていた、北海道への出発の日。
2か月ほどかけて準備をしてきた装備を身に着け、バイクにまたがる。着込んですっかり真ん丸なシルエットになった私に、夏に籍を入れたばかりの夫が話しかける。
「ホントに気を付けてね。寒波来てるし…。」
そう、2018年の年末の天気は正直言って最悪だった。日本海側を中心に20cm近くの積雪が予想されており、自宅があった奈良から敦賀港までの道のりもかなり厳しいものが予想されていた。
有難いことに、夫は今回の年越しツーリングを全面的に応援してくれていた。一人で行かせるのは心配だからと、現地でレンタカーを借りて追走をしてくれることになっていたのだ。
フェリーはふたりで個室を予約していたのだが、敦賀港までの道のりは別行動。心配するのは当然のことであったが、敦賀までたどり着けないようでは北海道を縦断するなんて夢のまた夢。
「大丈夫だって、行ってくるよ!」
元気よく答えて出発した。ところが……
2018年12月28日 19:00 滋賀→福井雪の峠越え
もしかしたら無謀な挑戦だったのかもしれない……そう思い始めたのは出発して2時間ほど経ってから。
滋賀県に入ったあたりから雪が強く降りはじめたかと思えば、すれ違う車の屋根の上に分厚い積雪を見かけるようになり、しまいには路面にまでどんどん積もり始めたのだ。
実を言うと私自身は広島出身、瀬戸内の温暖な気候の中で育ってきたためこれまでの人生でほとんど雪を見たことがない。始めこそは見慣れない雪にはしゃいでいたのだが、徐々に不安が勝ってきた。
もしかして敦賀までの峠越え、ずっとこんな感じなんだろうか?
結論から言おう。まさにずっとこんな感じであった。というか進むにつれてどんどん酷くなっていった。
意外にも雪上走行に関してはスパイクタイヤのおかげか問題なく進むことができたのだが、問題は滋賀北部から登場した消雪パイプである。
吹き出す水が顔やお腹にかかり、もはや極寒の中シャワーを浴びながら走っているような状態。防水ウェアを着ているため直接身体が濡れることはないが、素人の闘志を削ぎ落とすには十分過ぎた。
もはや北海道なんて目指さなくとも十分じゃないだろうか?
そう思いながらも後続の真っ黒なミニバンに道を譲った。こういう車は早いうちに抜かしておいてもらわないと、あとからギャンギャンに煽られて泣くことになるんだよな。
「ねぇ」
ところがその車が横につき、窓が開いて突然話しかけられたのだ。
ノロノロ走ってごめんなさい!許してよ!!
「どこ行くん?」
脱色したような明るい髪色の(失礼ながら)ヤンキーっぽい雰囲気を持つお姉ちゃんがニコニコと話しかけてきた。
「えっ…と、これから敦賀へ行って、船で北海道へ行きます…」
「えーっ、北海道!?すごいやん!頑張ってや!!」
応援されてしまった。思わず頬が緩みつつも自分の気分が変わるのがわかった。
そうだ、頑張ろう。走り続ければいつかは着くんだから。
走っているうちに山を下りたようで雪が減り、消雪パイプもなくなった。
2018年12月29日 00:50 敦賀港に到着
おおよそ8時間をかけて敦賀港に到着した。旅のスタート地点であるにも関わらず膝から崩れ落ちそうなほどの疲労である。
本来であれば船は23時55分に敦賀港を出発するスケジュール。しかしこの日は寒波の影響により出航時間が大幅に遅れていて、バイクの乗船時間は午前3時半という状況であった。
港には既に10台近くのバイクと、なぜか3台の自転車までが到着していた。
ここまでバイクで来るだけでもこんなに苦しかったのに、それを自転車でこなすなんてとても同じ人類とは思えない。
電車を使って先に到着していた夫と合流しておにぎりを食べたことまでははっきり覚えている。そのまま待合室のベンチで横になった気がするのだが、そこでプツっと意識が途切れた。
あれ?寝ていたのか…?
気が付けば時計の針は3時半を指している。
「えっ!? 船っ…! 船は!?」
焦って飛び起きたのだが、どうも寝ている間に更に出航時間の遅れが出たらしい。
徒歩での乗船であった夫は既に船の中のようで、私のことも起こしてくれていたようなのだがまったく記憶にない。
乗り遅れではないとわかり安心はしたが、今からもう一度寝てしまっては置いて行かれてしまう。
偶然同じ便に乗り合わせた友人と喋りながらもなんとか耐えたが、おそらく何度か白目を剥いていたことであろう。ようやくバイク乗船のアナウンスがかかったのは午前5時頃のことであった。
気力を振り絞って船に乗り込んだが、まだすべきことがある。
フェリーにはお風呂も用意されているのだが、天候が荒れた場合は転倒や漏水の恐れから出航後に閉鎖されることが多いのだ。つまり今を逃せばお風呂に入るタイミングを失う。
生まれたての子牛のような状態でなんとか身体を洗い、ベッドに滑り込んだ。
ちなみに新日本海フェリーには露天風呂という豪華な装備があるのだが、吹雪の中湯につかっていたところ屋根から雪の塊が落ちてきた。悪天候時に入る物ではないということだ。
とにかく激烈な寒波の中船は北海道を目指して出港してしまい、あとには引けなくなった。
しかしそれを深く考える余裕もないほどに、視界が歪むぐらいとにかく眠かったことだけはよく覚えている。
【つづく】