懐かしい昭和を探して旅する「昭和レトロ紀行」。スーパーカブ110で栃木県足利市にやってきた筆者と息子の旅もいよいよラストを迎える。かきた食堂を出て、向かったのは足利市で最も古いと言われる食堂! 旅のラストを飾るに相応しい場所だ。
濃ゆくてトロトロの“モツ定食”からスタート【昭和レトロ紀行 親子栃木編①】
足利と言えば名曲『渡良瀬橋』、ドタバタ聖地巡礼へ!【昭和レトロ紀行 親子栃木編②前編】
夕焼けの『渡良瀬橋』とシックなカフェを満喫、そして怒涛の宿へ【昭和レトロ紀行 親子栃木編②後編】
創業76年! 眠れない? スゴい宿に泊まったゼ【昭和レトロ紀行 親子栃木編③】
路地奥の食堂で昼間から焼き肉をカマせ!【昭和レトロ紀行 親子栃木編④】
イスは大正時代、とにかく年季が入りまくり!
連チャン昼食の第2弾として、スーパーカブ110で向かったのが「ホクシンケン食堂」。かきた食堂からバイクで5分もかからない。そして渡良瀬橋の北側交差点からは100m弱という至近距離にある。
創業はなんと大正8年!(1919年)。昭和レトロを飛び越え、大正レトロである。当然ながら足利市で一番古い食堂という。
パート③で書いたけど、この食堂こそ行こうとして閉まっていたお店。ネットの情報では「毎週水曜定休」のはずが木曜も休みになっていたのだ。
店の前に着き、まず目に飛び込んできたのがスーパーカブ50プロ(笑)。おお弟よ!
店内に入ると、先客が1名。何やらイスが古めかしい。後で聞いたところ、何と大正時代のイスらしい!
さて今度は、昼食第1弾で胃袋を空けておいた私が食べる番。注文したのは「ラーメン」。550円という安さだ。
改めて店内を見回すと、面白いものがたくさん展示されている。
出た~、ザ・昭和のラーメン!(玉袋筋太郎風)
新聞の切り抜きはいくつかあったが、特に猫のチーコは印象的だし、ちょっと切ない。当時の主人が芸を仕込んだところ、少しずつ言葉がわかるようになり、犬のようにお手、おあずけ、おまわりなどをマスター。NHKが取材に来たと書いてある。当時は「北清軒食堂」と名乗っていたようだ。
100年前のイスに座りながら、52年前の新聞記事を読む。なんだか時空が歪んだ感覚がしてきた。一方の息子は「隠れ家みたいな店」と言っている。
オーダーからかなり時間は経過していたが、ここでラーメンが着丼。その姿はまさに私が求めていた昭和のラーメンだ(笑)。街中華を紹介する某TV番組の玉袋筋太郎氏なら「出た~、ザ・昭和のラーメン」と言ってくれそうだ!?
まずはスープをすすってみる。何もトガッていない、全てが丸くやさしい。まるで実家でくつろいでいるようだ(?)。麺はやや縮れて滑らかモッチリの昔ながらのタイプ。脂の少ないチャーシュー、細身のメンマ、ネギがいいアクセントになっている。ンマーイ!(『まんが道』風)。
このお店のもう一つの名物がハンバーグ。私達の後に来店した営業マンらしき二人組が食べていた。今度来たらぜひ食べたい。
いよいよ100年の歴史に幕が降りる?
おかみさんに少しお話を聞いてみる。
メニューの貼り紙はどれぐらい歳月が経っているのか聞いてみた。
「30年か40年ぐらい前かな。じいちゃんが亡くなった時だから、ウーン、40年以上は経ってる」
やはり時空が歪んでいる(笑)。貼り紙は最初もちろん白かったとのこと。「年季入ってますね!」と言うと、「年季だなんて。古いだけだから」とおかみさん。
お店の主人は3代目。次の代について訊ねると「子供は違う仕事に就いていて、こっちにいません。4代目はいないんです。もう閉店です」と淡々という。
100年以上の歴史に幕を降ろすのかと思い、一瞬呆然としてしまう。すぐに、ビジネスホテルかわかみも後継者がいないかったことを、おかみにさんに話した。
「あそこも古いでしょう」
と言っているうちに、おかみさんはお客さんに呼ばれて行ってしまった。
お会計を済ませ、いよいよ帰路へ。すぐ前にある渡良瀬橋を渡ったのだが、ちょっと感慨深かった。
[エピローグ]息子も免許を取る・・・・・・!?
あとはタンデムでひたすら南進していく。前日の腰痛が悪化しており、左右の体重移動で腰がピキーンとくるし、例の宿のおかげで眠気もすごい(笑)。コンビニで休憩を取り、埼玉に入ってからは国道122号線が渋滞していたため、かなり時間がかかった。息子は、最後の方は疲れてウトウトしていたが、3時間程度で帰宅。少し心配していた妻がホッとした顔を見せている。
人心地ついてから、息子に小旅行の感想を聞いてみた。
移動時間については「長いから退屈かなと思ったら、そんなことなかった。バイクで走ること自体が新鮮。クルマの移動とは全然違って、風を感じるし、風景が変わっていくのが楽しい」
ツーリングで一番美味かったものは「昭和カフェのあんみつ」という意外な答え。
「他は普通じゃなかったから(笑)。一番インパクトがあったのは生肉を焼いたところ(注・かきた食堂のこと)」
当初は私の仕事に懐疑的だった息子(①参照)。果たして、印象は変わったのだろうか。父親としては最も気になるポイントだ(笑)。
「確かに最初はこれで仕事なのか? と思ったけど、2日間一緒にいて、寒かったり、あんな宿に泊まったりして、決してラクな仕事じゃないと思った」
おぉ! わかってくれたなら問題ない(笑)。「いくらかはわからないけど、むしろ給料は安いんじゃない?」とも付け加えていた。中の方、そして業界関係者の皆さん、よく聞いておいてくださーい(笑)。
そして最後に「僕もバイクの免許を取ろうかな」と呟いた。
――なかなかの珍道中で、バーチャルではなく、いささかなりともリアルな世界の感触をつかんでくれた。そんな気がしている。
近い将来、二人で、タンデムではなく、お互いの愛車でツーリングする日が来るのだろうか。そして遠い未来、この足利の旅が人生の様々な契機になった、と息子が懐かしむ日が来るだろうか。父親は老齢でバイクに乗れなくなっているかもしれないが、それならば不眠や腰痛を堪えながら旅をした甲斐があったというものである。