存在こそ知っていてもなかなかお目にかかれないし、身近な存在とは言い難いサイドカー。文字どおりバイクのSide……横に、car……もう一輪の車台を取り付けた、変則的な三輪車(側車付二輪自動車)のことを指すのが一般的で、意外なほど長い歴史を誇り、根強いファンもいる乗り物なのです。めくるめく深いスリーホイーラーの世界を分かりやすく紹介していきましょう!
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2輪+1輪が生み出す独特で素晴らしい世界へ
去る6月5日(日)、那須モータースポーツランドにて2022年度の「サイドカーライディングスクール」が開催されました。
そちらへ筆者も参加したのですが、いやぁ~、面白かったですね~!
3輪ならではの挙動に最初は戸惑いつつもベーシックな運転練習を繰り返していくと、車両が少しずつ言うことを聞いてくれるように!
すると進路変更がスロットルのオンオフだけでできるようになったり……。
深淵なるサイドカーライディングの入り口へ1日にして立つことができる濃密なカリキュラムの内容は、順次説明してまいります。
バイク黎明期より生まれ、一時期は隆盛を誇った!
さてさて、そんなサイドカー。
発祥は20世紀初頭のヨーロッパと言われており、四輪自動車がまだまだ高嶺の花だったころ、身近なバイクでより多くの荷物や人員を運びたい……という切なる願いから生み出されたものだとか。
バイクと側車(カーや舟などと呼ばれることも)の締結方法、フレーム構造、アライメント出しのノウハウetc……さまざまな知見が飛躍的に蓄積されたのは、世の常ながら大戦争の起こった時代。
第一次世界大戦から第二次世界大戦初期にかけて特にナチス・ドイツはサイドカーを軍事作戦へ積極的に導入し、BMW R75ほかの名車たちを数多く輩出いたしました(敵対していたソビエト連邦はそれらのマシンをコピー……)。
インディ・ジョーンズシリーズのほか、戦争系アクション娯楽映画のなかで大スクリーンを所狭しと走りまくるサイドカーの勇姿にシビれた人も多いのではないでしょうか?
日本においては第二次世界大戦終結後、比較的安価で便利な庶民の足としてサイドカーが大ブームとなり、日本各地の工場で数多く作られていた時期もあったとか(独自の発展を遂げた“オート三輪”もございましたね)。
まぁその後、スバル360やホンダN360ほかの「軽自動車」が“国民車”として登場してきたため、モータリゼーションの発展とともにサイドカーの市場は一気に縮小していったのですが……。
とはいえ、独特の操縦性や積載性の高さ、視線が集中する快感などの理由から、いまだ確固とした人気を誇っているモビリティでもあるのです。
クセは確かに強いんじゃ〜、だがそれがいい
かくいう「サイドカー」へ丸一日、存分に(飽きるほど!?)乗り倒せる(倒れませんが)のが、年に1回、那須モータースポーツランドで開催される「サイドカーライディングスクール」なのでございます。
こちらがスタートしたのが2008年のこと。
「直近……はムリでも、ゆくゆくはサイドカーを所有したい!」というガチ勢だけでなく、
「ライダーたるもの、ネイキッドもオフロードもトライアラーも走らせてみたい。当然サイドカーも!」という好奇心優先組や、
「大型バイクに乗りたい。でも教習所以来だから立ちゴケの心配がないサイドカーで感覚を取り戻して……」という、聞いたコチラが驚く合理派(?)まで参加の理由は多種多様。
もちろんどんな動機だって問題ナッシングなのです。
バイクとは乗り方、いや概念まで変えて接する必要が!?
スクールは主催者代表、那須モータースポーツランド・竹内支配人のあいさつから始まり、参加者20人弱を4グループに分けてサイドカー実車を前にしながら操作時の注意点などをレクチャー。
繰り返し繰り返し、何度も述べられたのは「運転感覚がバイクとは全く異なります! ハンドルを意識的に切らないと曲がりません! 加速時、減速時に独特の挙動が出ます! とにかくスムーズな運転を!」などなど。
「そんなに大変なのか……?」と一瞬ビビってしまったものの、考えてみればどれもバイクに側車を追加するというビッグな構造変更を受けた車両なら当たり前なこと。
「ニーグリップをしっかり行ない、スムーズな操作を心掛けていけば大丈夫ですよ」という講師陣のエールを背中に受けつつ、さっそく練習走行の開始です。
筆者が属するグループに割り振られたのはコンパクトで可愛らしいヒョースンのGV250イオタサイドカーだったので、なんとなくホッ……としたのもつかの間、加減速時のとき確かに感じる独特の挙動に気を取られ、盛大にエンストを連発!
アレレレのレ? 楽しくて長い学びの1日が始まりました! (つづく)
【参加者インタビュー①】布施暢洋さん 53歳