二輪業界に飛び込む前のこと、会社を辞めた僕は風の吹くまま気の向くまま、北海道をバイクで走り回っていたことはこのForRでも書かせてもらった。レッドバロンのロードサービスのお世話になったり、閉所したライダーハウスをわざわざ開けてもらったり……小さなことから大ピンチまで本当にいろいろな人に助けられた。

ロングツーリングというと、なんだか人との関わりを絶って飛び出していくイメージがあったけど、実際にやってみるとその逆なのだ。「一人旅だ! 自由だ!」と勇んで走り出したところで、なんだかんだと人様に迷惑をかけたり、お世話になりながら走り続けることになる。そんな旅先で受けた恩をどこかで返さなきゃと思いながら走り続けるのだけど、受ける恩ばかりが増えていく。だから困っている旅人がいるとついお節介を焼きたくなる。

舞台は西の最果て与那国島

北海道をフラフラと走り回ったあと、僕は日本最西端の与那国島(よなぐにじま)に流れ着いていた。渡島した理由は「無職でフラフラしてるなら、一緒に与那国行こうぜ! 黒糖を作る製糖工場で2ヶ月くらい働いてみない?」と、当時つるんでいた山仲間にと誘われただけなのだが、結果的にこの与那国島にはそのまま3年半ほど住むことになった。

与那国から見える台湾

最西端の与那国では天気がいいと台湾が見える。てっきり水平線にちょこっと見えるだけだろうと思っていたら、割と大きく見えることに驚いた。写真ではちょっと見にくいが、中央左の灯台の奥に見えるうっすらとした峰が台湾だ。左右はこの写真に収まらないほどでかい。この島では太陽が海ではなく台湾の向こうに沈む。

 

与那国島。地理的には沖縄本島のさらに西にある石垣島や西表島といった八重山諸島の西の端。文字通り日本最西端の島で、ここから西へ111km行くとそこはもう台湾。距離的には西表島の方がかろうじて台湾より近いが、最寄り港のある石垣島となると118kmで台湾の方が近い。そんな最果ての立地と黒潮のど真ん中にあることから、渡り難しと書いて渡難(どぅなん)島なんて別名があるくらいだ。

与那国・祖納の集落

僕が住んでいた祖納の集落。ティンダ鼻と呼ばれる崖(鼻/ハナ)に上がると集落が一望できた。写真は15年前くらいに再訪したときのものだが、島民によるとこのレンタルバイクのディグリーはいまだ現役らしい。島に一軒のバイクショップ、与那国ホンダには他にSL230もあった。

 

与那国馬

与那国馬という日本在来馬8種のうちの1種がおり、島に何箇所かある牧場で放し飼いされている。写真の馬は混血種で純粋な与那国馬ではないが、東崎(あがりざき)の灯台付近には、純血の与那国馬が今でも歩く。

 

さて僕の第二の故郷である与那国のPRはこのくらいにして本題に入ろう。ある日、仕事から帰ると島唯一のスーパーマーケットで働いていたカミさんが、バイク乗りだという旅人を拾ってきた(笑)。こんな最西端の島までバイクを持ってきている時点で相当なバイク好きだが、釣りも大好き。行く先々で竿を出し、ついにはカジキやガーラ(ロウニンアジ)などの大物で有名な与那国島へと流れ着いたらしい。

与那国島・北牧場

与那国島の別名は、渡り難しと書いて渡難(どぅなん)。そのすごさは国内で一番揺れる航路と言われるくらいで、台風がくると海は大荒れ。この断崖から数十メートルはあろうかという水柱が垂直に立ち上がる。

 

彼は大島くんといい、相棒はヤマハのFZX750。南側の比川集落の砂浜で野宿(ホントは禁止)しながら釣りをしていたそうだが、スーパーマーケットでバイクを見かけたカミさんが、「シャワーもあるし、なんなら1泊して洗濯もして行きなよ」と声をかけたのだ。当然、その夜は旅談義で盛り上がり、彼が四国のレッドバロンで働いていたことも知った。まぁ、それだけなら特別珍しくもない話なのだが、事件はその数日後に起きた。

Yonaguni Island 05

あれから数年後、与那国から引き上げる際にはせっかくだからと3ヶ月くらいかけてふらふらと帰ってきたのだが、道中では大島くんを尋ねたりもした。


カミさんが働くスーパーマーケットに全身ずぶ濡れの大島くんが「助けてください」と現れた。どうやらサンニヌ台という岩礁ポイントで釣りをしていて足を滑らし、崖から落水したらしい。なにせここは渡難(どぅなん)。荒波に揉まれて這い上がるのに相当苦労したらしく、足をくじいてるは、全身打撲だわの満身創痍。助けを求めてなんとか集落までたどり着いたのだ。潮に流されなかっただけでも相当運がいい。

というわけで、大島くんは再び我が家の居候になった。打撲がひどくて3日は寝込んでいたと思うが、そうとう気まずかったのだろう「すみません、すみません」と繰り返すばかりだったが、僕は内心ニヤニヤである。「せめて宿代とか食事代を受け取ってください」と言ってきた彼に、長年憧れた台詞を言うことができたからだ。

「僕も旅先でいろんな人に助けてもらってさ、その度にお礼をしようするんだけど、“お礼はいらない。代わりに困っている人を見かけたら、今度はその人を助けてあげてよ”なんて言われるんだ。これで僕もようやく助ける側になれた感じだから、今度は大島くんの番。誰か困った人がいたら代わりに助けてあげてよ」

もうね、本人としては精一杯カッコつけたつもりだったが多分ニヤニヤが止められず、人の不幸をほくそ笑む気持ち悪い感じになってたはずだ。ただ、そんなことがどうでも良くなるくらい嬉しくてしょうがなかった。旅している間に色んな人からのご恩を受けるばかりで、誰にも恩が返せずにいたもんだから、ようやく受けた恩のいくばくかを次の人に返せた気がしたのだ。“恩返し”ならぬ、“恩代えし”と言うべきか。もう20年も前の話だが、僕のところに転がってきた“恩”は今頃どのあたりを旅しているのだろう? それを考えると自分の一部がどこかを旅をしているみたいで、なんだか嬉しくなるんだよね。

 

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