あれは今から20年以上前の1998年。僕が初めての北海道ツーリングに出かけたときのことだ。3年間勤めた写真業界誌の仕事を辞めた僕は、貯金を握りしめて3ヶ月くらいの予定で北海道を旅することにした。いや、今思えば北海道の旅を理由に会社を辞めた気もする。

納沙布岬予定は未定。風の吹くまま気の向くまま、当時は北海道にいくらでもあったライダーハウスを転々としながら、西へ東へ気楽に走り回った。終いには無計画がたたって路銀が尽きかけ、当時、旅人の就労先として定番だった鮭の水産加工アルバイト、通称“鮭バイ”もした。ライダーハウスにはバイク乗り目当ての季節労働求人の張り紙があり、旅をしながら働くこともできた。この話もなかなか長くなりそうなのでまたいずれ(笑)。

そんなこんなで北海道の東側、中標津でのシャケを捌いているうちにいつの間にか11月。雪がちらつき始め、道が閉ざされる前に本州に脱出をはかるべくフェリーの港である函館を目指していた。何度か雪で足止めを喰らいながらも函館目前の大沼までなんとかたどり着いた僕は、旅の終わりに函館から東側にある亀田半島を海沿いにぐるっとまわっていくことにしたのだが…。

写真左が鮭バイ中の僕。手にしているのはもちろんシャケで、朝から晩まで腹の裂かれたシャケから内臓をひたすらかき出す仕事だった。

人気のない海沿いの道でエンジンストール

雨は降っていなかったが、海沿いの道(多分国道278号線)はなんだか水溜りが多かった。今考えると、なぜもってそんなことをしたのかよくわからないのだが、そんな水溜りを避けることなく突っ切りまくっていた。当時の相棒・ヤマハのSRX-4の空冷エンジンから立ち上る水蒸気が楽しかったのかもしれない。…が、ボシュボシュと景気良く水煙をあげていると、ゴホゴホとエンジンが咳き込み始め、やがてエンジンストール。症状はガス欠のときのそれに似ていたがガソリンはまだある。「おかしいな?」なんてセルボタンを押していたら、だんだんセルスターターの回りも弱くなってきた。そこでようやくプラグを濡らしてしまったことに思い至ったのだが、もはや遅かった。このSRX-4、ものすごくいいバイクだったのだが、フレームの取り回しが特殊すぎてとてつもなくプラグにアクセスしにくい。タンクを外してようやくプラグに指が届くものの、プラグキャップを外すだけで苦労するような構造だった。

そうこうするうちに、すっかりバッテリーは弱り、押しがけしてもうんともすんとも言わないバイク。当時は携帯電話なんて持ってなかったから、とにかく次の集落まで押すことにしたのだが、なんせ3ヶ月分の荷物である。キャンプ道具をはじめとする生活物資満載で重いったらありゃしない。と、遠くに「YAMAHA」文字が見えて九死に一生を得たと思ったのだが、なんとか近づいて見れば、YAMAHAはヤマハでも「YAMAHA船外機」。つまりはバイクじゃなくてマリン。漁師さんのための船の修理工場だった。今考えれば、マリンだろうがなんだろうが、頼めばバッテリー充電くらいはさせてもらえただろうが、当時はまだ20代前半の青二才。そこまで知恵が回らなかった。重たいマシンは押しがけしようにも海っぺりの道はどうにも平坦でうまくいかない。公衆電話を見つけたところで心の中でナニかがぷつりと切れた。

ロードサービスを利用したときの整備伝票。僕はレッドバロンで作業したときの記録を全て保存している。整備記録になるのはもちろん、過去に見返すと当時の記録がよみがえるのだ。ロードサービス料金が書かれているが100km無料券を持っていたため費用はかからなかった。

ロードサービスのおかげで旅が続けられた

公衆電話から最寄りのレッドバロンに助けを求めることにした。僕がなんで初めてのバイクをレッドバロンで買おうかと思ったかは前述したとおり。その全国ネットワークに心惹かれたからなのだが、もう一つは充実したロードサービス体制にあった。今でこそ、自動車保険に付帯するロードサービスは当たり前になりつつあるが、当時は“バイクは立ち往生したらどうしたらいいの?”ってくらい途方に暮れたもんだ。

そんな状況にあってレッドバロンは、全国ネットワークを活かしたロードサービス体制が当時から万全。「どこへでも60分以内で到着します!」みたいなことを売りにしていたくらいだ。それにバイクを買ったり、友人を紹介すると100kmとか50kmとかの無料ロードサービス券がもらえたりもした(現在のレッドバロンのロードサービス体制は任意保険の付帯型へと移行しているが、距離無制限で無料となっている)。僕は知り合いのレッドバロンユーザーから北海道に行くなら…と餞別代わりに100kmロードサービス券を預かっていたのだ。

正直、レッドバロン函館にどう連絡をとって、どんな思いでロードサービスを待っていたかの記憶はもうない。覚えているのは唯一、愛車とともに函館のお店へ運ばれる最中のことだ。よほど落胆しているように見えたのだろう、ロードサービスの担当スタッフがなんだか妙に優しかったことを覚えている。お店へ着いてからも、旅の途中なら“明日取りに来て”と言われても面倒だろうと、営業時間を押してまでバイクを見てくれた。「今年最後の県外ナンバーのお客さんかもしれないですね」なんて言いながら、スタッフがすっかり暗くなった店の外へ見送りにきてくれた時には泣きそうになった。

函館に到着した日の夜は雪。しかも次の日からは完全な冬型の気圧配置。おかげでフェリーの欠航待ちでライダーハウスに連泊することになり、1週間近く待ってようやく本州に脱出することができたが、函館より青森の方が雪が多いってことはこのときはまだ知らなかった。

 

結局のところエンストの原因は思った通りのプラグ濡れによる失火で、プラグホールから水がシリンダー内に侵入したとのことだった。ロードサービスを利用しなければどうなっていたことか? しかもこの日の夜、函館にはこの年初めての積雪を伴う雪が降った。危なかったのだ。あのままロードサービスを頼めず、海っぺリでもたもたしていたら北海道で越冬することになりかねなかった。この北海道の旅ではこれに限らずいろんな人たちに助けていただいて旅を続けることができた。“いつかこの恩を返してやるんだ。少しでもね…”そう強く思ったのだが、その日は意外と早く来ることになる。それも北の大地ではなく日本最西端の与那国島で、しかもレッドバロン繋がりで起きるのだが、この話はまた次の機会に!

1週間待ってようやく溶けた雪。いよいよ北海道を後にする決心をする。久々に青森行きのフェリーが出るのだ。

 

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