バイクで気ままに旅暮らし、お金がなくなったら出先で働いて路銀を稼いでまた旅をする…。そんな西部劇の流れ者の主人公みたいな旅ができるのか?  まぁ、西部劇ほどはかっこよくないが、普通にアルバイトしながらバイクで旅をすることは意外と簡単にできる。

最近はコロナ禍だし、僕がそんな旅をしていたのはかれこれ20年以上前のこと。多少状況は変わっているだろうが、幸い人手不足に悩む地方の状況は今も昔も同じ。コロナ禍が明けて、自由な時間がふんだんにあるのなら、こんな旅をしてみるのも面白いだろう。

さて、どうやれば旅先で働いて旅が続けられるのか?  僕の場合、もともと住み込みでのアルバイト、今で言うリゾートバイトみたいなスタイルが好きだということが根底にある。学生時代のスキー場のリフト係(冬)から始まり、沖縄での製糖工場(春)、北アルプスの山小屋(夏)、鮭の水産加工アルバイト(秋)、民宿やスキーロッジ(冬)などなど。

北海道の定番季節労働、鮭の水産加工アルバイト、通称:シャケバイ。鮭の獲れる秋口から晩秋にかけてある働き口で、ライダーハウスで求人チラシを見かけて応募。確か履歴書を書いて持参、そのまま採用された記憶がある。

働き口は季節労働が手っ取り早い


旅しながら働いてそれなりの資金を稼ぎたいなら、まずこういった住み込み系のアルバイトに抵抗がないということが第一の条件となる。そもそもとして相手の望む労働力になるということは当たり前だけど、ぶっちゃけどんな状況でもある程度他人とのコミュニケーションが取れて、相部屋を含む共同生活してもストレスが溜まらない……ってことがこの手の住み込み系のアルバイトでは一番重要になる。


僕の場合は、旅先で見知らぬ人と相部屋になるようなことは登山でもライダーハウスでも普通に体験して慣れていた。また、当たり前だが関わる人が変わればコミュニティも一変する。自分の思い通りにならないことも多いし、不条理を感じる場面もあるが、「まぁ、そういう考え方もあるよね」とか、「世の中いろんな人がいるなぁ……」とそれほど深く考えない性格が幸いして大抵の現場は楽しく過ごせた。それに右も左もわからないような世界に単身エイヤッと飛び込んで、良くも悪くも“マジかっ!”とカルチャーショックを受けることがもともと好きなのだ。

槍ヶ岳山荘

たくさんの布団を屋根に運んだあとは、布団が乾くのをまちながら自分たちもそのまま日光浴。汗をかいても風呂には入れないが、まぁなんとかなる。

 

例えば山小屋でのアルバイト、北アルプスの槍ヶ岳の肩の小屋で2ヶ月ほど働いたけど、なんせ稜線上の小屋なので水が乏しい。…ので水不足になると風呂に入れず、最長20日ほど風呂と洗濯ができなかった(笑)。まぁ、空気が乾燥しているのでそれほど気にはならなかったが(笑)。

住み込みアルバイトでは、宿代も食事もタダ。ただそのぶんちょっと日当が安いが、当面の宿と食事が確保できるのはありがたい。写真は北海道の標津シャケバイの宿舎。ここで何十人ものアルバイトが共同生活する。並んだバイクは全て旅ライダーのものだ。

 


ただ、こんなことを言うと、僕がとても明るくてコミュニケーション能力に長けた人間だと思われるかもしれないが実は逆。ものすごく人見知りで、ライダーハウスに泊まっても、その場で盛り上がっている飲み会に「こんちは! 僕も混ぜてください!」と割り込めるタイプじゃない。

どっちかというと「誘われたら満更でもないんだけどね……」と思いながら宴会を横目にひとり地図を見て、明日の走行プランを練っているタイプだ(笑)。

シャケバイの宿の風呂桶は、鮭をフォークリフトで運んだり、臓物を入れるコンテナだった(笑)。ご飯も鮭づくしで、鮭フレークは毎晩食べ放題。大漁で仕事が大変だった日には晩飯にイクラが振舞われた。

ライダーには意外と働き口がある!?

列記した住み込みアルバイト歴でもわかるように、地方には“そのシーズンだけ一時的に人手が必要”な求人があるものだ。農業、水産、観光業。職種はいろいろだが、そんな季節労働が日本全国のあちこちにあり、短期的な求人募集を行っている。


“出稼ぎ”なんて言葉が一般的だった一昔前は、東北や北海道の農家の方達が農業ができない冬季・農閑期に、働き口のある地方へ集団で出稼ぎにいくような仕組みがもともとあり、今でも沖縄の製糖業などでは、サトウキビの収穫時期に合わせてやってくる働き手のことを“援農隊(えんのうたい)”なんて呼んでいる。定住者ではない、一時的な労働力を求める文化が地方には意外と残っているのだ。


走ることが目的の僕らにとってこれらの季節労働は非常に都合がいい働き口だ。1週間から1ヶ月くらい働いて、就労シーズンの終わりとともに再びバイクで走り出す。それに雇う方としても、わざわざ遠方から交通費を支給して集めるくらいなら、安く現地採用してすぐさま働いてもらった方が手っ取り早いという、お互い利害が一致することも多い。

シャケバイは、水揚げされた鮭をさばいて、筋子を取り出し切り身に加工。僕の担当は、ドレスと呼ばれる機械から流れてくる腹が裂かれたシャケを掴んで、内臓を取り出す作業。これを朝から晩までひたすら繰り返す。単純作業のため1日がものすごく長く感じる。

求人情報は蛇の道は蛇。自然と耳に入ってくる

では、そんな求人募集はどこから入手するのか?  面白いもので働き口が必要になるくらいの長旅をしていると、そんな求人情報はどこからともなく耳に入ってくるものだ。それに突然チャンスが舞い込んでくることもあった。昔の北海道にはライダーハウスがたくさんあって、夏場は誰かしら旅人が寝泊まりしている。確か富良野あたりのライダーハウスに泊まっていると

「おはよう。今日働けるやついるか!?」

なんて具合に農家さんが声をかけにくることもあった。また別のライダーハウスでは、「この土日、お祭りで出店出すんだけど、手伝ってくれない? 宿代ロハにするからさ」なんて言われたこともある。まぁ、お金にはならなかったが面白そうなので手伝うことにしたが、労働力の代わりに飯代&宿代がタダになるいわゆる居候というやつだ。

ライダーハウスに泊まっていると、朝農家の方がやってきてスカウトされることも。作業はニンジンなどの収穫のお手伝いだった。

 

こんなイレギュラーな場合は別として、きちんと働くならまずはライダーハウスやゲストハウスに貼ってある“求人情報”に応募するのが手っ取り早い。えらい遠方の求人募集のチラシがさりげなく貼ってあったりすることがある。実際、北海道で水産加工アルバイトをした時には、宿舎になぜか、“常夏の南の島で働いてみませんか?” というキャッチフレーズとともに沖縄の製糖工場の求人募集を見かけたこともある。

それに世の中には、そんな季節ごとの住み込みアルバイトを求めて日本を北から南まで渡鳥のように移動する、“住み込みアルバイトのプロ!?”とも言うべき旅人がいる。ライダーハウスやゲストハウスに貼ってある求人募集のチラシは、そんな彼らによってもたらされる場合が多い。

求人チラシが気になったなら、連絡先を写メするだけでなく、オーナーなり管理人なりに、「あの求人のチラシなんですけど…」なて声をかけてみると、貼った本人が意外と近くにいて話が早かったりする。

“住み込みのアルバイトのプロ”である彼らは、“ワタリ”とか、ワンゲル、ワンダーフォーゲル(ドイツ語で渡鳥)なんて呼ばれているけど、もし出会うことがあったらどんなところで働いてきたかを聞いたり、場所、時期などの求人情報を聞いておこう。もしその人の伝手を頼れるならそれが一番手っ取り早い。普段の生活では全く気づくことはないのだが、世の中には“蛇の道は蛇”というかなんというか、入り口を知らなければ絶対に入り込むことができないコミュニティが意外と身近に転がっていたりするものなのだ。

面白いのはこの旅人の世界。意外と広いようで狭いということだ。特にバイクで移動するワタリの場合。どうしても夏から秋は北海道で、冬場は南下(もしくは道内越冬)という移動パターンが決まってしまう。実際僕も、北海道の水産加工アルバイトで一緒に働いていたライダーと、数年後に沖縄の製糖工場でたまたま一緒になるなんてことがあったりした。

製糖工場では、文字通り黒糖を作る。作業工程をざっくり話せば収穫したサトウキビを圧搾してジュースを絞り、それを煮詰めて黒糖化。収穫時期の春先だけ工場が24時間体制で稼働するため人手が必要なのだ。

 

まぁ、夏から冬にかけての行動パターンが一緒なのだから必然と言えば必然なのだが、さすがになんの連絡も取ってない相手と3000kmも離れた場所でハチあわせすると不思議な気分になるものだ。

そんなこともあってだろう。旅人同士の別れの挨拶で定番なのが、「じゃぁ、またどこかで」。3ヶ月一緒にいようが3日だろうが、大抵の旅人は別れ際にこの言葉を発する。「改めて別れを惜しむほどじゃないし、連絡を取り合うほどの仲じゃないけど、縁があればまたどこかで会うこともあるでしょう。その時はよろしく!」……ということだと個人的に解釈している。

製糖工場は、サトウキビの収穫シーズンだけ稼働だが、一度稼働すると24時間体制で黒糖を作る。仕事は12時間ずつの交代制で、週に一回18時間労働で夜勤と日勤が交代。宿は相部屋だが、日勤と夜勤の2人が同じ部屋を入れ替わりで使うシステムだった。

旅先での沈没に注意

最後に注意。別にもし望んでそうするなら注意でもなんでもないのだが、旅人の間でしばしば使われるのが“沈没”という言葉だ。例えば、知り合いの旅人出会ったときに「そういえば○○さん今年は来てないみたいだけど、どうしてる?」なんて話をしたときに、「ああ、あいつなら北海道で沈没したって聞いたぜ?」なんて具合に使う。

沈没とは、もちろん船の沈没のことで、旅人が何らかの理由で“旅を続けられなくなった状況”を示している。まぁ、大抵は旅先で結婚して家族ができたり、何かに目覚めて定住することになった場合が多い。

まぁ、“旅人卒業”と同義語だと思われるけど、確かに旅していると“ここに住んでもいいかも”という場所や風土、人間関係に出会うことがある。そんな状況を含めてやっぱり旅は楽しいものなのだ。

与那国島

僕も当初3ヶ月のつもりが3年半ほど与那国に住むことになったが、旅人仲間からは、“あいつは与那国島で沈没”とウワサされていたらしい。居着いた理由は、日本離れした文化風習の宝庫で時間をかけてみたかったことが第一。それに台風が来た時くらいしか玄関の戸を閉めなくていいような島暮らしが気に入った。唯一の不満は、風呂=シャワーで“湯船”文化がなかったこと、工事現場の仲間にドラム缶の底を抜いてもらって五右衛門風呂(画面:左)を作ったりした。

 

【関連記事】

>僕が初めてのバイクをレッドバロンで買ったワケ

>レッドバロンのロードサービスのおかげで間一髪!

>旅人から旅人へ転がり続ける“恩がえし”

 

 

SHARE IT!

この記事の執筆者

この記事に関連する記事