ライバル(ほぼ)不在のまま1985年から覇道を突き進んだヤマハ謹製“力の象徴”「VMAX」 15年近い年月が経過して圧倒的だった最高出力の数値こそリッタースーパースポーツなどにバンバン抜かされていきましたが、スタイリングや特異な乗り味が放つ魅力は色あせることなく世紀をまたいで販売は継続されていきました。 そしてチラホラ姿を見せ始めた2代目への期待と熱狂……。そちらについても語ってまいりましょう!

2005TMS_VMAX CONCEPT

●2005年晩秋に行われた第39回 東京モーターショーにおいて、サプライズ公開された「VMAX Concept」(上タイトルの背景写真も同じ)。初代デビューから20年という節目の年、ようやく現われた次期モデルを予感させる参考出品車両にバイク業界は燃え立ちました。速攻で市販車版予想CGイラストなどを作成した某ヤング○シン誌の夢あふれるスクープ記事には同業者という立場も忘れて感心&感動したものです……(^^ゞ

 

 

VMAXという孤高の“魔神”【その4】はコチラ!

 

VMAXという孤高の“魔神”【その6】はコチラ!

 

“市販二輪車最高出力マシン”の座はとうに失っていたとしても

 

 

ギャワワワワワワワワッ! ズゥイイイム、ズゥイイイイイム、ズゥイイイイイイイィ~ム……!

 

 

と、スロットルを全開にしつつシフトアップをしていけば、いつしかリヤタイヤの空転は収まりシャフトドライブが軋みをあげながら巨体を推進させて、気がつくと速度計はとんでもない位置へ到達している……。

VMAXイメージ

●1985年型北米向け「VMX12(V-MAX)」カタログに用いられた写真より。凜として佇むマシンの背景に配された白煙モウモウなドラッグレースシーンがド迫力! もうこのイメージだけで世界中にVMAXフリークたちが大発生したと言ってもいいくらいですよね。以降20年以上、基本的なスタイル不変のままモデルチェンジなしに販売が続けられたリッターバイクなんて、ちょっと他に思いつきません(カワサキのNinjaこと「GPZ900R」でさえ19年……)

 

 

1985年の登場時、並び立つもののいない驚愕の145馬力を引っさげて世に放たれた「VMAX」。

 

 

“Vブースト”という魅惑的なデバイスの魔法も借りた、その強烈すぎるパワフルな加速力インパクトが1台のマシンを“魔神”という伝説的な存在に祭り上げたと言っても過言ではないでしょう。

 

 

最高速度300㎞/hを見据えたメガスポーツカワサキ「ZZ-R1100」が1990年のデビュー時にようやく147馬力を標榜し、

ZZR1100赤

●前身となるカワサキ「ZX-10」は排気量が997㏄で最高出力137馬力/10000rpm(最大トルク10.5kgm/9000rpm)だったのですが、写真の「ZZ-R1100」は排気量が1052㏄となり最高出力は10馬力アップの147馬力/10500rpm、最大トルクも11.2kgm/8500rpmへ向上! より洗練されたエアロダイナミクス性能と新規採用されたラムエアシステムとの相乗効果市販状態でも280㎞/h超、ゼロヨン10.25秒が出ると話題に。夢の300㎞/hを目指した最高速チャレンジ企画で人気に火が付き、1990年代を象徴するメガヒットモデルになりましたね

 

 

今や200馬力以上が当たり前となっているリッタースーパースポーツも1990年代末にやっと150馬力台に到達するかどうか……といった時代において、フルパワー仕様「VMAX」の別格ぶりは輝いていました。

YZF-R1

●1998年にリッタースーパースポーツの先駆けとして登場した初代ヤマハ「YZF-R1」。先行していたホンダ「CBR900RR ファイアーブレード」やカワサキ「Ninja ZX-9R」らを一気に周回遅れにしたような衝撃を感じたものです。998㏄の水冷4スト並列4気筒DOHC5バルブエンジンは当時のライバルに差をつける150馬力を発揮。コンパクトなパワーユニットを活用したロングスイングアームが生み出す秀逸な(ヤマハ)ハンドリングも絶品でありました〜

 

 

もちろんジャンルやモデルによって求められる最高出力や過渡特性は違って当然なのですけれど、筆者のような“スペック至上主義ヤロウ”にとっては、強大なパワースペックこそ分かりやすく、かつココロのよりどころとなる指標であったことに間違いはございません。

2024年型CBR1000RR-R SP

●今や最新の厳し〜い騒音や排ガスなどの環境諸規制をクリアしつつ、999㏄のエンジンで公道でも扱いやすい218馬力マシンが作れてしまう時代となりました。写真はそのホンダ「CBR1000RR-R ファイアブレード SP」

 

 

とはいえ、そんな“力の象徴”も全世界的に厳しくなっていく騒音や排ガスほか各種環境諸規制の包囲網へ抗っていくのは大変なことだったのです。

 

21世紀へたどり着くことなく消えたモデルが多いなかで……

 

 

身近かつ端的な例は平成10(1998)年排出ガス規制

 

 

実はこちらが日本国内で販売される車両へ課せられた最初の排出ガス規制だったりするのですけれど、過去の与太話満載あれやこれやコラムでも何度となく述べてきたとおり2スト&4ストのレーサーレプリカ軍団などが軒並み強制退場させられただけでなく、国内仕様の「VMAX」もクリアすることはできず1999年モデルが最終型となって静かにフェードアウト。

1998年型国内最終カタログ

●1998年5月に配布された「VMAX1200」カタログより。1990年、オーバーナナハン本格解禁の波に乗って登場した国内仕様でしたが、このモデルにて終焉。Vブーストを装着しない97馬力の“魔神”はトータルで4200台弱が日本市場へ出回ったと聞いております

1998年カタログ魔神欄

●エンジンをボンデージ(?)に装飾した同カタログ内の写真。魔神≒machineというキャッチコピーは名作……

 

 

「べっ、別に国内仕様がなくてもVブースト付き海外仕様がまだ買えるんだからいいんだもんねっ!」と一部ライダーはラノベの負けヒロインのように

負けヒロインが多すぎる

小学館ガガガ文庫『負けヒロインが多すぎる』著:雨森 たきび、イラスト:いみぎむる 筆者はTVアニメからハマったクチですがヒジョ〜に面白かったですね。不毛だった高校生活の理想像がそこにあ(以下略)。まぁ、別にこの子は一般的なツンデレ負けヒロインのテンプレートをなぞっていたわけではないのですけれど……話題作に乗っかってみました m(_ _)m

 

 

主張しつつ北米向けモデルを購入し続けていきましたが、前述の平成10年排出ガス規制は(逆)輸入車にも適用されるため、「VMAX」が含まれる小型二輪クラスの猶予期間が終わった平成13(2001)年4月1日以降に生産された新車が日本の地を踏むことは許されなくなりました。

お断りイラスト

ルールはルール……なんですよね

 

 

魔神サン、2000年代の序盤は影がとても薄くなっていたけれど……

 

まぁ、正直言ってそのころの逆輸入車市場はカワサキ「ZZ-R1100」対ホンダ「CBR1100XX スーパーブラックバード」対スズキ「GSX1300R ハヤブサ」といった300㎞/hバトルが熱かったメガスポーツジャンルや、

2001_CBR1100XX_JPN

●ホンダ「CBR1100XX Super Blackbird」は1996年から2008年(国内仕様は2001年から2003年までの間)にかけて製造されていた1137㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンを搭載するメガスポーツで写真は2001年型国内仕様。いやこれが本当によくできたモデルでしてワインディングでヒラヒラと楽しく、なおかつ長距離高速移動の安楽さにかけては右に並ぶ車両が思い浮かびません……

 

 

スズキ「GSX-R1000」が超加速させたリッタースーパースポーツジャンルが非常に盛り上がっており

2001年型GSX-R1000

●往年におけるスズキリッタースーパースポーツの旗艦「GSX-R1100」は1998年に生産を中止しましたが、1074㏄の排気量を988ccに変えて再登場したのが写真の2001年型「GSX-R1000」でした。2000年に登場した「GSX-R750」をベースとしてエンジンをロングストローク化したことにより低速域から湧き出る豊かなトルクと160馬力もの最高出力を両立。かつコンパクトな車体となったことでライバルを凌駕する圧倒的な軽量化も実現(乾燥重量は“1100”の221㎏から170㎏へ。実に51㎏ものダイエットに成功)! 同ジャンルのトップランナーへと躍り出て、欧州勢も加わった熾烈なバトルをレースでも販売面でも繰り広げていったのです

 

 

バイク雑誌が取り上げる話題もそっち方向ばかりになっておりましたからね~。

 

 

 

駄菓子菓子! 

 

 

 

あきらめの悪い(←いい意味)ヤマハ開発陣は「VMAX」を見捨ててはおりませんでした

 

米国の排ガス規制をクリアしたら日本へも凱旋再上陸できることに!?

 

吸排気系を中心に徹底したブラッシュアップを行い、ARB(Air Resource Board=米国カリフォルニア州の大気資源庁)が定めたTier1(アメリカ連邦大気浄化法に基づく第1段階の排出ガス規制)へ適応した復活の2003年型を勇躍リリース! 

2003_VMAX_US_CAN

●2003年型の北米仕様。エンジンの点火方式が従来のCDI方式からデジタル制御のTCI方式となり、よりきめ細やかな燃焼制御で排出ガス内に含まれる有毒物質を低減。それでも最高出力は135馬力/8000rpmにダウン……。こればっかりは致し方ナシゴレン(^^ゞ 

 

 

最高出力こそ10馬力減の135馬力となってしまいましたが(カナダ仕様は140馬力のまま)、このARB Tier1をクリアした仕様は日本の平成10年排出ガス規制すらパスすることが確認されたため、プレストコーポレーションによる逆輸入車販売も大復活!

 

 

2005年には20周年記念車も登場いたしました。

2005年VMAX 20TH

●2005年にプレストコーポレーションが「VMAX1200〈20th Edition〉」として発売した誕生20周年を祝うモデル。鮮やかなディープレッドメタリックKの塗色が非常に映えました!

2005_VMAX20TH

●フレアパターンが描かれたタンクカバー上にはシリアルナンバー付き立体エンブレム! その他クリアタイプのウインカーレンズやホイールにはピンストライプ、赤い差し色が施されたサイドカバーの車名ロゴも採用されており所有欲を刺激する仕上がり。最高出力欄を見ると140馬力となっておりますのでカナダ仕様だったのですね〜

 

 

2代目が開発中であることを示唆するコンセプトモデル電撃登場!

 

そんな限定モデルに弱い日本人(?)が再び「VMAX」に注目し始めたタイミングを見計らってか、同年10月22日から幕張メッセで開催された第39回 東京モーターショーで「VMAX Concept」が突如として降臨!!! 

VMAXコンセプト壇上

●プレスデーでのカンファレンスでアンベールされたときは感動しましたね〜。どこからどう見ても「VMAX」でありながら、20年分のメカニズム的進化がぎっちり詰め込まれていることが直感的に分かりました

 

 

いやもうメチャクチャ盛り上がりましたぜ、ダンナ(笑)

2005_VMAXコンセプトリヤビュー

●初代より格段に筋骨隆々っぷりが増していながらアヒルのお尻のようなテール形状は踏襲されており、親しみやすささえ感じさせられました。排気量は確実に増えていることが予想できたのですけれど関係者は頑としてヒントすらしゃべることなく、「1500㏄だ、1800㏄だ、いやいっそ2000㏄か? いやいやそれ以上かも!?」とユーザー側の勝手な妄想はどこまでも広がっていったものです

 

 

1999年から同じ八重洲出版の四輪誌「ドライバー」編集部へ異動し、2004年に再び「モーターサイクリスト」編集部へ舞い戻っていた筆者もプレスデーから一般公開日まで会場、特にヤマハブースへ張り付いていたのですけれど、関係者をつかまえて話を聞いてみても「詳しいことは何も言えません」の一点張りで取り付く島もなし。

VMAXコンセプト

●後になって分かったのですが、実際に2代目「VMAX」の開発は紆余曲折を極めたものでエンジンの仕様ひとつとっても最後の最後まで確定しなかったのだとか。というわけで2005年のショー当時、関係者はしゃべりたくてもしゃべるべき決定事項がほぼないという状況……そりゃ結果的に箝口令状態となりますよね

 

 

「いけずやなぁ」……とあきらめつつ会場を眺めていると「VMAX Concept」の周囲だけ客層の雰囲気が明らかに異なっていたのにはニヤニヤしてしまいました。

ショー会場

●こちらはヤマハ公式さんが撮影したショーでの風景。私が取材に行ったのはちょうど「VMAX」オーナーズクラブご一行様がご来場していたときだったのかもしれません(^^ゞ

 

 

まさしく車両を熱心に眺めている鋲入り革ジャンにグラサンをキメた方々に話を聞いてみると、正常進化でありつつ、さらにマッチョ感が増した〈ナイスバルク!〉〈腹筋が板チョコ!〉〈腹斜筋で大根おろしたい!〉なムキムキスタイリングは概ね大好評でしたね~。

ボディビル

●ボディビル大会でギャラリーが選手たちにかける掛け声の数々……。マジ最高なのでぜひ調べてみて聞いてください

 

そして2年後。初代が無事完走を果たし、2代目が華々しくデビュー!?

 

2006年には、さらに厳しくなった米国排ガス規制(EPA Class3)に対応するためカムシャフトのプロフィールなどに変更を受け、それまで140馬力だったカナダ版も含めて全ての仕様が135馬力へと統一

2006年VMAX逆車カタログ

●2006年型プレスト逆輸入「VMX1200」カタログより。精悍なヤマハブラックが初代最後の塗色となりました

2006VMAX逆車カタログ

●跨がるたび視界へ入り、うっとりできるタンクカバー上のフレアパターンが泣かせます。99万円(税抜き当時価格)というプライスタグも時代を感じさせますね……

 

 

こちらのプロフィールを引き継いだ2007年型が初代「VMAX」の最終型となったのです。

2007年型VMAXカタログ

●2007年型プレスト逆輸入「VMAX1200」カタログより。モデル末期ともいえる2005年〜2007年でさえ、北米仕様は平均するとコンスタントに1600台オーバーの生産が続けられました。さすが……

2007VMAX最終カタログ歴史

●同カタログでは有終の美を飾る歴代カラーリング振り返り企画のページも……。こんなバッジがあったらコンプリートしてみたい!

 

 

1985年のデビューから実に22年! 

 

 

様々なハードルはあったものの命脈を保ち続けた“力の象徴”は、北米&欧州&日本ほかの仕様を全て含めると9万3196台が生産されたと聞いております。

1988年型VMAX北米

●まさに永遠(とわ)のバイクですね……

 

 

 

そして迎えた同(200710月26日からの「第40回 東京モーターショー」

 

 

前回のモーターショーで〈大胸筋にダンプトラックが乗っている!〉ほどに仕上がっていたプロトタイプを出していたのですから、2代目「VMAX」の実車が鮮烈にお披露目されるに違いない! 

期待大

●2代目「VMAX」への期待にドキはムネムネ

 

 

……と、私を含め数多くのライダーは考えていたはずですが、その思いは完全に肩すかし

肩すかし

●「……」

 

 

大きなガラスケースのなかへ収納されていたのは巨大な立体オブジェだけでございました。

ヤマハ公式写真

●こちらもヤマハ公式さんが撮影した「第40回 東京モーターショー」の写真。こんな感じだったのです

 

 

次期「VMAX」が見られる!とばかりふくらみまくった期待とともに会場に訪れたライダーたちは、『太陽にほえろ!』のジーパン刑事殉職シーンよろしく「なんじゃぁこりゃぁ!」状態。

VMAXオブジェ

●今になってみれば2005年のコンセプトモデルより、実際にデビューした2代目へ格段と近づいていることが理解できるのですけれど、これを見せつけられた2007年当時は「前より退化してるじゃん!?」としか思えず……

 

 

2007年の晩秋といえば日本ではまだiPhoneが発売されておらず、Twitterの日本版すらまだなかった時期でしたが巨大掲示板「2ちゃんねる」をはじめとした電脳でのつながりは秒針分歩で勢力を拡大しており、編集のかたわら気分転換だから~と自分を偽ってかくいう世界へ飛び込んでみれば、「ショー会場のアレって何!?」「前回より退歩してるだろ……」「開発が難航しているのでは?」といった期待と心配と怒りと悲しみと希望に満ちたコメントがテンコ盛りでモニター上を流れていくではありませんか。

パソコンと私

●過激な意見はとにかく目立ちますしココロも引っ張られてしまいがち。インターネットは節度をもって楽しみましょう!?

 

 

ひと休みのつもりだったのに夢中になって数時間ほど溶かしてしまい(×数日間)、凸版印刷への原稿入稿が大幅に遅れてしまったことは墓場まで持っていくつもりだった秘密です(^^ゞ 

VMAX胎動

●ショーではVMAX 胎動 -Need 6-」と名付けられていたオブジェ。ここからニュー「VMAX」が米国で空母ミッドウェイ上にてアンベールされるまであと8ヵ月……

 

 

実際のところ2代目「VMAX」は大変な難産だったことが、後日さまざまなところで語られることとなりました。

 

 

そのあたりは次回、紹介してまいりましょう!

2代目VMAX

“魔神”の第二章が始まる……

 

 

あ、というわけで9万3000台以上がこの地球上に存在していた初代「VMAX」だけに、レッドバロンには豊富な在庫がそろっております(もちろん1700も)! メンテナンスに必要なパーツもしっかり蓄えているのでアフターサービスも万全! まずはお近くの店舗で「VMAX」への熱い思いをスタッフに投げかけてみてくださいませ~(^^ゞ

 

 

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